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2009 年 6 月 のアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)1

2009 年 6 月 30 日 火曜日

 人は誰もが、自分の考え方は正しいと思いながら生きております。

目前のもの、人や状況や環境や現象、などなど、全てを自分の判断で考えて解釈しています。

自己中心的に、生きるのです。

一般の俗世間においても{{討論会}}なるものがあります。

皆で討論と言っても、社会生活の中で意識&認識の高い人達とか低い人達などが居ます。

こんな場合では、{{討論会}}にはならなくて、{{勉強会}}&{{研修会}}などになっていくでしょう。

 

 生活水準が高いとか低いとか言っても、全ての人間は<<自分の考えている事、思い方が正しいと思っています>>から、そばから注意や助言されても<<自分の考え方>>を変えませんね。

人間社会と言うか、人生について<<殆どの人達は、理解できて>>いません。

自分の欲しいものが<<手に入らなければ>>、それは自分の生活パタ―ンですから、万一に、どうしても欲しいものなら、自分の考え方を変えて努力&精進をしなければ、今の自分の生活よりも良い生活には出来ません。

当方、繰り返しますが、金銭とか名誉とか誰も欲しいものではあるでしょうが、大事な事柄は人間の持っている「「価値観」」の問題です。

 

 「「「自己とは・・・・???」」」などの言葉が有ります。

自分とは、一体に何者か、自分とは一体にどんな人間か、そんな自分を知る言葉でしょう。

だが、貴方は・・こんな人間ですから、考え方を変えたら如何ですかと聞いたところで、立腹さえしても、感謝をして、自分の気持ち&考え方を変えましょう、などと答える人は居ないでしょう。

悩み苦しむ人達に、貴方の考え方が悪いから、悩むのです・・・なんて言っても・・どうしようも無いですね。

悩んでいない人達でさえ、例えば、うつ病の人達でさえ、悩む、悩まないにも関わらずですね、どんな人達も他者の助言を受け入れません。

 

 人間社会を生きるために、どんな人達も、相手の身・心・・立場になって考える、・・・相手の立場から自分を眺めてみる、これが最高に大事です。

自分と相手の立場を入れ替えて、物事を考える事が、人生を生きるのに大切なのですが、相手との立場を入れ替える・・・その事が、どんなに説明しても理解できない人達が意外と多いですね。

そんな人達は、自分の人生で<<一生のこと、悩む>>でしょうから、心の治療を受けておくべきです。

「インタ―ネット心理療法」でも、十分です。      

<<心の世界>>我が儘 3

2009 年 6 月 17 日 水曜日

 昨今では、男性も女性も、昔と違って、あまりにも自由を求め過ぎるようです。

時代の流れに沿って、人の心も変ります。

いや、人の心のみでなくても、全ての世界は常に流転&変転を繰り返しています。

小学高学年にもなると、かなり、自分の姿や心を意識しますし、これは、他人の心を意識しているのです。

何となく、この年齢にもなると、<<褒められたい>>、<<優秀な人にみられたい>>、などなど、自分を中心に考えたくなります。

他人を褒めるよりも、自分が中心になりたいのです。

ところが、いざとなると、何も出来ないので、中心人物にされたらパニックとなる人達も居ます。

 

 <<褒められたい>>、<<優秀な人にみられたい思い>>ですが、現実には、そう思うだけです。

それ以上の事が起こると、自分の力量では自分をコントロ―ル出来ない事が分かっているので、唯、思うだけです。

そして、{劣等感}を抱えて、事あるごとに他者を恨んだり嫉妬したりもします。

{{我が儘}}、そのものです。

学校では、勉強ができない、頭が悪い、背が低い、背が高過ぎても嫌だ、走るのが遅い、などなど、何かにつけて他者と比較します。

もう、この頃から{損}と{得}、{勝ち}と{負け}、{優}と{劣}、などを無意識的に計算して生活をしています。

勿論、当人達は気づいていませんが・・ね。

 

 幼い頃からの{我が儘}というのも、結構と注意しても治りません。

子供達に、何事につけて注意しても、彼等の心は治らないし、助言や説教しても<心は変らない>のです。

この幼い頃から変らない{我が儘}は、大人になっても変らないまま成長して、そのままの心を一生に渡って引きずって行きます。

{我が儘}な大人、そんな人間同士が此の世の中で衝突しながら生活しなければならないのです。

恐ろしいですし、考えてみると、本当に怖いです。

 

