Deprecated: 関数 _c は、バージョン 2.9.0 から非推奨になりました ! 代わりに _x() を使用してください。 in /home/celestiale3/amita.ne.jp/public_html/blog/wp-includes/functions.php on line 6078
2007 年 8 月 のアーカイブ

<<人生>>宿命運命天命使命 「天命2」

2007 年 8 月 31 日 金曜日

  ①、天の命令として解釈して説明しておきましょう。

 

 「宿命」とか「運命」とかに、少しながら<重なって来る>のは当然でありましょう。

「天命」と言えば、むしろ「宿命」とか「運命」を遥かに超えた<力>となる可能性を持っていると、当方では思います。

 そう、天から<命令されて動く>のだから、心の葛藤なんて有りませんよ!!!

人から<命令>されて、自分が動くのであれば、自分は<その人のパセリ役>でしかありませんね。

人間って、自分が主役と考えている人達が多いので、人は誕生して以来が全てパセリ役で生きる事になっていると説明しても、理解できない人達が殆どです。

 

 世間では、格別に、キリスト教とか格別な宗教では・・、その他の宗教観と言った方が早いかもしれません。

個人に何か、不幸とか、マイナスの出来事が降りかかって悩み苦しむ時は、そのマイナスの出来事が、その人にとっての{試練}だと言います。

そうであるから、悩まないで{試練}に耐えて生きる事を伝えています。

格別に、キリスト教では<そう表現している>ようですね。

だが、こんな考え方は、どんな宗教でも<教えられて>いるようです。

 宗教の最上階は{宗祖}が居ますが、宗祖の上に未だ人間には見えない「畏怖と畏敬」の念が存在しているようです。これが、神様であり、仏だと言ってもよいでしょう。

この見えない「何」かを、「天」と言い変えても良いのではないでしょうか。

 

 人間の心理って、面白いものです。

眼に見えるものよりも、眼に見えないもの、こちらの方が案外と都合が良い場合が沢山とあります。

眼に見えるものは、自分の判断で良いとか悪いとか決め込んでしまいます。

 ですが、眼に見えないもの、こちらは、人間が自分の眼で確かめるのは難しいです。

{眼に見えないもの}に、畏怖と畏敬の念を持って<使命感>を背負いながら生きると、それなりに人生は気楽にはなるでしょうが、{そういうもの}を自分で信じられるかでしょう。

運が悪くて、解釈を間違えると<変な道へ迷い込む>可能性も沢山とあるでしょう。

 

 一般の大衆は、何となく一層懸命に生きている積もりでしょうが、視野が小さいので大変でもありますね。

人生とは、何か??なんて考える人達の少ない事、甚だしい様です。

沢山と心の葛藤を抱えていても、私には<何も悩みは無い>と自己主張する。

「天命」だと教えても伝えても、大衆は一向に{その言葉}に耳を傾けないのだから、人間って不思議な生き物です。

{万物の霊長}なんて、とんでもないと当方は考えさせられています。

 

 人生を、何のために生きるか? 誰のために生きるか?です。

<<人生>>宿命運命天命使命 「天命1」

2007 年 8 月 30 日 木曜日

 読んで<字>の如くです。

天の{命令}だと、言えます。

②.自然に身に備わった「運命」、とも言えます。

③.天から与えられた寿命、とも言えます。

 色々な考え方が、有ると考えます。

ですが、基本的には、上記の三つしかないのでは・・と思っています。

しかし、人間ってそれぞれに執着心があるので、自分はそう考えないという人もいるかもしれません。

 

 次の考え方を持っておられる方も結構いるようです。

それが、良いとか悪いとか、など申し上げる積もりは全く無いのですが・・・。

 その一つを書いておきます。

個人的に、俗世間に執着しながら、「宿命」・「運命」・「使命感」などは何とも考えずに、名誉や地位や権力を利用して来て、<自分の力で周囲を動かして生きて来た>積もりですが・・、やがては年齢を重ねて、眼前に自分の終末が来る事に、全く気づきません。

 ふと、我に返って、自分の歩いて来た過去の軌跡を辿って行き、自分の過去の歩いて来た道を{大満足}だと感じます。

有る意味では、自分の思った通り、自分の執着した通りに、人生の終点まで生きて来た人の中には、<これが自分の「宿命」だ、「運命」だ、「天命」だ>と言う方達も居ます。

 

 「功なり、名を遂げて死す」は、{{天の道}}と言った人が居ます。

この方は、あまりにも有名な人ですが、自分の計画通りに、自分の人生、自分の「運命」を執着しながら、創造して来た積もりだったに違いありません。

 この人にとっては、我欲の塊どおりになって生きて来られた人生に<私の人生は幸せ>だったと、自己満足していますよね。

突き詰めて考えれば、{{②}}に近いとも言えます。

 

