‘心の世界’ カテゴリーのアーカイブ

<<心の世界>>{うつ病}(1)会話と行動と心

2007 年 10 月 9 日 火曜日

 今回は、{うつ病}の話しをしましょう。悩みと苦しみ、{うつ病}ですね。

 

 心から来る病気は、沢山と有ります。心から来る病気について、数をあげれば限(きり)がないですね。神経症や心身症でも、数えられないほどです。

一番に分かり易いのが、{うつ病}だろう、と思います。

 

 そこで、数回、この講演では、{うつ病}について、お話してみましょう。

付け加えておきますが、ともすれば、人は悩みながら苦しみながら、日常生活をしています。自分では沢山と心の葛藤を抱えていますが、自分の心に気づきません。

教えてあげても、「自分はストレスを持っていない」と自己主張する人達も居られます。

 25年間も、心理療法をやって来ました。

当方で、6千人くらいの人達が心理療法を受けていかれました。

一番に多かったのが、当方では{うつ病}です。

 

 悩みを持たない人達は、{うつ病}には絶対になりません。

これだけは、断言しておいても良いでしょう。

 でも、人間で此の世を生きる限り、余程の事、人生について<しっかりと勉強というか学習>をしていないと・・・、悩みや心のストレスを持たない人達はいないでしょう。

人間社会での人の生き様については、人生、<生存競争>だと、そんな表現をしたくないのですが、細かく見詰めると、その<生存競争>ではないと、否定する事は出来ません。

 

 人は、ある年齢までは、どうしても、自分の親、或いは、誰かに育ててもらわないと、此の世では成長出来ません。

勿論、肉体だけではなくて、心も一緒に、ですね、年齢相応に成長するしかありません。

 肉体のみが、成長しても、心がともに成長しなければ、なにか、オバケの様な状態、或いは、得体の知れない生き物になるでしょう。

そうすると、人は、社会の中で、ある程度、自分以外の他者と共同生活が必要なのです。

お互いに、人対人のコミュニケーションが出来て、初めて、人生を自立して生きていけます。

 

 家族の中で、社会の中で、或いは、集団の中で、人はそれぞれ、誰かと会話など交流が重要なのです。

 しかし、自分の頭というか心の中に、相手との会話での交流の力量を持っていないと、会話などもギクシャクして来ます。

自分以外の他人を目前にして、それなりの会話能力を持っていないと、何も話せません。

遊ぶ事にさえ、上手く一緒に遊べないでしょう。

 遊ぶ事、楽しむ事、趣味などについては、皆がそれぞれ違うので、それなりの同じ趣味などを持っている人達とですね、遊べば良いのですが、それにしても、同じ好きな事柄をするにしても、上手と下手に分かれます。

皆が満足しながら、会話と行動と心の<つながり>が、出来るかどうかです。

 

 心の葛藤を抱えなければ、{うつ病}にならないし、{うつ病}からも解放されます。

 

 人生を楽しく、生きる<知恵>を自分の身につけましょう。

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(7)

2007 年 10 月 5 日 金曜日

 {生い立ちの心}が、全ての基本だと何度も話しています。

 でも、これだけの話では、理解出来ないでしょう。

 

 人間の心って、非常に面白いものです。本当に、そうなのです。

人対人、人対状況、などの問題であり、生きている自分の眼前でのどんな出来事にも、他人に対しても、自分が対応できる能力さえ持っていれば充分なのです。

 人が、成長して大人になった時に、何らかの仕事や役割などこなして、幾らかの金銭か或いは、それに似たものを得てから、人は人生を全うできるのです。

衣・食・住・なども出来ない環境に投げ込まれるのは、余程の天災・天変地異などによってであって、被害を蒙らないとすれば、自分の人生を生きていける筈なのです。

それなりの仕事や役割を、充分に日頃からこなしていればです、ね。

 

 沢山の人達の悩み苦しみ、心身症、神経症、うつ病、心と人格の脆弱さ、アルコール依存、非行、犯罪、薬物依存(ここでは、大麻、覚せい剤、麻薬、など)、これら全てが、原点には心が基盤になっています。

上記の事柄は、異常会話、異常行動、異常な心、などと言えます。

 

 人は、此の世に誕生して、心身ともに成長していきます。自分が、成長したくないと思っても、時間の流れとともに、心は成長しないで済むかも知れませんが、肉体は自分の思う通りにならず、大きくなって行きます。

嫌で、好きでないにしても、見掛けは<大人>になります。でも、見た目は大人でも、人間社会で生きる以上は、社会で仕事や役割を、どうしても最低限でも{こなせる人間}になって、自分で「衣・食・住」を稼げる人にならなければ駄目です。

 

