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2010 年 8 月 のアーカイブ

<<未分類>>「記憶」8

2010 年 8 月 31 日 火曜日

 一流企業に勤務して、憧れの仕事に就職して働いても、過去の<<心の固まっていない人であれ>>ば、会社内の人間関係や会社の環境にも{不満}は溜まり易いですね。

面白いのは、人間って【欠乏欲】の塊ですから、普通の世間の人達は【感謝】する事を知らないです。

会社の運営にしても、一人の労働者としても、自分が働いて幾らの給料をもらって良いのか、なども考える能力のある人でないと駄目ですよ。

 

 自分の能力は全く知らないで、給料をもらう事ばかり考える人達も居ます。

この事については、学問が秀才だからとか、地位や名誉が有るからと言って、誰も皆が、益々と余分な物を欲しがります。

これが、普通でして、人間の【欲望】には際限がありませんね。

そして、これも先述したかも知れませんが、名誉も地位も何も持たない人達が、一生懸命に<<異性(男性は女性に、女性は男性に)>>に、命を燃やして生きている場合もあります。

また、地位や名誉が出来た人達は、その後から<<異性>>を欲しがる場合が沢山とあります。

逆に、お金が貯まれば、その後に{名誉}や{地位}が欲しくなって来ます。{名誉}や{地位}が出来たら、【お金】を欲しがります。

 

 このような状況を当方も何度も考えるのですが、自分の「心」、格別に自分の生い立ちの過去の「心」から確認しておかないと大変ですね。

自分の「心」にブレ―キをかけられるか、どうかでもあります。

そこで、自分の過去の心について調べてみますと、自分の幼い時から、どれほどの物事を、どれほどの人を<<追いかけていた>>かが、理解できます。

これが、大事ですね。

真実の自分の過去の「心」を知っているのか、単に、自分の生い立ちからの見せ掛けの「心」だったかを、知る事が可能となります。

見せ掛けの「心」が、ある意味では、「錯覚」の心です。

 

 当方は、何を申し上げたかったか、です。

自分の真実の「心」を知らないのは、自分の心の「錯覚」だけしか知らないのと同じですよね。

当方の考え方を多くの人達に伝えて、おきたいと考えます。

地球上の人達が、自分の過去を振り返らないで、色々と{演説}して格好の良い事ばかりを言っていますが・・・、やはり、過去を知らずして、多勢の前で自分の心や言葉を発していますが・・・、果たして如何なものでしょう。

地球上には、幸せはやって来ないでしょうし、己の心にも幸せは訪れて来ないのでは無いでしょうか、自称では、私は正常と自己主張しても大変です。

<<未分類>>「記憶」7

2010 年 8 月 30 日 月曜日

 人は、年老いて高齢になっても、その人の過去の「記憶」は、生まれて生きて来た通りのまま残っています。

全ては、自分流の過去から~~現在に至るまでの「記憶」、自分流の「記憶」なのです。

集団の中、家族や学校でも会社でも、特別に変った人、心の曲がった人、他者をいじめる人、風変わりな人、暴力的な人、陰湿な人、マイナス思考の人、何時も心が状況に関係なくハイ(・・・躁っ気のある)な人、色々な人達が居ます。

何故、自分でそうなるかも、知っていません。

周りの人から、注意や助言をされても、全く聞く耳を持っていません。

まして、助言されると、腹を立てて怒りを表現する人達も居ますよ。

 

 それほど、人間の心って、悲しいものです。

自分の過去に感謝できる事が、一番に良いのです。

普通では、誰もが思う事、感じる事でしょうが、人間は何故か自分流の考え方では駄目なようですね。

親が、自分勝手に<子供を作った>ではないか、私は喜んで誕生したのではないよ。

親の煩悩が多き故に、親の「因縁」で誕生して来ただけですからね。

だから、私は親に感謝などする必要は無いと、よくよく皆が言います。

だって、本当に間違いない事実ではありますよね。

ですが、人間が此の世を幸せに生きるためには、そんな<<考え方>>は無理があるのですね。

 

 どんな状況に置かれても、どんな人達に出会っても、この人は嫌い、この環境は嫌い、などと感じるのは、今の自分の心で思っているものではありません。

全ての現況の判断は、自分の過去で判断していますから、自分の過去の心を知って納得しておくべきです。

例えば、目前の環境や人達が嫌いだと考えている場合では、その状況を正確に客観的に判断できる場合は良いのですが、別の他者が見ていても、あの人は駄目人間だと言う場合では、やはり、その人の生い立ちが問題です。

