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2008 年 5 月 のアーカイブ

<<心の世界>>36の質問 (3)

2008 年 5 月 21 日 水曜日

        人生で、何となく、ストレスを感じます。

  どうして、私はストレスを感じるのでしょうか。

 

{お答え}

 ストレスと、言われましたが、どんな状況でストレスを感じるのか、何処で、如何なる時にストレスを・・・、ですね。

人は、誰も皆が、同じ状況でストレスを感じる訳ではありません。

ストレス=心の葛藤と言っても、良いでしょう。

 皆が<生い立ち>も、違います。

だから、それ故に、ストレスも、人によって同じ事が有っても<ストレス>になる人と、ならない人が居ます。

人間って誕生した時から、自分の眼前の人や環境を意識しながら育ちます。

誕生から、幼い時から、幼少時期から、学童時期から、生徒や学生の時期から、何時も何らかの心の葛藤=ストレスを溜め込みながら、生きているものでしょう。

 

 当方、20年以上も「心理療法」に関わって来ています。

今、人が生きていますよね。

何を考えて生きているか、一般の人達には理解できないでしょう。

多くの人達が、一生懸命に生きている積もりなのです。

 でも、本当は違うのです。

それは、何故かと言いますとね、自分の心をしっかりと確認しないままで生きているからです。

本当の自分を、納得して生きるのであれば、自分の潜在意識や無意識、或いは、本音と建前の心を確認しておいて欲しいのです。

そんな自分の心の深い深い基盤になっている真実なる「心」を知らないで生きているのなら、本当に生きている積もり、あくまでも<<積もり>>ですよ。

 

 そうでありますから、ストレスを何故に感じるのですかと、問われれば<<自分の深層心理>>を知って納得して生きていない事になります。

そうですね、本当の自分の心を心底と、納得して生きていないと、どんなに有名な人、地位や名誉などある人達も、心の底では病んでいる事が多いです。

 ストレスを感じるとすれば、まだ良い方です。

沢山のストレスを抱えていても、私はストレスは全く持っていないと言う人が居ます。

こちらの人は、本当に大変ですよ。

悩み苦しみながら、ストレスが無いと、言われれば、人間的には<どうしようも無い程の愚かな人>ですが、自分はこれでも<愚か>ではなく、他者が<愚か>だと思うのですから、人の心って面白いです。

 

 ストレスを感じる人は、ストレスを感じない人になる、「心理療法」を受ければ、人の心は変わるものです。

<<心の世界>>36の質問 (2)

2008 年 5 月 19 日 月曜日

       先生は、人間世界は、全てが、心で成り立っているって説明しているようです。何故、そのように思われますか。

 

{お答え}

 そう、先ずは、自分の誕生から考えても良いです。

実際に、誕生前から、極論にまで遡ると、遺伝子にまで遡ります。

ですが、遺伝子まで遡っても、人は遺伝子の時代に<何を考えていましたか>と、問われても思い出しません。

そんなもので、誰が考えても回想するのに不可能な時期の話は、具体的に説明できませんから、その話は、少し置いておきましょう。

 

 母親の胎内に居る時から、呼吸とか脈拍とか血圧などの影響を受けるのは、当然だと思われます。

所謂、胎教とも、言われています。

こんな事と、言わないで下さい。

胎児も成長するにつれて、胎内では親の影響を受けるものです。

親が、神経質であれば、当然に、胎内の子供にも間接的に、影響を受けます。

面白いと言うか、大変だと言う方が、間違いありません。

 

 {宿命}ですよ。

体質、素因、体の脆弱さ、心の脆弱さ、などなども、ある程度は先天的に如何ともできない、どうしようもない場合もあるでしょうが・・・・・。

これも、親の因縁ですよね。

その親も、自分の親の因縁を担いでいます。

何処の場所、何処の接点で心の<因縁を断ち切る>かです。

 でも、普通の人達には、なかなか心の世界、心のカラクリの世界を見つめる気持ちが有りません。

人って、目先の事ばかり考えて、自分にとって都合の良い事ばかりを考えるものです。

毎日、毎日、1分、1秒、いや、瞬時に<人の心>は動いています。

会話も行動も、瞬時に<心に操られて>、同じように瞬時に動いています。

 

