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2008 年 4 月 9 日 のアーカイブ

<<人生>>善人と悪人(4)

2008 年 4 月 9 日 水曜日

 とにかく、現在の自分の判断をするのではなくて、自分の過去の人間像を判断する事が

 大切です。

 

 今が、どんなに真面目で善人であっても、過去の自分の過ちや罪を知って自分を判定しておくべきです。

愚かな人間か、駄目な人間か、{悪人}かどうか、

真面目で、優しくて良い人間だ、{善人}だと思っている方が、

どちらかと言えば、駄目人間です。 

 

 自分について、自分がどうしようもない「悪人」だと自負して確認していれば、周囲の人達から<貴方は、馬鹿で愚かでつまらない人間>だと言われても、腹がたたないでしょう。自分は馬鹿だから、みんなに非難されて生きるしかないだろうと、自分の心に決め付けておくのですね。

私は善人ではないから、みんなから笑われて非難されて人生を生きることしか出来ない。

 

 自分が「善人」だと、本当に自分を<そのよう>に信じている人が一番に、怖いです。

他人から、ちょっと何かを言われれば、直ぐに腹を立てるし、怒るし、逆に、他人を非難するし、大変な見栄と虚栄心と自惚れが充満しており、優越感の塊になっていますね。

 

 地位や名誉や金銭欲の強い人達なども、案外と自分を「善人」だと思っています。

フリーター、ニート、はたまた、充分に社会適応していない人達なども、劣等感の裏で、こんな欲望など、優越感を得たいという心の葛藤を信じられない程に抱えています。

異性についても、然り、若い人達の欲望ですね、社会適応していないと、普通の男女の交際が出来ないので、この欲望についても{大変な拘り}を持って生きています。

 

 直接に長年月間にわたり、直接に自分で心理療法に関わって来た専門のプロの人達でないと、この事実を具体的には知る事が出来ません。

自称の専門家でも、頭の観念だけでなく、人の心がどのくらい見透かせるかを、体で理解しておかないと、あまり意味をなさないでしょう。

 

 人の心と体の活性化は、劣等感を持っている場合と、何も劣等感を持っていない場合では全くと違います。

自分がたいした人間ではないと体で体得すれば、自分が幸せになります。

そこまで、自分の心を体得していれば、幸せを感じながら、仕事にせよ、役割意識にせよ、自分が関わっている事柄に対して大変なエネルギ―を使用できる筈です。

 

 劣等感は<人の努力のために>大事ではないかと、よく質問を受けます。

劣等感があるから、人は活力も出て来るのではないかと・・・劣等感を持ちながらの活力で出世や名誉や金銭をためても、案外と<心の中>は空虚なものです・・・。

 当方から見れば、どうしても、そんな人達と接していると、何処かに{会話}とか{眼の表情}とか{顔の表情}とか、細かく見つめていると{後姿}さえ、寂しく、また歪にも見えるものです。

その人の周りに居る人達は、どうしても違和感を抱きます。