‘心の世界’ カテゴリーのアーカイブ

<<心の世界>>不思議な人達 10

2008 年 10 月 15 日 水曜日

 人間って、そんなものでしょう。

殆どの全ての人は、自分が得をする事、他人よりも優位に立ちたい事、所謂、「勝ち:負け」・「得:損」・「優越:劣等」・「受容・拒絶」・「好き・嫌い」、などなどの感情で生きておりますが、そんな自分の心には<<全く気づいて>>いない人達が多いですし、多すぎます。

 

 一般的には、世の中の人達は、自分の属する集団の中の出来事にしか<眼が届かないのが普通>です。

自分が住んでいる以外の地域の出来事や色々な人間や色々な環境などに<しっかりと自分の眼が届くようなら>ば、上記のマイナスの感情に気がついた時は、結構と気楽になれるものでしょう。

人間の{幸福}は、お金や地位や名誉や、はたまた、好きな異性の人が沢山いる事が幸せだけではないでしょう。

普通の庶民、一般庶民と同じ考え方をしていると、同じ生き方しか出来ないでしょう。

自分の考え方が、一番に正しいと考え込んで生きている人達の多い事です。

 

 当方では、よくよく、患者さんに説明しますが、最近では、病医院で<心の話をするのは、禁句だと>感じています。

だってね、心の真実を語れば、語るほどに、患者さんや、いや、患者さんでなくても、普通の庶民でさえ、真実なる心の話をする人間を見てから、<この人は、頭が可笑しい>のではないかと、思うくらいです。

いかなる病気にしても、患者は医院に薬を貰いに来るのが主体で、心の話を聞く耳は持たないので、大変です。心のカラクリの話が出来る医者は少ないでしょうが・・・・。

それほど、人間は<心の世界、自分の心さえ見よう>としないのですから、まして、他者の心なんか見える筈はありません。

 

 人は、「会話」・「行動」・「心」、この三つしかありません。

何度も繰り返して、この言葉を伝えているのですが、人間の本性は{強情}のようです。

耳で聞いて、自分の大脳の海馬に取り入れて蓄積させて記憶しようとはしなのだから、面白い生き物ですよ。

「心」が、全ての「会話」と「行動」を操作して操っているのです。

それで、心が一番に大切だと伝えている訳です。

一番に大切な「心」を置き去りにしたまま、人が自分の人生を生きようとするところから、様々な問題が起こってきます。

 

 人間、必ず、時間に<流れて>、年老いて此の世を去って行きます。

どんな病気になっても、納得して満足できる人になっておくべきなのですが、まあまあ、少し難しいでしょうね。

「人生とは、何か」、「人の命とは、何か」、「人の命は、限りあるもの」、「生かされて生きて、此の世を去って行く」のが人生であり、人の世の慣わしでしょう。

可能であれば、事実を受け入れておくのが大切ですね。

<<心の世界>>不思議な人達 9

2008 年 10 月 6 日 月曜日

 多くの人達が、人間世界を生きるのに<悩みながら>生きるものです。

しかし、面白いって言うのか、嘆かわしいって言うのか、悲しいって言うのか、素晴らしいって言うのか、色々な見方が有りますよね。

 視点を変えれば、同じ物が、別の物に見えて来るものではあります。

他者が見れば、素晴らしい物に見えても、別の人達が見れば全く無感動の物に見える場合も有るでしょう。

 

 地球上なんて、当方から見れば、限りなく小さい物体に見えます。

だがね、一般の庶民の人達は誰もが、地球は大きいと言うでありましょう。

これは、唯、唯、人の見方、人の考える「器」の問題であります。

そこで、人生が楽しいか、楽しくないのか、などについては、その人が自分と自分以外の人間や環境について如何に考えるかの問題になってきます。

何を見ても、楽しい、嬉しい、喜ばしい、などと感じる能力さえ有れば、人生は楽しくなるし幸福にもなるでしょう。

 でも、誰も皆が悲しい出来事、どんな立場から見ても<人として、悲しむべき事柄について>、そんな状況に出会っても{悲しい出来事}だと感じる感性や能力が無ければ、これは、また、人間として失格になるでしょう。

 

