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2007 年 12 月 のアーカイブ

<<人生>>「社会適応」(2)

2007 年 12 月 21 日 金曜日

 自分の生きる過程で、先刻、{人対人}、などと説明しましたが、

 もう一つは、{人対環境}の問題があります。

 

 この事についても、何度か掲載していますが、どんなに考えても、この二つだけですね。

究極的には、人生論、人生学、人生哲学、まで学習しておく方が良いのですが・・・。

でも、あまり難しい事柄を言っても大変ですから・・・・。

とにかく、人対環境と言えば、自分が此の世に誕生した時に、すでに、誰も皆が違った環境に投げ込まれているのです。

 

 父親は、どういう人だったのか・・・ですね。

例えば、何処に、どんな場所に住んでいるのか、街の騒音の中とか、田舎の静かな場所とか、自分が生まれた家の場所でさえ、誰もが違うんですね。

もっと、小さく見つめると、家の建物だって、誰も皆が同じ形の家に生まれる訳ではありません。同じような建物でも、色も違い場合もあります。

 まして、父親の身長、痩せ型&肥満型、お金持ち&貧乏、職業、地位、名誉、、優しい父親、厳しい父親、などなど・・・・・・・。

母親ついても、同じ事柄などが、考えられます。

祖父や祖母の心、人格などにても、全くと異なった影響を受けます。

 

 この事については、両親も人、祖父母も人、兄弟姉妹も人なのですが、この方達の居る場所に生まれたのか、どうかと言う意味で、環境の話をしています。

同じように、両親、祖父母、兄弟姉妹の人数が、同じ数でも、その人達の心・性格・人格などで、子供達に与える影響は、全然と違って来るのですからね。

両親の顔を知らない子供達、兄弟姉妹が居ない子供達も、そんな人達が居ない事そのものが心の葛藤として残るものです。

 

 もっとも、長い間、心理療法に関わった人達でないと、このような説明をしても、子供達の発達心理学については、充分に理解しがたいものでしょう。

人が赤ちゃんとして生まれて来てから、育つ過程で<私は、何も心の葛藤を持っていません>なんて言う人達が居たら、余程、不思議な人達か、心について全く理解できていない人でしょうね。

そんな人達が子供から大人になって、仕事を開始し始めると、必ずや、周囲には仕事をしている隣人が居ます。

生徒や学生さんやの生活でも、同じでしょう。常に、誰かが傍にいる筈ですよね。

 

 この項では、場所についてお話をしていますが、周囲に色々な人達が居る事や状況も、人はその場所に投げ込まれていると言う意味では、環境や状況と言う事になります。

誰しも人は、育つ過程においても、既に、幼い時から、心の形・性格・自己同一性・人格などが、形成されています。

 

 歪な心の原点、まあまあの心の形成、全てが生い立ちにあります。

<<人生>>「社会適応」(1)

2007 年 12 月 19 日 水曜日

 人間社会に、人は誕生して来ます。

 先祖があって、両親があって、赤ちゃんとして此の世に誕生して来ます。

 

 一般的には、人は、何らかの集団の中でしか生存できません。

例外があります。

一人で、山奥深くに住んでいる場合もありますが、本当に例外的ですよね。

仕方なく過ごしているのであって、これも、やがて、人間社会に戻りたい、戻れる可能性を心に抱いている場合であって、そんな感情や気持ちがないと、そんな場所では住めません。

 絶海孤島の島で住む場合も、同じですよね。

人間個人の一人が、この島でずっと住んで<終末>を迎えて{滅}していこうなんて、耐えられる人は、居ない筈です。

万一、そんな生き方ができると言う人が居れば、その方は<随分と、人としては変人・奇人>と言えるでしょう。

また、本当に、普通の一般世間の人達からは、違った人間です。

 

 人間って、凄く面白いものです。

人対人の心の関係で、心が苦手な人は、あの人が嫌い、この人が嫌い、などと言いながら、それでも、人間社会の中で閉じこもって生活をします。

こんな方達は、一度でも良いから、人里を離れて孤独で住んでみる事なのですね。

だが、女性の場合では、誰も居ない場所で、一人で住むなんて出来ません。

何時、誰が、知らない人が襲って来るかも知れませんから・・・。

人間に生まれて来た以上は、好きとか嫌いとか言わずに、人は人間社会に適応して生きる事しかありません。

 

 何度も、面白いって言いますが、私は現在の今は<何も悩みは無い>よ、と言って笑顔で生きている人達も、自分達の過去の心を散策してみますとね、意外な過去の事実に気づいて来ます。

そんな充分に社会適応している人達でさえも、無意識的にしろ、マイナスの気持ちが沈潜していますとね、何らかの形で自分の現在の心を圧迫しているものです。

 

