‘心の世界’ カテゴリーのアーカイブ

<<心の世界>>ニートとインターネット心理療法

2014 年 2 月 5 日 水曜日

  「インターネット心理療法」では、仮名のままでも受け付け可能です。
また、一切の秘密事項については遵守し、皆様のご希望通りに進んでまいります。

  ここでは「ニート」について、少しだけ触れて見ます。
職に就いておらず、学校機関に所属もしておらず、就労に向けた具体的な動きをしていない若者を指します。

  何度も繰り返して述べていますが、人間世界を生きる過程で、日常生活において「悩みが何も無い」という人達は、随分と人間学を勉強された方であろうかと思います。
  人間の欲望とは、昔から、仏教観で表現されていますね。
当研修所では、どのような宗教観も他者に押し付けるような事は絶対にありません。
唯、ここでは、分かりやすく説明できるので、仏教観の中から、少し、人間の欲望について表現してみます。

  人間の欲望とは「食欲」、「性欲」、「睡眠欲」、「金銭欲」、「名誉欲」と五つに表現されています。
此の世を生きていく上では、上記の五欲の少しくらいは持たないと、人ではないのかも知れません。適度な欲望は、必要であろうと思います。
  ですが、人は物事に拘り始めると、なかなか{その拘り}から解放されません。
悩み苦しみ、神経症、過食、拒食、うつ病、アルコール依存、引きこもり、フリーター、最近は、ニートと呼ばれている方達などが、随分増加しているようです。

  人間は、仕事をして、何がしかの金銭収入を得、生きて行かなければなりません。
フリーターと称される人は、働く意志が有っても、正社員として所属せず、人間関係が苦手で、職を転々とします。労働意欲の減退者などと言われています。
ですが、当方、フリーターについてこのような考え方はしていません。

  ニートと呼ばれている方は、これよりも低い思考能力しか無いというのです。
仕事もしない、仕事をしなくても食べていける、働いても日雇い程度で生活。
同じ無職でも外出できない、「引きこもり」ではないが、時間に縛られて働く意思のない無職。その原因は社会現象(環境)や教育不足などと、解説者がよくいっています。
当方では、絶対にそんな考え方は違うと断言しておきます。

  生まれつき脳器質に障害がある場合は仕方がないとして、現実には、矢張り、親と子供の関係が問題です。親が子供を育てるときに、ほんの少しであるにしても、何処かで間違いをして育って来ています。
  俗に、ニートと呼ばれる人を社会に送りだしたことに対しては、社会の責任にするのではなく「親と子供の信頼関係」を、再度、一からやり直すことです。

  心理療法に、長年月、係わっていると、全ての{心の病}も見えてくるものです。
「引きこもり」「ニート」「フリーター」にしても、彼等すべての問題は、{生い立ち}の心の世界に、その答えは必ず存在しています。
  前三者共、見栄と虚栄心だけは、すごく抱え過ぎています。人間社会で、それぞれの事柄に価値観を見出し、適応していれば、それなりの{見栄}と{虚栄心}を持っていてもよいのです。
ですが、彼らは、全く社会適応せず{自惚れ}だけが強いようです。

皆が、親も子も、一考を要します。 「インターネット心理療法」を、是非とも勧めます。

<<心の世界>>自己表現・主張できない人たち

2014 年 1 月 30 日 木曜日

   自分の思った事、考えたことを人前で話せない人達が、沢山と見受けられます。

  ① 眼前の人に対して、1対1では気楽に話せるが、大勢の前では話せないという人達は本当に多いものです。
この場合では、それなりに、人間社会を生きていけます。
この様な人達は職員として、会社や企業で働いていても、出世前までの仕事では何とか働けるのです。
  しかし、長く真面目(一見、真面目そうに見えるだけ・・)に勤めていると・・・、
どうしても年齢的に次第に部下もできるし、上役となっていきます。
出世する程に、部下に話したり教えたり、人前で話をする機会が増えてくる訳です。
だんだんと、ストレスが増えてきます。
そういう状況になり現場で働いていますと、必ず悩みますね。
心が緊張してくるので、不安になり、緊張が強くなると、パニックとなり、自分が何を考えているのか分からない状態になってしまいます。
時には、失神して倒れることもあります。
そうなりますと、残るは、会社で働くのを辞めるしか道は残されていません。
迷いが強くなってしまった場合は、辞職願も出さず、その日に会社を辞めてしまう場合もあるでしょう。

