‘心の世界’ カテゴリーのアーカイブ

<<心の世界>>大切な事(心・人格)3

2008 年 2 月 25 日 月曜日

 両親の子育てが、最悪に下手な場合ですね。

 

 この話になると、何処まで<話を詳細にする>かですね。

子育てが上手でない場合ですね・・・・、

簡単に言えば、{虐待}に近いケ―スが、沢山とあります。

何処までを、<虐待?>と呼ぶかですね。

 

 分かり易い話からしましょう。

子供達にでも、理解できるでしょうね。

親から、<勉強しなさい>、<勉強しなさい>などと、言われると、子供達は、悲しいですよ。

心の中では、親にたいする不満を沢山と溜め込みますが、親へは、そんな自分の心と姿を見せる訳にはゆきません。

なかには、勉強しないからと言って、子供達を体罰ですね、叩いたり、それとも、子供達が小さければ、押入れに入れたりと、あの手この手で<子供達を教育>しようとします。

幼稚園の頃から、叱咤激励されて、子供達は育つのですが、親の考え通りには行かないものです。

子供達に自主的な思考、考え方が消え失せてゆきます。

 

 小学校に入ってからも、親の子供達への教育ですね、教育熱心と思う人達がいますが、本当のところは違います。

結構な地位や社会的な名誉、また、金銭的にも裕福であっても、親は子供達が大きくなった時に、普通であれば、年老いた順番から<死んで>行きます。

こんな簡単な事柄を、親は、有意識的に気づいている訳ではありません。

無意識的にであり、とにかく、子供達が成長して大人になって社会に出た時に、優秀な人、地位・名誉・金銭、などなどですが、周囲の他人よりも、良い地位であって欲しいと思っているだけです。

 親の言う通り、命令通りに育っていきますと、子供達の主体的な考え方が育ちません。

自分から、自分の道、生き方を創造する能力に、欠けて育ちます。

要するに、親が命令した通りに育った人は、大きくなってからも、自分の意志でなくて、他人の意志から命令されないと、目前が<不安>で生きるのに自信を持てないものです。

 

 少し難しい話になりますが、

    <<親を信用できない人は、他人をも信用できません。>>

だから、人間社会に出ても、所詮、人は人間集団の中で生きるしかありませんから、そんな育てられ方をした人達は、人間社会の何処で生きていても、自分自身に信用できません。

 親は、とにかく、自分のいる地位まで、或いは、親自身がコンプレックスを抱えていますと、子供達が大きくなって、自分のようなコンプレックス人間にならないようにと、考えて子育てをするから、そんなに変な育て方をします。

心の世界を勉強している親でないと、理解しない親も居るでしょう。

 

 「親が心理療法」を受けると、全ての{{答え}}が見えます。

<<心の世界>>大切な事(心・人格)2

2008 年 2 月 22 日 金曜日

 子育て、って難しいですよ。

親は、多くの場合で、私達は一生懸命に<子育て>をしていると、思っています。

誰が、何と言おうと、そう信じています。

 

本当に、親は、一生懸命に<子育て>をしていますが、子供達が、親に対して親への感謝や親への{有り難さ}を感じている事が重要ですね。

 

しかし、多くの場合、殆どのケ―スにおいて、子供達が親の圧力で苦しんでいても、親は子供達の心に気付いていません。

人間の心って、面白いと言うか、考え方にもよりますが、{悲しい}ものでもあります。

 

 両親が、揃って真面目でも、真面目って、どういう観点から言ったら良いか難しいものですが・・・・・。

人が此の世に生まれて育つ過程で、全く、心の葛藤を持たずに育つ事はありません。

此の世に生まれる前の<胎教>から、既に、子供達の心にはストレスが有りますね。

子供達が、親の胎内に居る時から、親が心の葛藤を溜め込んでいますと、胎内の子供達にも影響を及ぼします。

それは、親がストレスを溜め込めば、親の息遣いとか、親の頻脈や動悸が有れば、必ず、胎内の子供達にも影響しますね。

勿論、影響を受けた胎内の子供達には無意識の深い、深い心の<どん底>の世界ですね、どれほど、心の鬱積を溜め込んでいるかは見えないでしょうが・・・・。

 

 幼児期~小学校~中学校~高等学校~などなど、2歳~3歳、5歳~6歳、9歳、12歳、15歳、18歳、21歳、24歳、などなどと、思春期を通り過ぎるまでに、人間の心は多くの場合で、心の基盤が完成されていきます。

その後の心の葛藤については、その歳に至るまでの{心の基盤}に置かれています。

 

 悩むか、悩まないか、です。

 

