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2007 年 9 月 のアーカイブ

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(3)

2007 年 9 月 27 日 木曜日

 心の話をしていますが、視野を変えて、見詰めてみます。

 悩まない人になるためにですね。

 

 そこで、人は一体に、どんな心を持っているかなのです。如何なる心を持って、人生の一生を終わるのか、知っておれば良いのですが・・・・・。

最初に、自分の心を充分に知っていないと、自分以外の他者、他人の心が見えません。

心の学習、たんなる勉強では駄目ですね、心の底から人生って{何}などと、考えて勉強しないと駄目なのです。

 

 人は、俗に、{本音}と{建前}と言う言葉が有りますね。

多分に、皆様は、このような言葉は聞いたことが有ると思います。

でも、言葉を聞いていても、実際に、その意味が理解できていないと役立ちません。

 謙虚になって、ふと、立ち止まって、自分の心を見詰めると、沢山の自分が気づいていなかった心が見えて来ます。自分の心を自己探求する方向性が、大事ですが・・・・・。

けれどもですね、本当の自分、自己とは、自分の存在とは、などなどの心を、どの方向から眺めるかなのです。

 自分の心を充分に沢山と知っていると言っても、自分流に勝手に理解できていると自己主張しても、それは駄目なのです。

なぜならですね、人には、人の性格というか、厳密には人格と言った方が良いのですが、その人格は、会話や行動にしろ、全てが、心が土台になっているからです。

即ち、人は、心が会話や行動を動かしているので、人間にとって、一番に大切なものは、「心」なのです。

心が丈夫でしっかり、自分の心を操縦できれば、人間社会を気楽に生きていけるのです。

 

 心の学習が、物凄く大切です。

自立した人間として此の世を生きるには・・・です。

単なる{心理学}を勉強しただけでは、人間世界を上手に生きるのは、無理なのです。

 何が、大切かですが、人は、人間社会を生きるには、家族の中でも、学校の中でも、職場においても、常に誰かと<顔を見ながら>生きることしか有りません。

数日間など、孤独で研究などする事もあるが、やがて人と会えると期待感もあります・・・・・。

 自分以外の人に対して、上手に付き合いを出来ること、自分の投げ込まれた状況や環境に上手に対応&適応できること、それで充分です。

 でも、本当に気楽に生きるには、自分の眼前の人達の皆が、性格というか人格というか心が違うので、皆に対応できる自分が必要です。何事が起こっても、立腹しない事です。

そのためには、自分の心の{器}が大きくないと、直ぐに壊れてしまいます。

 大きな人間、誰とでも生身の付き合いが出来る人に・・、また付き合えなくて苦悩を感じるのであれば、そんな自分に納得すること、{納得}するところから、心の平安を得るし、納得できれば<そこから、這い上がる努力を必要>と感じる筈です・・・・。

 

 本当の自分、自己に納得し認めることです。恥ずかしい、劣っている、駄目人間と認めれば、努力せざるを得ないです。

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(2)

2007 年 9 月 26 日 水曜日

 この講演では、悩まない人になるためのお話をしますので、その気持ちで耳を傾けて

 下さいませ。

 

 人が、人生を生きる上で、悩んだり苦しんだり、不安神経症、心身症、うつ病、などにしても、その理由が有るものです。

また、異常会話、引きこもり、登校拒否、校内暴力、非行、薬物依存、アルコール依存、出勤拒否、などにしても、自分の気づいていない心が有るものです。

 その気づいていない心が、今の現在の自分の心を引張るので、或いは、自分の心を圧迫すると言った方が良いのです。自然に自分の心が、動かされると言っても良いでしょう。

 

 人生で、一番に大切な事は、人対人、人対環境の問題でしょう。

私というか、自分が、どんな人に対しても、相手の心に対応できるかどうかであり、或いは、自分が眼前の状況や環境に適応出来るかどうかです。

あの人が嫌いとか、こういう環境では嫌いだとか、言い始めると、何もかもが嫌になってしまいます。

 人生を生きるのに、皆さんがですね、自分の好みの{もの}や{人}を求めて生きるのですが、人生を生きていて、自分にとって都合の良いものばかりが自分の手に入るものではありません。

 

 人は、誰しも皆が、それなりの<欲望>を抱えて人生を送っているので、とかくその<欲望>が衝突する場合も多く有ります。

人の心も、皆が同じ考え方をしている訳ではありませんね。

生い立ちも、皆が違いますし、誰もが性格というか人格というか{心}が違っています。

だから、人として人間社会で生活する以上は、皆が皆の心を持っていますし、自分と全てが、同じ心を持っているものではありません。

 