  ② 最近では、1対1の人間関係でも、全く話をするのが苦手だという状態の人達が増えました。
このような方達は、勿論、大勢の前では、絶対に話すことが出来ないでしょう。
この場合では、人との交流が成立しません。
環境と言えども、必ず、環境にも人の影(人、人の心)はついて回るので、社会適応は出来ません。
劣等感も強大となり、心も体も自分の思う通りにはなりません。
人間社会を生きるには、とてもではないが無理です。
人の前に出られないと、{引きこもり}になります。
{引きこもり}のまま、長期間続けば、ますますと{劣等感}などの心が強大となり、
様々な問題や事件が、発生することにもなる場合があります。
何時までも{引きこもり}を継続するだけで、事件が起こらないと良いのですが・・・。
でも、{引きこもり}が続くだけでも大変です。

{フリーター}など、定職を持たず、また、職を転々とするのも、彼等は自分達が
心の対人関係を適度に成立しえないのを、知っています。
何時でも仕事を辞められる条件を、持っていたいのです。

また、全く職に就かない、外には出るが、全く社会的に生産性がないと言いますか、{ニート}と最近呼ばれている人達も、つまるところ、自分以外の他者、母と父を含めて、心の交流が上手に成立しないのです。

  ③ 人とのコミュニケーションが、1対1、大勢の前でも可能な人は、立派です。
唯、見せ掛けだけが、立派に見えても{その人の中身}が違う場合もあります。
所謂、他者に知られないように、化けて生きているのです。
でも、心の有能な人が、その化けた人を見れば、結構と分かります。
常識を逸脱した会話や態度が、見えるものです。
昔から、「物言わぬは、腹膨るる」と言います。
物を言っても、言葉で人を傷つけないことです。
人との対話、又、皆の前で話が出来るような人になりましょう。

心理療法で、こころの中のカラクリを知ることで、こころの操作ができるようになるでしょう。
(心の中のカラクリ=心理療法の適応)です。

<<心の世界>>自尊心・他尊心

2014 年 1 月 28 日 火曜日

  「自尊心」は、心理療法の中でも、よく使われる言葉です。
一般の人も含めて、心理療法に関わる人達までが・・・「自尊心」は、大切にしないといけません。
「自尊心」を、自分を大切にする心を持たなければいけないなどと、よく言われます。
そのように、「自尊心」を解釈している人達は、究極的に{人の病む心}が見えていない人とも言えます。

  自分の心と体を大切にする思いは、本当に重要です。
確かに人が人生を生きるには、自分を中心としたうえで{世の中を見る}ことが必要なのでしょうが・・・、しっかりと考えてみると、実際には違うことにもなります。
自分が中心と考え、自分を中心にして、{世界が回る}と思っては大変な誤解が生じます。

  「自尊心」よりも「他尊心」の方がはるかに大事なのです。
自分を大切にすることは・・・・、他人から、{自分を大切にしてもらいたいなどの心も生じてきます。
  「他尊心」、昔からの言葉がありますね。
  「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」と言います。
また、昔のお住職さんですが「捨てて、捨てて、捨てて」などと言った方(一遍さんでしたね)もおられましたね。

自分の抱えているものを、全て捨ててしまうという意味かと感じます。
体を捨てて死んでしまうのとは違います。
{拘り・執着}などを捨てましょう、気持ちが楽になるということです。

  常に、人間は自分の好みで、他人や環境に拘らないと{気がすまない}でしょう。
自分の持ち物を(執着ゆえに)捨てきれないのです。
{悩む心、執着する心、拘る心}などを、捨てきれません。悲しいです。
拘らなければ、{死ぬことも怖くない}と言います。
人間の一生では、{終末と滅}が必ず訪れてきます。
ですが、人間は悲しいことに{自分の死}を、なかなか受け入れることが出来ない生き物ですね。

