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2010 年 2 月 のアーカイブ

<<家族・親子>>親と子(続編)7

2010 年 2 月 12 日 金曜日

 親が、子供達の病気を治そうとする間は、子供達の<<心の絡まった病気は>>治りません。

親達が、心底と子供達に好かれる親になれば、それだけで、子供達の心は癒されて病気も簡単に治っていきます。

子供達の「「心」」・「「性格」」・「「人格」」を変えたい時も同じですよ。

「親が変われば、子は変わる」のです。

当方が、これだけ、真剣になって{{親と子の心の関係}}を話していますが、現実に親が子供達に対して、変わったという体験が無いのであれば理解不可能でしょう。

 

 時折に{変な親}が、居ますよ。

「子供が変わらないと、親は変わらない」と、言いはって{愚かな考え方}を変えようとしませんし、当方の意見を全く受け入れない{{愚かな親}}もいます。

子供達も、親も歳月を経て、歳を重ねていきます。

子供達の年齢も重ねてしまい、年老いてからでも、リストカッテングなどしますし、暴力を起こしたりで、精神病院の「「鉄格子」」に入れられたりする場合もあります。

親が、子供達から、好かれる親になってあげる事が、最大に重要だと伝えますが、「心理療法」を体験してくれた親にしか理解できない{{人間の心}}の世界が、現存しています。

人間の病気を治すには、先ずは、間違った診断をしたら駄目です。

 

 ここでは、気質的な病気は除いておいて、心の「関連した病気が沢山と」ありますが、こんな病気の治療について述べています。

親は、子供達から好かれる事、更に、尊敬される親になる事です。

殆どの場合で、親が子供を治療??子供達の心を矯正??しようとして叱咤激励をします、しかも、命令形で喋りますから子供達には益々と親の心を疎ましく感じるようになります。

そんな、親であるのに、子供達に向かって<<自分の親を好きになれば良い>>と伝えたところで、絶対に、子供達は、自分の親に対して「「憎しみ」」・「「怒り」」・「「恨み」」、「「不満」」・「「不平」」・「「憎しみ」」・「「悲しみ」」がたまり、更に、他者とのコミュケ―ションも出来なくなって、「「劣等感」」・」「「惨め」」・「「抑うつ」」・「「心の爆発性」」なども、沢山と溜まってきます。

 

 どうか、子供達に{{心の絡まった病気}}が発症したら、親達は出来るだけ早く自分の心を<<過去に遡って回想して>>から、自分の歩いて来た過去の心を「反省」して欲しいものです。

それだけで、親の「反省」が子供達に伝わっていきます。

親が「「反省」」したら、「「反省」」できた時には、親の顔や人相までが良い方へ変わりますので、子供達は<<親の変化に気づき>>ます。

その時に、子供達は、自ずから自分の心を矯正していきます。

<<家族・親子>>親と子(続編)6

2010 年 2 月 8 日 月曜日

 登校拒否、拒食、過食、家庭内暴力、非行、苛め、苛められる、引きこもり、うつ病(中学~高校から、小学生でもうつ状態者は居る。)の人達について、治療する場合ですね・・、当方の長年の「心理療法」の体験から正確に説明しておきます。

親の子育ての、{育て方}と{育てられ方}の関わりで、人間は誰しも病気になり易いです。

親も、明確に熟慮しますとね、親も<<自分の親の心・考え方・反発心・服従心>>などなどを抱えて育ちます。

親も、それなりの苦労を背負って、今の現在を生きているのです。

 

 親にも自分の親の「超自我」が自分の大脳の海馬に沈潜され蓄積されたままで、自分の親に洗脳された超自我{{→良くも悪くも??}}が親の亡くなった後でも、命令形の様な状況で<<自分の誕生~生い立ち~現在>>まで残っています。

 この「「超自我」」が、大変に怖いです。

親の「超自我」が頭の上から押さえつけられて、自分の子供達が<<身動きできない状態で「「病気」」になっていても、親達は自分の子育てが悪いと>>気づきません。

親が心理療法を受けて頂くと初めて、自分の子育ての{{方法}}が間違っていたのに気づくものです。

 

 時折ですが、なかなか、子育てについて{{自分の間違い}}を認めない親達も、見受けられます。

何時まで経っても、親は几帳面に真剣に育てたと言います。

親の気持ち・考えかたが、正しいと自己主張を曲げません。

 親が一緒に「心理療法」を受ければ、殆どがスム-ズに解決されて行きます。

多くの場合で、自分は子供達を上手に自分の考え方で育てたと自己主張を、なかなか曲げません。

こんな場合が、一番に大変です。

 

