‘心の世界’ カテゴリーのアーカイブ

<<心の世界>>過去の自分を知る(9)

2009 年 12 月 1 日 火曜日

 何度か繰り返しますが、少しながら地位や名誉の有る人達が、次のように話します。

「「過去を振り返らずに、現在と未来だけを向いて生きればいいのです。」」なんて、言う人達の心の<<愚かさ>>ですね。

そんな生き方が出来る間は、まだ良いのです。

でも、そんな生き方をしていると、必ず、未来において自分の人生の<<迷い道に踏み込んで>>しまうでしょう。

当方、それが絶対に悪いとは、言いません。

でも、同じ未来を眺める事柄に拘るのであれば、自分の「死」をとりつめて欲しいのです。

 

 普通、人間にとって、最大に怖いものは、自分の「死」です。

また、人生を生きる上で、自分の「死」を生身のうちに悟った人は、そんなに大きな人生の壁に衝突しないだろうと言えます。

そう、自分の「死」について、納得していれば、少々の心の葛藤には耐えられるものです。

「己の過去を知る」の最終稿としますが、人生を生きるには、「懺悔」と「無常観」の悟りが最大に重要でしょう。

少し、難しくなりましたが、恐縮です。

でも、この言葉だけでも良いですから、記憶に留めて下さいませ。

 

 「懺悔」・・・自分の過去を振り返らないと、絶対に「懺悔」は出来ません。

「無常観」・・・ここまで悟るには、随分と心身の修行をしないと悟れません。

「無常観」→「無我」→「涅槃」の順序で、人の心は流れて行きます。

仏典の中で、一番に大事な言葉であり、大事な<<悟りの境地>>への心の流れですね。

「無常観」を悟るのは、あまりにも難しいので、精々と「懺悔」だけでも体験されれば、人間は幸せになれますと、言われています。

当方は、宗教には全く信心は有りませんが、それでも、仏教観では、勉強してみると随分と勉強をさせられます。

「懺悔」とは、簡単に人は言いますが、体験しないと「懺悔」の境地に至る事は出来ません。

 

 繰り返しますが、懺悔と、簡単に言っても、それなりの体験をしないと分かりません、。

此の世を生きるには、当方、本当に「懺悔」は重要と考えます。

「過去を振り返らずに、未来を向いて生きる」とは、「懺悔」ができない事になります。

「無常観」を悟るには、未来の未来まで眺める事ですが、肝心の自分の此の世からの消滅には眼を向けません。

自分の消滅を、体で悟る事が、「無常観」を悟る事です。

自分の過去を知る過程で、そんな「懺悔」や「無常観」を悟っているかと問われれば、直ぐに、悟っていないと分かるでしょう。

「懺悔」って、凄く大切、「・・ネット心理療法」で、可能です。

<<心の世界>>過去の自分を知る(8)

2009 年 11 月 30 日 月曜日

 自分の心を知るって、何で<<そんな事を言う>>のかと思われるでしょう。

昔にても、西欧では「「汝自身を知れ」って、言葉が有りますよ。

有名な言葉です。誰も皆が知らぬ間に<言葉だけ>が流れています。

仏典では、「知足」などとも、言う表現も有ります。

少し違いますが、どちらも人間の「「欠乏欲」」について、触れているようです。

そう、自分の「「欠乏欲」」について知っておく事であり、適当にコントロ―ルできるべきでありましょう。

 

 多くの人達は、自分の目玉が外界に向かって付いていますので、自分の眼前に「「青い鳥」」を求めて生きています。

何か、良い事ないかなあ!!!、なんて常に漠然とでも考えています。

人間は、幼い頃から、こんな考え方をしながら成長して来ています。

当方が、いつも皆さんに言っていますが、人間は一般的には<<外観様式>>で生きています。

「少数の人間が、内側を見て人を救う」と言う言葉があるくらいです。

己の心を十分に知って、あまり沢山の「「欠乏欲」」を持たない生き方を教えるものと感じます。

 

 人間って、傍目から見ていると、誰も皆が楽しそうに悩みも無いような感じで生きているように、見えますね。

ところが、現実は、全くと違います。

立派に上手に生活しているように見える人達でも、結構のこと自分の心の内側には「劣等感」などを抱えて、自分では捨てきれないで、苦しんでいます。

そして、言います。

「劣等感」は、人生を{生きるバネになる}と自己主張するのです。

「劣等感」は、自分の煩悩が多いため湧き上がって来るものです。

煩悩→自分の心身に{害}を及ぼす考え・思い、などと伝えておきます。

 