人間、誰も<同じ心の葛藤>に出会っても、誰も皆が同じようにストレスを感じるか、ですね。

仮に、同じように育ったように見えても、人の心の中の模様は、誰も違っています。

そうですね、青年期、成年期、壮年期、高齢期、老齢期、などと、年老いて行く毎に、様々に心の葛藤は蓄積されます。

 

 面白いのは、人は、それぞれで、男性は女性が好きになり、女性は男性が好きになり、結婚したり、互いに好きになりながら結婚しない場合もありますが、案外と{結婚}、{結婚生活}においても、この事そのものが{心の葛藤=ストレス}になるものです。

 同じように、好きになって一緒になっても、好きになって{結婚}しても、その時は、互いに建前上での<心のやりとり>ですから、本音でお付き合いのつもりでも、現実には違っているものです。

 

 「親の因果~」、「三つ子の魂」などですね。

 「心理療法」の体験ですね。

<<心の世界>>大切な事(心・人格)1

2008 年 2 月 20 日 水曜日

 人は、此の世に誕生する。

 好きとか嫌いとか、自分で選んで誕生する訳ではありません。

 

「子育て」にも、色々なケ―スが、あります。

      ①   上手に、両親が子育てを出来る場合です。

     両親の子育てが、最悪に下手なケ―スです。

     両親の子育てが、まあまあの場合ですね。

     最悪の最悪で・・、沢山の狭間での子育て、数限りないケ―スがあります。

     片親から、育てられる場合です。

     片親から育てられるケ―スでも、これも、また、数限りない状況が有りますね。

     ここでは、沢山と触れるのは大変ですから、少しだけにして

     おきます。

     両親が居なくて、兄弟姉妹から育てられる場合ですね。

     これも、数限りないケ―スが出てきます。

     ここでは、省略しておきます。

     祖父母から、育てられる場合ですね。

     或いは、片方の祖母か祖父かの、場合もあります。

     此の世に誕生させられて、他人から育てられる場合もあります。

     この他人にも、色々な人達が居ますから、育てられる子ども

     さんも{運}{不運}がありますね。    

 以上、人間が誕生するか、しないかが、{分岐点}ですね。

その後は、育てる人達の人格水準によって、育ち方も誰もが違ってきます。

人が、此の世に誕生して、嬉しい事ばかり、楽しい事ばかり、喜ぶ事ばかり、などなどでもって人生を過ごせれば、どんなに楽しい事でしょう。

でも、何度も繰り返して言っています。本当に恐縮しますが・・・、

  

 「親の因果が、子に報い」「三つ子の魂、百まで」と、言います。

 

 古い昔の言葉ですが、凄く立派な言葉ですね。

色々な親、或いは、親でないにしても、親代わりの人たちの子育てが、上手か上手でないのか・・・、色んな人達がたくさん居ます。

幼い時に、育てた人が、子育てが上手でなければ、育てられた子供達は必ず<悩む>筈ですね。

今、現在は悩まないと言っても、必ずや、人生の壁に衝突した時に、その悩みの{迷い道}から脱出するのに、随分と苦労するでしょう。

 

生い立ちを見つめて、{幼い頃の、心の外傷体験を受け入れる}事から、その人の{迷い道}から、脱出できて悩まない人になれるでしょう。

 

 人は、成長する過程で{心の進化}のため「心理療法」が大切です。

<<心の世界>>「無情観」、「無常観」って・・・

2007 年 12 月 7 日 金曜日

 「「無情感」」・「「無情観」」って、「「無常観」」って・・・・???

 

 むじょうかんと言えば、一般庶民は「無情感」・「無情観」と言われますし、「無情観」と書かれる人達が多いです。

でも、仕方がありませんね。

普通の人達は、そこまで<心の世界の紐を解く>必要も無いのかも知れませんから・・。

ここまで体得するには、相当に<人生とは何か???>を考え込まないと、体得出来ませんから・・・人生の独特な修行も必要です。

 

 ところで、普通、悩み苦しむ場合では、自分の事を中心に考え込んでしまいます。

だから、余計に苦しみます。

人生を生きるのに、悩んで生きているのは、自分だけじゃあないんだ、他の人達も沢山の人が悩みながら生きているのだと、気づけば気持ちも幾分かは<楽>になるものですが、それでも、辛いものです。

やはり、金輪際、自分以外の他者に対して、不満や不平や恨みや怨念や呪いなどの感情の一欠けらも持たない方が、遥かに人生を生きて生き易いですね。

 

