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2010 年 9 月 のアーカイブ

<<未分類>>「記憶」14

2010 年 9 月 29 日 水曜日

 今は、人間個人の「記憶」について話を述べたのですが、人間全体の「記憶」も大変ですね。

小さな?地球上で、沢山の国々がありますし、沢山の政治家、宗教家、沢山の科学者、沢山の実業家、各種の芸術家、各種のスポ―ツ選手、沢山の国々の置かれた状況、豊富な土地&貧困な土地、様々な国々があります。

全ての人の「過去」と同じく、全ての国々の「過去」がありますね。

歴史の中で、他国から迫害を受けたり、運良く何事も無かったような国もあるでしょう。

過去の歴史の中で他国から<<迫害>>を受けたような国々の人達は、その相手の国に対して何時までも{不満}、{恨み}、{怨念}などを持ち続けます。

 

 後世になって、少しの保障をしたくらいでは、なかなか昔の<<迫害>>を忘れてくれません。

この迫害されたと、いう過去の「記憶」は、永遠に消えて行かないと考えた方が本当のようです。

どの辺りになったら、どのくらいの年月が経てば、この迫害された「記憶」は消えるのか、普通では消えないものですが、人間って面白いのですね。

それなりの見合った【【保障】】を頂けば、【【迫害感】】は小さくなって行きます。

但し、相当の<<見返り>>が無いと、自分達の{{迫害された気持ち}}は解けて消えてしまわないものですね。

 

 国々でさえ、このような人間団体や集団の【思い】なども、そうなっています。

各人間の集団や一国の人々の大脳の海馬にも、国の皆が迫害を受けたという「記憶」が入りこんで、記憶が蓄積しています。

誰も、この蓄積された過去のマイナスの「記憶」を、簡単に忘れてくれませんから、大変に、国々の和解も難しいものです。

500年、1000年、或いは、2000年が経っても心の和解や解決が出来ませんよ。

小さな地球上の、各宗教、宗教団体の動きを見ていれば、理解できるでしょう。

 

 宗教では、常に、自分達が真実に<<正しい>>のだと、相手の宗教は間違っているから、絶対に近づいては駄目だと言います。

まして、人間個人の頭の海馬にも、全ての心の葛藤や思いも植えつけられています。

その蓄積された海馬は、個人でさえも簡単には消えていきません。

当方から見れば、地球って小さい物体、小さな塊ですよ。

何処からの視点で、地球を眺めるかにもよります。

人は訓練をして、自分の{{眼差し}}を自分の体から離して遠くまで持って行く事が出来るのが重要です。

「「第Ⅲの眼」」とも言いますが、この「眼」は非常に大切です。

でも、そんな小さな地球で、人間達が<<争い事>>で生きています。

<<未分類>>「記憶」13

2010 年 9 月 28 日 火曜日

 私は、幸せな人間です、なんて言いながら、集団生活で暮らしていますと、現実には、変な風変わりな人間が沢山と居ます。

でも、現実に、自分は真面目で優秀な人間だと自負している、人達が見られます。

多くの人達の一部の人ですが、自分の過去の記憶を取り戻せない人も居ます。

何時も、「記憶」が不透明な人や、時折にですが、T・P・Oなどを変えて、一部の「記憶」だけが飛び出して来るのです。

典型的な二重人格や、また、境界例人格障害の人達では明確に、顕著に見られます。

マイナスの過去の「記憶」のみは、見事に出て来ます。

特別な人ではなくても、よく観察すると、日常生活でも格別に見分けがつきますよ。

 

 グループや会社の集団の中で<おとなしい人、格別に眼につかないような・・おとなしい人>、或いは、反対に何だか何時も<大声を出している人>など、色々な人達が居ます。

彼等に、自分の過去を手繰ってもらいますと、「記憶」が継続して出て来ないですね。

バラバラに断片的に「記憶」が思い出されて来るのです。

彼等に、過去の大事な心の部分をですね、継続的に「記憶」の回想をお願いしても、さっぱりと無為なのです。

心、性格、人格、俗世間を生きるには何処かに、<<何らかの問題が生じます>>が、自分達は他者から教えられても気づかないので、凄く困ります。

 

 当方が、長年月にわたり、「心理療法」に関わって来ていますが、それはそれは、異常な人格の人が出世して、会社の上司などで居ますと、部下は物凄く苦労します。

会社のみならず、世の中で多くの人達で特別に出世している人達、公務員も含めてですね、俗世間の人達の生き様と社会の苦労を知りませんので、他者の気持ちを理解できません。