 当方、煩悩を持ったらいけないとか、駄目だとか、そんな事を言う積りは有りません。

しかし、その煩悩を抱える<<限界を知る>>べきだろうと考えます。

これ以上、煩悩を大量に抱えると、自分の心身に<<害を生じる>>などの限界が理解できる筈でしょう。

これが、大切なのです。

煩悩って、何ですかと言われる人が居れば、ここで、折角ですから、「「煩悩」」の意味くらいは知って欲しいですね。

詳しく知るとなれば、また、随分と余分な学習が必要となるので、とりあえず、あまり多くの「「煩悩」」を抱えると、自分の心身が疲れ果てて心の病気、心身症や神経症やうつ病などにも、そして、「犯罪」にまでつながる事実を知るべきです。

<<心の世界>>過去の自分を知る(7)

2009 年 11 月 28 日 土曜日

 前回の【閲覧文】で、①・②・③・④・⑤・⑥・⑦・⑧、の質問をしましたが、皆が、多くの人達がお母さんも、お父さんも好きだったとか、答えます。

では、どれほど好きだったか、自分の生い立ちの【過去】を調べてみましょう、と言いますと、逆に、思い出したくもないよと答えます。

そうなんです、よ。

人間って、口で言うわりには、案外と「感謝」とか「恩」を感じて生きている生き物ではありませんね。

口ほどに、実行できていません。

 

 「己の過去を振り返らずに、前だけを向いて生きて行け」、なんて言う人も時折に、見かけます。

多くの場合で、社会的に少しながら出世した人〈当方は、出世とか金銭とか名誉とか、そんな物で人間の{{価値}}なんか決めるものではありませんが・・>は、立派な人と信じています。

勿論、誰もが、人間は、お金が好き、沢山のお金を持っていても、まだまだ、お金を欲しがるものです。

よくよく考えてみると、面白いですよ。

人間の欲望には、限りが有りません。

お金があれば、更に、お金を求める・・・、或いは、お金が有れば、次には、名誉が欲しい、などと、考えます。

勿論、貧乏でも、名誉を追いかける人も居ます。

 

 お金があれば、名誉を追いかけるのですが、人によっては、異性を求める人達も沢山と居ます。

お金も名誉もなくて、異性だけを追い求める人達も沢山と見られます。

こんな人間の「業」の中で、何処まで自分の生き様を<<踏み外す>>のか、人間って動物は大変な生き物です。

何処まで、自分の役割をこなして、何処でブレ―キをかける能力が有るのかも、その人の生い立ちの心に関連しています。

俗世間で出世して生きてた積りでも、ふとした「事件」をおこして、自分の築き上げた地位とか名誉などが、一瞬にして消えて崩壊する場合もあります。

 

 こんな事柄も、自分をしっかりと見つめて生きていれば、あまり失敗するケ―スは、少ない筈です。

 「己の過去を振り返りながら、自分の過去での失敗と反省を見つめながら、自分の現在と未来に眼を向けて生きる」ことが、最高の生き方でしょう。

あまり、人間は自分の目玉が外を向いているので、外側ばかり見て生きるのが好きですが、必ず、失敗もするでしょう。

大きな失敗をしないために、「・・・ネット心理療法」が重要です。

<<心の世界>>過去の自分を知る(6)

2009 年 11 月 27 日 金曜日

 自分の人生が、どんなに楽しくても嬉しくても、現実に自分の過去の心を知っていなかったら、多分に嬉しい幸せな気持ちも<<ある機に、突然に>>壊れてしまうでしょう。

人間の大脳の海馬には、記憶装置があります。先述しましたが、記憶の「積み木箱」が上手に綺麗に積み上げられて・・・自分の過去の記憶がしっかりとしている事です。

心の「積み木箱」が、しっかりと上手く積んであれば、人の心は眼前に<<少しくらいのマイナスの気持ちに衝突しても>>簡単に立ち直れます。

 