 面白いというか、本当に大変なのは、人は此の世に誕生した時から、自分の親から、心の形を刷り込まれて育っていきます。

だから、昔から「三つ子の魂、百まで」、「親の因果が、子に報い」などの、言葉が言い伝えられていますが、当に{その通り}なのです。

 親から植え付けられた、或いは、植え込まれた心の形を「超自我」とも表現されます。

自分の自我ですが、自分の意志で作り上げたものではなくて、育つ過程で、親から意見や注意や説教などされて、つまり、誕生以来の成長する段階で、大脳深くに{{親の考え方}或いは{親への反発心}}などが刷り込まれて、無意識的に、自分の現在の心を強迫しています。

 良しにつけ悪くにつけ、ですね・・・・・・・・。

だから、個人が自分で自由に人生を羽ばたいて生きるには、親から如何なる自我を植え込まれてきたか、即ち、超自我に気づいて、超自我を納得してあげた時に、初めて、親の心から解放されて、人間個人が人生で自由に、自分の心を操作できて、生きる事が可能となるのです。

 

 少し難しい表現になりましたが、悩む・苦しむ、などと言う事柄は、自分の意志で自分の人生を生きる事が出来ない、だけなのです。

 親の考え方、親も悩める人間だった、と理解できた時に、人は大きな{心の自由}を得事ができます。

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(6)

2007 年 10 月 4 日 木曜日

 人間、此の世を生きていると、楽しく人生を送っているように見えても、案外と心の底では、悩んだり苦しんだりの生活をしているものです。

 

 極端に表現するならば、皆が建前では<にこにこ笑顔で笑っていても、心の底では泣いている場合が沢山とあります。

自分の深い心が動いているのですが、無理やりに蓋をしながら、化けて生きているものです。

悲しい心に、その上に蓋をしようと思って出来ない状態にも、なって来ます。

そうすると、人前にも出られないし、出たとしても悲しい表情、疲れた表情などをして顔も体も草臥れてしまった状況を、他者に自分を見破られてしまいます。

人は、生まれながらにして、食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、金銭欲、などなどを抱えて生きると表現されています。

 

 勿論、上記の五つと言っても、その人の置かれた立場と状況によって、五つの中のどれかが、と言った状況となるでしょう。

一度に、沢山を求める人達も居ますが・・・・・・・・・・・・・・・・。

昔からの言葉で、上記を「五欲」と言いますね。

本能とも言えますが、名誉欲や金銭欲は本能とも言えるし、後天性とも言えるし、微妙な感じですね。

 どんな開発途上国でも、金銭欲や名誉欲などについては、人は抱えています。

人だけでなくとも、動物や植物についても、一般的に観察しようとしても、普通の人には、心そのものは、見えません。

でも、動物と人をしっかりと、観察していますと、動物も金銭欲は別にして、名誉欲に近いものを持っているということが、見る人によっては、眼に映るものです。

 

 人の心には、喜び、楽しみ、嬉しさ、幸福感、歓喜、至福感、などなどもあります。

一方で、悩み、苦しみ、悲しみ、淋しさ、孤独感、嫉妬、怒り、恨み、憎しみ、怨念、虚しさ、虚ろ、苛立ち、爆発感情、暴力感情、自殺感情、などなど、どうしようもない気持ち、感情などが、入り乱れている場合も結構とあります。

 プラス思考で居れる時は良いのですが、一旦でもマイナス思考に陥ると、<なかなか其処から抜け出る事は不可能>ですね。

そう、一生を、一度もマイナス思考にならないで生きる事が出来れば、最高でしょうが・・・・・、でも、あまり努力などもしない人達もいるので、注意が必要でしょう。

同じ、一度限りの人生で・・、命を燃やして一生を生きる事が、素晴らしいとは思われます。

 

 人は、色々様々な心を抱えて生きています。

でも、基本的には、喜びか、悲しみか、両方の心に分かれるでしょう。

その間の、中間的な考え方の人達もいるのでしょうが・・・・・・・・・。

考え方の全ての基本になるのは、生い立ちの歩いて来た過去の心が基本になっています。

 だから、その基本の心を点検すれば、全てが上手くいきます。

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(5)

2007 年 10 月 2 日 火曜日

 異常会話、異常行動などは、心を土台にして、発せられるものです。

 

 異常会話も異常行動も、大脳性理学的に脳脊髄液、神経内分泌、免疫などと絡まって表に表現されてくるもののようです。

心がパニックとなると、善悪の判断もできない・・・・、異常会話、異常行動、などなど、そんな事柄も全てが、過去の深い意識ですね。

無意識と潜在意識と顕在意識(現在意識)のアンバランスの問題が関係しています。

当然、脳脊髄液のバランスも壊れているでしょう。

心と体は、密接に関連しています。また、その中間である脳脊髄液や血液にも変化が起こって来るようですね。

 

