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2008 年 6 月 のアーカイブ

<<心の世界>>36の質問 (12)

2008 年 6 月 9 日 月曜日

過去が、大切なのですか。

私達は現在を生きています、現在ばかりが大事だと思っています。

そこで、現在の事ばかり考えるのですが、駄目なのですね。

そうか、人の心は過去が大切なのですか。

不思議ですね。

私には理解できません、どうすれば{答え}が分かるのでしょう。

自分の親って、関係ないように思いますが・・・・。

 

{お答え}

 建前と本音とか、言います。

{建前}と{本音}の使い分けが出来ないと、子供だと言われるほどです。

{深層心理}とも、言います。

{無意識}、{潜在意識}、などとも言います。

人の心の浅い心でなくて、深い心の事を話しています。

浅い心は、常に、深い心に操作されているからです。

そうであるから、人は誰しも、自分の深い心を知っておく必要が有るのです。

それに、先述しましたが、自分の心が<何色>なのかを、特別に、自分の過去の心の{{色}}を知っておいて下さいませ。

世の中を生きるのに、自分の心だけで、自分が中心で実在している訳ではありません。

自分だけが、中心的人間では、ありませんよ。

私も居るが、他人様も居る、世の中は自分一人の世の中では、ありませんね。

 

 人の子供は、心が汚れているのか、素直な無垢な心なのか、しっかりと確認しておく事ですね。

過去を調べるのに、母親とか父親とかについて、<してもらった事柄>、<して返した事柄>、<迷惑や心配をかけた事柄>、などなどと、幼い頃から1年~3年間ずつに区切りながらで、自分を調べて行きます。

そう、自分の無意識と潜在意識の心の中を、探索して行くのです

キリスト教では、子供が死ぬと、{汚れ無きままに、神に召された}などと、言って親を慰めるみたいですがね。

それも、一理は有るでしょう。

ですが、子供は、胎教は別にしておいて、誕生後から、心は母親や父親や兄弟姉妹について、自分の心を見つめると、考えられない程に汚れています。

自分のその汚れた心を、実感すると、自分の汚れた心でもって、他人を責める事なんて出来ません。

人間の心も、そうですが、自分の心が、先ず、汚れている事を知らないと、世の中を生きるのは、大変です。

 

{私は、親孝行の人間}だったのか、{感謝を持つ}人間だったのかですね。

<<心の世界>>36の質問 (11)

2008 年 6 月 6 日 金曜日

  心理療法って、色々ありますね。

先生のされている「心理療法」が、まだ、具体的に分かりませんが、とにかく、過去の心が主体のようですね。

どうせ、親が好きだと言う人達は少ないと考えますし、思い出したくないくらいです。皆、そう考えていると思います。

なのに、思い出したくない事を、考えるだけでも嫌ですけどね。 

 

{お答え}

 自分の心に<どれほど、融通性があるか>だと思います。

周りの意見や行動に、自分を合わせたり、時には、意見を入れたり、どれほど自分の自己主張ができるか、どうかです。

{もの言わぬは、腹ふくるる}と昔からの言葉が有りますが、自分が、イエス、ノー、なども言える事、自己主張ですね。

この自己主張が大事で、勿論、自分の話も<常識を逸脱し過ぎたり>したらいけません。

少しくらいなら、間違っていても、皆の前で自己主張する事、そうしている時に、その自分の言葉に対して、周囲が<如何に反応>したかを、注意していると、自分の心の{甘さ}も少しずつ理解できて、少しでも変われるものです。

 

 要するに、世間を生きるのに、自分の考え方が、あまりにも<幼稚性>、<幼児性>を抱えていると、仕事して<金銭を稼いで、食事を得る>のが困難なものです。

だから、世間に・・・・、世間の人達に<適応できる人>となる事が最重要です。

唯、唯、自分が世間を生きるのに、余分に疲れたり、悩んだり、苦しかったり、辛い思いをしたりであれば、自分の心が{子供の心}なのです。

自分が大人になるように、努力をしましょう。

 

 人間の心って、誰が評価するのでしょう。

当方からみれば、人の心って、どちらかと言えば、皆、誰もが心の底は<濁って>いますよね。 凄く、汚れていると思います。

白色と、黒色ですよね、その中間色もありますが、人の心に<色を付ける>としたら、そんなものでしょう。

だけど、時折にですが、本当に心の優しい人達も見られます。

社会適応できない人達も、多分に、色は<黒色になってくる>かも知れません。

 

 今、自分の口を開いて、話をする事ですね、多くの悩む人達は人前で話を出来ません。

何故でしょうか、多分に、自分が<良く、思われたい>、<真面目な、人>、<立派な、人>、<有能な、人>、などと思われたいから、失敗が怖いのですよ。

そこで、自分が如何に立派な人か、有能な人か、真面目な人か、母親とか父親について自分の過去を見つめれば、{{答え}}は出て来ます。

 親について、自分の心を過去から見つめると、辛いかも知れませんが・・・、過去の自分が真実な自分なのか、今の自分が{偽りの自分}か、理解できます。

<<心の世界>>36の質問 (10)

2008 年 6 月 4 日 水曜日

 過去を振り返るように、しきりに先生は言われます。

具体的には、どんな風に<過去を振り返る>のですか。

また、それが、役立つ理由は何故でしょうか??

