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2009 年 8 月 のアーカイブ

<<家族・親子>>親と子の心(3)・・・・事件・犯罪

2009 年 8 月 27 日 木曜日

 授乳中の赤ちゃん育ても、難しい事を前回に述べました。

では、乳離れしたら、どうかです。

「昔から三つ子の魂、百まで」との、言葉があります。

昔は数え年でしたから、三歳ですが、現代では満2歳になります。

人間の心の成長では、第1期の不信感は、2歳までに決まって来ると言われます。

乳離れしてから、まだまだ、その後の1年間が大切だと言うのです。

1歳から、2歳になるまでを、周囲の誰もが話もせずに周囲の誰もがスキンシップをしなかったら、やはり、人の子供として育ちません。

怖いですね、想像しただけでも怖いです。

 

 周りには、同じ年齢くらいの赤ちゃんもいるといいですね。

片言でも、体と言葉で話しが出来れば良いですね、たとえ、赤ちゃん言葉でも親が聞いて理解できなくても、それで充分だと考えます。

この期間で、自分以外の相手を信用するか、信用しないかが、赤ちゃんの心の中に出来上がってくるのです。

そんな状況になると、何時も毎日の心は{{不安定}}になります。

誕生から、満2歳までに、人の心の形??が出来上がるのですから、凄く怖いです。

親や周囲の接触の仕方で、全ての人達は<<それなりの人に育つ>>のです。

 

 乳離れするまでに、様々な状況で育って来る親、赤ちゃんが居ます。

父無し子、母無し子、両親の顔を知らないまま、6歳にまで成長する人達も居ます。

両親が離婚して、片方の親から育てられたり、場合によっては、祖父母に育てられて親の顔を知らない場合、全然と血縁関係に無い人達から育てられる場合もあります。

一応、6歳と言っておきます。

厳密には、5歳で区切るのが、良いかもしれません。

6歳以後の不信感を、第2期の不信感と言っています。

2歳までが大事だと言いながらも、その後の5歳までの子供達の環境も大変に重要です。

 

 最近は、赤ちゃんの頃から、母親が仕事に参加して赤ちゃんも日中でも預けられたりします。

預けられた場所で、また、どんな人達に出会うのか。

同じ年齢の赤ちゃんとか、託児所の保母さんとかの関係で、随分と人対人の信じ方も変わって来るでしょう。

この頃は、まだまだ幼くて、母親の顔が見えない事で、赤ちゃん達は不安になるものです。

未だ、日本の国、社会では、預けられたり、そうでなく、母親に育てられたり、様々の人達が入り混じっています。

親に対する{寂しさ}の残らない子供になって欲しいと考えます。

何故なら、大人になってから、過去の心が動くからです。 

<<家族・親子>>親と子の心(2)・・・・事件・犯罪

2009 年 8 月 24 日 月曜日

 さて、新生児として此の世に、誕生してきます。

母親のお乳を飲む事から、自分の命を維持する事に始まります。

お乳を誕生後に飲み始めるのは、遺伝子に組み込まれたものでしょう。

新生児の間に、人の「愛」・「憎」を区別する能力は未だ持っていないでしょう。

時間とともに、次第に成長して乳児となり、誕生後の8週間目には、相手が自分に対して如何な気持ちかを察すると言うくらいです。

 

 赤ちゃんが乳離れに対して、上手な乳離れが出来たか、どうかが人間の一生を左右すると考えても良いでしょう。

多分に、お乳を飲ませても、お乳を飲ませる時に、どんな状況で飲ませたか、スキンシップが有ったのか、無かったのか、また、スキンシップがあってもどんな仕方でスキンシップが有ったのか、などなどで、赤ちゃんの心の安定度は全然と違ってくるでしょう。

例えば、どんなにお乳やミルクを充分に飲ませても、スキンシップが全く無ければ、人間として成長は無理ですね。

また、人の声かけを聞かないでおれば、赤ちゃんも人間として育たないですね。

 

 昨今では、女性も社会に進出しまして、家族の中の赤ちゃんの数も随分と減っていますし、そのために人間社会の変革を求められています。

子供の数の減少で、学校の統廃合が随分と問題化して来ています。

その事で、また、先生の転勤や大学などでは、先生の数が多すぎて退職を迫られる場合もあります。

子供達、或いは、学生の数が減ると、学校への入学金も授業料も少なくなりますから、職員の給料の配分も少なくなります。

 