  仏教観の中には、「無常観」を問い詰めることが大切だと教えていますが、こんな簡単なことを理解できません。自分が、此の世から必ず消えていく存在であると悟れると良いのですが、体得は出来ません。究極的には、自分の全ての持ち物を置き去って{黄泉の浄土}に行きます。
悩みは、何処から来るのかと考えてみれば、分かるはずなのですが、悩みの原点を見つめようとしませんね。

 自分の心、とくに{拘る心・執着する心}を、捨てきれません。
 とことん考えると、「自尊心」を大切にしすぎています。
 時には、他者への奉仕の心を持てる人であって欲しいものです。

  特に、「欲望の心」を自分で適度にコントロールできるかどうかが分かれ目でしょう。
自分の執着心を捨てて、捨てたところから自分が浮き上がってきますが、捨てた人でないと分かりませんね。

「他尊心」他者を尊敬、他者の助言を受け入れられる人になりたいものです。

  「インターネット心理療法」では、悩まない人となるために、この人生で{如何に自分の執着心を捨てて、自分の心を回復させるか}を勉強するのが目的でもあります。
執着する・拘るこころを捨てられたら、どんなに{心は束縛から解放されて自由になれる}のかが分かるでしょう。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り3

2014 年 1 月 23 日 木曜日

  両親の因縁で、人はこの世に誕生して来ます。
人間の生き様とは、人により色々様々と違うものです。
この違いは、主として{生い立ち}の中で、育まれているものです。

  生れながらにして、子供が気づいた時には、片方の親、或いは、両親の顔も姿も見えない場合もあります。両親が生きていても、生き別れもあります。
運悪く、両親などが不遇に出会い、戦争やあるいは病気による死に別れもあります。
  どちらにしても、親の顔を知らないで大人になると、人は心の底に{空しさ}や{空洞感}を引きづるものなのです。
ですが、親が生きていれば、子供は、{幸せか}?と問われれば「NO」です。

  親の子育てが、子供の一生の{運命}を決定する場合が多々あります。
これは、事実です。
子供は、親の姿を見ながら、心も体も成長していきます。
  親の子育てに、問題が有ると、子供の心・精神にも問題が発生します。
遺伝による場合は、例外としておきます。
親の態度が同じでも、時代の背景によって、子供が、親の行動や会話や心を受け止める精神状態は全くと異なります。
心理療法を体験した人でないと、理解できないかもしれません。

  人間の皆が貧乏な状況では、子供達もハングリー精神があるので、働く親の姿を見るだけで、案外と子どもは育つものです。  
子供は「親の背中を、見て育つ」ものです。
  ですが、日本の現在社会では、「豊かさは、人の心を迷わせる」という言葉があるように、大人も子供達も、一緒になって、見せかけの豊かさに惑わされて、裕福だと錯覚しているのです。
今の日本の第二次世界大戦の時代と終戦後の時代を比較すると、物質的には凄く豊かになっています。欧米は、更に、日本以上でもありましょう。

  人間の心は自由でなければいけないと、どこまでも、自分の思いが自由だと、自己主張して、受け入れられないと、すぐさま心の不満となって現れて怒ります。
  如何なる時代であれ、人間が此の世で人生を生きることについては、究極的には{自由はあり得ない}はずでありましょう。
法律や規制や柵などがあるのですから。

  いつの時代でも、人が人生での社会生活を過ごすには、食欲・性欲・睡眠欲・名誉欲・金銭欲など、持ち続けながら生きているものです。
どんなに細かく見つめても、このような欲望に人はとりつかれているものです。
 人は常に、自分の欲しいものを追い求めるか、自分に都合の良い環境を追い求めます。
そこには、必ず{執着する心}{拘るこころ}{差別する心}{分別する心}{偏る心}{とらわれる心}が湧いて来るのです。

