‘人生’ カテゴリーのアーカイブ

<<人生>>宿命運命天命使命 「使命2」

2007 年 9 月 11 日 火曜日

 勉強にせよ、仕事にせよ、芸術にせよ、人は誰もが、時には<精力的>に、心身を動かさなければならない時が、あります。

 

 ある宗教では、人が<逆境に陥った>時には、神の与えた<試練>だとも言います。

人生を生きるのには、100人が100人とも、考え方は違います。

1000人が1000人とも、違う、なんて言う人達も居ますが、これが現実ですね。

だが、地球上で人間が自分の人生を生きるのに、ある一定の思考体系が重要になります。

人間の個人の考え方は、どんな考え方をしても構いません。

但し、人間世界には、沢山の法律とか色々様々な掟が有ります。

分かり易く言うならば、ル―ルというか規則ですね。

道徳も大事でしょうが、道徳などは、格別に時代の流れや環境で<変化>します。

勿論、法律も、時代の流れで<変わり>ます。

 

 多くの人達は、人間世界を生きるのに、自分を中心的に、外観的な生き方をしますね。

自分の眼で{目前を眺め}て、好きだとか嫌いだとか差別して分別して生きる訳です。

唯、唯、唯、自分の考え方と意志だけなのです。

自分の考え方だけで、人生を生きて欲しくありませんね。

親から頂いた{生命}ですよね。

親から命を貰っただけでなく、{神秘}とか{畏敬}とか{畏怖}とか、{宇宙}からも、人は{生命}を貰っています。

 

 宇宙の中の、一粒の命なのです、宗教に信心のある人達は、自分達が属している{神}や{仏}から、生命を頂いているとも言います。

考え方によっては、自分の生命は、自分の生命ではありません。

何となく、不思議な場所から、この地上に現れた、一時の借り物でもあります。

地上に生命を頂いた、唯、それだけですが、頂いた生命を燃やすには、「使命感」ですね。

 

 両親からにしても、私の意志でこの地上に現れたのではありません。

誰から、どんな形で、どんな物から、この自分の{生命}を頂いたのでしょう。

人間社会では{不平等}ばかりが実在していますが、「使命感」があれば、大丈夫です。

その事について、{不平等}を無くそうなんて考える事は良いのですが、現実には個人の意志は<思うがままに、ならない>のです。

 

 人間は、{欠乏欲}の塊と言うくらいで、<我欲>の塊になっています。

人間同士が、よく地上で、何事につけても衝突するのですから、人は強固な<バイタリティ―>が必要で、[使命感]を持っていた方が遥かにエネルギッシュとなります。

あれが欲しい、これが欲しい、と欲望を求めても、何も自分の思い通りにはなりません。

自分の非力を、知る事ですね。

そして、その{非力}を認めるのです。

どんな状態に置かれても、「使命感」だけ!! 

誰の??誰でも良い??何か??何でも良い??

でも、視野を、心の{器}を大きくしておく事です。

 

 自分の尊敬対象、崇めている物や事からの「使命感」を持つ事が大事です。

<<人生>>宿命運命天命使命 「使命1」

2007 年 9 月 6 日 木曜日

 先日してきた「宿命」とか「運命」とかについて、しっかりと納得できるのが良いですけどね・・・。

 でも、「使命」については、「宿命」とか「運命」とかを知らなくても、無意識的にでも理解できている人達も居るでしょう。

或いは、神や仏の{使命感}となると、少し宗教についても理解できないと駄目でしょうね。

 

 子供によっては、幼い子供達でも、或いは、学童、生徒、学生の人達でも、親の「使命感」を無意識的にせよ、また、意識的にせよ、悟って自分の「運命」に上手に適応したり順応したりしている人達も居ます。

「使命感」を悟れば、その人は、大変にエネルギッシュになります。

体得した事の無い人達には、「使命感」の意味を理解出来ないかもしれませんね。

本当に体得出来れば、自分の心のエネルギ―を、掘り起こす事ができるでしょう。

 

 「宿命」と「運命」を背負う事が、「使命感」でもありましょう。

勿論、母の「使命感」があります。これも、非常に大切ですね!!!

父からの「使命感」が、あります。これも、大事です!!!

