‘人生’ カテゴリーのアーカイブ

<<人生>>「社会適応」(13)

2008 年 2 月 6 日 水曜日

 俗世間では、沢山の事件が起きる。

一見、充分に社会適応しているように見える人達が、随分と心の底では{葛藤=ストレス}を抱えて生きていますね。

 

 マスコミを含めた一応の心理学者??学校の先生達??が、事件を起こした人を知ると、どうして彼が??彼女が??事件を起こしたのか考えられないと言うのである。

 その事については、心の底を見抜ける{心の専門家}であれば、分かる筈である。

だが、カウンセリングだけを仕事としている専門家には、案外と人の<心のカラクリ>は見えないであろう。

そんな風に考えて、いる。

何故なら、自分の心のカラクリを見抜いている心の{専門家}でないと、他人の心の{カラクリ}も見えない筈であろう事は、間違いない。

 

 人は、普通は、自分の会話や行動については、今の自分の心によって動いていると思っています。

しかし、人は誰も、現在の行動と会話については、全てが、その人の生い立ちから~現在に至るまでの心が動かしていますね。

 全ての人には、{会話}と{行動}と{心}の三つしかないと言っています。

{心}が一番に、大切です。

幼い子供達から~大人まで、全ての人にとって<社会適応>できるかできないかは、{心}の持ち方次第ですよね。

人間として生まれて来てから、即ち、誕生から~滅するまでの生活の中で、全ての人達に{心}が一番に大切ですよと、繰り返して伝えざるを得ません。

 

 人間社会を生きる限り、自分の好きな事柄ばかりしておいて、気楽に生きられるかと、言われれば、それは100%無理な事でしょう。

俗世間を生きていると、必ず、自分の好き嫌いな事や物や事象に何度も出会うでしょう。

どんな環境も事象も人に対しても、自分の方から適応できる能力&技量&力量を持つ必要がありますね。

 最近は、学校でも<いじめや自殺>、<非行>、<登校拒否>、<各種心身症>、<各種神経症>、<うつ病>、などなどの異常行動や異常会話や各種疾患などが見られます。

学校社会から出てしまうと、人は原則的に幾らかの仕事をして<金銭を稼ぐ>など、しなくてはなりません。

そこには、嫌とか嫌いとか、自分の意見ばかり自己主張できません。

 

 人が、人間世界を生きる限り、{{妥協}}、{{共感}}、{{受容}}をしなくては、いけません。そこには、時には、自分の考えを抑制する必要もあるでしょう。

確かに生きていると、{{拒絶}}も大事な場合がありますが、その区別を出来る人間になっておく必要がありますね。

 

 自分の心を知る「心理療法」が重要です。

<<人生>>「社会適応」(12)

2008 年 2 月 5 日 火曜日

 学問ばかりが、適応ではありませんし、人間って、本当に面白ですよ。

学校が終わった後に、また、塾で勉強とか・・、勉強、勉強で大変な時期もあります。

勉強ができなくても、一芸に秀でていると、それが、社会ですね、

大人の社会に出て非常に優秀な人間となり、有名な人間となる事が多々あります。

 

 人間の大人の世界では、学問は、学問で大切なのは言うまでもありません。

余分に、ですね、研究室に残って究極の専門の学問に熱中して有名になる人も居ます。

或いは、研究室にて随分と研究しても、最後まで<成果が上がらなかった>など、そんな人も居ます。

 でも、その間、食事代に困らなかったら、{良し}とするべきでしょうし、それでも良いと確信しています・・・。

人によっては、後悔して立ち直れない場合もあるでしょう。

自分を悔やんで、ドロップアウトする人も居ますよね。

 

 スポ―ツ界にも、小さい頃から特訓を受けて、普通の一般人よりも遥かに素晴らしい人生を、頑張っている人達も居ますね。

スポ―ツでは、特に、野球、サッカ―などが、金銭的には、大人になって直接の収入につながるようですし、現実、遥かに{{大金}}を稼いでいる人達も多いです。

他に、卓球とか、スキ―とか、スケ―ト、テニス、バレ―、バスケット、柔道、などなどのような社会でプロ化されたスポ―ツは、一般的に収入に繋がりやすいようです。

 野球や、その他の特殊なスポ―ツでは、社会でも大変な厳しい練習を必要とします。

どちらかと言えば、スポ―ツに打ち込む人達ほど、勉強の方は<辛い環境に立たされ>ますね。

まあ、そんなに勉強しなくても、長い目で人生を見ていると、人対人、人対環境への適応が出来れば、即ち、社会の一般常識があればいいわけですね。

 

