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2009 年 8 月 のアーカイブ

<<心の世界>>我が儘 8

2009 年 8 月 12 日 水曜日

 子供達も、成長してきます。

子育てに、次第にお金が必要となってきます。

経済的に、配偶者と共に、話し合いながら仕事もしなければならないでしょう。

子育てなど、配偶者間で、更なる、心の変転は起こって来るでしょう。

仕事をする方も、年齢が増してくると、自分達の部下を指導しなければなりません。

 

 色々な人達が、居ますよ。

上司に対しては、上手に付き合えるが、同僚とは上手くいかない、部下とも上手くいかない、なんて、人達も多いです。

ですが、逆にですね、上司には上手く対応できないが、同僚や部下とは上手に付き合えるなんて人もいます。

 また、こんな心の中間の人も、居ます。

自分では、素直に正直に話したり行動したりしている積りでも、他者から見ていると、とても変った変人に見える事がしばしばです。

本当に、{{我が儘}}に生きている人が、素直だと考えているので、思いが衝突したり、皆が楽しく生きる事は出来ません。

自分の家族から、会社~集団~自分の住んでいる場所~地方~県~国~国家~世界の国々~太陽系~~~~、ここまで心の視野が届くといいのですが・・・・・。

 

 結婚して、会社勤めをして、歳月が流れると、人間はともすれば惰性となってしまいますし、一体に、自分の価値は【何】などとも無意識的に思っています。

生きている価値観、私は<<何のために、生きる>>、<<何故に、生まれて来た>>のか、<<私の生き甲斐>>は、普通であれば、「人生とは、何か」を問い詰めなければいけません。

けれども、漠然と心の中に不満を溜めて、{{我が儘}ですよ。

自分の心に、{{我が儘}}が溜まり込んでいるのに、自分の眼前を非難したり、恨んだりして生きる方角に向かいます。

 

 自分は真面目だから、周囲の皆が<<間違っている>>から、などと、それでも、客観的に見る眼を持っていれば良いのですが、自分を中心にして外側を眺めるから、心の葛藤は蓄積してしまいます。

とにかく、自分の視野を自分の体から離して、逆の方角から自分を見つめる事が可能な人間となる事が非常に大切です。

そう、人間世界を生きる訳ですから、沢山の違った生い立ちの人達と出会いが有ります。

色々な真実に不真面目な人達とも、多く出会います。

家族との生活、仕事で企業に働きながら、沢山の思考体系を必要とします。

「インタ―ネット心理療法」の体験が、重要です。   

<<心の世界>>我が儘 7

2009 年 8 月 10 日 月曜日

 青年期、或いは、この年齢を過ぎる頃から、多くの人達が結婚もします。

最近では、結構と結婚しない人達も居ますが・・・。

結婚する人達は、また、二人の異性が一緒に一つ屋根の下で過ごす事になります。

互いに、好きで愛して恋して結ばれた筈で、楽しく二人で永久に一緒に住んで、良い家庭を築いていこうと考えています。

でも、二人がどんなに愛し合っても、【生い立ち】が違うのです。

 

 二人が結婚しようと考えている間は、顕在意識、むしろ、表層意識と言った方が良いかも知れません。

そんな、浅い心で一緒になっています。

 そう、自分達は違うと言っても、二人とも自分達の深い心、潜在意識と無意識の心をしっかりと確認しておかないと、駄目です。

二人が同じ屋根の下、一軒家に住んでいると、何時も顔を突き合わせている事が多くなります。

そんな生活の中で、次第に、互いに自分の深層心理のエゴの心が、時折に、見られるようになり、意見が衝突する回数も増えます。

いや、眼に見える意見の衝突は少なく見えても、どちらかが、黙っており、心の中では、不満が溜まってゆきます。

 

 赤ちゃんが誕生して来ると、子育てと、互いの配偶者との間での{心の葛藤}も増えて来ます。

よく、言います。

子育て、ノイロ―ゼなどとも言いますね。

お母さんの方が、遥かに、子育てノイロ―ゼは多いです。

主人は、主人で、赤ちゃんが誕生すると、お母さんの子育てで、主人の世話をする時間も少なくなってしまうし、主人も考え方を変えなければなりません。

時間の流れによって、人の考え方の流れも流転して行きます。

一方で、結婚しない人達は、結婚しない事で【心の葛藤】を持つ事になります。

異性としての、生き方も、歳月を重ねる毎に【意識の変転】が独りで湧き上がって来ます。

 

 昨今は、離婚も多くなってきました。

シングルマザ―なんて言葉も、あります。

互いの{{我が儘}}が無ければ、結婚しても、離婚しなくても良いでしょうが・・・、例え、離婚しなくても、夫婦喧嘩を子供達が幼い頃から眺めていますと、子供達までが{{我が儘}}に育って来ます。

就労して働いていても、他人との付き合い、上司との関係、更に、異性との関係までが、{{我が儘}にならなければよいがと、考えますが!!!    

