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2010 年 9 月 15 日 のアーカイブ

<<未分類>>「記憶」12

2010 年 9 月 15 日 水曜日

 人は誰しも年老いて行きますが、最後には必ず、人生の「終着」がやって来ます。

各種の癌、脳血管障害、各種心臓病、などが、三大死因の病気ですね。

このような病気を患って、最後は、肺炎とか心不全、摂食障害、などの諸々の付随した病気で亡くなっていかれます。

それなりに、まだ、認知症になっていない場合や、「死」の恐怖や苦痛を抱えたりして、苦しんでいる人達も居ます。

或いは、認知症状が強く「死」への恐怖が少ない人達も居るでしょう。

40歳代、50歳代、60歳代などの人達が、癌性病変で侵されて<<死が近づいて>来るし、体の疼痛は激痛などとなって来ますと、如何に心が立派に形成されているといえど、{生}と{死}の狭間で心は千路に揺れてしまうでしょう。

 

 人生は、唯、唯、一度限りの{命}ですね。

二度と、この俗世間に帰って来る事ができる人は、誰一人居ません。

考え方によっては、非常に寂しいもので、孤独そのものですね。

日頃から、{人生とは、何か???}、{自分の存在とは、何か???}、{自分って、どんな人間なのか???}、などと、しっかりと確認しておく事が大切です。

人は、自分の事、他人の事、「死」の事、生・老・病・死、など全部を理解していると答えますが、頭で理解しても駄目で、全ての事柄を体で理解できないと、結局は<あまり意味が無い>事になってしまいます。

そう、頭で理解した事柄は、十分に役立たない事が多いです。

 

 眼前には、自分の「死」が迫っています。

死にたくない、死にたくない、などと嘆きながら、悲しみながら、一定の時間を過ごすうちに、最後は{{消滅}}して此の世から消えて姿を失ってしまうのです。

孤独で、痛みを、激痛を、寂しさを、嘆きを担いで、一人の時空の旅が続きます。

此の世から、消滅した後は、一体に何処へ行くのでしょう。

今、医療の世界でも、ホスピスとか緩和ケアとか言って、癌で苦しむ人達への援助をします。

ですが、どんなに、援助を受けても、癌の激痛に対して麻薬の投与、注射や飲み薬を投与されても、絶対に安心して気持ち良く安らかに、人は自分の「死」を迎えて受け入れていけるだろうかと、問われると大変に困難な質問だと思います。

 

 癌で死ぬ時は、出来るだけ年老いて<癌に罹ってから>死んだ方が{{楽}}でしょう。

それは、年老いていけば、それなりに、全ての感覚器が感受性の程度が落ちていきます。

癌性病変によっても、随分と疼痛や激痛は異なっています。

時には、目前の{楽しみ}だけを見つめるのではなくて、人の人生の{行く末}まで見つめて、その上で、自分のできる限りの事柄を成し遂げる事が最大に重要でしょう。

人には、一番大事な心があり、「記憶」が最重要ですから、自分の過去は<良好な過去>にして、誤解の無い「記憶」にしておきましょう。