  そう、「青い鳥」「心の灯り」を自分の外側に追い求める。
見つからないと言いながら、あちらこちらと、這いずり回って探し続けるのです。
確かに、自分の欲しいものを追いかけていますが、何時までも見つからないでしょう。
  真実に人が求めている物、すなわち「青い鳥」は自分の心の中にしか居ません。
  「心の灯りは」自分の心の中にしかありません。

「青い鳥」「心の灯り」とは、自分の心の力量を知ることであり、これが最重要なのです。
そんな自分の心を知ることが出来れば、きっと幸せになれる筈です。
自分の過去を振り返り、『本当の自己』を知りましょう。

<<心の世界>>青い鳥・心の灯り2

2014 年 1 月 21 日 火曜日

  「インターネット心理療法」では、とにかく、人が人生を歩む過程で、悩まないで生きることに、重点を置いているところです。
  悩んでいる方達、いや、有頂天の気持ちになっている方達もそうでありますが、他者の意見をうけいれないのが、最大の弱点でもありましょう。
人間は、普通のつもりで生きている人達も、人の意見をなかなか受け入れないものですね。

  悩み苦しみ、各種神経症、うつ病、躁病、その他、若い人達の登校拒否、摂食障害(拒食・過食)、引きこもり、ニート、フリーター、非行、シンナー、ストーカー、年配者のアルコール依存、統合失調症の人格脆弱性、諸々の肉体的(器質的)病気にしても、ここに挙げたすべての事柄は、根元的に、心が肉体にとらわれる{心の問題}ですね。

  よく考えますと・・・・・、人は、自分の周囲や外側に、自分の心を癒すものなどを追い求めています。
  即ち「青い鳥」や「心の灯」を一生懸命に探し求めています。
人間、生まれてきた以上は、自分の体と心の外側に{何かを求めて生きる}のが、宿命かもしれません。

  上記しましたように・・・・・、自分にとって都合の良いものを得たいし、又、都合の良い環境を求めます。
そういう生き方が、人間の現実的な生き方であります。
そこには、拘り、執着し、自分の心が{あるものに捕らわれて}苦しみます。
  外観的な生き方ですね。しっかりと人間学を勉強しておかないと、悩むし、心の病気にも取りつかれることになります。
心が、苦しみ悩み「蟻地獄」・「暗いトンネル」・「大きな岩石の下敷き」状態から抜け出せないことになります。

  適当な状態で、人は自分の欲望を制限する能力・力量も必要ですね。
これ以上を求めれば、自分の心と体に無理を来すなど、適度に自分の欲望を知っておかねばなりませんし、
これ以上を求めれば・・・、自分の心が壊れてしまうなど、{自分の心の状態を知る事}なのです。

  「心の灯り」・「青い鳥」は自分の外側にあるのではありません。
それらは、自分の心と体の中にしかないのです。
人は、漠然と自分の欲望だけを肥大化させて、自分の外側にいろいろな物・環境などを求めます。
  しっかりと、自分を見つめないと分かりませんよ。
自分がどんなに欲しいと求めても、自分の実力と技量以上の物を求めても、自分の手には入らないものです。 
本当の自分の欲望を知ることです。

  ここで、少しながら、{仏教観}を借ります。
『四苦八苦』という言葉があります。結構と、会社の社長さん方も知っておられません。
是非とも確認して知っておいてくださいませ。
四苦とは、{誕生して生きる}、{老いる}、{病気}、{死ぬ}です。所謂、生老病死です。
残りの四苦は、愛する者との生き別れや死に別れ、求めても手に入らない、自分の側には嫌いな人が1人や2人はいる、あれが欲しいこれが欲しいなど煩悩ですね。
「愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五蘊盛苦」です。

  本当の自己を発見し、目覚めると「四苦八苦」をも受け入れる力が出来上がるかも知れませんよ。全部を受け入れるには、本当の人間学の学習・勉強が必要でしょう。
人生を生きるには、拒絶せず、全てを受け入れることも大切です。