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2007 年 4 月 のアーカイブ

<<家族・親子>>家族の病(6)

2007 年 4 月 30 日 月曜日

 勉強する子供達について、彼等には何かしら2通りの考え方を持っているようです。

 

 一つは、自分自身を、自分の心を防衛するために勉強する、場合ですね。

親が自分をどう思ってくれるか、親に褒められたい・・・・。

親が実際には子供を見張っていないのに、子供が勝手に<常に親が、自分を見て監視しているような錯覚>で勉強するのです。

親孝行のために勉強するのではありません。

そんな中でも、少しでも親孝行や自分の人生のためにと考えている子供達も見られます。

 もう一つは、親が自分についてどう考えているか・・・。

更に、周囲の人達が自分を称賛するように、学校の友達が自分を褒め称えてくれる・・・。

全体的には、この様な子供の方が少ないのですが、大きくなって行くと、肉体は成長し大人にこそなっても、精神は成長せず幼児のままの場合もあります。

周りから見ていると“よく勉強する真面目な子供”だと見えるでしょう。

 

 多分に世間の人達は、子供の心の{からくり}は見えません。

大人の心の{からくり}も見える筈はありませんが・・・・。

{親の恩}を感じながら勉強する子供が良いのですが・・・、そんな{親の恩}を感じながら勉強する子供達は非常に少ないでしょう。

現代社会では、普通の一般の大人でさえも{親の恩}を感じておりません。

口では「親の恩を感じている」などと言う人達も居ますが、100%それは{嘘の様}です。

実際には、自分が{嘘}だと気づかないと仕方ありませんが・・・・。

 

 彼等は自分の心の底を見ていない、また、自分の心の{からくり}を知っていないので、説明しても気づかないです。

子供の時から、周囲の人達が賞賛してくれるなどと考えずに、自分自身の人生を生きる、だけど、そこには自分に与えられた道、と考えて勉強するのが良いのでしょうが、そんなに人生を上手く運べない事も多いでしょう。

子供の時から、人生の全てが理解出来ているのではありませんから、家族の中で、親と子供の深層心理の中、<すれ違い>も起きるのが当然でしょう。

 親孝行のためなら、立派なものです、最高でしょう。

親孝行の心を持って勉強すれば、大人になってもそれなりに、周囲の人達・他者に対しても、それなりの孝行の概念の心を無意識的にしろ、理解できる時は来る筈です。

勿論、多重人格者や境界例者として大人に成長してゆく過程などで、子供達が大人になった時の将来を予見できる両親はいない筈ですね。

だから、子育ては本当に難しいものです。

 

 子供達が大人になった時に、彼等の心が歪に露呈して来るのは、家族の病が原点に有ると伝えておきたかったのです。

沢山と心の世界を学習しておかないと、理解不可能ですが・・・。

<<家族・親子>>家族の病(5)

2007 年 4 月 17 日 火曜日

 夫婦の心の{別れ}は、結構と多いです。

極端に言えば、心理的な{別れ}は結構と多い筈です。

そして、{心の距離}は、遠くになったり、近くになったり、ぴったりと寄り添う場合などが、繰り返されるものでしょう。

 

 先ずは子育ての違いです。これは大変ですね。

父親の子育て感と、母親の子育て感が大きく違っている場合も多いものです。

父親が子育てに夢中になったり、母親が子育てに夢中になったり・・・或いは、父親と母親両者が<子育て>に夢中になるのです。

しかし、父親と母親が同時に同じ目的に沿って<子育て>する場合は比較的少ないでしょう。

どちらかが黙っていて、どちらかが<夢中になる>様な光景の方が多いでしょう。

 

