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2007 年 10 月 1 日 のアーカイブ

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(4)

2007 年 10 月 1 日 月曜日

 今日は、人の犯罪について少し話をしますが、

 全てが、「会話・行動・心」と関係します。

 

 マスコミでは、裁判所で、或いは、検察庁で、或いは、裁判所で、よくある話なのですが・・。

犯罪時に、この人は、<善悪の判断能力>を持っているのか、いないのかとい言う{争点}があります。

 この事については、日頃は、<善悪の判断>を出来ていた人でも、心の葛藤が蓄積すれば、その<善悪の判断を出来ない状態>になるものです。

その人の、人格水準とも言いますが、一般的には、誕生から~現在に至るまでの、過去の生い立ちの中に、全ての{答え}は有るものです。

 堪忍袋の<尾が切れると、或いは、結んだ紐が切れる>と、パニック状態となります。

パニックの状態で、誰も<善悪の判断は出来ず>に、何をしでかすか分かりません。

 登校拒否、引きこもり、出勤拒否、アルコール依存不順異性交遊、万引き、詐欺、窃盗、殺人などにしても、皆が、善悪の判断を出来なくなってするのです。

彼等は、ある意味では、慢性のパニック状態が続いている、と言っても良いです。

 善悪、これは善、これは悪、などの判断が出来る人は、絶対に、<自分にとってマイナス>になる事柄はしません。善と悪の判断が出来る人は、これ以上は、駄目だと判断できます。

即ち、前後の見境もつかない状況、そんな心理状態におかれるので、<してはいけない>と平常人が思う事を、彼等は犯してしまいます。

 

 そんな心のパニック状態になるのは、どうしてか、でしょう。

犯罪を行う皆が、罪の意識、自分の悪の意識さえ持っていれば、余分な行動、余分な会話、犯罪なども出来ません。

 自分は悪い人間だと、体で自覚できれば、一歩を踏み外せない。

自分がこれをしたら、<後が大変>だと理解できる人は、本当に大きな罪悪な行為は出来ません。

 色々様々な逸脱行動、逸脱会話にしても、犯罪にしても、自分の眼前の判断を上手に出来ないだけです。

出来ないのは、自我の形成の問題であり、人格水準の問題でもあります。

自我形成の脆弱な人達は、眼前の人達や環境&状況に、<自分の心が振り回されて>不安定ですね。

 {過去の心}が、{現在の心}を作るし、現在の心が{未来を見る心}を創造します。

 未来に向かって生きて行く自信が無くなった時に、心は限りなく不安定となり、規則や条例や法律までを超えて、駄目な事柄までやってしまいます。

 過去から現在にかけての無意識的の、恨みの感情や、不平や不満の感情が自分の現在の気持ちや心を、下から押し上げて、自分の心を苦しくしています。

 犯罪を犯しても、所謂、悪い事柄を行っても、罪悪感がありませんので、犯罪時には

<善悪の判断>を、誰も持っていないと言えます。

 だが、犯罪者の心を・人格の形成を正確に判断をして、裁判がなされているのであろうか??? 

 可笑しいですね。