 現代社会では、人間の頭、即ち、大脳に入って来るストレスが様々で、多くの人がストレスに対して一応に適応できていないと感じます。

日本の国でも、昔は、家族の中に子沢山が普通でした。

大家族の形成であり、一家の主が働いていれば何とかなっていたようにも思います。

勿論、夫婦共働きの家族も有った筈ですが、まして、電気器具もなくて朝から晩まで忙しく働いていたと思います。

唯、唯、それだけで、あまり余分な心の葛藤は無かったのでは、ないでしょうか。

 

 {姑の嫁いびり}が、盛んだった頃ですね。

現代では、逆なのです。

{嫁の姑いびり}ですよ。

そして、今の母親にも、子供達にも、格別に、子供達は社会の中で仕事の中で必要に応じて携帯電話を持っている訳でもありません。

パソコンも、絶対に子供達には、人間社会で生きるために必要な器具ではありません。

乳離れから、赤ちゃん育てが益々難しくなります。   

<<家族・親子>>親と子の心(1)・・・・事件・犯罪

2009 年 8 月 21 日 金曜日

 <<<<まず、総論として>>>

此の世で、何故、人間は{事件}や{犯罪}を起こすのでしょう。

答えは、簡単です。

母親の{胎内}にいる間の胎児への、心の伝播は詳細には説明できないでしょう。

ですが、推定は可能です。

胎内に胎児がいる間に、母親が神経質で脈拍の変動は呼吸の変動を突然に起こしたり、或いは、持続的にでも異常な早い脈や早い呼吸で続いていると、必ず、胎児にも悪い方へ影響する筈です。

 

 血液から見れば、胎児としている間に、母親の病気として、糖尿病や高血圧や喫煙など、また、病気によって高熱などが続くと、胎児の心に何らかの影響を及ぼすでしょう。

誕生時に、先天性の赤ちゃんとして誕生して来るケ―スもあり、大変であろう事は言うまでもないでしょう。

一方で、生まれながらに、先天性疾患で思考能力を持てない人達も居られます。

親の苦労も大変な<<悩み・苦しみ>>の荷物を背負います。

こんな場合では、親がどれほど親の責任として<<荷物を背負う能力が必要で重要か>>などなどにも、関わって来るでしょう。

こんな時でも、親の考える能力さえ十分であれば、大変な荷物を背負いながらも、親自身の荷物の負担の感じ方も違うのでしょう。

 

 上記のような場合は、ここでは別にしておきましょう。

胎児から、新生児として誕生してきますが、誕生に関しては母親も随分と心の葛藤を持つでしょう。

昨今では、胎児として居る時に、胎児が異常胎児か、遺伝子的にも身体的にも、如何な状態かを随分と診断できるようにはなっています。

しかし、こんな状況、胎児として母親の胎内に居る時に、遺伝子を検査する事がどんなものか、<<善と悪の判断>>も沢山の人々の間で判断と判定が分かれています。

検査する事が、人工的流産にも関わってくる場合もあります。

これは、人間全体としての見地から見れば、人間の{優越}と{劣等}を完全に分ける事実につながるのではないかという事ですね。

 

 この地球上から、優勢な優越な人間だけを育てる思想にならないのかという問題です。

 人間として人の生命を何処まで、維持してサポ―トをするのか、しないかの問題が絡まってきます。

これは、高齢者の認知症状や、更に、高齢者の身体状況を見て、病状がひどい場合であれば、どこら辺まで治療を継続するかなどにも、治療者としては考え込んでしまいます。

人間、一体に、何歳まで生きれば、認知症状が絡んで体力も衰弱した場合、何処まで治療して何処まで生命を延長させるかでも、悩むはずでしょう。

<<心の世界>>我が儘 10

2009 年 8 月 20 日 木曜日

 会社や企業で就労している人達は、定年がやって来ます。

誕生後に、此処まで生きて来て全く{不平}や{不満}や{恨み}や{憎しみ}や{劣等感}や{妬み}を持たないで生きた人達は居ないでしょう。

一方で、自分の誕生後に、{死}を迎えるまでに、一度も<<他者から悪口>>を言われずに亡くなっていった人は、誰も居ないであろう。

逆に、先述しましたが、本人そのものが誕生後、滅するまでに、他人の悪口や不平を言わないで滅する人も居ないです。

 

