自称、自分は正常人と思っている人でも、何処かに心の葛藤や劣等感などを
少なからず抱えているものです。
善人でない人が、善人と思いたいし、真に、悪人が善人と思われたいのです。
とにかく、自分は{善人}だと、一般の人は思いたがります。
場合によっては、自分を卑下して生きている人でさえ、<貴方は、大した人間ではないよ、見栄と虚栄心と自尊心だけは、大量に抱えて>いますね、などと伝えると、
大変な怒りと拒絶反応が跳ね返って来ます。
本当に駄目人間でさえ、あなたは{愚かな人間}だと教えてあげると、凄まじい程の怒りと反発と拒絶が戻ってくるのです。
優越感と劣等感とは同じもとだと、思っても差し支えないようです。
劣等感を心の底に抱えているから、優越感を持ちたいのです。
人生を生きるのに、優越感も劣等感もどちらも持たない方が気楽ですね。
でも、そこまでの道のり、心の到着地点にまで到達した人でないと分からないでしょう。
だからこそ、その心の過程を体験して、自分の心を悟っておくべきなのです。
人間って、悪い事していても、自分では悪くない、愚かではない、など思います。
周囲の人から判断すれば、明らかに悪くて愚かな人間だと決め付けても、その心は
本人に届かないのです。
多くの人達は、自分は{善人}だと思って日常生活を送っています。
時には、自分について卑下しながら、善人とは思わなくても・・・つまらない人間と思っていますが・・・体で自分が駄目人間と認めないところが悲しいです。
体で、自分が駄目な人間だと認めたら、本当に当人の考え方は良い方へ変わります。
残念な事に愚かな人間だと頭では思いながら、体では体得しないのですから、人間の心の本性??? 悲しいですよ。
真実に自分が愚かで悪人だと、体得できた時に<逆に、{善人}へと>変わっていくのです。
本当の善人は、みんなから好かれるでしょうし、でも100人の人が居れば100人が
自分を褒めてくれる場合は無いでしょう。
50人位が褒めてくれれば、上出来過ぎる程です。
鎌倉時代のお住職さんで、親鸞さんですね。悪人が救われると言ったのは・・・・。
地獄も極楽も、この人間世界にあるのだと言っていたと思いますが・・・。
そう、人の心が、{極楽}の平安の世界にあるのか、{地獄}の針のムシロにあるのかです。
長期間にわたり心理療法に関わっていても、自分は真面目だと信じている人は、あまり大した{器}の人間でない事の方が確実に多いです。
私は、真面目ではない、どうしようもない人間だと、自分の力量と実力を知っている人は本当に立派な人であると、当方は<そんな人って、立派な人>だと感じます。
自分はそんなにも偉くて賢い人間だとは思わない事、これが理解できれば<人の精進>
につながるし、最大に人間の生き様にとって大事ですね。