 人の記憶は、大脳の海馬と言われる場所に蓄積されたまま、人の一生に残っていくようです。現在を生きていると、そんな過去など関係ないと思って皆さんが日常生活で暮らしているのです。

怖いですね。

自分の過去の心が、自分の現在の全てを動かしています。

先天性とか素因とかに関連している場合は仕方が無いにしても、体までが自分の過去の心に支配されているものです。

 

 行動というのは、{体が動く}、{心が体を動かす}というものでもあります。

人は、自分から外を眺めて生きる<外観的>な生き物でもあります。全ての生き物は、外観的な存在でもあるでしょう。

格別に、人は、明確に{心}を持っていますし、自分の深層心理での深い{心}が自分の全てを支配しています。

 そう、人は、自分の過去の記憶を何時も明確化して生きているのではありません。

だが、その気づいていない無意識の中に動いている、トグロを巻いている心が一番に大切です。

今の現在に考えている事柄は、過去の心に裏打ちされていますし、人が現在と未来を考えるのは、とにかく、その人が過去から現在に至るまでの心で作り上げた心、その心で全てを判断します。

 

 皆さんは、自分の過去の心って、関係ないと思っていらっしゃるみたいです。

両若男女を問わず、医師も宗教家も心理士も一度でも良いから、自分が生まれてからの過去の心の足跡を振り返って辿ってみる事です。

どんなにお金持ちの人も、科学者も、地位あり有名な人も、同じですね。

どんなに自分は賢い偉いと思っていても、自分の過去を振りかってみない限り、理解出来ません。

 

 或る人が、当方に言われました・・・。人生を悩まずに生きるなんて不可能だと・・・。だが、簡単に、悩まないで生きる方法はあります。

その人は、人生勉強が足りていないので、仕方ない・・・ですね・・・。

<<心の世界>>心の話「会話・行動・心」(4)

2007 年 10 月 1 日 月曜日

 今日は、人の犯罪について少し話をしますが、

 全てが、「会話・行動・心」と関係します。

 

 マスコミでは、裁判所で、或いは、検察庁で、或いは、裁判所で、よくある話なのですが・・。

犯罪時に、この人は、<善悪の判断能力>を持っているのか、いないのかとい言う{争点}があります。

 この事については、日頃は、<善悪の判断>を出来ていた人でも、心の葛藤が蓄積すれば、その<善悪の判断を出来ない状態>になるものです。

その人の、人格水準とも言いますが、一般的には、誕生から~現在に至るまでの、過去の生い立ちの中に、全ての{答え}は有るものです。

 堪忍袋の<尾が切れると、或いは、結んだ紐が切れる>と、パニック状態となります。

パニックの状態で、誰も<善悪の判断は出来ず>に、何をしでかすか分かりません。

 登校拒否、引きこもり、出勤拒否、アルコール依存不順異性交遊、万引き、詐欺、窃盗、殺人などにしても、皆が、善悪の判断を出来なくなってするのです。

彼等は、ある意味では、慢性のパニック状態が続いている、と言っても良いです。

 善悪、これは善、これは悪、などの判断が出来る人は、絶対に、<自分にとってマイナス>になる事柄はしません。善と悪の判断が出来る人は、これ以上は、駄目だと判断できます。

即ち、前後の見境もつかない状況、そんな心理状態におかれるので、<してはいけない>と平常人が思う事を、彼等は犯してしまいます。

 

 そんな心のパニック状態になるのは、どうしてか、でしょう。

犯罪を行う皆が、罪の意識、自分の悪の意識さえ持っていれば、余分な行動、余分な会話、犯罪なども出来ません。

 自分は悪い人間だと、体で自覚できれば、一歩を踏み外せない。

自分がこれをしたら、<後が大変>だと理解できる人は、本当に大きな罪悪な行為は出来ません。

 色々様々な逸脱行動、逸脱会話にしても、犯罪にしても、自分の眼前の判断を上手に出来ないだけです。

出来ないのは、自我の形成の問題であり、人格水準の問題でもあります。

自我形成の脆弱な人達は、眼前の人達や環境&状況に、<自分の心が振り回されて>不安定ですね。

 {過去の心}が、{現在の心}を作るし、現在の心が{未来を見る心}を創造します。

 未来に向かって生きて行く自信が無くなった時に、心は限りなく不安定となり、規則や条例や法律までを超えて、駄目な事柄までやってしまいます。

 過去から現在にかけての無意識的の、恨みの感情や、不平や不満の感情が自分の現在の気持ちや心を、下から押し上げて、自分の心を苦しくしています。

 犯罪を犯しても、所謂、悪い事柄を行っても、罪悪感がありませんので、犯罪時には

<善悪の判断>を、誰も持っていないと言えます。

 だが、犯罪者の心を・人格の形成を正確に判断をして、裁判がなされているのであろうか??? 

 可笑しいですね。