 自分以外の他者に、「不平」、「不満」、「怒り」、「悲しみ」、「やきもち」、「嫉妬」、「妬み」、「孤独」、「恨み」、「怨念」、「呪い」、などなどを持たなければ、自分の人生を幸せに感じます。

また、その境地~心境にまで辿り着かないと、自分の体で理解は難しいのかも知れません。

人間って、凄く【【我が儘】】ですよ。 

定年後を如何に生きるか、色々な道がありますが、人それぞれですね。

認知症になるか、ならないか、この事については、難しいです。

遺伝的な要素は、否定できません。

しかしながら、誕生後に、人が如何に生きて来たかの問題も絡んでいるみたいです。

大病したりでの体の大きな病気、大病しなくても、認知症になる人達が見られますから、遺伝子だけでは説明ができないみたいです。

 

 やがては、老いて高齢者に、長く生きれば<寝たきり>や車イスになっていくのが「人の定め」です。

大変に興味が有るのは、認知症者になってから後に、心のあまりにも不安定な人達が見られます。

これも、場合によっては、大脳や小脳の一部か脳実質の部位の損傷で違うのかも知れません、見た目の{{我が儘}}もですね。

{{我が儘}}な心・性格・人格が、極端に強度に現れて来る場合があります。

この現実を考えて、認知症者に長年月間にわたり関わっていますと、彼等の{生い立ち}を含めて、彼等は【結婚生活】や{独身者}で生きて来たのか・・・、同じそんな環境で生活して来たと言っても、それぞれの人達が微妙に違っています。

 

 認知症者の異常行動や異常会話や徘徊や抵抗性や暴力や被害妄想&幻覚や妄想、などなど、凄く違っていますから、興味深いです。

こんな症状も、当方から見れば、アルツハイマ―型痴呆症でも、随分と症状は違っています。

寝たきりであっても、人間はいよいよ「死」が目前にならないと、余分な異常会話や異常行動は、止まらないみたいです。

「生い立ち」と「人生とは、何か??」を、「インタ―ネット心理療法」の体験で、大丈夫ですし、痴呆防止にもなるでしょう。        

<<心の世界>>我が儘 9

2009 年 8 月 18 日 火曜日

 人は、やがて、中年となりますね。

時の流れと共に、自分の心身のバランス、ホルモンのバランスなども、好き嫌いに関係なくて、壊れて来ます。

一見、見かけや姿も変転&流転を、繰り返しています。

子育てが終わり、一段落した家族も居れば、企業の中で出世もできなくて<喘ぎ>ながら悲しみながら、生活している人達も居ます。

 人間社会で生きる事に、「努力」と「切磋琢磨」せず、出世できる筈もありません。

自分が「努力」とか「切磋琢磨」とかしていると言うよりも、全く、そんな考えを持たないのですから、大変です。

 

 自分の心の「器」を知らず、人生を生きる事が一番に大変ですね。

自分の実力と力量を知らずして、それ以上に自分の人生を生きるのは、やたらと【心の葛藤】が増えるだけです。

出勤拒否、アルコ―ル依存、神経症、心身症、うつ病、などに、罹ってしまいます。

時には、盗み癖、サラ金などと、罪を重ねて生きる事となるでしょう。

自分の心の中の「器」を知らないと、壊れたままの「器」では、何も出来ません。

 

 格別に多いと言われるのが、昔から言われていますよ。

「「空巣の症候群」」なんて、昔から有名な言葉です。

自分の側で育てた子供達が、巣立っていくのですから寂しくなります。

そして、気持ちは落ち込んでしまいます。

この寂しさを、配偶者が理解してくれるでしょうか。

決して、理解できません。

一人で考え込んで、悩みます。

 人生って、何??? そんなに思っても自分の心の葛藤を操作して簡単に消去できる訳もありません。

 

 自分が真面目な人、自分は{{我がまま}}なのに、真面目な人だと{思い込んで}いるから、そんな症状も抱え込んでしまいます。

また、子供達が離れる前にも、大学までやれば沢山のお金も必要です。

子供達が結婚して去った後には、場合によっては、夫婦だけの生活となる場合が多いです。

運が悪いと、それまでに離婚している家族も居ますが・・・。

 

 次第に、企業に就労していれば、定年も近づいて来ます。

第二の仕事を考えるか、趣味だけで生きるか、自分達で考えながら判定して生きる事になります。

ここまでに来る間に、自分の親との「死に別れ」、余程に不運であれば、自分の子供達との「死に別れ」もあります。

人生を大事に学習しておきましょう。