俗に、ワンマンと言われる人でも、様々な人格の人達が居ます。

相手の話を全然と、耳で聞こうとしない人達で、自分で話をするだけ、これも、辻褄の合わない話をして、自分は喜んでます。

話を聞く相手側は、全くと楽しくも可笑しくもないから、話を聞くだけでも疲れます。

政治家や官僚や大きな会社の社長や専務などが、そんな人達では、本当に部下は<<大変な辛い思いをして苦労している>>でしょう。

 

 自分の過去の「記憶」を明確に連続的に体得している人達の方が、部下は居心地が易いです。

己の過去の心の見える人、「「懺悔」」できる人がトップにいると、その人の集団やグル―プの中では、側で過ごす皆は集団の中で心の葛藤は少なくてすむでしょう。

人間の人格の成長には、深層心理・潜在意識・無意識の過去も「記憶」が大切です。

「過去の記憶」→「現在の記憶」→「未来への記憶」へ動きますが、「インタ―ネット心理療法」の体験で「未来の思い込み」が「現在の記憶」と「過去の記憶」を強迫しないように出来ます・・人の{{苦しみ悩む原因・会話・行動}}をも無くせるものです。

真実は、「過去」が最重要で、過去の「固着」を消去ですね。

<<未分類>>「記憶」12

2010 年 9 月 15 日 水曜日

 人は誰しも年老いて行きますが、最後には必ず、人生の「終着」がやって来ます。

各種の癌、脳血管障害、各種心臓病、などが、三大死因の病気ですね。

このような病気を患って、最後は、肺炎とか心不全、摂食障害、などの諸々の付随した病気で亡くなっていかれます。

それなりに、まだ、認知症になっていない場合や、「死」の恐怖や苦痛を抱えたりして、苦しんでいる人達も居ます。

或いは、認知症状が強く「死」への恐怖が少ない人達も居るでしょう。

40歳代、50歳代、60歳代などの人達が、癌性病変で侵されて<<死が近づいて>来るし、体の疼痛は激痛などとなって来ますと、如何に心が立派に形成されているといえど、{生}と{死}の狭間で心は千路に揺れてしまうでしょう。

 

 人生は、唯、唯、一度限りの{命}ですね。

二度と、この俗世間に帰って来る事ができる人は、誰一人居ません。

考え方によっては、非常に寂しいもので、孤独そのものですね。

日頃から、{人生とは、何か???}、{自分の存在とは、何か???}、{自分って、どんな人間なのか???}、などと、しっかりと確認しておく事が大切です。

人は、自分の事、他人の事、「死」の事、生・老・病・死、など全部を理解していると答えますが、頭で理解しても駄目で、全ての事柄を体で理解できないと、結局は<あまり意味が無い>事になってしまいます。

そう、頭で理解した事柄は、十分に役立たない事が多いです。

 

 眼前には、自分の「死」が迫っています。

死にたくない、死にたくない、などと嘆きながら、悲しみながら、一定の時間を過ごすうちに、最後は{{消滅}}して此の世から消えて姿を失ってしまうのです。

孤独で、痛みを、激痛を、寂しさを、嘆きを担いで、一人の時空の旅が続きます。

此の世から、消滅した後は、一体に何処へ行くのでしょう。

今、医療の世界でも、ホスピスとか緩和ケアとか言って、癌で苦しむ人達への援助をします。

ですが、どんなに、援助を受けても、癌の激痛に対して麻薬の投与、注射や飲み薬を投与されても、絶対に安心して気持ち良く安らかに、人は自分の「死」を迎えて受け入れていけるだろうかと、問われると大変に困難な質問だと思います。

 

 癌で死ぬ時は、出来るだけ年老いて<癌に罹ってから>死んだ方が{{楽}}でしょう。

それは、年老いていけば、それなりに、全ての感覚器が感受性の程度が落ちていきます。

癌性病変によっても、随分と疼痛や激痛は異なっています。

時には、目前の{楽しみ}だけを見つめるのではなくて、人の人生の{行く末}まで見つめて、その上で、自分のできる限りの事柄を成し遂げる事が最大に重要でしょう。

人には、一番大事な心があり、「記憶」が最重要ですから、自分の過去は<良好な過去>にして、誤解の無い「記憶」にしておきましょう。 

<<未分類>>「記憶」11

2010 年 9 月 7 日 火曜日

 人は誰しも、年老いていきます。

若い人でも、{運が悪い}と40歳代で「認知症」に罹って人間世界の判断さえできなくなる場合もあります。

そうでなくても、多くの人達は、アルツハイマ―型痴呆症、脳血管性痴呆症、などと「認知症」になってしまいます。

「認知症」の患者さんでも、全く目前を認知できない場合もありますが、少し理解できる程度や、色々な段階があります。

 

