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2007 年 9 月 12 日 のアーカイブ

<<人生>>宿命運命天命使命 「使命3」

2007 年 9 月 12 日 水曜日

 少し哲学的思考、いや、人間学的思考ですが、人間の命って{何}なのでしょう。

確かに、両親の合体、因縁によって、人は此の世に生まれて来ます。

ですが、その両親も、また何か目に見えない{もの}の因縁によって、そして偶然も重なっている事でしょう。

 

 人間の生命について、しっかりと熟慮しておいた方が<自分の人生を生きる>のに気楽に感じます。

 何故ならば、大きな{器}の中で、自分は小さく、<生命>を生かされて生きているのが、理解できる筈だからです。

<私は偉大な人>、<器は大きくて>、<立派な人>、<有名で名誉もある>、<誰からも負けない>、<見栄も自信も持ち合わせている>、<賢くて偉い人>、などと自負している人は、とても歪な人ですね。

 

 地球上、いや、人間社会で生きることは、自分一人で生きるのではありません。

沢山の人達や、動物や植物や、また、命の無い物や事などからも、自分の周囲から<命>を生かされています。

自分の周囲だと言っても、自分から遠く離れた、眼に届かない所に存在している<全て>から、生かされています。

 自分の人生を自分の努力、自分の意思で<自惚れて>生きるのであっては、どうしようもない<人>として、人生を過ごす事になるでしょう。

そこには、「使命感」を感じる能力は、全く、ありませんからね。

 

 「使命感」を持った事の無い人は、「使命感」を理解するのが難しいでしょうが、少しでも理解できる{人}になって欲しいですね。

 立派な「使命感」さえ持っていれば、自分の目前に沢山の<逆境が押し寄せて>来ても、心の崩壊は起こらないでしょう。

「使命感」さえ有れば、人間個人の意識は<させられ体験>でもあり、<脇役>でもあり、<無我の境地>にも近づける筈です。

「宿命」と「運命」を背負える人達は、何らかの「使命感」に近いものについては納得できるでしょうが・・・。

 

 「使命感」は、人が人生を生きるには、本当に重要です。

 

ある意味では、「天命」にまで近い程の「使命感」を持っている人もいるでしょう。

自分の人生、人間社会を生きるには、学問だけでは決して楽しい人生を生きられないでしょうし、お金や名誉や地位など、はたまた、異性だけで、自分の心を癒して生きられるかですね。

人生の目的、誕生から~終末《滅》までを、如何に幸せに生きるかが、大切です。

 

 要するに、人間個人が幸せだと感じる能力が有るか、無いか、これだけでしょう。

 

でも、人は一人で世の中を生きるのではありませんから、人対人、人対環境の適応が、最重要条件となる筈、「使命感」があれば大丈夫でしょう。