 

{お答え}

 胎教と言いますが、普通に考えると、母親の胎内に居る時まで、過去を遡って記憶を手繰りだすのは、不可能でしょう。

・そこで、自分の誕生から、可能な限り<幼い時>にまで、過去を遡り自分の赤ちゃんの時にまで、自分の過去を回想して欲しいですね。

・赤ちゃんの時にまで、遡るのは困難でしょうから、努力して思い出す範囲で良いから回想して欲しいものです。

・又、具体的に回想するのが良いですが、赤ちゃんの時には、母親が、或いは、父親が、自分に対して、どんな風だったのか推定でも出来れば、推定で考えてみて欲しいです。

 

 そして、自分だけで思い出しました、誰にも話す事は有りません、だけでは駄目なのです。実際に人の心は非常に簡単なのですが、心のからくりが有ります。

・思い出したことを自分以外の他者に話す必要があります。

   そのことで、心のカラクリが分かってくるものです。

人間、特別に自分の{心のカラクリ}を体得しておかないと、どれほどに、人の心は簡単で<算数のように>なっているのかを、理解できません。

 

 「因縁」と、言いますね。

当方、宗教には関心ありません。

しかしながら、「因縁」って、説明しやすいので、言葉を借ります。

「因」があって、「縁」があります。

こうこうだから、こうなりました、などなど、現代言葉で表現するならば<因果>と言っても良いですね、<因果応報>とも言います。

・心の因果関係を、調べるのです。

・自分の過去で、自分の心は<かくかく>だったが、相手の心は<どうだった>のかですね。この事柄が、非常に大切です。

・悩み苦しみは、自分の過去の心に「因」が有ります。

だから、今、悩んでいるとすれば、自分の過去を小さい頃から<調べて>いくのです。

・自分の過去と言っても、実際には、母とか父とのかかわりを、主体に調べます。

・兄弟姉妹についての、自分の心の<動き>を調べた方が良いです。

・それに、母親や父親、兄弟姉妹について調べたら、時間が有れば、と言うよりも、時間を取って、自分の側を通り過ぎて行った人達についても、調べましょう。

 

 そうする事で、自分の幼い頃から、どんな事柄で自分が悲しい思いをしたとか、腹がたっただとか、マイナスの気持ちや感情が、沢山と理解できます。

そう、自分の過去の心の悲しい事柄、悔しい事柄、マイナスの感情などが、沢山と出てきます。こんな心を知る事が、最重要です。

 

 己の深い心を知る事です。

<<心の世界>>36の質問 (9)

2008 年 6 月 2 日 月曜日

  過去を見る、過去を見たら、自分の人生が変わりますか。自分は変わっても、眼前の人間とか状況や環境は、先ず、絶対に変わらないと思った方が良いですね。
だから、自分が変わっても、意味が無いでしょう。
先に、眼前の物事が変わらないと、全く、自分も変わりようがありません。

{お答え}
一般的に、皆さんは<そんな質問>をされますね。
その事について、質問を受ける事は多々あり、そうですね。
よく受ける質問ですが、他人が変わらないと自分も変わらないと答えられる人達は、どちらかと言えば<人間の心に疎い>人達ですよ、心について勉強していないとも言えます。そんな人達ばかりが、地球上に住んでいたら大変な事態が起きて来るでしょう。
何故ならば、人間って誰もが<<何らかの欲望>>を持っています。
誰もが<<欲望>>を他人に衝突させると、此の世の中は如何なる事態が起きるでしょう。

 人間社会を生きていくには、自分の<<欲望>>も少しくらいは減して生きる事です。

お互いが、我慢をしながら地上で生きているのではないでしょうか。

<<我慢>>、<<我慢>>、そうです。

<<我慢>>と言っても、ある事柄について<<我慢>>だと言っても、人それぞれで、ある人は<<我慢>>だと感じない人も居るでしょう。

また、別の人は、他者がそれなりに<<物事について適度に耐える>>事柄にも、耐えられないと言って<<大変な苦痛や苦しみ>>を感じるかも知れません。

そこで、人間社会を生きるには、{思うままに、ならない}のが人間社会だと感じて納得する能力が必要でしょう。

 

 当方がここで言うのは、眼前の物事に何事が起ころうとも<眼前の物事に流されて>生きると言う事ではありません。

先述しましたが、嫌いな事、好きでない事、自分には不都合な事、自分にとって{どうにもならない事}などに対しては、流されるだけではいけないでしょう。

そう、{共感}、{妥協}、{受容}、{拒絶}、などなどについて、どこまで正常な範囲で判断をできるか、どうかであります。

この<<判断力>>が、正常か、異常か、誰が決定をするかって難しい問題です。

 

 結論を、伝えておきましょう。

人は、多くの人達がですね、相手が変わってくれたら自分も変われると、考えています。

そんな考え方をしていますと、世の中がギクシャクとして、自分自身も上手に生きる事が大変に難しくなります。

相手が嫌いと思っても、唯、唯、嫌い腹立つとか思うと自分が疲れますから、相手に対して、自分の心に悩み苦しみが生じないように、心を鍛錬しておく事、大きな{器}の心になっておいて欲しいです。

 

 切磋琢磨、己を知る{策}が重要です。