 そんな一般常識も、幼い時に、母や父や兄弟姉妹などとの、心の交流がどれほど上手に出来ていたかで、決まってくるものです。

学校生活も、学校の社会ですよね。

 人の心って、見えないものですから、問題が顕著になるまでは、普通の人達は気づかないですよ。

見る人ですね、子供達の行動や会話をプロの人が見ていると、その子供達の心の底に流れる、別の心を見抜く事が可能でしょう。

どちらにしても、親も子育ては難しいが、親の下で育つ子供達も学校生活で成長して行きます。

一方で、家庭生活の中での子供達の生活を、子供達自身が見つめておかねばならないのですが・・・。

人間が此の世に誕生する事を、<苦の世界に生まれて来る>と言う表現もあります。

 

 育つ子供達が、苦を払いのける力量を持つために「心理療法」を体験しておくのが重要でしょう・・・・・・。

<<人生>>「社会適応」(11)

2008 年 2 月 2 日 土曜日

 義務教育を終わってから、どう生きるかでしょう。

そのまま、人間社会に入って、働きながら幾らかの金銭を得て生活する事になります。

社会に出てからも、人の生き様は、数えられない程、沢山ありますよ。

まだまだ、義務教育の後も、学校に行く場合ですね、

高等学校や大学や大学院などもあります。

時には、専門学校に行く事もあります。

 

 今、社会適応について話していますが、ここでは、お金もちになるのが、{社会適応}だとは、当方は全く考えていません。

とにかく、社会で住むには、社会と言えば、学校も社会ですよ。

学校社会、人間社会で生きるのに、人間は一人では生きる事はできません。

学校生活、学校の社会生活では、やはり、自分に決められた役割がありますよね。

先ずは、ある程度の勉強、スポ―ツ、その他、音楽や習字や絵画や、習い事にも色々とあります。

学校によっては、普通の学校とか進学学校など比較すると、内容が少し違う事もあるでしょう。

 

 適応から、考えると、朝起きて学校に行く、昔ならば、今でも、そんな人は居ると思いますが、朝になると、学校に行く前に、新聞配達とかのバイトをする人達もいます。

また、特別なスポ―ツをやっている人達は、毎日、朝にトレ―ニングをしている人達もいます。

 学校では、忘れ物をせずに行く、学校で喧嘩やいじめや非行や学校内暴力などを、しない事は当然の事でしょう。

中には、忘れ物をして行くと授業に困難となりますし、先生の話もある程度は耳を傾ける必要があります。

他の生徒と雑談したり、大声を出したりするようなら、他人に迷惑をかけるので、学校生活に適応しているとは言えません。

学校での先生や生徒間での挨拶や、ル―ムの掃除などもあるでしょう。

給食があれば、食べ物で好き嫌いなどが、あってはいけません。

学校の部活での、他人や先生との<心の交流>なども、普通通りなのかですね。

 学校が終われば、最近は、誰もが学習塾に行っている場合が多いですね。

そんな塾ですね、誰の希望で塾に行っているのか、行きたくないけど、親が無理やりに行かせているとかでは、そう感じているのならば、ストレスになります。

 

 一見、真面目に見えても、勉強の成績が優秀でも、その人の心の中に{{歪}}を抱えていれば、いけません。

 子供ながらに、心の中では、見栄と虚栄心、優越感と劣等感がこびりついていて、唯、劣等感を隠すための学業成績優秀では、後々に困るでしょう。

<<人生>>「社会適応」(10)

2008 年 1 月 30 日 水曜日

 社会適応と言えば・・・・・、

働いて食を得るだけでなくて、それぞれの年齢で違いが有ります。

 

 仕事に就く前には、学校の生活、ですね。

小学校と中学校の、義務教育の生活が有ります。

義務教育の過程でも、既に、自分の置かれた状況、学校生活においても、当然に学校に行かなければなりません。

 登校拒否、いじめ、非行、拒食&過食、その他の心身症などでも、学校に行けない状態であれば、やはり、社会適応できていない事になります。

学校生活は、勿論、スポ―ツなどもありますが、スポ―ツも勉強だと思いますね。

学校生活は、要するに、人が成長して大人になって社会に出た時に、それなりに適応できる人間になる過程でしょう。

 

