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2010 年 2 月 のアーカイブ

<<投書>>{投書}

2010 年 2 月 5 日 金曜日

中学三年、初夏。私は、自分を見失った。

いや、もともと私の中に、はっきりとした私はいなかっただろうと思う。

自分とは何か。

当時の私は、いくら考えても答えのでないこの問いを、何度繰り返し考えただろうか。

考えれば考えるほど、自分が暗闇に消えていくように感じた。

精神の不安定さは、私の身体にも苦しみを与え続けた。

下がらない熱や、目の前が急に真っ暗になる程の立ちくらみ。

そして、何よりも辛かったのが拒食だった。

 私のはっきりとした病名は分からない。

しかし少なからず、私は心の病だった。

私の心の病は、急になったものでなく、幼い頃からの病を私が認めた、というものだった。

心の奥底では、気付いていたのかも知れない。

ただ、認めることがとてつもなく怖く、私は私の上に私をつくり、本来の自分を長い間隠し続けていた。

 平成六年七月。私はこの世に生まれた。

生まれてこなければよかったと、何度も何度も自分を攻めた。

私に母は、若かった。私が生まれたとき、母は二十一歳の若さだった。

全て若さのせいにするわけではないけれど、若さゆえの過ちだと、私は信じている。

一番母親を必要とする六歳のとき、私は母と離れた。

どんなに周囲が母を悪く言おうが、関係ない。

私は一度だって、一秒だって、母を嫌ったことなどないし、周りから母の悪口を聞かされても、私の中の母は、いつだって精一杯の愛情をくれていた。

今から約六年後に、私は母の様に、わが子を産み、育てることができるのだろうか。

そう考えると、母はすごいなと、つくづく思う。

そんな母の娘であることを、私はとても誇りに思っている。

産んでくれて、育ててくれて、愛してくれてありがとうと、心からそう思う。

 そして私が九歳のとき、今の母親と出会った。

今思うと、私は相当愛に飢えていたのだろう。

誰かに甘えたくてしょうがなかった。

今の母親が来て約一年間、私は好き勝手に母親に甘えた。

しかし一年をすぎると、母親は急に冷たくなった。

理由がわからなくて、何度も泣いたことを、すごく覚えている。

何故私は母親という存在に恵まれないのだろう。

そう考えだすと、涙が止まらなかった。

悲しみは段々と怒りに変わり、好きで好きでたまらなかった母親が、世界一嫌いな人間になっていた。

どうすることも出来なくて、いっそのこと死んでしまいたいとも思った。

本当に辛かった。

<<家族・親子>>親と子(続編)5

2010 年 2 月 4 日 木曜日

 「三つ子の魂、百まで」と、何時も言っています。

この事は、皆さんが昔の言葉だと思って、案外と信じないのですね。

でも、これは、人間の発達する段階で「「人格」」がつくられると考えれば、間違いなく「「立派な言葉」」ですよ。

唯、聞いていただけでは、理解困難な<<心の世界>>でしょう。

 勿論、数え年で言っていますから、2歳までの魂と言えますが、子供達が<<幼い時から、心・性格・人格>>はつくられていくという事です。

 

 勿論、2歳、3歳までで、全ての人間の心がつくられるのではありません。

その後、6歳~9歳~12歳~15歳~18歳~21歳~などなどと、心・性格・人格はつくられていきます。

人間の生い立ちの中で、成長する過程での{{心の葛藤}}が蓄積されていきます。

「固着」とも言われていますが、大人になってからの日常生活において、過去に大脳奥深くの海馬に蓄積された{{葛藤}}が「会話」と「行動」と現在の「心」を操作しています。

大人になってから、「事件」や「犯罪」など起すのも、全ての生い立ちの心の葛藤ゆえにでしょう。

 