 何時も言っています。

三つしかありません。

全ての人には、「身」・「口」・「意」、この三つしかないのです。

「身」・「口」・「意」と言いますが、「意」が一番下にあって、その上の両側に「身」と「口」があるのだと伝えておきます。

 人間の世界は、全てが、人の心によって操作されています。

人は、より良く自分の人生を生きるために、自分の心を知るべきです。

そして、他者の心が見えるようになると、更に、人間世界での居心地も良くなっていきます。

この世界、地上の世界で、生きる以上は、心、心、なのです。

<<心の世界>>36の質問 (1)

2008 年 5 月 17 日 土曜日

   どうして、心、心、心って言うのですか???

 

{お答え}

 沢山の閲覧分でも、説明していますね、心が大切ですよと・・・・。

そうです。

人間から、心が抜けてしまえば、最早、人間ではありません。

人は、物体とは違います。

親の因縁で、此の世に誕生して来ます。

親が結ばれる事にも、何らかの<心は動いていた>はずです。

その親、又、その親が居ます。

今、現在、自分がここに居る事は、先祖代々の人達の心が動いていて、そして、自分が今生きています。

人の会話とか行動とか感情など、全ては心が中心で動いています。

その中心となっているものだけでも知っておく事ですね。

そうすれば、全ての事柄が上手く運べます。

 

 心、心、心って言う質問ですよね。

人が生きるには、五感(後述)で、感ずるもの全てを自分の心で処理します。

眼前の物、事、人、諸現実、諸現象、全ての事柄などについて、人は自分で・自分の心で判断をしていますし、判断をして自分で決定しなければなりません。

自分の心で、{自己の心=本当の自分の心で決定}し、生きていかなければなりません。

全ての人は、自分が{幸せ}か{不幸せ}か、どんな風に感じているかです。

人間世界を生きるのに、悲しくて嘆いていたら良い訳ではありません。

喜んで楽しく、安らぎと憩いを抱きながら生きられれば最高でしょう。

日常生活が、楽しいか嬉しいか、でありますよね。

 

 人間世界を眺めていますとね、誰もが皆が自分達の心を使いながら一生懸命に生きていると思います。

自分の人生、ですからね。

本来的には、自分の人生は、他人に任せる訳には行かないでしょう。

人間って、勝手な生き物に見えます。

自分の眼前に、自分の嫌いな嫌な事柄があったり、或いは、自分の体にも嫌いな物などが、べったりと接触すれば、辛いです。

人間の生き続ける限り、生き続ける場所には、常に、人間の心が動いているのです。

だから、人にとって、最大に重要な物は{{心}}なのです。

その{{心}}の形って、どうなっているのでしょう。

 

 それを知るには、自分自身にとって「内観」することが最重要です。

<<うつ病>>うつ病者と医師と心理士10

2008 年 5 月 12 日 月曜日

 医療制度の問題も絡んできますが・・・・・、

医師は心の<カラクリ>の世界を勉強してくれません。

ここで言う<カラクリ>とは、人が何故に悩むかという{心の世界}が有るからですが、この点については、医師も宗教家も、案外と人間の悩む苦しむ{心の原点}について、勉強していないと言っているのです。

 

 ここまでは、説明しても、普通の一般大衆には届かないでしょうが、説明せざるを得ないので、皆さんが理解できる範囲に??・・・・・・伝えておきましょう。

説明は難しいでしょうが、「心理療法」、格別に「内観療法」を体験さえすれば、理解できるものです。

小学5~6年生の子供さん達でも、70歳~80歳の方々でも認知症状が無ければ、「内観」体験をできるものです。

このような年齢の人たちでも体験さえすれば、誰もが理解できるでしょう。

 

 「内観」は、心の{再生}・{回向}・{新生}へとつながる、唯一の<<方法>>でしょう。

「内観」は、「宗教」ではありません。

宗教は、先述しましたが、宗祖・経典・集団・儀式&儀礼、などなどが有って{宗教}となります。

だから、「内観」そのものは、全く「宗教」ではありません。

日本人の変な感じ方って言うのでしょうが、面白いですよ。

日本人は、宗教感覚が無いと言いながら、一方で、宗教嫌いの{宗教音痴}、宗教狂いの{宗教音痴}と言えるくらいですね。

 