 当方、高齢者の方々も診察していますが、認知症の人々でも、眼前の状況を非常にマイナスに受け止めて、少しの事で【立腹】する人、あまり【立腹】もせずに笑顔で対応してくれる認知症の方々も居られます。

何処が、違うのでしょう。

同じ認知症になっても、少しの事柄で{怒り}、{暴力}などを振るう人達も居ます。

考えてみると、認知症の人々も案外と<<昔の事は記憶している>>と言われるものです。

人は誰しも高齢者になって、大脳の働きも弱ります。

認知症にても、海馬の働きは、それなりに<<動いて>>いるのかと考えさせられます。

 

 訳もなく、暴力をする事もないでしょう。

訳もなく、介護に反抗する事もないでしょう。

これらは、認知症になっても、過去の<<生き様>>を映しだしているのだと感じます。

それほど、人の「記憶」ってのは、大事だと伝えたかったのです。

また、認知症の人達でも、脳血管障害のひどい人達では、反抗する体力も気力も消え失せている人達もいるものです。

ベッドに寝たきりで、胃婁や鼻管栄養などを受けて、全てが介護者による全介助の人達も居ます。

人間の認知症状態でも、様々な状況がありますね。

人によっては、口で喋れなくても、相手の言っている事に少しは気づいている場合も有ります。

 

 他者が見ていて、全然と反応もなくて、唯、唯、緘黙のみで意識も無いものだと思っていますと、そうでもない場合があります。

脳血管性痴呆者の場合は、お世話するにも注意が重要です。

勿論、アルツハイマ―型痴呆症の人達や、その他の如何なる人達にも謙虚に接しなければ、いけません。

認知症だからなんて考え、心の世界を考える事を怠ったらいけません。

どこまでも、一人の人間、人格の備わっている人として、お世話をするべきですね。

先ずは、人間の心を知りたいと思ったら、自分の潜在意識や無意識の心を詳細に調べておくと良いですね。               

<<未分類>>「記憶」10

2010 年 9 月 3 日 金曜日

 「記憶」と心身の{免疫}は、必ず、関係しています。

昔からの言葉がありますよ、{{心身一如}}、また、{{心身相関}}と言います。

これは、現在の科学でも間違いありません。

学問的な言葉を使えば、「神経内分泌免疫調節」とも言います。

心と体のバランスが良く出来ていないと、病気に罹り易いと言う意味でもありましょう。

しかしながら、どんなに自分で心と体のバランスを良くしようと思っても、そう簡単に出来るものではありません。

 

 体と心は、密接につながっています。

心が、何時も{幸福}を感じるのであれば、体のバランスも立派な状態になっている筈です。

人が、自分の心の中で{幸福}を感じたり、或いは、T・P・Oの状況で{不幸}を感じたりすると、自己の心が揺れている事になります。

そうすると、体の調子も、常に、揺れる心から影響を受けてしまいますので、体を含めてホルモンや免疫までもが安定しませんよ。

人の心のストレス、最終的には体のストレスも<<心のストレス>>から来ます。

体のストレスは、心のストレスから来るのが大量ですね。

 

 人が、心の葛藤を抱えるかは、その人が目前の人や環境に対して如何に反応するか、だけですよ。

この順序は、別の表現で説明しましたね。

ある言葉を借ります。

「色」→「受」→「想」→「行」→「識」、なる言葉があります。

目前の物・人などを受け取る「色=五官であって、眼・耳・鼻・舌・身・・・」でもって、想念するの「想」です。自分が好きなものには<近づく>し、嫌いなものからは<遠ざかる>などの<<<心の動き>>>を「行」としています。

最終的には、この心の道を通ってから、認識するので、「識」としています。

心の経路と言っても良いでしょうし、最終的には、各個人が如何に物事を判断・判定するかでしょう。

 

 心の判定の結果が、好きだ、まあまあだの場合ではいいし、判定の結果が嫌いだとか、大嫌いだとかで、その人の心の葛藤は沢山とたまり、大きなストレスとなるかだけでしょう。

自分の{生い立ち}から~現在までに至る{口・行動・心}を調べて、自分が善人か悪人かを判定できれば、目前をそんなに誤解しないで気楽に人生を生きられます。

過去の「記憶」だけ、この「記憶」が全ての人間の現在の心を操作するのですから、心の世界を勉強するのは面白いですよ。

「・・ネット心理療法」で、十分に学習できます。