 そして、しんどいのは、そんな場合では、どんなに今は悩みが無いと自己主張されても、自分の周囲の人達を、自分が知らないで傷つけている場合が多いです。

何故ならば、そんな人達は、自分の過去に積み残した心を補うために、現在の心が、{優越感}や{劣等感}を持ったりして、過ごしていますので、周囲に何らかの<災い>を起こしていても気づきません。

 他者から注意や助言をされて、今の自分の会話や行動や心に気づく人も居れば、助言されても、全く受け入れない人達も居ます。

<<心の世界>>「無情観」、「無常観」って・・・

2007 年 12 月 7 日 金曜日

 「「無情感」」・「「無情観」」って、「「無常観」」って・・・・???

 

 むじょうかんと言えば、一般庶民は「無情感」・「無情観」と言われますし、「無情観」と書かれる人達が多いです。

でも、仕方がありませんね。

普通の人達は、そこまで<心の世界の紐を解く>必要も無いのかも知れませんから・・。

ここまで体得するには、相当に<人生とは何か???>を考え込まないと、体得出来ませんから・・・人生の独特な修行も必要です。

 

 ところで、普通、悩み苦しむ場合では、自分の事を中心に考え込んでしまいます。

だから、余計に苦しみます。

人生を生きるのに、悩んで生きているのは、自分だけじゃあないんだ、他の人達も沢山の人が悩みながら生きているのだと、気づけば気持ちも幾分かは<楽>になるものですが、それでも、辛いものです。

やはり、金輪際、自分以外の他者に対して、不満や不平や恨みや怨念や呪いなどの感情の一欠けらも持たない方が、遥かに人生を生きて生き易いですね。

 

 沢山の人達に、出会います、私は{何も悩みは、持っていない}と自己主張されます。

だが、人間の心って、そんなに簡単ではありませんね。

とりあえず、現在の今、私は幸せだと感じていても、自分の過去には、必ずや、誰しも、心の満たされなかった{過去の心の積み残し}を積み重ねながら日常生活をしています。

無意識的に、「積み残された過去の心」が、「現在の自分の心を圧迫して」いますので、勿論、殆どの人達は気づきません。

 

 「積み残した過去の心」を、しっかりと掘り起こす、自分の過去を回想してみないと、理解できません。

何故、人は、自分の過去を回想するのか、それは、本当の自分の考え方を知るためですね。

私は、私の心を全部が理解できていると、自己主張される人が沢山と居られます。

しかし、自分の生い立ちの心を、自分の過去の暗闇に葬ったままでは、真実なる自分を生きるのは、困難です。

 

 人は、「会話」と「行動」、それを操る「心」があります。

どんなに考えても、この「3つ」しかありません。

自分の「会話」と「行動」を操る自分の「心」を知る事、格別に今の「心」は過去の心に裏打ちされていますので、自分の「過去の心」を知る事ですね。

自分の過去の心を知ると言っても、自分流の自己分析による<自分を知った>では駄目ですね。

客観的な自己分析による<自分の過去を知った>でないと、あまり有意義ではないですね。

 

 悩まないと言う事では、「「無常観」」が最高でしょうが、ここまでは、普通は無理でしょう。

 本当の<過去の自己を知る>で、良い筈です。

 

 自分の過去を充分に客観的に知るだけでも、今の自分の人生をより良く悩まずに生きられる筈です。

<<うつ病>>うつ病者の治療について(4)

2007 年 12 月 4 日 火曜日

何度も「客観的過去の自己分析」が大切だからと説明しても、うつ病者が拒否した場合では仕方がありません。

でも、もっと、厚労省なり、医療全体の中で、「客観的自己洞察法」が大切だと<声をあげてもらわない>と、いけませんね。

精神科医や心療内科医さえも、心の世界、とにかく、人間の心の{カラクリ}の世界を勉強しておいて欲しいですよ。

公務員の方達では、<うつ病者>も上司からの指示があれば、案外と「客観的自己洞察法」を受けてくれるのが、当方には印象的です。

但し、上司が勉強していないと、無理ですが・・・・・。

一般庶民にも、心の大切さを啓蒙すべきですね、うつ病者は「客観的過去の自己分析」が大切だ、と!!!