 社会で生きるには、子供達も、幼稚園で、学校で、側には沢山の人達、更に、先生達、或いは、隣近所の人達との関係もありますが、矢張り、人間同士の接触があります。

 心を合わせる、合わせるのが嫌いかどうか、ですね。

心と体の心身相関がありますので、マイナスの心が多いと、自分の体のバランスも壊れます。自分の心を、自分の心で壊している場合が、沢山とあります。

 でも、人は、心の勉強が足りていません。いや、日本の医療の世界で、お医者さんも含めて、人の心についての、学習が足りていないと、今、お話しているのです。

私は、そのように感じています。

 

 医療の世界では、医学生の時から、格別に{人の心理学}が大切です。

どうすれば、人は<悩みの心>から解放されるのか、などの学習はありません。

 当方で、何時も思うのですが、人の悩み苦しみを<どうすれば>治してあげられるかどうかを、医師は、少なくとも精神科医や診療内科医は知っておくべきなのですが・・・

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(1)

2007 年 9 月 20 日 木曜日

 人は、常に、誰かと一緒に人生を共にして生活しています。

 一人では、人生を生きる事はできません。

 淋しくて孤独感で、悩むことになります。

生きているものでも、人以外の動物や植物は、春、夏、秋、冬、或いは季節感の無い所でも、時折によっては、単独で生活する場合もあります。

単独に生活すると言っても、遺伝子に組み込まれた生活習慣や生活習性や、或いは、自然の天変地異の嵐に、さらされて余儀なく単独生活になる場合もありますが・・・・・。

 

 人間というか人は、本当に孤独感に弱い生き物でもあります。

どうしても、家族という集団=母、父、兄弟姉妹などなど、学校での集団=生徒や学生、先生などなど、会社&研究室での集団生活などなど、人は集団生活を余儀なくされます。

 其処には、人対人、所謂、自分と他人とのコミュニケーションが、いやおうなく必要なのですね。家族で社会で、ということになります。

社会で生きて、幾らかの金銭なりを得るために、職業というか、職場での適応能力が必要です。

 そう、人として生きるには・・・ですね。

 

 私達、人間については、誕生してからが人間なのか、誕生する前から人間なのか、どの段階で{人}と呼ぶかでしょう。

例えば、此の世に生まれ出て来る前から、{人}と呼ぶならば、これについては、人の住む地球上での各地の文明や文化や科学や宗教など、そんな分野からの意見が違って判断されるので、なかなか難しい問題でもあります。

 特に、産科学の科学と技術の発展は、人工的な操作が進歩して素晴らしい事ですが・・・。

一方で、人間世界では、良い事が出来れば、片方で悪い事なども生じるみたいです。

産科学の発展で、世界中の一部の国では、男女の産み分けも考えられてはいるようです。

また、本来なら、此の世に誕生する予定だった人が、遺伝子診断などで、四肢五体満足であるかどうか・・・・・・、

 色々な事が分かるようになってから、人は、また、余分な選択枝を決めなければならなくなったのです。赤ちゃんを誕生させるか、どうか、などです。

余分に、考える事柄が多くなっています。

人の誕生までに、胎児に多種の災難もあります。

人工受精が、幸福をもたらすが、仮に、赤ちゃんの誕生を得られなかった時に、その分だけ金銭と悩み続ける時間が必要となる訳ですね。

 人は、誕生した時から、思考や行動(会話は出来ないにしても)が有ると思われます.

ですが、実際には、母親の胎内にいる時から、母親の呼吸や心音や心臓の拍動数などにも影響を受けるでしょう。

悩みや苦しみ、病気などに熟慮したりと、人の誕生から思慮が必要です。

<胎教>などと、言われますが、ある程度は否定できない事実でしょう。

 

 今日は、第1回、「心・会話・行動」で話しましたが、とりあえず、人の原点というか誕生前からの話を最初にしておきました。

 「人の心」は、大事なものです。

 悩まない人になるために、勉強の番組を開始します。

<<人生>>宿命運命天命使命 「使命3」

2007 年 9 月 12 日 水曜日

 少し哲学的思考、いや、人間学的思考ですが、人間の命って{何}なのでしょう。

確かに、両親の合体、因縁によって、人は此の世に生まれて来ます。

ですが、その両親も、また何か目に見えない{もの}の因縁によって、そして偶然も重なっている事でしょう。

 

 人間の生命について、しっかりと熟慮しておいた方が<自分の人生を生きる>のに気楽に感じます。

 何故ならば、大きな{器}の中で、自分は小さく、<生命>を生かされて生きているのが、理解できる筈だからです。

<私は偉大な人>、<器は大きくて>、<立派な人>、<有名で名誉もある>、<誰からも負けない>、<見栄も自信も持ち合わせている>、<賢くて偉い人>、などと自負している人は、とても歪な人ですね。

 