 さて、人間社会では沢山の人達が、自分の心の底に{心の葛藤}を蓄積して溜めながらも、自分のストレスに気づかず、又、自分の<我欲だけで世間を生きて>いるのですが、気づきません。

 人生の価値とは何??生き甲斐とは??死に甲斐とは??自分とは何??など、常日頃から、「人生とは{何}ぞや」、と考えておくことですね。

そうでないと、自分の人生の{終末}が眼前に、迫った時に、「天命」なんて、気づけば良いのですが、普通では<嘆き悲しんで>、自分の生命を終わって消えて行くでしょう。

 

 また、平常、死んで行く人の悲しみを伝えている場合が多いですが、本当のところは、残された人の心にも<嘆き>と<悲しみ>などは、頭の中にこびり付いて、暫くは悩み・苦しみ・淋しいでしょう。

寂しい「天命」となります?? 

宿命、運命と重なってきますね。

<<人生>>宿命運命天命使命 「運命3」

2007 年 8 月 28 日 火曜日

 「運命」とは、本来的には、此の世へ誕生後に自分で生きて行く過程で、自分の生きる道は、自分で切り開く、つまり意志とか努力とかで自分の道や自分の命を左右して行く生き方。これを、「運命」と言って良いでしょう。

 

 悲しいとか、苦しいとか、悩むとか、淋しさとか、孤独とか、苛立ち、やきもち、嫉妬、妬み、立腹、不平、不満、怒り、恨み、怨念、呪い、などなど、こんな心を持つ事によって自分が悲しく、情けなくなるものです。

ですから、自分の人生を惨めに生きるか、どうかについては、人間個人の生き方、心の持ち方、感じ方、幸せを感じる能力の問題に、関わって来るものです。

 

 心の{器}、性格の{器}、人格の{器}、18歳までは{自己同一性}とも言われているが、一体に皆さんの{心の形}は、目には見えないけれど、明確に確認して欲しいものです。

 

 人間は誰も、目前に{一定の同じ物}を見ても、見える物を<楽しい>と感じる人もいますし、同じ物を見ても<悲しい>とか<悲しくない>とか感じる人もいますが、この事実が、問題なのです。

 同じ物を見ても、見る人、受け手の、その時の状況ですね、それも絡んできます。

お金持ちの人達は、他人がお金を見せびらかしても、何も<悔しさ>などは感じません。

男性にしても、女性にしても、自分の傍に、美しい女性とか、格好良い男性とかを見たりすると、何らかの<負い目>を感じるでしょう。

 自分は、何故に<そうでなかった>のか。

大好きな恋人と一緒に楽しんでいる人達を、恋人も持たず恋をした体験も無い人が見たら、<惨めさや、無念さや、恨み>などを、相手に対して感じるでしょう。

目前に、互いに仲良く恋愛をしている人を見れば、間違いなく、前述の通りだと確信できます。

 しかし、例外も有るでしょう。

自分が男性を女性を意識する能力を持たない(こんな人は、多分に居ない筈であるが!!!)人であれば、<やきもち、嫉妬など>を感じないでしょう。

でも、所謂、普通の人間からは、懸け離れた人と、考えても差し障りないですよね。

 

 人間世界には、{平等}は有り得ないですしね。

だが、不思議な事に、人間は常に{平等}の意識を求めているものです。

人間は、生まれた時から、全てが平等の出発点になっていませんし、「宿命」でしょう。

お金持ちの親の元に生まれれば、何かをするにつけても、一応、子供もお金持ちです。

 出発点で、お金が有るか無いか、この「宿命」に腹立つようであれば、自分の「運命」の運び方が上手ではありません。

食欲・性欲・睡眠欲・金銭欲・名誉欲、などなど、諸々が満たされていれば、{幸せ}かと、問われれば、関係ありませんよね・・・。

感じる人の心の{器}の問題です。

 

 人は誰も、自分の生き様に、鍛錬が必要で、自分が<不幸せ>と思えば、努力で自分を変える事、自分の道を{運命}を創造するべきです。

<<人生>>宿命運命天命使命 「運命2」

2007 年 8 月 25 日 土曜日

 人間は、ともすれば、自分の生きる人生の途上で、大きな壁に衝突した時に、自分の不幸を嘆きます。

それだけなら、良いのですが、必ず、誰かを恨んだり、不満を持ったり、心の葛藤を抱えて<身動き>取れなくなる場合も出てきます。

 

 人間は、此の世で生きる限り、何かの物事をしながら、何がしかの{糧}を得ていかなければ生存できません。

乳児~幼児~学童~生徒~学生~など、幼い時から親に養われる時期が誰にもあります。

幼い期間は、働くと言うより、自分に与えられた事柄を学校などでも、一応のこと勉強しなければなりません。

素直になって、学校に行って何事も事件など起こさないのが、一番に良いですね。

学校に行く人達が、{登校拒否}とか{拒食&過食}とか{非行}とか{いじめ}・・{暴行}・・{シカト}・・{シンナ―}・・{各種心身症}・・{各種神経症}・・{うつ病}・・{引きこもり} ・ ・ {ニートとか、などなどにならないで、平常心で通学できるのが最高でしょう。