①お母さんが好きでしたか・・・・。

②お父さんが好きでしたか・・・・・。

③兄弟姉妹が好きでしたか・・・・・。

④祖父母が好きでしたか・・・・・・。

⑤幼稚園、小学校、中学校・・・・・育つ過程での、周囲の人達が好きでしたか・・・・。

⑥隣近所の人が好きでしたか・・・・・・。

⑦親戚の人達が好きでしたか・・・・・。

⑧自分の知らない人達も、沢山と通り過ぎて行きました・・・そんな人達をどんなに感じましたか。

⑨学校で、会社で、集団(各種のグル-フにて)でも、色々な人達を好きでしたか・・・・。

幼い時から、色々様々な環境がありましたでしょうね。

悲しい環境、貧乏の{どん底}、「喜」・「怒」・「哀」・「楽」などの環境が有った事でしょう。

誕生後~成長する過程で、人は誰しも色々様々の出来事に遭遇します。

そんな時に、大脳の海馬に積もって行くのですが、マイナスの「記憶箱」になっているのか、プラスの「記憶箱」となっているか、どうかが、分岐点となるでしょう。

面白いのは、自分の過去の記憶がプラスだと考えていても、ある「機」を切っ掛けにして、そんなプラスの記憶がマイナスに変わっていく場合も有ります。

充分なる注意が必要なのですが、気づきませんよ。

 

お母さんが好きだった。

 

では、何故に好きだったのか、具体的に過去の記憶を掘り起こしておかないと駄目です。

親の「恩」、他者の「恩」とか、親への「感謝」とか、他者への「感謝」なども重要になってきますが、こんな話を聞いただけでは理解できません。

自分の過去の心を、点検していく方法があるのです。

「このインンタ―ネット心理療法」を体験して初めて、「恩」とか「感謝」などを理解できる事になるでしょう。

人生を生きるには、この体験以外には、分からない筈です。

<<心の世界>>過去の自分を知る(5)

2009 年 11 月 24 日 火曜日

 本来的に、人間は自分の周囲を眺めて生きる生き物であります。

自分の過去を知る事によって、自分の周囲の世界が見えてきます。

人間の生き様は<<外観的>>で、それが人間の普通の生き方です。

<<外観的>>な生き方をしているからこそ、真実な自分の心が見えません。

自分の生きて来た・・過去の「心」が如何なる状態かが見えませんので、現在の自分の「心」も自分勝手に動いているものです。

他者には、親切にしている積りでもですね。

結構と、心の底では、エゴの心が動いて、現在の自分の「心」を操作しているものです。

 

 人間は誰しも、自分は<<正しい真面目な心>>で生きていると考えていますから、この事実が怖いのです。

自分の「心」は綺麗で正しいと思っている人達は、あまり「器」の大きな人間ではありません。

しばしばと、他者に心の中で【不平】や【不満】など持ち易いです。

そして、時には、争い事も起します、「会話」で、「行動」で、また、心の中で次第に葛藤が蓄積して、最後には、パニック状態にまでなってしまいます。

自分の深い~深い潜在意識や無意識の心の世界を、時折にでも良いから自覚しておきますと、自分の「建前」と「本音」が十分に理解できますので、他者との交流も気楽に出来る筈です。

 

 しかしながら、此の世の中で、{事件}や{犯罪}などは無くなりません。

悲しいかな、人間全体像で観察していると、地上の人間世界では、人と人の和やかな交流は難しいですね。

何時も、何事においても、他者との<<眼には見えないが、競争心>>などが働いていますから、此の世を生きるのは大変で、そうであるからこそ、自分の「心」を磨いておかないといけません。

どんな人達と遭遇しても、自分の確固たる「心」を持って<<自分の心を丸裸のまま>>で会えば良いですよ。

仮に、上手な{対話}とか、相手に対して{自分が劣る}などの感じがするようでは、自分の「心」の磨き方が、まだまだ子供なのです。

 

 人間世界、此の世の中を生きるためには、心身ともに、自分の顔に仮面を被らず、自分の体に重い鉄の鎧を着込まない事です。

どんなに自分で努力して、自分の仮面を取ろうと考えても無理です。

着込んだ鉄の鎧を自分で脱ぎ捨てようと考えても、全く脱げません。

所詮、世の中を自分の心身に色々な仮面などを被って、化けて生きていくのが精一杯でしょうけれど、素直になって自分の過去の足取りを読んでみる事が重要です。

「インタ-ネット心理療法」の体験で、世の中を気軽に・・・、大丈夫です。