 祖父母→父母→子供達へと{{心}}は流れていきます、ね。

 多くの場合で、親は自分の祖父母には<<こんな方法で育てられたから、自分も自分の子供達には、同じ様な方法で育てている>>と言うのです。

そんな事を言う親が居ますが、心理士として、気持ちは理解できますが、社会情勢が変化しているのです、即ち、時代の変遷によってバックグランドも違っているのです。

 それ故に、祖父母から育てられたように、子供達を育てては駄目です。

 

 例えばの話をしますが、親も祖父母の超自我を植え込まれており邪魔になっていますが、気がついていません。

 親から、自分の子供達への、呼び方も全く悪くないと考え{{おまえ}}とか{{名前}}を呼び捨てです、また、勉強しなさい、早くしなさい、悪い事をしたらいけません、苛めたらいけません、早く寝なさい、早く起きなさい、などなどと・・・、何時も呼び捨て、そして、命令形ですから、子供達には無意識的にですが〈或いは、有意識的にでも・・〉、沢山のストレスを与えて<<息苦しくさせて>>います。

子供達よりも、現実には親の学習「心理療法」の体験です。

<<投書>>{投書・続3}

2010 年 2 月 6 日 土曜日

両親には、今それぞれの生活がある。

私は、もう一緒に幸せになることはできなくても、それぞれ幸せになってくれることを、心の底から望んでいる。

また、幸せのために私はできるかぎり助けたいと思う。

こういう運命になったことを、やっぱり始めはうらんだ。

でも、私に耐える力があるからこそ、こういう運命になったのだと、私は信じたい。

 私は治療をしていく中でもう一つ、大切なものを見つけることができた。

将来の夢だ。

自分を見つめなおして段々と自分がはっきりしてくると、ふと自然に芽生えたことだった。

自分のこのとても貴重な経験、好きなこと、得意なことを、十分にできる仕事があった。

 私は、「カウンセラー」になりたいと思った。

私のように悩み苦しむ人達はたくさんいる。

そんな人達を、一人でも多く救いたいと思った。

 私は人と話すことが好きで、話を聞くことも好きだ。

それに、私は人の気持ちになって考えることが得意だと分かった。

でも、それだけではまだだめな気がした。

辛い思いを経験したことのある人にしか理解できない気持ち、というのが必ずある。

例えば、辛い時に話ができる人がいるのといないのでは辛さが全然ちがってくるし、そんな人がいても、キッカケがなく、ためこんでしまう人もいる。

パッと道がひらけたときのあの喜びを、私は多くの人に知ってもらいたい。

自分は独りではないこと。  自分は必要だということ。

今が辛いのなら、先には早かれ遅かれ、必ず幸せがやってくること・・・。

私が得ることができたこの感情、経験を、より多くの人に伝えていきたい。

 これから私は、夢に向かって今までの分まで精一杯頑張っていこうと思う。

どんな事があっても、昔のようには戻りたくない。

そしていつか、「どうしょうもなく、情けない娘」だと言われていた私が、両親に「自慢の娘です。」と言われるように、一生懸命、幸せに生きていきたいなと思う。

 決して、感謝の気持ちを忘れずに、当たり前の幸せなんてものは、どこにもないのだと。

 

<<所長より>> 上記、です。

人間って、ともすれば、自分の{{過去の心}}を振り返らずに置き去りにしたままです。

自分の{{心}}の「再生」・「回向」・「新生」には、自分の過去を振り返って初めて本当の自分の人生を生きる事が、可能となります。

自分の{{過去}}を知っていると言う人が居ますが、全然と自分の真実の{{心}}に気付いていません。同じ、自分の人生を生きるのであれば、「劣等感」や「悲しみ」や「苦しみ」、などなどを持たずに楽しく生きるのが最高でしょう。

