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2009 年 1 月 のアーカイブ

<<講演>>人間って、孤独??(23)

2009 年 1 月 21 日 水曜日

 今まで、少しながら記載してみましたが・・・・・、

 当方は本来的に「人生は、孤独ではない」と考えています。

要するに、人生を、或いは、人間世界の生き様を如何に考えて生きるか、これが<<分れ目>>になるでしょう。 

何が起こっても、何が眼前に有っても、「人生って、こんなもの」だと解釈できれば、苦しまない筈ですよ。

 

 前回の記載で、「宿命」、「運命」、「天命」などと記載しましたが、この三つが理解できるかどうかでしょう。

もちろん、「人生って、何だろう」などと熟慮しておかないと、悩んで生きる事もしばしばと有る筈ですね。

それから、何度か記載しましたけれど、自分の人生で誕生から終焉にまで何時でも<<幸せな事>>ばかり有るかと言われれば、人生って生きるのに<<疲れる>>などと言う人達の方が遥かに多いでしょうね。

だから、自分の人生を生きるのに<<幸せ>>に、気楽に生きる方法を説明しているのです。

 

 人間世界を悩まないで生きる方法は有るのですから、誰も皆が勉強を少しばかりで良いのですからしておけばいいのです。

不平、不満、悲しみ、寂しさ、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、憎しみ、怨念、などなどのマイナスの気持ちを持たない人間になっておれば、良いだけですよ。

そんなに賢く偉く生きなくても、良いし、自分を<大きく>見せようと考えない事です。

自分の出来るだけの力量、能力、実力、そんな自分の気持ちを理解しておけばいいだけですからね。

勿論、{努力}、{切磋琢磨}は必要ですが、その「方法」ですよ。

怠けたまま、全く努力も勉強もしないで、自分の人生を生きるなんて無理ですからね。

 

 そんな訳で、当方は何時も皆さんに伝えています。

自分の心を知る事、格別に自分の{生い立ち}の心を確認しておくべきです。

だけど、自分の{生い立ち}の心を自分勝手に調べても、独りよがりの「自己分析」では、決して楽しくも嬉しくもならないでしょう。

やはり、しっかりとした専門のプロの心理士からの<<手助け>>を受けながら、自分の過去の心を調べる事、これしか有りませんよ。

 

 背伸びしないで、自分の実力と力量で生きるしか、有りません。

背伸びして、自分の実力と力量以上の自分の人生を<<生きよう>>とするから、心と体の疲れが出て来ますし、悩みや苦しみとなって来ます。

長く続くと、{劣等感}や{悲しみ}や{虚しさ}や{被害者意識}まで大量となって来て、<<自殺したい>気持ちもでますから、勉強が重要です。 

 

 他者へ{共感}・{受容}・{妥協}・{拒絶}の学習が大切です。

<<講演>>人間って、孤独??(22)

2009 年 1 月 20 日 火曜日

 106歳~110歳では、もう話をする事も無いかもしれません。

 無理ですよ、この年齢まで生きるのは・・・・。

 格別に、この年齢まで長生きをしている人も、時折ですが見られます。

 

 人間の生き様って、大変です。

何時、何処で、どんな具合で、人生を終わるか、それが問題です。

歴史に残る人間になりたいのか、それとも、そんな事なんか関係ないよと考えているのか、でしょうね。

しかし、長く生きれば歴史に残る訳でもありません。

格別に、日本で、いや世界中で一番に長生きをすれば、それは歴史に残るでしょう。

ですが、長生きした当人は幸せなのか、孤独なのか、その判断さえ出来ない場合もありますし、多くのケ―スで認知症を合併している場合が殆どでしょう。

では、認知症になった人達は<<不幸せ>>かと問われれば、それはそれで人間世界の避けられない事実であり、事実を受け止める事しか有りません。

 

 そう、子供達も既に先に<<亡くなっている>>場合も多いでしょう。

孫や曾孫が、それなりに幸せな気持ちで長生きした高齢者となれれば最高でしょうが。

人間の頭、脳実質の思考力の限界もありますでしょう。

MRI〈頭〉検査などしていると、どのくらいに脳実質が傷んでいるのか充分に分かります。

元気な人達が、時折ですが、自分はあまり長生きをしたくないよと,言います。

それでも、残る家族が如何にお世話するか、どうかですよ。

勿論、施設でも入院でも、幾らかの金銭を必要とします。

 