 案外と<子育て>で、夫婦喧嘩をするものです。

最近は、子供達にハングリー精神が無いために、親が一生懸命<子供が大きくなった時、苦労をしないように・・・>なんて考えても、子供には<そんな考え>は通用しません。

 唯、子供達は親のロボットではありません。

親は親で、自分の思い通りに<育てたい>のです。

親も確かに賢明ですが、面白いというか、悲しいのは、親の心の底に考える事柄ですね。

父親にしろ、母親にしろ、自分達が成長して行く段階で、それぞれが心の底にある{葛藤}に気づいていないのです。

夫婦のどちらにしろ、自分が大人になって行く時に、自分が果たせなかった思い(劣等感と言っても良いです)に気づいていないのです。

 案外と、親に<背を向けて>育ったわりには、親の有り難さも感じないままで、自分の子供には、自分の思い通りに育てたい訳です。

 「早くしなさい」、「勉強しなさい」などと、子供達に心のプレッシャーをかけるのです。

初めから勉強が好きな子供達はあまり居ません。

勉強するならそれなりの、子供達にも心の奥深い底に{理由}が有ります。

子供達が勉強することも、色々な心の葛藤を持ちながら勉強します。

境界例人格障害者やそれに近い人格の持ち主でも、幼い時から、案外と勉強をします。

小さい時から、親の御機嫌とりに夢中になって勉強する子供も居ます。

強迫観念でもって、勉強だけはするのです。

そこには、何時も常に、周りの人達から称賛を浴びたいなどと思われたい強迫観念ですね。

 

 完璧主義の様な、悲しい思いを持って育ち、最後には大人になって自己主張が全く出来ないままの場合があります。

自分の本音を語ることができないです。

こういう場合、親は家庭内離婚、間違いないですね。

<<家族・親子>>家族の病(4)

2007 年 4 月 13 日 金曜日

 子供達と、祖父母の場合を見ましょう。

 

 祖父母が原因の事もあります。

“苛める”場合と、“ねこ可愛がり”のケースがあります。

祖父母、両者が生きている場合もあります。

片方のみ生き残っている場合もあるでしょう。

嫁が、或いは、息子が嫌いであれば、孫を苛める場合もあります。

可愛がっている積もりが、孫にしがみ付いていて、孫が苦しむ場合もあります。

 可愛がられて、所謂「ばあちゃん子」になることもありますね。

「じいちゃん子」で、育つ場合は案外と少ないみたいです。

また、祖母が孫を可愛がりすぎて、母親から子供が離れる場合もあります。

母親から見れば、祖母が孫を無理やりに可愛がらなくて良いものを・・・、なんてこともありますね。

母親が、どんなに“祖父母の孫への執着”を嫌いだと考えても、駄目なケースもあります。

 

 昔は庶民が貧困だったので、案外と“祖父母の孫への執着”も良かった場合もありました。

最近では、可愛がるだけでも様々な手段があります。

孫にお金をあげる、物やお菓子を渡す、また、孫の好きな場所へ連れて行くなど・・・、手段も色々とあります。

 しかし、最近の孫達は<貧困>を知らないので育てるのも注意が必要です。

 

 「ばあちゃん子」や「じいちゃん子」、最近は駄目ですね。

孫が成長して大きくなった時には、母親や父親の意見を全く聞き入れない場合も現実に見られます。

これは、離婚まで行かなくても、母親や父親が<苦い体験>をすることになるものです。

親達の意見を子供達に伝えても、全く役立たないのですから・・・。

こんな状態では、多くの場合で、家庭内離婚の状況も有る様です。

恐いです。

本当にそう思います。

人間の{性}なのでしょう。

男性と女性の、それぞれの人格というか・・・、細かに見詰めると、人の心は本当に真に大変だと感じます。

 

 皆が一生懸命に人生を生きている積もりですが、なかなか自分の思う通りに進まないところが人生でしょう。

ばあちゃんも、じいちゃんも、少しながら人生を勉強するべきなのですが・・・。

 人間、自分の考えている事が一番に正しいと思っているのです。

本当に、人間は他人の立場になって考えないので困った生き物です。

 

 仲良く見えても、家庭内離婚は沢山あります。

<<家族・親子>>家族の病(3)

2007 年 4 月 12 日 木曜日

 家族の崩壊について、内側からの問題を説明しておきましょう。

 