 しばしば話しますが、{劣等感}は人生の飛躍のバネになると言う人達がいます。

そうでしょうか、{劣等感}を持たないで、自分の人生の力量を大きくして楽しく生きた方が良いと考えますが・・・・。

中学生くらいになっても、自分の心にブレ―キをかけるなんて、難しいですよ。

注意されれば、されるだけ、余計に反抗心を大きくして、最後まで{反抗}を続けるのが、普通の人間、いや、考えれば、時限の低い人達もいます。

口で話しても、駄目なのです。「・・ネット療法」を体験して下さい。

<<心の世界>>我が儘 2

2009 年 6 月 15 日 月曜日

 最初は、幼い時、親の心・性格・人格が、{我が儘}に関係し

ていような話もしました。

また、認知症者の異常行動も、しっかりと考えてみると、結局、過去の記憶装置である頭の海馬と関係していると、思われます。

皆さんに何度も伝えますが、人間として他者を<<非難>>したり<<見下げたり>>する事は駄目だと感じます。

ここでは、{人}が人間世界を生きる事について話をしています。

 

 {我が儘}は、その{我が儘}の基準が有りませんから、誰が決定するかでも、ありましょう。

人間世界、此の世を生きるにあたり自分勝手な{会話}・{行動}・{心}などなど、少ない方が良いでしょう。

自分は{真面目な人間}だと思っている人達ほど、{我が儘}で大変な{人}ですね。

昨今では、幼稚園、小学低学年でさえ、既に、携帯電話を持っている人達が多いです。

携帯電話を使用して、相手の携帯電話にメ―ルを使って<いじめ>をします。

かなり相手がショックを受けるような言葉を投げたりもします。

文明の「利器」が、人の心に<<災い>>をもたらすのですから、考えてみると皮肉なものです。

 

 携帯電話のことのみならず、もっと厳しいのは、親が自分の子供達を如何に育てるかですが、それが実に大きな問題です。

全体的に、人の心・性格・人格を観察しているとですね、自分の好きな事だけを求めて生きると、必ず、疲れます。

人間世界を生きていて、自分の事ばかり考えて生きると、心の葛藤を沢山と抱えてしまうのは当然です。

好き嫌いの多い{人}となってしまうのは、既に、幼い時からの育ち方に関わっています。

それ故に、親の子育ては、非常に大切です。

では、親が居れば、子供達は上手く育つのかと問われれば、親の育て方に問題があり、如何に子供達を育てるか、唯、唯、それだけです。

 

 勿論、両親の居ない家庭も、現在では、沢山とあります。

両親が離婚してしまって、赤ちゃんから小児になる間に【離婚】が起こり、子供達は自分の<<親の顔を知らない>>場合が沢山と増えて来ました。

こんなケ―スは、昔からも有りましたが、昨今の人間世界では<<両親の離婚>>は益々と増えて来ています。

だから、祖父母から、或いは、親戚から育てられたりの場合も増えています。

誰も、子育ての面倒を見ない場合では、先進国では、一定の施設で子育てが行なわれている国もありますよね。

親の{心}が、悪いです。自己の心を、知る事です。

<<心の世界>>我が儘 1

2009 年 6 月 11 日 木曜日

 人間の考え方って、面白いです。

自分の人生を真面目に生きていると、考えている人達が多いです。

これは、人間の{性}なのでしょう。

生まれながらに、誕生した時から、そう考えていますよ。

勿論、誕生直後では、「善」と「悪」の区別は出来ませんけれど・・・。

乳児の時から、既に、{不満}、{不平}、{怒り}の感情なども、乳児の記憶の中に積もって行きます。

人って、生まれながらに{我が儘}にできていますね、いや、<<生い立ち>>の中で{我が儘}は沢山と増加しますが、多くの人達が、{{私は、真面目、自分は真面目だ}}と、常に、思っています。

 