 更に、お年寄りの人によっては、嚥下&窒息で<<運が悪い>>と亡くなられる場合もあります。

経管栄養(鼻管から、胃婁から)でも、窒息は起こる可能性が有りますね。

お世話する側も、随分と気遣いします。

110歳で、自分で食事を食べる人は、多分に見つからないような気もします。

仮に、居られても、これは凄い事で、立派に長く生きて居られる場合です。

滅多に、見られないのではないかと感じていますよ。

 

 何度も繰り返しますが、この年齢で心も体も健康な人は居ないでしょう。

そして、人間の命は一度でも来世に旅立つと二度と此の世には、戻って来られません。

このあたりの人間の命を如何に判断するのかも、難しいですね。

当人が、また、金銭を沢山と持っているか、どうかで家族の判断も違って来るでしょう。

当方は、人生は一回だけ一回限りの人生だと考えていますよ。

人間、何歳まで生きるか、「宿命」、「運命」、「天命」にも関わって来ますからね。

人生をしっかりと、理解しておきましょう。

<<講演>>人間って、孤独??(21)

2009 年 1 月 19 日 月曜日

 100歳から105歳にしましょう。

 もう、ここまで来れば、何をか言わんや、ですね。

ここまで、生きるには、本当に遺伝子に組み込まれた要素と言うか、素因・体質・運・運命・天命、ですよね。

今から、誕生した人間、赤ちゃんを医学的に管理して、この年齢までですね、105歳とかまで生きるようにしようと考えても、そんなに上手くは行かないでしょう。

 

 この年齢になれば、周りからの人達に、本当になされるがままでしょう。

命の問題とか、人生とは何かとか、自分の存在って何か、などと考えても<<その事については、理解がとても無理>>でしょう。

{生い立ち}の中で、心の葛藤を抱えて来た人達ほど、高齢者になっても<<心は落ちつかない>>みたいですからね。

誰も人間は自分の{生い立ち}を振り返って、自分の{生い立ち}の心を解決しておくべきでしょう。

そうする事で、年老いてからも心安らかに過ごせるものですよ。

 

 格別に、子供達の心を理解しておかないと、年老いてから子供達から<<しっぺ返し>>を頂く場合も多いでしょうね。

配偶者にしても、一緒に生活する中で、配偶者に対しての{心使い}が足りていないと色々な問題も起こります。

配偶者にも子供達にも、自分の元気な時から、相手の心を理解しておかないと、必ず、何らかの<<反抗>>を受けるでしょうね。

これは、間違いのない事ですよ。

 

 それから、少し前回でも触れましたが、当人がどのくらい金銭を蓄えているかでも、子供達の{心使い}は違って来ます。

親の亡くなった後に、財産相続は結構と起こります。

{地獄の沙汰も、金次第}と言いますが、{お金と心は、蟻地獄に落ち込む}場合もありますね。

親が死んだ後に、何年経っても<<財産相続>>は解決できないまま続く場合もありますからね。

 

 105歳くらいまで、夫婦で生きる事は、殆ど不可能でしょう。

仮に、生きていたとしても、どちらかは認知症で心の交流が出来なかったりで、人間としての生き様は、既に、終わっていますよ。

適当な年齢で、自分の頭で{適当な死に場所}と{死ぬ年齢}が明確であれば、良いのですがね??

とは言っても、死ぬ時期が分かれば、人間個人は案外と不安症状を起こすものですね。

 

 {人生とは、何か??}を悟っておきましょう。

<<講演>>人間って、孤独??(20)

2009 年 1 月 16 日 金曜日

 96歳~100歳ですよね。

この年齢に来るまでには、沢山の病気もしている場合が多いでしょう。

肺炎を繰り返して、何度も治療を受けたり、ですよ。

そうですね、多くは、誤嚥性肺炎が多いです。

時には、自宅に居ても、更に、施設に入っていても、誤嚥&窒息で亡くなる場合もあります。

 