はたまた、尊敬している人からの「使命感」があります。

此の世に誕生を受けた<有り難さ>からの「使命感」が、あります。

自分が誕生を受けた時から~終末までを悟ってまでの「使命感」が、あります。

人によっては仏の「使命感」が、あります。

神からの「使命感」なども、ありますね。

 

 人間って、普通は誰もが自分の意志で生きている積もりです。

自分の意志よりも、何か、或いは、誰かの「使命感」を頂いて生きる方が、遥かに楽です。

 生き甲斐って、よく使う言葉です。

でも、自分で自分の意志で、私の{生き甲斐}で生きていると言っても、それは小さな生き方ですよ。

何か周囲から<させられる体験>ですね。生かされる{喜び}ですね。

させられ体験の方が、疲れませんし、こちらの方がバイタリィティ―がありますよ。

但し、嫌々、させられていると思うのであれば、それは{生き甲斐}とは、なりません。

 

 今、述べたように、誰からでも良い、或いは、神様や仏様でも良いのです。

ですが、時には、宗教に関わって来ると、歪な宗教もあります。

そんな歪な宗教に、属さないように願うだけですね。

変な宗教、怪しげな宗教に染まると、染まった人達は哀れな人生を歩く事になる

でしょう。

 客観的な視野があれば、自分で人生の<どん底>に落ち込む事は無いですね。

させられ体験は、自分の意志でやるのではないから、疲れません。

そこには、生かされる「使命感」が、ある筈だからです。

<<人生>>宿命運命天命使命 「天命4」

2007 年 9 月 4 日 火曜日

 天からもらった、頂いた{命}と解釈して良いでしょう。

 

 ここでは、{生き物}の寿命ですね。

人間世界で、いや、地球上では、どのくらいの数の{命}があるのでしょう。

{種}によって、生き物によって、<寿命>が違います。

この地球上で、{生き物}の寿命が違うなんて、なんと不公平でしょう。

この地球上に、「天」から生命と、また、限られた寿命を与えられるのです。

 

 人間の寿命も、世界中の各地で{平均寿命}なるものが言われています。

同じ人間の{平均寿命}でも、各国の状況により、全く寿命の長さが違います。

 戦争とか、仮に、戦争が無くても貧困の国、食べる食事も手にはいらず、栄養失調で命を落として行きます。

 貧困で食料不足のみならず、疫病とか伝染病などで、命を落とします。

食料不足や疫病などで、親から死んだり、子供から死んだりします。

母親のお乳が出なくて、乳児や新生児から死んでゆく場合もあります。

 後進国では、赤ちゃんが生まれてくるお産でも、医師が居ないために<命を失う>場合もあります。

 先進国でも、矢張り、戦争はしていますし、戦争で命を落とします。

母親のお産については、先進国にても<赤ちゃんの誕生>について、上手く事が運べなくて命を落とす場合があり、先進国ではこんな場合では大変ですね。

 後進国や先進国にしても、天変地異とかで<予期をしない命>を落とします。

面白いと言うか悲しいと言うか、人間が作ったもの、乗り物ですね、飛行機や自動車事故、遊園地の遊び道具での事故、又、各家庭でのガス中毒死なども起こっています。

 はたまた、物凄く大変なのは、昨今では、会社の病とか、家族の病ですね・・・、子供の親殺し、親の子殺し、うつ病での自殺などが沢山と起きています。

経済的に豊かになれば、人は幸せか、うつ病にならないか、と問われれば、関係ないです。

 後進国や先進国においても、人間のみならず、不慮の悪性の病気は伝染病などで、医療の施しを受けても、命を落としたりもするのです。

 

 そこで、今までは、人間の寿命について説明しました。

人の寿命も、昨今は、単なる個人の殺生だけでなく、地球環境の汚染で一部の人達は災害を被って<命を落とし>ますね。

地球上での生き物は、人間だけでなく、各植物や各動物など、色々様々な生き物が実在しています。

動物や植物などの寿命は、例外が有りますが、人間に比較すると、短い方が多いですね。

 

 「天命」とは、人間のみに投げかけられたものでなく、地球上の生き物の全てに投げかけられているものです。

 

 人は、寿命の中で生きている間、幸せであって欲しいです。

<<人生>>宿命運命天命使命 「天命3」

2007 年 9 月 3 日 月曜日

 天から預かった生命、「宿命」や「運命」や「使命」など、人が如何に人生を生きるかでしょう。

 

 先述した事もありますが、人の心は<一念三千>と言われるように、不安・悲しみ・嘆き・悩み・不平・不満・やきもち・嫉妬・妬み・淋しさ・孤独・怒り・憎しみ・怨念・呪い・嘘・盗み・罪、などなど、細かく調べると<限りない人の心>が出て来るでしょう。

勿論、楽しみ・喜び・嬉しさ・安らぎ・憩い・爽やかさ・豊かさ・幸福、などなどを感じて生きる人達もいますね。

 