 幼い頃から、自分さえ良ければ、<<良い>>なんて考えているのですね。

それにも関わらずに、人の{性}でしょうね、自分は素直で良心的で{良い人間}だと考えています。

人は、此の世を生きるのに、自分勝手に生活をしていれば良い訳ではありません。

そう、母親と父親を「因縁」にして、此の世に誕生した後に、親から育てられます。

ここまでは、いいとして、子供達の{我が儘}については、両親の育て方に{{問題}}がありますが、時折にですが、先天性で器質的疾患による脆弱性を抱えている人達の「心」・「性格」・「人格」を変えるのには、あまりにも無理な場合もあります。

 

 例え、どんな心理療法を行なっても無理なケ―スは無理ですね。

少しながら、歳月を越えますが、認知症者の心理療法も無理ですね。

始まったばかりの認知症者へは、場合によっては、食事摂取不良などで<<脱水症>>などが強度になれば、幻覚や急性痴呆症状なども見られる場合があり、この方達では、補液や食事が可能となれば、突発的痴呆症症状は治るでしょう。

全部の人達が軽快して治る訳でもなくて、突発的認知症や徐々にやって来る認知症状でも治らない場合が多いです。

 

 興味深いのは、人間の日頃に考えている事柄が、認知症者になって<<潜在意識や無意識の心が飛び出して>>来ますから、非常に興味が有ります。

彼等は、{我が儘}を言っていますが、絶対に周囲の他者の助言にも耳を傾けずに<言われた事>に、言われるように納得しないのです。

穏やかな{認知症者}も居ますが、暴言、暴行、錯乱、介護への抵抗、など、まだまだ、足の丈夫な認知症者では<<徘徊>>のために、何処かへ行って行方不明になり、交通事故などで亡くなる場合もあります。

これとても、幼い頃からの育ち方が、頭の奥深い場所から、即ち、過去からつながっているみたいですよ。

{我が儘}は治しておくべきで、「・・ネット心理療法」で十分です。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(追加編)6

2009 年 6 月 8 日 月曜日

 相手の立場になって、自分を考える、なんて言いますが、そんな自分になるのは、口で言う程に、簡単ではありません。

大脳の奥深い、海馬と呼ばれる場所は、記憶装置と言われています。

自分の誕生した時から、いや、自分が母親の胎内に居る時から、記憶は組み込まれていると思われます。

誕生してから、新生児~乳児~小児~~~~などと次第に成長しますが、全ての年齢で当人の<<目前の状況や人間関係の心の交わり>>を受けとり、その受け取り方の{{違い}}がそのまま大人になっても続いていきます。

 

 相手の気持ち、自分の置かれた状況や環境などに対して、「共感」、「受容」、「妥協」、「拒絶」、などなど、どんな考え方を沢山のこと持って育つかが、その人の「心」・「人格」の分岐点でしょう。

幼い時から、エゴイスト、ナルシスト、そんな気持ちの多い状態で成長すると、成人になっても眼前の状況を肯定的に<<受け取れません>>ですね。

どうぞ、此の世、人間社会を生活するのに、自分だけが<<得をしよう>>なんて考えないで下さいませ。

相手の立場になり、相手の気持ちをも気づかってあげて生きる事です。

自分だけが、<<得をして>>相手は関係ないよ、と言うのでは如何ともしがたいです。

 

 地球上で生きる事、人間社会で生きる事、俗世間で生きる事、或いは、生態系の自然の中で生きるにしても、全てにおいて、相手の人間や相手の動植物がいる事、相手の立場になる事、など・・・・こんなに説明しても、聞かされても、勿論、じゃあ、理解しました、なんて答える事ができる人達は少ないでしょう。

人は誰もが、幼い時期から、自分が<<得をしたい>>と考えて成長します。親からも、教育されます。

しかし、これも程度の問題があります。

少し、自分の心について、自分の過去を自己洞察すれば、自分が如何なる人間かを理解できるでしょう。

 

 相手の立場になって、相手の事を考えてあげる、相手の立場に対して<<自分が変化して考えてあげる>>、などが理解できるべきです。

本当に、真実に、相手の立場をも考えてあげる能力の無い人達は、人間世界を生きるのに困難となって、次第に周囲から{{疎外されて}}しまいます。

きっと、自分の楽しい人生はありませんし、全てを失ってしまいます。

自分が<<得をする>>事だけを、考えない。

相手の立場にたち、物事を判断できる人間になっておくべきです。

相手の立場に、なってくれない人も、時折、見ますが、心理士としては悲しいです。

「身代わり不可症候群」と言って、おきます。