‘人生’ カテゴリーのアーカイブ

<<人生>>善人と悪人(2)

2008 年 4 月 3 日 木曜日

  自分が、どんな人間か体で理解できれば、日常生活も気楽になりますね。

 

 心理士として、心理療法の現場で一番困るのは、社会適応していないのに、{自分は真面目で正直で善良な人・善人}と確信している人達が多いから、大変です。

・・・・・そういう人達は、自分の考え方が間違っている事を認めません。

 心理士の立場から、貴方は仕事もしていないし、社会適応もしていないですよね。

一応の事、人は大人になれば<それなりの仕事や役割をこなして>世間で生きて行かなければなりません。

そうでないと、真面目な人間だとは言えないですよ、と言いたいし、説明したいのです。

・・・・・ですが、どんなに説明しても、彼等には全然と話の説明が届きません。

親や他者に対して、直ぐに立腹、怒る、文句を言うだけならいいのですが、パニックとなり暴力さえふるいます。

自分が善人、真面目な人間だと思いたがるし、本当に彼等は自分が(真面目な人間)だと思うし、悪いのは、親を含めて他人も悪いと思っています。

  

 劣等感の塊で何も出来ない人達ですね。

人間社会に適応して、自分で働いて金銭を稼ぐ、この人の社会の現実を理解できません。

自立して人生を送って欲しいが、自分の人生を如何に生きているかを客観視できないから大変です。

どんなに、善人と悪人について、説明しても彼等には{説明}が届きません。

そして、自分の生き方を変えません。

自分は{善人}、自分以外の他者は誰も{悪人}だと思っています。

 情けない話、です。

 

 もう少し、善人か悪人か、心の状態と人の心理状態の{カラクリ}を説明します。

ちょっと立ち止まって考えないと、簡単な事でも理解できない物事もあります。

 悩み苦しみ、神経症やうつ病、心身症状などにおいては、現実に社会で生きるのに

 {悪の心}を持ったまま、自分の心をコントロ―ルできないところから生じて来ます。

自分は正しい、悪いのは相手だと思っている人、その人の問題のある心は・・、現実の、彼らの真実な心は・・、深層心理の中にある、自分では気づいていませんが・・・。

他者と対面しても<不平>、<不満>、<嫉妬>、<妬み>、<恨み>、<怨念>、などなど抱えていますので、対等に心のコミュニケ―ションが出来ません。

 

 こんな{脆弱な心}は、彼らが生い立ちから育つ過程で、母親や父親からの育て方に関係しています。

実際に、「親の因果が、子に報う」の、通りです。

  

  親の育て方が、悪いです。

  当方の長年月の{心理療法}の過程の中で、現実の正真正銘の事実ですね。

 

 {善人}か{悪人}か、自分を自覚しての生活が大事です。

<<人生>>善人と悪人(1)

2008 年 4 月 1 日 火曜日

 

 人として、この世に生まれて来ます。

 誰も自分は、{良い人}、{善人}であると思って生きています。

 いや、さもなければ、人から他人から良い人間だと評価されたい、褒められたいと、

 思って日々の人生を暮らして生きています。

 

 人生を生きる上で、「善人」か「悪人」の判断が出来る事が本当に大事なのですが・・。

人は、優越意識を持って、優秀な人だと思われたいのです。

賞賛を浴びたい、真面目で正直な人と思われたい。

よくよく考えてみると、意外にも、偉くて賢くて優秀で賞賛を浴びたい、褒められたいなどと思っている程に、未熟な人ではあるし、社会適応できない人達が、案外と多い。

 

 実際に、心理療法に立ち会ってみるか心理療法を直接に現場でやっている心理士でないと、理解できない事柄が多いかも知れません。

本当に人間社会で有能な人として活躍している人であれば、{優秀な人間}と思われたいと考えて良いかも知れません。

また、自分で思われたいと考えなくても、他者が認めるでしょう。

 だが、どちらにしても、褒められたいとか、優秀な人間だと思われたいと、自負している人達の中には、案外と不思議にも、変な人、一風変わっている人達がいます。

同じく、一風、風代わりに見えている人でも、自分の無意識と潜在意識をしっかりと自認して生きている場合とでは、全然と次元が異なります。

 

 自分の深い心の世界を知っている人であれば、他人を傷つけません。

自分の深い心を知っている人は、あまり他人が傷つくような言葉などを投げる事をしないのです。

 自慢をしたい人で、自分の潜在意識~無意識をしっかりと知っていない人は、案外と自慢げに自分の周囲や知らない他人の前で、自分自身を褒めていたいものです。

他人から見ると、自己主張の強過ぎる人にみえたり、それも自分の自慢話ばかりしたがります。時には、他人の話もじっくりと耳を当てて聞いてあげる時間を持ってみれば良いのですが、それも無くてはなはだ悲しいと言うか、可哀相な話であり、どうしようもない人がいます。