 大変なのは、地球上の人間が、皆、民族や集団によって宗教も違うということです。

宗教が違えば、民族が違えば、それぞれの考え方や物の見方が違う事が多いです。

この事柄については、本当に大変です。

 しかしながら、普通の社会生活にて、同じ出来事に衝突しても、ある人は悲しい、ある人は悲しくない、と思う場合もあります。

皆が悲しくない事柄を、悲しい出来事として考え込んで{うつ病}などになっても、あまり褒められた事ではありません。

皆が悩まない事を、自分一人だけが悩むのは、心が疲れて体も疲れます。

そうだから、病気にもなります。

 

 人の社会そのものの中には、{平等}はありません。

自分だけが不幸だと思うのが、<うつ病>の始まりでもあります。

人は、誰も皆が生きていますと、時には悩むものです。

人は誰もが悩むのが、普通なのですが、その悩みを自分でコントロ―ルできるか、コントロ―ル出来ないか・・が・・分岐点です。

一方で、どんな事柄が自分に衝突して来ても、人生の途上では<こんな事もある>よ、と考えれば、悩まない筈です。

 

 「人生とは、何か」を悟る、勿論の事、「宇宙~銀河系~太陽系~地球~日本~自分の居場所~自分の存在」これが体得できれば、悩む事は無いでしょう。己の存在は、周囲から<生かされた存在>であり、無我の境地となり、拘らない人になるのです。

<<心の世界>>不思議な人達 8

2008 年 10 月 3 日 金曜日

 心の葛藤、ストレスって面白いですよ。

唯、唯、その心のストレスと体が如何に関連しているかを、理解出来ないかもしれませんが・・・・。

その事が、明確に理解できてくると、それは楽しいものです。

多くの人達は、生まれたまま、ぼんやりと未来を眺めて生きています。

気づいたら、{死ぬ時だった}という場合もあります。

その時になって、考え込んでも<手遅れ>です。

人生、自分の人生を、再度、生まれた時から、もう一度ゆっくり生きてみようなんて、出来ません。

 

 日常生活では、肩こり、背筋痛、腰痛、何となく疲れる、全身倦怠感、などと症状が出てくれば、日常生活では大変に疲れてしまいます。

格別に、{肩こり}、{背筋痛}、{腰痛}などでは、案外と頑固に続いて治らない、お医者さんにかかって治療しても治らないって言う人達が沢山と居ます。

特に、腰痛ですね、頑固な腰痛が治らなくて、直ぐに、コルセットを巻いて生活している人達も見られます。

老若男女で、そうなのです。

 

 当方で、そんな頑固な腰痛でコルセットなどしていれば、そんな事をしなくても直ぐに治りますよ、と伝えます。

信じられないような、顔をして聞いておられますね。

頑固な腰痛で苦しむ場合であれば、一応ですが、腰のMRI検査を勧めています、ヘルニアの手術が必要な所見さえ無ければ、そして、高齢者では、膵臓癌なども無ければ、心理療法で100%治るのではないでしょうか・・・。

しかも、簡単に、ですね、数日で治りますよ。

現実に、当方では、比較的若い人達で腰痛に悩み苦しんでおられる人達に{心理療法}を受けて頂いて、1週間で腰痛は全快した、コルセットも要らないなんて言われて

いる人達が、見受けられます。

 

 {頑固な肩こり}なども、簡単に治りますね。

自分の過去の心の紐を、しっかりと解いて行けば<それだけで>痛みは無くなります。

簡単に説明すると、人生勉強で良いのです。

人間世界を理解するには、先ずは、自分の心から勉強しておく事です。

そうして、自分の心の世界が理解できてから、初めて、もっと、人間社会の集団の動き・民族、世界、なども見えて来るでしょう。

そう、自分の心の「器」が大きくならないと、見えるものも見えません。

心身ともに、健やかに生きるために、一体に、個人は何をして、何が出来るのか、個人の能力、実力、限界を知ることが大切です。

<<心の世界>>不思議な人達 7

2008 年 10 月 1 日 水曜日

 当方から見れば、面白い現象ですね。

ほんとうに、そう思います。

当人にとっては、大変なのですが、だから、心の勉強をして欲しいと思います。

心と体の関係を、人は知ろうとしません。

{心身一如}なんて言う言葉が、昔からありますね。

現代の言葉で言えば{心身一体}、{心身相関}などと言います。

 