  少しながら、人の心・感情を記載しましたが、そんな一つの心にしても、微妙な<感情の違い>は、数え切れないでしょう。

悲しいにせよ、幸福にせよ、「天」から授かった自分の{生命}であります。

勿論、母親とか父親とかから、生命を頂いたと言えば、全部の人達が理解できるであろうと確信はしています。

 でもね、例外が有るのですよ。

心理療法の世界では、{境界例症候群とも言いますが、顕著な境界例者は<母から命を頂いた、父から命を頂いた、などを実感>できません。

 

 此処で、何を申し上げたかったか、ですね。

大事な事ですが、自分の命は何処から頂いたのか、何処から自分はやって来たのか、明確に確認して生きる事なのです。

 意義深い言葉が、あります。

「人間は何処から来て、何処へ行くのか」、などと言った心理学者がいます。

心の底から、喜び楽しみ安らぎの心を持って生きるには、人は自分の歩いて来た{過去の軌跡}に納得出来さえすればよいのです。人生を幸せに生きる事ができる筈です。

 

 自分の{過去の軌跡}に納得できる人は、無意識的にせよ、それなりの「宿命」とか「運命」とか「使命」などを、感じているでしょう。

 だが、恐いというか、情け無いというか、人は自分の目前の{難題}に衝突した時に、自分の{過去の軌跡}が、現在の自分の心を圧迫するようになってきます。

自分の{過去の心}が{現在の自分の心}を強迫して来る状況も、出て来るのですが、大衆は知っていません。理解しようともせず、耳を傾けません。

 

 自分の現在の心を修復するには、自分の過去から矯正した方が、遥かに現在の心も矯正されて、悩みや苦しみは消去できるものです。

悲しみや嘆きや怒りも、簡単に消去できます。

 時には、懸命に、自分の命と自分の心に向きあって、{自分とは、一体に何者か}などと、確認しておかなければなりません。

この事実も、全てが「天命」とも関係していると、言えます。

 

 自分とは、一体に何処から来て、何処へ行くのでしょう。

<<人生>>宿命運命天命使命 「天命2」

2007 年 8 月 31 日 金曜日

  ①、天の命令として解釈して説明しておきましょう。

 

 「宿命」とか「運命」とかに、少しながら<重なって来る>のは当然でありましょう。

「天命」と言えば、むしろ「宿命」とか「運命」を遥かに超えた<力>となる可能性を持っていると、当方では思います。

 そう、天から<命令されて動く>のだから、心の葛藤なんて有りませんよ!!!

人から<命令>されて、自分が動くのであれば、自分は<その人のパセリ役>でしかありませんね。

人間って、自分が主役と考えている人達が多いので、人は誕生して以来が全てパセリ役で生きる事になっていると説明しても、理解できない人達が殆どです。

 

 世間では、格別に、キリスト教とか格別な宗教では・・、その他の宗教観と言った方が早いかもしれません。

個人に何か、不幸とか、マイナスの出来事が降りかかって悩み苦しむ時は、そのマイナスの出来事が、その人にとっての{試練}だと言います。

そうであるから、悩まないで{試練}に耐えて生きる事を伝えています。

格別に、キリスト教では<そう表現している>ようですね。

だが、こんな考え方は、どんな宗教でも<教えられて>いるようです。

 宗教の最上階は{宗祖}が居ますが、宗祖の上に未だ人間には見えない「畏怖と畏敬」の念が存在しているようです。これが、神様であり、仏だと言ってもよいでしょう。

この見えない「何」かを、「天」と言い変えても良いのではないでしょうか。

 

 人間の心理って、面白いものです。

眼に見えるものよりも、眼に見えないもの、こちらの方が案外と都合が良い場合が沢山とあります。

眼に見えるものは、自分の判断で良いとか悪いとか決め込んでしまいます。

 ですが、眼に見えないもの、こちらは、人間が自分の眼で確かめるのは難しいです。

{眼に見えないもの}に、畏怖と畏敬の念を持って<使命感>を背負いながら生きると、それなりに人生は気楽にはなるでしょうが、{そういうもの}を自分で信じられるかでしょう。

運が悪くて、解釈を間違えると<変な道へ迷い込む>可能性も沢山とあるでしょう。

 

 一般の大衆は、何となく一層懸命に生きている積もりでしょうが、視野が小さいので大変でもありますね。

人生とは、何か??なんて考える人達の少ない事、甚だしい様です。

沢山と心の葛藤を抱えていても、私には<何も悩みは無い>と自己主張する。

「天命」だと教えても伝えても、大衆は一向に{その言葉}に耳を傾けないのだから、人間って不思議な生き物です。

{万物の霊長}なんて、とんでもないと当方は考えさせられています。

 

 人生を、何のために生きるか? 誰のために生きるか?です。