 生まれも育ちも違う男性と女性が、一緒に生活を始めます。

男性と女性が愛し恋いして、好きになって一緒の生活、夫婦として家族として生活を共にするのです。

結婚生活に入るまでは、案外とどちらも遠慮をしながら<良いところを見せる>ように無意識的にやっているのでしょう。

ですが、いざ結婚してみると次第に自分の本音というか潜在意識や無意識に有る心が浮き出て来ます。

何か、同棲生活の状態も同じ様なものでしょうが、少しながら雰囲気が違う様です。

とは言っても、一緒にいる年数によって、又、結婚生活でも同棲生活でも、次第に自分の自我というものが互いに強調されて来ます。

 時には、激しい意見の交換の末に{別れの感情}も吹き出して来るものです。

次第に心の葛藤が溜まりながら、ある事を<切っ掛け>に一挙に互いの心が崩壊して行きます。

両者でなくても、一方の心が我慢できなくて、崩壊して{別れが来る}などの場合の方が多いでしょう。

 

 {別れの原因}も、結局は{生い立ちの心}の問題になって来ます。

どちらが良いとか決められなくても、いずれにせよ両者の{生い立ちの心}が、上手に噛みあわなかっただけでもあります。

 夫婦の問題は後回しにしましょう。

 

 今は、昔から言うところの、嫁と姑や舅との関係が{二人の別れ}に関連している場合も多いのです。

最近は、結婚しても嫁が主人の親とは一緒に住みたくない、などと言うケースが普通になっているでしょう。

人間、長生きになって来ました。

嫁と姑や舅が一緒に暮らしていても、嫁が姑や舅から苛められるのではなく、嫁が姑や舅を苛める場合も多く出て来ています。

一方で、主人が、嫁の母や父と相性が悪くて、嫁にも嫁の親からも両者から苛められる事もあります。

主人が心身ともに疲労困憊して、仕事も出来ずに落ち込んだりで就労不可となり、嫁や嫁の親からも{別れ}を告げられる場合もあります。

「出て行きなさい」、「帰らないで良いよ」、なんて言われてしまいます。

夫婦のうち、一方が自殺までしかねない事も生じて来ます。

 

{別れ}には色々な原因があります。

家族の病も、原因は数多くあります。

<<家族・親子>>家族の病(2)

2007 年 4 月 7 日 土曜日

 家族の崩壊にも、色々な過程があります。

見る方向性を変えますと、家族の内側から崩壊する場合と、外側から崩壊する場合があります。

 まずは、外側からの崩壊を見てみましょう。

外側からの崩壊は、先述しましたが、天変地異・戦争などがあります。

大変です。

家族の中の一人が欠けてしまうだけではなくて、一度に複数の人達が居なくなってしまう場合もあります。

或いは、家族の中の一人の時もあります。

それも親から欠けたり、子供から欠けたり、などと、どちらにしても悲しい出来事ですね。そんな、家族には耐えられない程の<嘆き>が訪れるでしょう。

 また、不意に知らない外的他者から犯罪などを起こされる場合もあります。

或いは、飛行機の墜落事故や自動車事故などに巻き込まれてしまう場合もあります。

不測の災難などにより、命を落としたり重症を負ったりする場合もあります。

家族の別れが不意に迫って来て、現実の別れになってしまうのです。

両親、又は片親でも、就労していると勤務先でも仕事に差し支える場合も出てきますね。

そうすると、家族の崩壊につながって行きます。

親の消失が先になった場合では、残された子供達の行き先ですね・・・。

片親が残ったとしても、子供達に与える影響は大変な境遇がやって来るでしょう。

残された子供達は、残った片親の会話や行動など、その心次第で、随分と多大な影響を及ぼします。

 父親が残るか、母親が残るか、で、違って来ます。

子供達は、生い立ちを抱えながら成長して行きます。

彼等が大人になった時に、彼等の無意識や潜在意識に残された心の葛藤が、格別に彼等の人生で<何かにぶつかった>時にですね、深層心理の深い所から現在意識を強迫して来ます。

生い立ちから、人は自分の眼前で何事が起こっても、マイナスのイメージでその時の事実を受け取る事が多いです。

プラス思考で受け止めていれば良いのですが・・・・それでも、人生で成功していても、何らかの心の葛藤は滲み出て来るものです。

可能であれば、人間は健康で、人間社会が平和であれば最良でしょう。

 

ですが、平和ボケも人間に余分な歪な心を引き起こします、大変です。