 人間の文明とか文化とか科学とか技術などが発展して、人間生活が豊かになればなる程に、人は心を置き去りにしてしまいます。

人が誕生してきて、世の中で人生を生きるには、自分の心が一番に大切なのです。

ですが、何故でしょうね、人は自分の心を確認しようとしません。

自分が誕生してから、育つ過程において、両親や兄弟姉妹、祖父母、親戚の人や、隣人や、学校の先生達など直接接触する人や、ただ自分の側を通り過ぎて行く接触のない人のことも、その時の自分の感情が、頭の海馬に積もり積もって行きます。

 

 子供の時から、いや、新生児、乳児、幼児の時から、大人へと成長する過程で誰も皆が心の葛藤を持って育つものです。

少しずつ大人へと成長する過程で、ストレスを持ちながら蓄積しながら、人の大脳の奥深く海馬へと、心の葛藤が沈潜して行くのです。

そして、そんな幼い時の心の葛藤は、大人になって行く過程で次第に忘れ去ったような気持ちになります。

 

 幼い時のストレスですね、大人になって考えてみれば、それはストレスと感じないで終わるような事柄が有るものです。

それ故に、大人になるにつれて、自分の抱えた過去の心は自分の心の底辺ですね、心の暗闇の中に沈んでしまいます。

その過去の心が、現在の自分の心を操作しています。

 

 人は、自分の過去の心によって、操られております。

悲しい事、苦しい事、腹立ち、孤独、嫉妬、妬み、劣等感、恨み、怨念、などの全ては、自分の過去の心の操作で、自分の今の心が操られているのですから、自分の過去の心は、考えてみれば怖いものです。

 

 下腹部の症状、慢性の下痢や慢性の腹痛などが有っても、器質的疾患が無ければ心の葛藤から来ている病気と診断しても良いのです。

ですが、その心を治してあげる医療機関が少ない、いや、医療の世界では治療する手段・能力を持たないと、言った方が正しいでしょう。

どうぞ、自分の心を確認しながら、生きて欲しいですね。

幸せに生きるために、楽しく人生を生きるためにです。

<<心の世界>>不思議な人達 6

2008 年 9 月 18 日 木曜日

 胃が痛い、腹が痛い、慢性の下痢をするなどとも、言われます。

当方で、潰瘍大腸炎で「心理療法」を受けた人も居ます。

大学病院で、薬を飲んでも体の症状が<すっきりしない>などと言って、「心理療法」を受けられました。

腹痛、出血便が難治で続いておりました。

苦痛と疲れ、顔は沈んで、ゆがんでいた程です。

しかし、当方で「心理療法」を受けた後、現在は日常生活のなかで仕事もこなして生活されています。

 

 当方にとって、面白いと思うのは、この人が何も悩みは無いと自己主張するからです。

これほど、体に症状がありながら、自分の悩みは無いと言うのですから、不思議ですよ。

自分の心と体に、特別に<<鈍感>>ですね。

{失感情}{失体感}などと言います。

格別に、鈍感な人達が確かに居られます。

胃潰瘍とか、十二指腸潰瘍、などの人達も、自分の心と体に鈍感ですね。

状況から見ても、悩みや苦痛を感じて当然に見えても、彼等は<悩みは無い>と言うのですから、それは不思議です。

 

 彼等は、自分の{過去の心}に眼と心を向けない、そんな感じです。

眼と心を向けない、現在の自分の体にさえ<眼と心を向けよう>としないくらいです。

言い変えれば、鈍感そのものです。

自分の奥底の心には、全然、気持ちを向けようとしませんから、悲しいものです。

自分の奥底の心を知っていないと、現在の自分の心や行動や会話などもコントロ―ル出来ませんよ。

 

 心身症の症状と呼ばれる人達は、多くの場合でこのパタ―ンですね。

だから、何時までも<薬、薬>と言って、薬に依存して生きて行きます。

薬を暫く中止していると、直ぐに、また、症状が再発します。

ある意味では、自分の心と体の調和を計り健康でないと、余計な治療費が必要となります。まして、国の医療費も負担が大きくなります。また、人生を楽しく喜んで健やかに生きることが大変になります。

会社勤めも、休養治療のために、診断書を医師に書いてもらって会社を休むという事柄も出て来ますから・・・。会社の損失でもあり、当人個人の損失でもあります。

 

 可能であれば、世の中を生きるのに、心に葛藤を持たずに気持ちよく安らかに生きる事が出来れば、立派な人間生活を健やかに送る事ができるでしょう。

薬も必要ですが、やがては、人は老いるもの、どんなに心が丈夫でも体の病気を起こす場合もあるでしょうし、それでも、心が安らかな生活が大切です。