そんな人生を生きると、「「うつ病」」なんかにもなりません。

人生の迷い道から<<抜け出す>>お手伝いを、当方は長年月間にわたって援護して来ております。どうぞ、当方の「インタ―ネット心理療法」などを、御利用くださいませ。

<<投書>>{投書・続2}

2010 年 2 月 6 日 土曜日

 「あなたの存在観を、描いてください。」  何も・・・描くことができなかった。

 私は一週間、心の病を治すため、治療をした。

それは簡単ものではなく、逃げ出したくなるほど辛いものだった

でも最終的に私に残ったものは、苦しみでも悲しみでもなく、今までに感じたことのない、大きな大きな感謝の気持ちだった。

家がある、部屋がある、ご飯がある、服がある、学校へ行ける、友達がいる、親がいる、そして今ここに私が生きている。

その他たくさんの「当たり前」が決して当たり前でないことを、心の底から知った。

そのどれもが、本当に奇跡だと思った。

私の大切な人達が生きてくれているだけでも十分に幸せなことだ。

なのに、私はどれだけのことを、してきてもらっただろう。

また、私はその人達に何をしてきただろう。

誕生日に、「生んでくれてありがとう。ここまで育ててくれてありがとう。」と、思ったこと、言ったことが、一度だってあっただろうか・・・。

「ありがとう。」なんて、言葉を覚えた子供にだって、簡単に言える。

でも、「ありがとう。」という言葉を理解し、心からそう感じて伝えることは、想像以上に難しいことなのだ。

「いつもありがとう。」というたった八文字の言葉の「本当の意味」を理解し、それを伝えるまで、何故十五年もの月日がかかったのか。

それを理解したその時、私の目から、大量の涙が止まることなく溢れ続けていた。

ただひたすらに、「ごめんなさい。」と「ありがとう。」を繰り返し繰り返し、声にならない声で泣きわめいていた。

 私には、どうしても整理のつかない問題が残っていた。

実の両親のことだ。

子供の素直な意見としては、やっぱり両親には仲良くしていて欲しい。

どんなに幼く、言葉が分からなくても、子供はとても敏感に両親の感情を察知する。

でも、子供だって成長していく。

子供ながらに大人の事情を、嫌でも理解していかなければならないのだ。

私の両親はお互いに嫌いあっている。

少なくとも、子供である私にはそう見えるからだ。

子供は決してどちらの方が好きだとかはないと私は思う。

両親共に私は素晴らしいな、と思うが、お互いダメなところ、嫌いなところしか見ていない、・・・というか見ることしかできない。

考え方を少し変えれば・・・と子供は不思議に思うが、大人はそう簡単に上手くはいかないのだと知った。

誰にだって許すことのできない人はいる。

両親には仲よくして欲しいけど、そんな我がままを言っていられない。

私は治療する中で、やっとこの問題を自分で解決することができた。

<<投書>>{投書・続1}

2010 年 2 月 5 日 金曜日

妹が産まれてからはなおさらで、自分は家族にはいらない人間だと、ずっと思っていた。慣れとは本当に怖いもので、いつしか部屋にとじこもることが普通だった。

誰からも愛されていない、もう死のう。そんなことを考えていた中一のとき、私は産みの母親と再会した。

立派に育ってくれて、ありがとうと、涙を流す母を見て、自分は何てことをしようとしていたのだろうと、自分を恥じた。

私を愛してくれる人がいる。

ただそれだけで、人は生きることができる。

私はそう学んだ。

でも、死のうと思うことがなくなっただけで、あとの生活になんら変わりなんてなかった。

しょっちゅう母に反抗していたし、ケンカもたくさんした。

私は悪くない。周りがおかしいと、本気で思っていた。

自分が内側からどんどんくずれていくことに、気付かず・・・。

つまらない毎日から逃げるように、私は自分を傷付けていった。

冷静に物事を考えることが、もはやできなくなっていた。

そんな状態になる程、私はギリギリを生きていた。

 自分は間違っていない。

変わらないのなら、もういいじゃないかと諦めていた。

放っておいて欲しい。

それが私の一番の願いだった。

ただ自由に生きていきたかった。

どうせ、何の価値もない人生なのだから・・・と。

 しかし、そうではなかった。

自分を傷付けたとき、私の周囲の人達は、本気で私を怒った。

本気で私を心配した。

同時に、本気で私を愛してくれていると知った。

自分を傷つけることで、周りも傷つくということを、私は知らなかった。

私には、何もかもをひっくり返す程の価値があるのだと、知った。

私が一番私を大切にしなければいけないのに、私が常に私を苦しめていた。

幸せになりたいと言いながら、自分で幸せを逃がし続けていたのだ。

それに気付いた、その瞬間に、私の中に私が存在していないことに気付いた。

 

<<所長より>> 今回は、上記まででした。

また、この次を(閲覧文)として、掲載していきます。

皆様方には、「心理療法」の大変に凄い{{世界}}が、理解できて来るでしょう。

日本人って、案外と自分の{{心}}について知っていないし理解できていません。

自分の{{心}}の世界を知る事で、人生が気楽になる事が分かるでしょう。

絶対に、間違いありません、ね。

次回を、期待しておいて下さいませ。