 この年齢にもなれば、肺炎の治療ですね、強力に治療を受けないと、そのまま治らない場合も沢山と有ります。

経管栄養(鼻から、或いは、胃婁から、など)を受けていても、肺炎になる人達は多いです。

100歳にもなれば、多くの場合で、配偶者も居ない事が多いだろうし、場合によっては、自分の子供達も亡くなっているケ―スは、よく有ります。

100歳では、誰かのお世話になって生きるし、心も体もある意味ではボロボロになって生きているのではないでしょうか。

言葉の表現は、悪いですけれど、本当に確信していますよ。

 

 この年齢でも、感謝、感謝だと<<手を合わせて>>生きている人達も見受けますが、少ないでしょう。

殆どの場合で、知っている家族も近隣や親戚の人達も、亡くなっている場合が多いですからね。

孤独を感じながら、生きる事になります。

息子や嫁さんや孫達が、毎日、施設に来てくれても、<<有り難さ>>を感じて、気持ちよく表現できる高齢者達は少ない筈ですね。

そうですね、人間って生まれて来たら、最後は<<一人で此の世から旅立って>>いかなくては、なりませんね。

勿論、人の命は<<何時の事、何時に果てるかが、分からない>>、それが人生です。

長生きをしたくても、気づかない間に、{死の影}が忍び寄って来るものです。

 

 高齢者になっても、病気になっても、<<死については、理解できません>>が、案外と<<死の直前に、死を悟り>>、ニコニコして此の世を去って行く人達も、時折にですが、当方は知っています。

ですが、死ぬ時に<喜ぶ>よりも、<生きている時に、喜んで>生きた方が良いですね。その事を当方は現実に知って欲しいと思っています。

100歳ですね、真実に心と体は、ボロボロですよ。

周囲の人達になされるがまま、生かされて生きています。

 

 天地に感謝、両親に感謝、肉親に感謝、周囲の人達に感謝、水・地・火・空気に生かされて生きている事に感謝できさえすれば、納得して<<死んで>>いけます。

<<講演>>人間って、孤独??(19)

2009 年 1 月 15 日 木曜日

 91歳~95歳ですね。

 もはや、孤独だとか感じる能力も失せているかもしれません。

一生懸命に、話をしていても、自分の話し方も悪いだろうし、自分の意志は伝わらないでしょうね。

この年齢で、上手に自分を自己表現できる、人達は少ないでしょう。

 

 多くの場合で、廃用症候群で寝たきりか、脳血管障害とか、心臓疾患とか、癌疾患の末期で、酸素を吸って生きている人達も、居ますよ。

既に、経管栄養で命をつないでいる人達も沢山と居ます。

オムツを替えてもらって生きている人達も多いですね。

食事さえ、自分では経管栄養をしていなくても、食事の介助なども受けているでしょう。

そう、誤嚥&窒息したりして、死亡する場合もあります。

肺炎や心不全を繰り返して、医療の手助けを借りて、やっと、生きている場合も多いです。

 

 どんなに考えても、この年齢まで生きる事そのものが素晴らしいです。

歩けなかったり、言葉が伝わらなかったり、行動は何もできないままだったり、周囲からの手助けを待って生きている人達が多いです。

そうですね、家族の皆が仲良くなくては、そして、自分のお見舞いをしてくれる人達がいないと・・・、孤独を感じるでしょう。

それでも、お見舞いをして頂いても、その意味さえ理解できない場合もありますからね。

「人生の終末」は、それほどにその前の段階から念頭に入れておかないと、悩む事になるでしょう。

 

 「一人で、旅立つ」、「孤独で、旅立つ」、そうなのです。

それが、人間の一生ですからね。

その一生の過程が、どうであったかにも関わって来るでしょう。

「人生を、明確にしておかない」と・・、全ては自分の責任でしょう。

折角、此の世に誕生したのだから、笑顔で生きて欲しいのですが、人間ってエゴイストですから、真に大変な生き物だと感じています。

 

 95歳って、孤独でも孤独だと自己表現できない人達が多いでしょう。

自分の家に帰りたいと思っても、残る家族が家に戻してくれない場合もあります。

食事の世話、体の清潔、排泄のお世話を看るって、家族がお世話するのも、本当に大変でしょう。

この年齢で、全部が自分で出来る人なんて居ないでしょうからね。

入浴ですよね、悲しい出来事ですが、高齢者が一人住まいで入浴中にですね、浴槽の中で死んでいるのを、しばしば見受けます。

95歳にもなれば、自分の思う通りには、全てがなりません。