心の世界が一番に、大切ですよね。

企業によっては、うつ病者に対して、仕事の配置転換をする場合もあるが、彼等は一生を劣等感で生きる事になるし、「客観的過去の自己分析」を受けさせて駄目なら仕方がないかも知れません。

「心」が、全ての「会話」と、全ての「行動」を支配して、操作しています。

特別に、人間は、自分の<過去の心>を客観的に知っておく事が、大事ですね。

対人関係も環境適応も含めて、社会適応は、心の持ち方次第ではないでしょうか。

恨まない事、不平や不満など持たない事、ヤキモチや嫉妬など持たない事、などなどですが、人間って自分と向き合って自分の心の旅をしないと、自分の心は見えません。

また、頭で理解したと言う事と、体で物事を理解する事には、天と地の差があります。

 例えば、人間、<貴方も、そのうちに、死にますよ>と伝えれば、誰もが、そんな事は分かっていると、答えます。

だが、頭で分かっても、体では分かりません。

体で「死」が分かると言う事は、{{無常観}}でしょう。

でも、ここまでは、大学の精神科や心療内科の医師も、悟れません。

統合失調症でさえ、人格崩壊の前に「客観的過去の自己分析」は、必要と考えています。

 当方で、{躁うつ病者への客観的自己洞察法}を行って、社会適応している人もいます。

躁うつ病者に対しても、客観的過去の自己分析は必要ですね。

カウンセリングでは、とても無理だと考えます。

何故ならば、心の「回向」に至らない心理療法は、心の{再生}、心の{新生}は無理です。

 

まとめ:人生を悩まないで生きる、これは、<生い立ちの心>に関連しています。

今、あの事が有ったから、「うつ病」になったと言う人もいますが、医師も理解していないですよ。

「原因」と「切っ掛け」と、詳細に心の世界を学習していないと、区別が出来ないでしょう。

人の心の{反復強迫}と{PTSD}の世界、この心の「カラクリ」を理解しておくべきでしょうし、過去の「固着」を解消してあげる事ができれば、うつ病も治り、幸せになるはずです。

<<うつ病>>うつ病者の治療について(3)

2007 年 12 月 4 日 火曜日

そっとしてあげて、休養させておいて、うつ病者が自分で立ち治るまで、自立を待っていますと、逆に<幼児帰り>して、ドロップアウトして会社などから退職せざるを得ない場合も沢山とあります。

悲しい出来事ですね。

 人生について、学問的に詳細な知識を持たなくても、<悟れなくて>も、周囲の人達や自分の置かれた環境に対して<不満を持たなけれ>ば、いや、<恨みや不平や不満やヤキモチや嫉妬>など持たなければ、絶対に{うつ病者}にはならない筈ですね。

勿論、見栄や虚栄心を持ち過ぎても、{うつ病者}にはなるでしょう。

見栄や虚栄心が実現されないと・・自分の望む物事が得られず・・・落ち込みますね。

自分の実力と力量に従って生きる事なのですが、心の世界については、医師が無頓着であり過ぎるのではないでしょうか、大学の先生方を含めてですね。

 以前に、私の心理療法室に、国立大学の精神科の教授が訪問された事がありますが、カウンセリングでは、自己の潜在意識や無意識の世界を上手に拾い上げて<過去の再解釈・過去の意味づけの受け取りなおし>が困難だと言う事は、一致していました。

7泊8日の宿泊での心理療法では、カウンセリングの1年間の<心の量>をこなせるのだと話した事も一致していました。

 「客観的過去の自己分析」を受けてもらわないと、うつ病者の人生も悪い方へ傾きますし(人格の改造なきまま、生きるので・・)、当人にとっても<人生の損失>は大変なものですよ。

また、人間って悩んだ時、うつ病になった時もそうですが、もっと心の大きな「器」の人間になれるチャンスがあるものですね。

但し、そっとして休養させてあげただけでは、駄目で、心理療法「客観的自己洞察法」を受けさせて、己の自分の「器」を確認させてあげておかないと、ですね!! 

良い方への人格改造が重要ですね。

また、当人が自立するのを待っているだけでは、最後まで自立できずに、ドロップアウトして退職や自殺にまで至るケ―スは、沢山あります。

 結論としては、悩まない人間になる事、そのためには、無意識・潜在意識・顕在意識、深層心理と表層心理、本音と建前、この考え方が揃った時には、海馬の中の<過去の記憶も渦巻いて座している>事は無い筈です。

大脳内の生理学的化学的物質の変化が先か、思考体系の崩壊が先か、どちらが先かの問題ですよ。

 日頃から、人生を生きるのに、悩まず生きられれば最高ですが・・・。

逆に、悩まない人にしてあげる事、そのもので、大脳内の神経内分泌ホルモン免疫のバランスも良好に変化して行きます。

悩まない人は、大脳内のホルモンや神経内分泌や免疫などのバランスは壊れないですよ。

などなどの使い分けが出来る事なのですが、一般的には、うつ病者には、こんな言葉も伝わりません。