<<心の世界>>我が儘 6

2009 年 8 月 7 日 金曜日

 【閲覧文】で何度も繰り返して、述べています。
{働かざる者は、食うべからず}、です。

人間は、勿論、例外的な場合もありますが、人は誕生して成長した以上は、此の世を生きる限り{働かざる者は、食うべからず}です。

嫌いとか、好きだとか言ってるものでもありません。

この事は、当然で、原則であり「鉄則」です。

 

 心は人の眼には見えませんが、人の心は{万華鏡}のようなものでしょう。

美しい心もあれば、汚れた心もあります。

その中間の心も、あります。

色とりどりの心を、人は持っています。

昨今では、格別に世の中の事件と言うか犯罪なども多くなりました。

自分の考えが間違っているのに、私の心は正しいと思っているのです。

自分の心が正しくて、相手の心が間違っていると、考えている人達は{本当に駄目な人}ですよ。

自分が正しい心だと考える人達ほど、{{我が儘}}な人なのです。

 

 人生を生きるのに、社会の中の企業の集団の中でしか生きる事は出来ません。

一人で農作業をして、一人で生きていくと言っても、やはり、誰かが自分の作った産物を買ってくれないと、人生を生きるのが大変です。

そうであるから、人対人、更に、人対環境への適応が最大に重要です。

自分が嫌いな人には、嫌いだと言って近づかない。

自分が嫌いな環境には、嫌いだと言って近づかない。

現実的に、此の世を生きるのに、自分の考えは正しいと主張して、相手方の考えに「受容」、「共感」、「妥協」、などが出来ない人達は、此の世を生きるのが大変となります。

嫌いだから、嫌だから、好きではないから、気持ちが向かないから、相手や環境に{不満}があるから、だから、自分は妥協できない、などと考えていると、此の世を生きるのが難しくなるでしょう。

 

 自分の意志で、必ず、此の世に妥協して適応して生きるしかないと、感じる人は立派です。

昨今では、インタ―ネットで呼びかけて一緒に自殺するくらいですから、大変な世の中となっています。

青年期の人達のナルシスト、エゴイスト、などは、人格矯正が必ず必要ですが、各自がそんな意識を持たなければ、一生、駄目人間で生きる事になるでしょう。

可能であれば、出来るだけ早く、自分の心の「器」を大きくして悩まないで人生を生きる事です。

自分は、真面目な人と思っている人達ほど、{{我が儘}}な人達であります。

「共感」、「妥協」の出来る人となりましょう。     

<<心の世界>>我が儘 5

2009 年 8 月 4 日 火曜日

 大学生か、或いは、就労の年齢か、その時期に入ります。

{{我が儘}}は、生い立ちから引き続いて、余程の<<心の切っ掛け>>が無いと変らないまま、続いていきます。

高校生くらいまでは、登校拒否などで、この表現で良いのでしょうが・・・、この年齢になりますと、また、大変な時期です。

学校にも行かずに、アパ―トの自宅に「引きこもり」か「ニ―ト」などで長年月が続いていく場合もあります。

そして、自分の心が{{我が儘}}と感じないのですから、人間の心って不思議ですよ。

 

 沢山の人達の中で、極少数の人が<<暫くの期間>>は何もしないで社会不適応の時を過ごします。年月を通して、自分の{意気地なさ}に気づいて、「切磋琢磨」の方向に向かう人達も居ます。

しかしながら、長年月にわたり、「心理療法」に関わっていますが、沢山の病院にかかったものの、心身症、神経症、うつ病、などが治らないと言われて<<当方>>に訪ねて来られる人達がいます。

人の心が、薬を飲むだけで<<変る>>筈はありません。

「善」か「悪」か、「勝ち」か「負け」か、「劣等感」か「優越感」か、「醜い」か「美しい」か、「損」か得」か、そのような判断の出来る人でなければならないし、また、其処から這い上がるには如何にすれば良いのかの「「策」」が重要です。

 

 良い宗教も悪い宗教も、世界中には数知れない程の沢山のものがあります。

所詮、人は、政治や経済や、国の行政の中で鉄格子の中に入れられたような生活をせざるを得ないのです。

そう、人は誕生した時から、此の世では<<鉄格子の中で生活>>をせざるを得ないのです。

唯、唯、誰もなかなか気づいていないです。

自分の思う通りに、此の世を生きていたいと考えても、{思うがままにならない}のが、此の世の「「定め」ですね。

 

 {{我が儘}な人は、此の世で自分の考えている通りにしたいと、常に思っています。

それ故、自分を生きる人生で、不満、不平、悲しみ、嘆き、怒り、恨み、寂しさ、孤独、劣等感、嘘、盗み、罪、など重ねてしまいます。

そんな罪深い事柄を自分で抱えていても、そんな自分を認めないのですから、人生がしんどいものとなるでしょう。

この考え方、青年時代と呼んでも良いでしょうが、しっかりと考えないと<<自分の生涯の人生>>で、心・性格・人格は変りません。

同じ人生を生きるならば、出来る限りの社会適応をして生きた方が楽しいです。

「インタ―ネット心理療法」で、頑張ってみて下さい。