 

 勿論、社会的には有能で立派に生きている人達も見られるが、陰では案外と他人から悪口を言われている事が多いです。

本当に、その事柄に気づかないのです。

常識的な判断から見れば、真に格好が悪い人間でもあります。

周囲の皆から、賞賛を得られなくても、少数の人からでも褒められる人であれば、充分ではないでしょうか・・。

人間が生まれて来て、黄泉の浄土に消えていくまでに、一度も悪口を言われないで、消えて去って行くには、100%不可能でしょう。

 

 人が生まれ死ぬるまで、他人から悪口を言われるのが人の一生涯です。

<<人生>>「社会適応」(16)

2008 年 2 月 14 日 木曜日

 最終回として、付け加えておきます。

 

 人間として、此の世に誕生してきたら、いや、両親によって無理やりに誕生させられたのかも知れません。

本当です。

自分が好きで、此の世に生まれて来た人は、誰も居ませんからね。

母親の胎内に居る時から、此の世に出てくる予定であっても、此の世に出られなくなってしまう事実も有る訳です。

 生まれて来てみると、嬉しい事ばかりが、自分を待っている訳でもありません。

嫌な、嫌いな、悲しい、淋しい、孤独な、そんな事柄が自分の周囲に沢山と有る場合もあるでしょう。

此の世に誕生したら、人は誰も、嬉しい事ばかりではなく、自分の周囲がマイナスの状況である場合も沢山とあります。

 宿命ですよね、運命ですよね、天命・・・これは、ちょっと難しいかも知れません。

 

 親の育て方によって、生まれた子供達は<心が変わる>ものです。

良い子に育ったり、悪い子に育ったり、色々な人が育ちます。

親達も、案外と気づいていませんが、怖いのは、親が育つ過程での自分の心とそして自分の人生で成しえなかった事柄、親の積み残しですね、

そんな事柄を自分の子供に託そうとして、自分の子供達を強制的に育てる場合(親は、自分のそんな心に気づいていません)、また、親が自分の気持ちに気づいて育てる場合もありますが、どちらも子供達にとっては大変ですね。

親の地位や名誉や金銭感覚などにしても、世の中で他者よりも秀でた人に育てたい、世の中で苦労しない人に育てたい、そんな考え方が多いですね。

 昨今では、子供を育てないで、子育て放棄の人達も居ますが、そんな子育て放棄の人達も、自分達が幼い時に両親から受けた、心の外傷体験が、自分の子育てにも影響して悲しい惨めな現実を作り出しています。

 「親の因果が、子に報い」、「三つ子の魂、百まで」、などなどの名言があります。

親の子育てが、子供の生き方に、全部のしかかって来ます。

 

 親は、子育てで、注意が重要です。

子供達が、学校適応(学校の社会ですね)、そして、大人になって社会適応できるかどうかは、その人達の<生い立ちの心>に基盤が座しています。

子供達が、誕生した時、幼い時、思春期などまでが、人間の一生を左右するでしょう。

 出来る事なら、人は可能な限り、宿命の元に、自分の運命を切り開いて生きて欲しいです。

人間世界を社会を生きるのに、ル―ルやシガラミや掟や条例や法律、などなど有ります。

出来る事なら、大きな犯罪など起こさないで、周囲の他者や環境に、最終的には「社会適応」が出来る事が大切ですね。

 

 自分を知る「心理療法」が必要です。

<<人生>>「社会適応」(15)

2008 年 2 月 12 日 火曜日

 大人の世界に近づいて来ると、思春期から~終末までにかけては、基本的には、食欲・性欲・睡眠欲・金銭欲・名誉欲、などなどと、考えていても良いですね。

 

 これらの欲望を、どれほどにコントロ―ル出来るか、上手に{昇華}できるかでしょう。

勿論、食欲については、人は誕生した時から、自然の本能として持っています。

睡眠欲も、同じでしょう。

この二つは、本能として当然ですが、食べられない、お乳が飲めないだけでも大変です。

一方で、人間社会が裕福になれば、それだけ人間の欲望も歪化してしまい、過食や拒食などの症状も心の葛藤から発症しますね。

そうすると、長期間にわたり入院したままでの生活となり、社会適応できません。

 