 沢山の人達に、出会います、私は{何も悩みは、持っていない}と自己主張されます。

だが、人間の心って、そんなに簡単ではありませんね。

とりあえず、現在の今、私は幸せだと感じていても、自分の過去には、必ずや、誰しも、心の満たされなかった{過去の心の積み残し}を積み重ねながら日常生活をしています。

無意識的に、「積み残された過去の心」が、「現在の自分の心を圧迫して」いますので、勿論、殆どの人達は気づきません。

 

 「積み残した過去の心」を、しっかりと掘り起こす、自分の過去を回想してみないと、理解できません。

何故、人は、自分の過去を回想するのか、それは、本当の自分の考え方を知るためですね。

私は、私の心を全部が理解できていると、自己主張される人が沢山と居られます。

しかし、自分の生い立ちの心を、自分の過去の暗闇に葬ったままでは、真実なる自分を生きるのは、困難です。

 

 人は、「会話」と「行動」、それを操る「心」があります。

どんなに考えても、この「3つ」しかありません。

自分の「会話」と「行動」を操る自分の「心」を知る事、格別に今の「心」は過去の心に裏打ちされていますので、自分の「過去の心」を知る事ですね。

自分の過去の心を知ると言っても、自分流の自己分析による<自分を知った>では駄目ですね。

客観的な自己分析による<自分の過去を知った>でないと、あまり有意義ではないですね。

 

 悩まないと言う事では、「「無常観」」が最高でしょうが、ここまでは、普通は無理でしょう。

 本当の<過去の自己を知る>で、良い筈です。

 

 自分の過去を充分に客観的に知るだけでも、今の自分の人生をより良く悩まずに生きられる筈です。

<<心の世界>>{うつ病}(7)

2007 年 10 月 25 日 木曜日

 先述しましたが、<悩まない人>になるだけ、それだけで充分でしょう。

 <悩まない人>は絶対に{うつ病}には、ならないと言っても良いです。

 

 {悩み・苦しみ}が先か、{大脳の神経内分泌の変化}が先か、うつ病者では、どちらが先に変化が有るのでしょう。

誰でも、理解できると思います。

 ですが、人は、悩んでいても<悩んでいない>と言う人達も見られます。

当方から見れば、常識的にも考えられないのですが、こうした現実は沢山とあります。

悩んで苦しんで、不安とか恐怖とか抱えている時に、その心の建前と本音を時折ですが、教えて伝えてあげることもあります。

 でも、人の心の現実を正確に教えてあげても、教えてあげた人と教えてもらった人との人間関係が上手くいくかと言えば、決して、人と人の関係は良好にはならないですね。

自分の心を丁寧に几帳面に詳しく教えてもらっても、残念なことに伝わらないのです。

 

 それは、何故かです、ね。

教えて伝えてもらっても、立腹さえします。悲しい事です。

当の本人が、ある程度、自分の心の下層にある心に気づいていれば良いのですが、そうでないと、当人の底辺に有る心を教えても、立腹さえしても、感謝をされる事はない・・。

 学問的に言えばですね、

顕在意識~潜在意識~無意識の心など、本人がそんな知識を持っているだけでも違うのですが・・・勉強しないし・・勉強しようとしません・・・・。

 多くの人達は、お金儲けなど、或いは、地位とか名声を追い求めていながら、自分の生い立ちの心が、自分の現在の会話と行動と心を動かしていることを気づいていません。

気づいていないのに、教えられても理解できないところが、悲しい現実、ですね。

 それが、人の心というか意識のレベルなのですね。

 

 人生を生きる、人間社会で自分を活かす、そのためには、自分の浅い心と深い心、易しく言えば、本音と建前を自分の脳裏に焼き付けておく事なのです。

誰でもが、世の中を生きていくには、人の心への教育が大事にされるべきです。

無意識と潜在意識と顕在意識の心を、自分で<答え>を出しておき、眼前の如何なる人達や環境、又、状況にも対応できる能力を養っておくべきなのです。

 

 あの人が嫌い、あんな事は嫌い、嫌い嫌いと言っても、此の世の中を渡れません。

どんな事柄が自分に押し寄せても、自分の力量でもって、対応して解決すべきでしょう。

 でも、人間って、自分で出来る事については、極僅かですから、自分以外の人、他人に依存してお願いしなければ、生きる事が無理な場合が沢山とあります。

 時には、思い切って他者に{依存}する勇気、又、{拒絶}されれば、相手にも色々な理由が有るので、場合によっては、また、別の人に{依存}するのが必要な場合もあります。

ある程度の切磋琢磨が有って、初めて他者も自分を認めてくれるものです。

 

 今まで歩いて来た自分の過去を点検するだけで、自分の実力&力量は大きくなります。

 

 過去の心を回想して、自分の心を磨いておけば良いです。自分の心の操作次第です。

 

  「インターネット心理療法」を受ければ、大丈夫です。