自分を此の世に送り出した母や父に対して、{恨み}や{怨念}や{嫌い}だと言うマイナスの感情を抱えています。

 

 自分の目前の人や環境に対して、<<マイナスの感情が膨らんでいる>>場合では、過去の母や父や兄弟姉妹などとの解決されていない「固着=過去の心の積み残し」が、増幅されているものです。

それ故に、自分は<<過去に感謝している>>とか<<親には恩を感じている>>とか、口先だけで多くの人達は言いますが、実は、本当のところ、<<自分の親へ感謝なんて全くしていない>>場合が多いです。

これも、自分の過去の「「錯覚」」ですから、要注意です。

過去の「錯覚」が、人の生き方の左右をします。 

<<未分類>>「記憶」6

2010 年 8 月 23 日 月曜日

 人の記憶って、随分と<<間違い>>が有るものです。

簡単に言えば、人は誰もが自分は{真面目な人}だと思っています。

一方で、「不平」、「不満」、「悲しみ」、「嫉妬」、「妬み」、「恨み」、「怒り」、「怨念」、などなどまで抱えておりながら、自分は【真面目な人間】だと思っているものですから、それはそれは、人間社会って大変ですね。

そんな人間社会に誕生して来て・・、好き好んで誕生したのではありませんよ。

男女も愛して恋して結婚して一緒になって、暮らしている筈なのですが、一つ屋根の下の一軒家に住んでいますとね・・・・。

 

 家族の中に子供達が生まれて、今度は、育てるのに<苦労>します。

勿論、優秀な子供で育つ場合もありますが・・・・・。

家族の中で、自分の子供から殺生を受ける場合もあります。

こんな<<大事件>>は、親が自分の過去の記憶の{思い込み}などで、いつまでも子供が悪いと考えておりますので、子供が上手に育っていない訳です。

殺生する子供は、子供で、自分の親への{思い込み}ですね、親の育て方が悪いと責めています。

でもね、自分の親が悪いと責めるだけでなくて、親の親についても、即ち、祖父母の心についても、しっかりと考えてみる必要があります。

 唯、唯、自分の親が悪いのだと責めるのも、そんな「記憶」だけを溜め込んでも駄目です。

 

 勿論、祖父母についても、誰も皆が、記憶の回想をできるものではありません。

全く、祖父母の関わりが無いか、全く離別の状態での子供達も居るでしょうからね。

それでも、どんな状態、どんな状況であれ、自分の親は、母にしても、父にしても、その両親の親が居た訳です。

両親も、お互いに、祖父母は曾祖父母の心の伝播を、必ず、間違いなく受けています。

子供達も、少し成長して大人になれば、自分だけの「記憶」をマイナスの<<感情>>として持たないで、他者の気持ちをも考えてあげる能力を養って欲しいです。

しかしながら、人間って、自分の過去の「記憶」を回想して<<再解釈>>しないと、自分流の過去の「記憶」を自分流では滅多に変える事は不可能です。

 

 当方では、特別にですね、人の過去の記憶の錯覚を訂正していくのが重要だと考えていますね。

過去の「記憶」の思いを変える。

「記憶」が錯覚で,人は生きていると言っても良いです。

必ず、当方の「課題」で進んでいけば、自分の過去の思い=「記憶」が間違っていた!!自分の考え方が間違っていたと気づくでしょう。

その時に、現在の自分の「心」は、良好に変革されます。

過去の「記憶」を、「錯覚」を変革で、心身は必ず安定します。

<<未分類>>「記憶」5

2010 年 8 月 20 日 金曜日

 先述で、結婚生活にまで触れたのですが、家族を形成して夫婦が自分達の一生を喧嘩もせずに、何時も<仲良く>家族の子供達を含めて生活できれば最良だと考えます。

何故ならば、夫婦円満で子供達も<自分の親が大好き>であり、日常生活の中で子供達が、自分の親に対して{感謝を感じる能力のある}子供達、自分の親に対して{恩}を感じる能力のある子供達であれば、絶対に、学校や社会でも子供達の事件や犯罪、各種の問題行動は起こらないですよ。

そんな子供達が大人になっても、心に関連した病気にもならないし、やはり、事件や犯罪などは起こしません。

 

人は{生い立ちの中}で、自分の親に「感謝ができるか」、「親の恩を感じ取る能力」があるか、そのような言葉を先述しました。

人間は、誕生後から~~~自分が死を迎える間の歳月で、上記の親への【思い】さえあれば、大きな社会問題は起こさないですね。

 