 当方は、宗教を否定する考え方は、全く有りません。

あくまでも、皆さんも良く言いますよね。

「宗教」は、依存対象だと・・・宗教が必要な人達は、宗教の中で宗教に依存しながら、自分の人生を生きていると・・・・。

当方、どんな物やどんな人にも、依存しないで生きるための「心理療法」を皆さんにお願いしています。

そう、自分の人生ですよ。

他人の人生でなくて、自分の事は自分で行なって、自分を生きる。

勿論、人生と言っても、個人は、自分以外の周囲の<全ての物、全ての生き物、自分には見えない人たちからも、自分の命は生かされている>ものです。

 

 自分の周囲に<恩>を感じて、<感謝>を感じて生きられれば、悩む事はないでしょう。

この自分の周囲への{感謝を、人間って、感じる能力が}少ないです。

心理士}も{宗教家}も、心を説明すれど、いや、心を悩める人から聞いてあげても、薬の投薬が出来ません。

{うつ病者}には、必ず、薬が必要ですが、薬だけでは、人の心は変わりません。

 

 {うつ病者}には、薬+「心理療法、ここでは、内観」が必要です。

<<うつ病>>うつ病者と医師と心理士9

2008 年 5 月 9 日 金曜日

 今は、心の話を沢山としていますが・・・・・、

心の治療をしようとすると、医師は貧乏になります。

沢山の職員に給料を払えなくなります。

厚生労働省が、心の治療には、充分な保険点数を出しません。

精神科医や心療内科医は、働いても<食にありつけない>のであれば・・・・・、やはり、勉強しないでしょう。

 

 よほどの事、心の世界に共感しないと、薬だけ投薬している方針が気楽ですよ。

(時間的には、医療に関わる時間として時間の割合から見ると、金銭の収入が良いです。

我が国の医療保険の<<最大の欠点>>でしょう。

昨今では、日本の国も貧乏になったと言うが、お役人と言うか官僚の人達は、庶民の税金を好き放題に自分の物にしてお金の乱用したり、余分な給料として自分の収入にしたりしていますから、いけません。

医療費も足りなく、なりますよね。)。

 

 心の病気を癒すのには、{{{医療}}}か{{{宗教}}}かでしょう。

{{{心理士}}か、もあるのですが・・・・!!!。

病気となれば、医者の医療でしょうが、宗教家に言わせれば宗教と言うかも知れません。

最近は、心理士の立場も確立されて来ていますから、心理士に頼めばいいのですが、まだまだ、一般世間では心理士も理解されていません。

悩める人達が居れば、悩まない心・性格・人格へと精神的に成長させるには、如何なる方法で<心の癒される場所にまで至る>か、でしょう。

 

 宗教家は、<<方便>>も使います。

医師と心理士は、原則として<<方便>>を使用する事は、少ない筈です。

唯、唯、唯、宗教と言うのも独特の世界であり、「儀礼」・「儀式」・「集団」・「宗祖」・「経典」、などの「五つ」が揃っていますね。

信心を始めると、入信となって、その宗教教団に入ります。

宗教の信者になってしまえば、ある程度の<<洗脳>>は、必ずと、ありますね。

信者になってしまえば、<<洗脳>>を<<洗脳>>と感じなくなってしまうものでもありましょうし、この事が一番に<怖い>ものですね。

 また、そこには{依存心}が出て来て、最早、自分の考える思考体系は制限されるものでもあります。

そして、宗教から<逃げ出そう>と考えても、なかなか<逃げ出せない>ものです。

格別に、発展途上の新興宗教では、<逃げ出す>のに大変で逃げ出すには困難が付き纏うものでしょう。

面白いのは、{医師}や{心理士}から逃げ出すのは、自由自在ですから・・・ね。

 

 人間社会を見ていると、自分の人生だから、人生を立派に生きる能力は、

 一度でも「心理療法」を体験しておけば、自立して楽しく生きられるでしょう。