 睡眠についても、赤ちゃんや子供の時からでも、周囲の影響で眠れなかったりしますと必ず病気になるでしょう。

成長してからでは、不眠症やうつ病などで、{不眠}になると、睡眠欲なんて考え方を越えてしまい、<自殺願望>まで出て来ます。

勿論、社会適応できませんよ。

 

 性欲については、人はある程度の思春期が近づいて来ると、普通は誰でも日常生活において、全ての性欲を満たして生きるなんて出来ません。

これも、どういう状況で適応するか、本当に思春期から~一生を通してこの欲望に適応しなければ、なりませんね。

この欲望については、詳細に考えると、犯罪にもつながって来ますね。

 

 金銭欲、名誉欲、これらも同じでしょう。

満たされないが故に、犯罪につながって行く場合は沢山とありますよ。

金銭欲については、人は年老いても、年老いても、殆どの人たちは死ぬまで<お金を追い求めて>いますよ。

自分が死ぬまでの生活費は、充分に持っていても、それでも、なお更に、お金を追い求めるのが人間みたいです。

勿論、例外もありますが、沢山とお金が溜まって、社会に<寄付行為>などする人達も時折に、見受けられます。

 

 名誉欲ですね、これも<人間って案外と欲しい>みたいですよ。

人の心って、大変ですよ、ヤキモチ・嫉妬・不平・不満・孤独。寂しさ・恨み・などなどが入り乱れて来ます。

まあ、この「五欲」については、充分に上手に{昇華}しながらですね。

 

 子供達、生徒や学生さんについては、人間社会での事柄は知っておりません・・・・・・・。

学問、スポ―ツ、芸術、演劇、歌、宗教、様々な分野の習熟と学問、などなど、親の超自我のもとに植え込まれて育ち、やがては親の考え方から卒業して脱皮して、人間社会に適応しなければと、思われます。

 

 自分の心を知る「心理療法」が重要です。

<<人生>>「社会適応」(14)

2008 年 2 月 7 日 木曜日

 上記、社会適応などと、書きましたが・・・・・、

この社会適応も、ですね、世界の国々まで入れて考えると、本当に大変ですよ。

 

 自分の置かれた立場、これはですね、自分が誕生した場所からが、始まりですよ。

どんなに、自分が努力しても、自分の住んでいる場所や状況や環境や人間関係などにしても、変わりようの無い環境の場合もあります。

例えば、国の独裁政治とか、国家に少し反抗とか、意見のような言葉を演説したり、ビラを撒いたりするだけで、政治犯として逮捕されます。

だから、どんなに社会に適応しようと考えて努力しても、無理な場合も有ります。

 

 ここまで考えますと、社会適応と言っても、少し話が大変となります。

人は、逆に、貧困な国の人達ほど、辛い状況や環境にも案外と耐える力を持っています。

そのまま、貧困の状況にも<不満や不平を持たないで>、悲しくても、忍耐強く、生きているようです。

大きな視野で眺めていると、その事が幸せだとは、言いません。

ですが、人間はどんな状況に置かれるか、常に、不透明・不確定・不確実ですね。

 宿命、運命、天命、の中などで生きているだけですよ。

この3つの{命}に翻弄されながら、人は一生懸命に生きているのです。

例え、何時、何処で、どんな時期に、どんな環境に、自分の{命}を投げ込まれても、誰に文句を言っても、どうにもなりませんよ。

精々、自分を此の世に誕生させた自分の親には、少しくらいの言い分はあるでしょう。

これも、場合によってですけれどね。

 

 確かに、ひどい親も居ますよね。

赤ちゃんを誕生させたが、置き去りにするような親も居る訳ですからね。

また、置き去りにはしなくても、育てる過程で子供達を上手に育てる事が可能か、どうかでもある。

 時には、子供への虐待なども、有るのは、全ての人達が知っているところである。

そんな子供達が、大人になった時に如何に自分の人生を、世の中で生きるのに適応できるのだろうか???

自分以外の他者を信用する事、信用してはいけない他者を区別する事など、自分の生き様と自分の心の中に、しっかりとした{眼差し}を持って養っておかなければならない。

 

 そう、確かに、人は、眼前の人達を、誰も皆を心から信用するのではなくて、「受容」、「妥協」、「共感」、「拒絶」、などなどについても適度に自分で判断する能力を自分の心の中に育てておかねば、ならないと考える。

 要するに、自分の信念が大切であるが、その信念が、客観的に誰が見ても、この人の考え方は駄目だと言う場合では、あまりにも問題があるでしょう。

 

 己の心の「器」がどれほど、大きいかですね。

心理療法」が大事です。