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2010 年 2 月 6 日 のアーカイブ

<<投書>>{投書・続3}

2010 年 2 月 6 日 土曜日

両親には、今それぞれの生活がある。

私は、もう一緒に幸せになることはできなくても、それぞれ幸せになってくれることを、心の底から望んでいる。

また、幸せのために私はできるかぎり助けたいと思う。

こういう運命になったことを、やっぱり始めはうらんだ。

でも、私に耐える力があるからこそ、こういう運命になったのだと、私は信じたい。

 私は治療をしていく中でもう一つ、大切なものを見つけることができた。

将来の夢だ。

自分を見つめなおして段々と自分がはっきりしてくると、ふと自然に芽生えたことだった。

自分のこのとても貴重な経験、好きなこと、得意なことを、十分にできる仕事があった。

 私は、「カウンセラー」になりたいと思った。

私のように悩み苦しむ人達はたくさんいる。

そんな人達を、一人でも多く救いたいと思った。

 私は人と話すことが好きで、話を聞くことも好きだ。

それに、私は人の気持ちになって考えることが得意だと分かった。

でも、それだけではまだだめな気がした。

辛い思いを経験したことのある人にしか理解できない気持ち、というのが必ずある。

例えば、辛い時に話ができる人がいるのといないのでは辛さが全然ちがってくるし、そんな人がいても、キッカケがなく、ためこんでしまう人もいる。

パッと道がひらけたときのあの喜びを、私は多くの人に知ってもらいたい。

自分は独りではないこと。  自分は必要だということ。

今が辛いのなら、先には早かれ遅かれ、必ず幸せがやってくること・・・。

私が得ることができたこの感情、経験を、より多くの人に伝えていきたい。

 これから私は、夢に向かって今までの分まで精一杯頑張っていこうと思う。

どんな事があっても、昔のようには戻りたくない。

そしていつか、「どうしょうもなく、情けない娘」だと言われていた私が、両親に「自慢の娘です。」と言われるように、一生懸命、幸せに生きていきたいなと思う。

 決して、感謝の気持ちを忘れずに、当たり前の幸せなんてものは、どこにもないのだと。

 

<<所長より>> 上記、です。

人間って、ともすれば、自分の{{過去の心}}を振り返らずに置き去りにしたままです。

自分の{{心}}の「再生」・「回向」・「新生」には、自分の過去を振り返って初めて本当の自分の人生を生きる事が、可能となります。

自分の{{過去}}を知っていると言う人が居ますが、全然と自分の真実の{{心}}に気付いていません。同じ、自分の人生を生きるのであれば、「劣等感」や「悲しみ」や「苦しみ」、などなどを持たずに楽しく生きるのが最高でしょう。

そんな人生を生きると、「「うつ病」」なんかにもなりません。

人生の迷い道から<<抜け出す>>お手伝いを、当方は長年月間にわたって援護して来ております。どうぞ、当方の「インタ―ネット心理療法」などを、御利用くださいませ。

<<投書>>{投書・続2}

2010 年 2 月 6 日 土曜日

 「あなたの存在観を、描いてください。」  何も・・・描くことができなかった。

 私は一週間、心の病を治すため、治療をした。

それは簡単ものではなく、逃げ出したくなるほど辛いものだった

でも最終的に私に残ったものは、苦しみでも悲しみでもなく、今までに感じたことのない、大きな大きな感謝の気持ちだった。

家がある、部屋がある、ご飯がある、服がある、学校へ行ける、友達がいる、親がいる、そして今ここに私が生きている。

その他たくさんの「当たり前」が決して当たり前でないことを、心の底から知った。

そのどれもが、本当に奇跡だと思った。

私の大切な人達が生きてくれているだけでも十分に幸せなことだ。

なのに、私はどれだけのことを、してきてもらっただろう。

また、私はその人達に何をしてきただろう。

誕生日に、「生んでくれてありがとう。ここまで育ててくれてありがとう。」と、思ったこと、言ったことが、一度だってあっただろうか・・・。

「ありがとう。」なんて、言葉を覚えた子供にだって、簡単に言える。

でも、「ありがとう。」という言葉を理解し、心からそう感じて伝えることは、想像以上に難しいことなのだ。

「いつもありがとう。」というたった八文字の言葉の「本当の意味」を理解し、それを伝えるまで、何故十五年もの月日がかかったのか。

それを理解したその時、私の目から、大量の涙が止まることなく溢れ続けていた。

ただひたすらに、「ごめんなさい。」と「ありがとう。」を繰り返し繰り返し、声にならない声で泣きわめいていた。

 私には、どうしても整理のつかない問題が残っていた。

実の両親のことだ。

子供の素直な意見としては、やっぱり両親には仲良くしていて欲しい。

どんなに幼く、言葉が分からなくても、子供はとても敏感に両親の感情を察知する。

でも、子供だって成長していく。

子供ながらに大人の事情を、嫌でも理解していかなければならないのだ。

私の両親はお互いに嫌いあっている。

少なくとも、子供である私にはそう見えるからだ。

子供は決してどちらの方が好きだとかはないと私は思う。

両親共に私は素晴らしいな、と思うが、お互いダメなところ、嫌いなところしか見ていない、・・・というか見ることしかできない。

考え方を少し変えれば・・・と子供は不思議に思うが、大人はそう簡単に上手くはいかないのだと知った。

誰にだって許すことのできない人はいる。

両親には仲よくして欲しいけど、そんな我がままを言っていられない。

私は治療する中で、やっとこの問題を自分で解決することができた。