 勉強と言えば、唯、学問だけでなくて、知識を暗記するだけでなくて、勉強も、ある意味では仕事だと思います。

学校で勉強だと言えば、親から、或いは、家族や親戚からお金を学校に払って貰います。

特別に、義務教育を終わった後の勉強ですね。

 人生は、人それぞれの生き方があります。

学問だけが、人生ではありません。

学問、スポ―ツ、芸術、芸能、ファッション、諸々の物事が人生にはついて廻りますので、どのような事であれ、他人や社会に迷惑をかけないで、生きる事でしょう。

 

 学校で<何を学ぶ>かですが、人それぞれにおいて違います。

子供達が、学校で<何を学ぶ>かは、子供達の誕生から・・・今の歳になるまでの、心の過程があります。

子供達は、親の刷り込んだ教えに従って生きる、或いは、親の刷り込み(インプリント)に反対して、親を反面教師として生きる事になります。

また、育つ過程で、親の考え方や自分の考え方などミックスしながら、育つ子供達もいます。

 ですが、学校生活の中でも、一応、適応できない子供達は、親や周囲の人達に対してマイナスの感情や意識を持っています。

しかし、随分と長期間にわたり「心理療法」に関わって来た人達でないと、真実なる人間の考え方や生き様については、理解出来ないでしょう。

 

 随分と本当に恐い事柄まで、触れておきます。

学校生活では、学問が優秀でも、社会に出てから全くと<役立たない>人達も出てきますから、大変な場合があります。

一流大学を出て、一流の会社などに入ってからが、ドロップアウトして行きます。

こんな場合も、彼らの<生い立ち>に原因が有ります。

 

 大変ですが、<生い立ち>を振り返り、過去の受け取り直しが重要です。

<<人生>>「社会適応」(9)

2008 年 1 月 29 日 火曜日

 前述で、人対人、人対環境、などの話もしてきました。

全く、それが出来れば、もはや、何も言う事はありません。

 しかし、人の一生ですね、誕生から~少しずつ心身ともに成長します。

やがて、歳月を重ねながら、大人になり、年齢を重ねて年老いて、此の世から<姿を消して>行きます。

ただ、此の世にて生きている間、生活をしている間ですね、何も悩みを持たないで人生を生きる、人間社会で楽しんで生きるのが、可能であれば最高でしょう。

とは言え、人間は誰しも欲望を沢山と抱えているのが普通です。

 

 {人生とは、何か??}を悟って生きている人達は、何も悩みは無い筈です。

この事は、本当の事実ですが、人生を<悟った人>でないと分かりません。

 時折、当方が、人生を楽しく悩まないで生きる、楽しい・嬉しい・爽やかな・安らぎ・憩いの人生が持てるのだと、説明していますとね、ある人達が当方に言われます。

人間は、人生を生きるのに<悩みなんて無くならない>よって、そんな難しい事は、人間には不可能だと自己主張する人達も、時折、居られます。

 

 所謂、人間は{煩悩}を持っていますよね。

あれが欲しい、これが欲しい、などと自分の好みの物に限りなく欲望を示します。

欲しい物が手に入らないと、自分が悲しいとか辛いとか、悩み事を言いますね。

そんな悩み事をブツブツと言う人の傍らにいる人達は、悩み事を聞いていると、誰も嬉しくはありませんし、本当に面白くないですよ。

 悩み事を抱えている人達は、自分の欲望、ここでは、{煩悩}と言っても良いです。

煩悩が多い人達は、100%悩みます。

煩悩の多い人達も、自分の力量とか実力とかに気づいている人達は立派です。

煩悩で生きていても、適当に自分の煩悩をセ―ブして、その場、その場にて、自分の考え方(煩悩と言っておく)を切り替えられる人でありますから、本当に立派ですね。

楽しい嬉しい事柄には、積極的に自分の心で<拘って>も良いですよ。

悩みませんものね。

だが、悲しい事に、人は楽しい事や嬉しい事だけを継続していますと、必ず、苦しみます。

 

 一般的には、人が皆が、悲しい事や苦しい事や辛い事柄には、その悩みをコントロ―ルしたいと考えますし、一方で<悩む事柄を考えたくない>と努力します。

なかには、自分の心で悩みながら苦しみながら、それでも、質問すると、<私には、何も悩みは無い>と答えるほどの、{自分の心}に鈍感な人が居ます。

 面白いのは、と言えば大変ですが、悩みや苦しみから逃げたい・避けたい、などと考えても、人はそんな心の{蟻地獄}から、簡単には抜け出せないものです。

人の世の中、そんな蟻地獄の中で苦しんでいる状態ですね。

 

 {心の世界}って大変なものですが、人間世界を<どう感じるか>だけが分岐点です。