 地球上、いや、人間社会で生きることは、自分一人で生きるのではありません。

沢山の人達や、動物や植物や、また、命の無い物や事などからも、自分の周囲から<命>を生かされています。

自分の周囲だと言っても、自分から遠く離れた、眼に届かない所に存在している<全て>から、生かされています。

 自分の人生を自分の努力、自分の意思で<自惚れて>生きるのであっては、どうしようもない<人>として、人生を過ごす事になるでしょう。

そこには、「使命感」を感じる能力は、全く、ありませんからね。

 

 「使命感」を持った事の無い人は、「使命感」を理解するのが難しいでしょうが、少しでも理解できる{人}になって欲しいですね。

 立派な「使命感」さえ持っていれば、自分の目前に沢山の<逆境が押し寄せて>来ても、心の崩壊は起こらないでしょう。

「使命感」さえ有れば、人間個人の意識は<させられ体験>でもあり、<脇役>でもあり、<無我の境地>にも近づける筈です。

「宿命」と「運命」を背負える人達は、何らかの「使命感」に近いものについては納得できるでしょうが・・・。

 

 「使命感」は、人が人生を生きるには、本当に重要です。

 

ある意味では、「天命」にまで近い程の「使命感」を持っている人もいるでしょう。

自分の人生、人間社会を生きるには、学問だけでは決して楽しい人生を生きられないでしょうし、お金や名誉や地位など、はたまた、異性だけで、自分の心を癒して生きられるかですね。

人生の目的、誕生から~終末《滅》までを、如何に幸せに生きるかが、大切です。

 

 要するに、人間個人が幸せだと感じる能力が有るか、無いか、これだけでしょう。

 

でも、人は一人で世の中を生きるのではありませんから、人対人、人対環境の適応が、最重要条件となる筈、「使命感」があれば大丈夫でしょう。

<<人生>>宿命運命天命使命 「使命2」

2007 年 9 月 11 日 火曜日

 勉強にせよ、仕事にせよ、芸術にせよ、人は誰もが、時には<精力的>に、心身を動かさなければならない時が、あります。

 

 ある宗教では、人が<逆境に陥った>時には、神の与えた<試練>だとも言います。

人生を生きるのには、100人が100人とも、考え方は違います。

1000人が1000人とも、違う、なんて言う人達も居ますが、これが現実ですね。

だが、地球上で人間が自分の人生を生きるのに、ある一定の思考体系が重要になります。

人間の個人の考え方は、どんな考え方をしても構いません。

但し、人間世界には、沢山の法律とか色々様々な掟が有ります。

分かり易く言うならば、ル―ルというか規則ですね。

道徳も大事でしょうが、道徳などは、格別に時代の流れや環境で<変化>します。

勿論、法律も、時代の流れで<変わり>ます。

 

 多くの人達は、人間世界を生きるのに、自分を中心的に、外観的な生き方をしますね。

自分の眼で{目前を眺め}て、好きだとか嫌いだとか差別して分別して生きる訳です。

唯、唯、唯、自分の考え方と意志だけなのです。

自分の考え方だけで、人生を生きて欲しくありませんね。

親から頂いた{生命}ですよね。

親から命を貰っただけでなく、{神秘}とか{畏敬}とか{畏怖}とか、{宇宙}からも、人は{生命}を貰っています。

 

 宇宙の中の、一粒の命なのです、宗教に信心のある人達は、自分達が属している{神}や{仏}から、生命を頂いているとも言います。

考え方によっては、自分の生命は、自分の生命ではありません。

何となく、不思議な場所から、この地上に現れた、一時の借り物でもあります。

地上に生命を頂いた、唯、それだけですが、頂いた生命を燃やすには、「使命感」ですね。

 

 両親からにしても、私の意志でこの地上に現れたのではありません。

誰から、どんな形で、どんな物から、この自分の{生命}を頂いたのでしょう。

人間社会では{不平等}ばかりが実在していますが、「使命感」があれば、大丈夫です。

その事について、{不平等}を無くそうなんて考える事は良いのですが、現実には個人の意志は<思うがままに、ならない>のです。

 

 人間は、{欠乏欲}の塊と言うくらいで、<我欲>の塊になっています。

人間同士が、よく地上で、何事につけても衝突するのですから、人は強固な<バイタリティ―>が必要で、[使命感]を持っていた方が遥かにエネルギッシュとなります。

あれが欲しい、これが欲しい、と欲望を求めても、何も自分の思い通りにはなりません。

自分の非力を、知る事ですね。

そして、その{非力}を認めるのです。

どんな状態に置かれても、「使命感」だけ!! 

誰の??誰でも良い??何か??何でも良い??

でも、視野を、心の{器}を大きくしておく事です。

 

 自分の尊敬対象、崇めている物や事からの「使命感」を持つ事が大事です。