 ですが、人間って<真に弱い>もので、一旦、心が病むと這い上がるのに大変です。

最後は、自分が何を考えて生きているのかさえ、理解できない状態になってしまいます。

学校に行くべき若い人達が、極度の{葛藤に苛まれる}と何か重大事件を起こしかねないのです。

 

 人は、自分の進む人生で{迷いの道}に踏み込んだら、{迷いの道}から脱出しなければならないですね。

{人生とは、何か?}、{自分とは一体に、どんな人間か?}、{自己とは?}などなどをですね、自分と自分の生涯と人生とを悟らなければ、真実の道を前進できません。

ですが、{迷いの道}から自分で悟りを開いて、脱出するのは本当に難しいですね。

 

 皆さんには、少し難しいかも知れませんが、「宿命」と「運命」を理解して納得できれば、それだけで、悩み苦しみ迷いは消えて行きます。

口で言うは易いですが、現実には<すぐ簡単に解決>できるものではありません。

自分で、自分の生きる道を開拓して、生きること、これが「運命」を切り開くことでもあります。

ですが、自分で{心の扉}を開くなんて、本当に難しいです。

 

 親から受けた全ての「宿命」を受け止められれば、立派で、悩み苦しみは、消え去るものです。

でも、親からの「宿命」を、簡単に自分が担いで生きられるかと、問われれば、困難だと言わざるを得ません。

親って、なかなか、子供の言う事柄を聞いてくれないのが<普通>ですね。

親は、何時までも、考え方や生き方においても、自分が一番、子供に対しては{正しい}と思っています。

 

 子供達は、如何に<生きる>か、これが最大の問題です。

 

 子供達が自分の命を悟り工夫して生きるのが「運命」ですね。

<<人生>>宿命運命天命使命 「運命1」

2007 年 8 月 23 日 木曜日

 親から、この地上に生命を頂くのも、考えようによっては不思議な出来事です。

昨今は、医学の進歩(正常な進歩? 異常な進歩?)でしょうか??

医学の立場からみれば正常な進歩だと主張するでしょう。

しかし、宗教的視野とか倫理学的視野から見れば、疑問を持ち出す人達もいるでしょう。

とにかく、人の誕生には、色々な誕生が有るという事です。

 

 遺伝子のうち、精子が違っていたり、卵子が違っていたり、本当の親に育てられていると思っていたら、違っていた、と言う事実もあります。「宿命」にもなりますが・・・。

色々な誕生、これは全てが「宿命」ですが・・・・・。

誕生後に、格別に親の考え方が、全く変化しなければ、或いは、誕生した子供に、親が無理強いをすれば、それは「宿命」です。

 

 誕生した子供に対して、親が一生懸命に育児について考えて、親の心が変化すれば子供は親の「運命」を受ける事にもなる。

親が、自分の「運命」を運んでいる。

 親の「運命」が、子供にとって、特別に「宿命」とならざるを得ない場合もありますね。そう、親が自分の「運命」を上手に運べない場合です。

恐いですよ、親の生き方って!!!

 

 要するに、自分の子供達から好かれる親にならなければいけません。

だが、乳児~幼少時~学童~~~、などと、子供時代から、子供が親の望むように生きると、その後になって、子供達は、自分の心・性格・人格を崩壊させて行きます。

 親が子供達に<精神的成長>を望むとすれば、型にはまった躾だけをしていたら大丈夫と言うものはありません。

子供達は、成長段階で、適度に<アメとムチ>を必要としますが、この加減は随分と大変でありましょう。

 

 親は、日常生活の中で、しっかりと子供達との会話や行動や心の観察が必要ですね。

子供達を監視する訳ではありません。子供達を監視して育てようとしたら大変でしょう。

そんな親の態度を、子供達が知ると、子供達は何時も不安の状態で成長するからです。

 いずれにしても、子供達に対して、完全無欠な親は世界中を探しても居ない筈ですね。

その事を、子供達も、ある程度まで成長すれば、子供なりに気づかなければなりません。

そんな親の心を、子供達が理解できた時に、子供達は逆に親の覆いかぶさった心から、自由になれるものです。

 

 子供達は「運命」を、自分で変えて行けるでしょう。

 

そう、子供達は、親から誕生を受けた時には、誰しもそれなりの<ハンディ―>を持っています。

その親からの{固定観念}を克服しながら生きるのが、子供達に必要な「運命」ですね。

 

 親の{超自我}から、自由になる事が重要です。