 人間の親和性と言うか、此の世を一人で生きるのではないですから、誰かと嫌々でも<お付き合い>して生きるしかありません。

その{{嫌}}かどうか、悲しみとか苦しみとか嘆きとか劣等感とか妬みとか嫉妬とか、自分の{{心が正しいか間違っているか}}などなどの判断ができないと駄目です。

自分の心の判断をするのが大事だと伝えても、自分の{{心}}を判断する能力や力量が無かったら、何もできませんよ。

自分の醜い過去を隠そうとしながら{{善人}}ぶって生きるところに、逆に、人間の「愚かさ」と「醜さ」を気づかないと駄目なのです。

過去を記憶する自分の海馬に、現在の{{心・意識→顕在意識}}で風呂敷を被せても、逆に、心の「葛藤」は溜まるだけなのです。

 

 自分の本当の「姿」を隠して生きる、皆の前で自分の「姿」と「心」を化けて生きるのは、本当に{{愚か者}}だと気づくでしょう。

自分の{{心}}を見つめる「心理療法」を体験する事によって、真実の自己、真実の{{心}}を知るものです。

人間世界を生きるのに、「「あるがままで、生きる」」、「「本当に化けないで、あるがままに、生きる」」のです。

それ程に、人間は周囲の皆様に<<良く見られたい>>と考えながら生きる癖があります。

「「見栄」」・「「虚栄心」」などなど、一生懸命に抱えて生き様とします。

金銭や名誉にしても、全ての人間の欲望(こだわり)を捨てることのできる人間になる事、{{人間本来、無一物}}ですし、黄泉の浄土へは何も持って行けませんし、「己を知る心理療法」を体験する事です。  

<<家族・親子>>親と子(続編)4

2010 年 2 月 2 日 火曜日

 人が「「うつ病」」になる時には、眼前の心の葛藤で「「うつ病」」になるといいます。

医師も誰も皆が、眼前の生きる人生の{{壁に衝突して、苦しんで}}病気になっていると思っています。

当方、随分と長年月にわたり、「心理療法」を行ってきましたが、今に抱えている問題で「「うつ病」」になった事は事実でしょうが、眼前の状況で「「うつ病」」になったと言え、同じ状況に出会った人達の皆が「「うつ病」になるのであれば、そんな言い方が出来るでしょうが、現実は違います。

 詳細に人間の心を見つめた心理士でないと理解が困難ですが、仕方がありません。

 

 同じ環境や事象に出会っても、一部の人達だけが「「不安障害」」や「「うつ病」」になるのであったら、そんな病気にならなかった人達は<<何故って>>なるでしょう。

皆さんが「原因」だと思っている状況は、その人が「「うつ病」」になる{{切っ掛け}}だったのです。

その人が、大きな心の「器」さえ持っていたら「「うつ病」」にならなかったのです。

例え、「「うつ病」になってからでも、「反省」さえ出来れば、自分の心の「器」の駄目さかげんも理解できて、簡単に「「うつ病」」は治ります。

 

 「「うつ病者」」を薬だけで治す&治療するなんて、医療の世界が歪そのものです。

「「うつ病者」」が50歳~60歳であっても、親が生きていれば、絶対、自分の子育てについて一度でも二度でも「反省」してみる事です。

その事で、自分の子供達の{{迷いの心}}が見えてきます。

{{迷いの心}}が見えれば、親から先に<<子供達への心の歩み寄り>>が出来ますから、心の底から仲良くできるようになります。

精神科医も診療内科医も、自分が勉強したまでの問題しか見えません。

そのために、医師も自分の{{過去の心}}を明確に見ておれば<<潜在意識と無意識の心が>>どれほどに、今の自分の心(顕在意識)に絡まっているか理解できる筈なのです。

でも、人間は誰しも同じでしょうが、自分が勉強していない分野、自分が体験していない物事を信じる事は、難しいでしょう。

 

 当方、随分と「心理療法」を長期間にわたり行って来ましたが、その結果で<<話を進めて>>います。

親の考え方、子供にとっては親の思考体系を「「超自我」」と言っていますが、この「「超自我」」って、真実に怖いですよ。

親の「「超自我」」を壊せない子供達は、自分の心の病気から<<開放されない>>です。

そのために、親が先に「「心理療法」」を受ければ、普通の人格の親であれば、直ぐに、自分の子育ての<<間違い>>に気づいて、育て方の{{過ち}}を自分の迷える子供達に謝罪できるでしょう。

この方法が最高に「「良策」」で、親が「「心理療法」」の体験することです。