 時には、人は、9歳でも12歳でも15歳でも18歳でも21歳でも24~25歳でも、私は<<<親からは、上手には育てられていない、親が嫌いだった、私の親は夫婦喧嘩ばかりで子供を育てていないよ・・・など。

父はアル中、母もアル中、両親と祖父母との醜い争い事ばかり、小学では<いじめ>、中学では<登校拒否>、<腹痛&下痢>、<頭痛>、<校内暴力>、高校では<非行>、<シンナ―>、<生徒や先生が嫌いで、退学した>、<近隣の人が嫌い>、<勉強が嫌い>、などなど色々な過去のマイナスの心=記憶が、人生を生きる限りにおいて、過去から現在へ、そして、未来へと、人の心は動いて行きます。

それなりの、心・性格・人格などを形成して人生の歳月が流れます。

 

他者とのコンタクト、「喜」・「怒」・「哀」・「楽」などを抱えながら、或いは、「四苦八苦」しながらの生活が続きます。

人間世界は、煩悩(心身を傷める、諸々の心)に満ち溢れていますので、人間関係や環境に対して自分の心の形成が壊れないように、生きるしかありません。

家族の中で、或いは、小さな幼児期〈乳児期を含めて・・・〉~~大人へと成長しますが、どんな性格・自己同一性・人格を、上手に自分の心に育んでいるのかが、最大に重要です。

 

ですが、残念な事に、多くの場合で、人は誰しも人間世界を生きるのに<<自分が、常に、得をしたい、お金が欲しい、名誉が欲しい、地位が欲しい>>などと、そして<<愛する人、恋する人>>が欲しいと考えながら生きていますね。

勿論、人の心は状況に応じて変化があります。

「別れの嘆き苦しみ」、「自分の好きな物が手に入らない」、「会社での上司や下司達との心の関係」、「近隣の人間関係、「学校での人間関係」、などなど、見つめてゆけば<人の心は大変>です。

「インタ―ネット心理療法」の体験が重要です。    

<<未分類>>「記憶」4

2010 年 8 月 18 日 水曜日

 誕生から~~~成長する過程で、或いは、成長から~終末に向かって、人の心は成長するのでしょうか??。

お金持ちになるのが、成功だとは言えないでしょうね、人それぞれですが・・・・。

名誉を得る事が成長、地位を得る事が成長だとは言えないでしょうね、人それぞれですが・・。

勿論、人間として誕生したからには、それなりの「因縁」と「運命」の中を生きています。

「天命」にまで、辿り着けるには、なかなか無理があるでしょう。

余程のこと、人生、人生哲学、自然哲学、諸々の勉強をしておかないと、悩みや苦しみや怒りや怨念を担ぐでしょう。

その思いが、自分の心身を傷めるのですが、自分が抱えている心の葛藤に気づかないで生きていますので、人間って悲しいですね。

 

 幼い時から、そうなのですが!!!、それなりの年齢を重ねても、人は誰もが<あれが欲しい>、<これが欲しい>、などと考えています。

これが、人間の生きる限り、続くのですから大変です。

また、こんな物が好きだと自分の手元に置いていても、人の心が早変りして、直ぐに次の物を欲しがります。

或いは、あの人が好きだとか、この人が好きだとか言っていますが、やはり、人の心はすぐに変ります。

好きだと愛して恋して、一つ屋根の下で一緒に住んでいます。

素晴らしい気持ちの良い安らかな一緒の生活が、暫くは、出来るし継続できるでしょう。

でも、多くの場合ですね、人間って勝手なものです。

 

 当方が、人の習性と言うか人々の生活を見ていると、本当に人の{心}って変ります。

男性と女性が、一緒に長期間にわたり住んでいますとね、色々様々に考え方の相違に気づいてきます。

楽しく嬉しく喜んだ日々が、少しずつ意見の違いも出て来るから、大変です。

何故って、全ての誰もが、皆の【生い立ち】が違います。

深層心理、潜在意識や無意識の世界で流れている【心】は、日頃は、自分の心を押し込んで忘却の彼方にやっています。

 

 しかしながら、日常生活の中で暮らしていますと、今の現在の自分の気持ちを話しているのですが、その今の現在の心は<自分の遠い過去の過ぎ去ったと思っている心が、今の現在の自分の心を強迫>しているのです。

良きにつけ悪しきにつけ、PTSDの形、或いは、反復強迫の形は、心の世界では否応なしに動いているでしょう。

PTSDも反復強迫も、日頃の生活では、気づかない場合が殆どです。

時に、気づくことによって、運が悪ければ「うつ病」や「神経症」や「心身症」で悩み病気になります。

人の「性」って、格別に「・・心理療法」で己の【心】を知る事です。