‘講演’ カテゴリーのアーカイブ

<<講演>>人生への理解(18)

2007 年 3 月 24 日 土曜日

 人間社会を生きると言う事は、家族の社会を生きている事にもなるでしょう。

家族は、家族の生活と言ってもよいのですが、会社の縮図が{家族の構成}と言っても構わないのではないでしょうか。

家族にしろ、勤務中の会社にしろ、全てが人間関係から成り立っています。

人間の生活というのは、どんな生活であっても人と人の交わりから構成されているのです。

 ここで何を説明したかったのかと言いますと、人が人生を生活するには<自分以外の他者と上手に交流できて>初めて、自分の人生を楽しく気持ち良く爽やかに豊かに生きるのが、可能となるものです。

 

{悩まない人}になるだけ、なのです。

 

 時折、あまりにも自分勝手な人達を見かける場合があります。

人に迷惑をかけても、当人は全く自覚していない人も居ます。

迷惑をかけながら、自分は真面目な人間だと自負している人も居るので、周囲の人達は大変に困る場合もあります。

 時には自分の周囲に、本当に駄目人間が居る場合もあります。

そして、駄目人間が案外と<つまらない見栄と虚栄心>など持って“自分は賢くて偉い人間だ”と勘違いしているものです。

だから、そういう人達の周囲では困る人達も出てきます。

 

 人間嫌いの人達は、深山の奥か絶海孤島の小さな無人島にでも住めば良いのですが、案外と気持ちは<小さくて>そんな生活は出来ません。

要するに臆病なのですが、あまり自分が臆病な人間だと気づいていない人達が多いので意外と厄介な問題も生じます。

 

 誕生後は、それなりに自分の親との心の葛藤、軽度の葛藤は有った方が良いと思われます。

程度問題ですが・・・。

自分の親から育てられなかった人達も居ます。

この様な場合は格別に、育てた人に対して自分の生い立ちの<心の形>を充分に調べておく事が必要です。

仮に、自分の本当の両親に育てられたにしろ、過剰干渉だったのか、放任されっぱなしだったのか、確認して<自分の心は如何なるもの>だったかを知っておく必要があります。

 

 逆に、両親とも自分の{子育て}の仕方が本当に良かったかを確認しておくべきです。

子供達が大人になっても、親が子を考えてあげる態度は重要です。

<<講演>>人生への理解(17)

2007 年 3 月 23 日 金曜日

 沢山と話をしてきました。

人は、此の世で<自分が周囲から生かされて>生きているのでしょうか???

人は、此の世で<自分が自力で>生きているのでしょうか???

 

古来から、投げかけられている言葉ですね。

 

ともすれば、人間の思い上がりと言うのでしょうか・・・。

自分の努力で、自分の力で、周囲の人達を動かして<自分は生きている>と自負していらっしゃる方々も多いです。

多いというよりも、殆どの人達の人間社会での生き様ではないでしょうか。

 

 人様のお陰で、今、自分がここに生きている、生かされているなどと感じる能力のある人は、結構と大きな難題に直面しても、そう悩む事は無いのではないでしょうか。

 

 言葉で説明し、そして聞くのは簡単でしょうが、その言葉の中身・内容を体で体得することが案外と難しいですね。

人は、口では何でも理解できていると言います。

ですが、心底と理解できていないのが、悲しいかな、人間の考え方みたいですね。

 

 幼児から小学校~中学校~などと成長して行きますが、身体は大きくなっても、精神は成長していないままの場合がしばしばと見られます。

最近は、本当に若年者の犯罪も多くなり、高齢者も幼児も巻き込まれたりします。

勿論、高齢者同士の犯罪もありますが、マスコミの報道では若年者の方が遥かに犯罪は多いのではないでしょうか・・・。

 

 心の問題にしろ、体・行動の問題にしろ、会話を含めて<家族の問題>が根っ子にあるのは、必然的のものです。

此の世は「因縁の世界」、そして「親の因果が、子に報い」などと、昔から言われています。

当方では25年以上も心理療法に携わっておりますので、心の問題などについては、全て理解しています。

幼少の不安や神経症やうつ病の皆さん、高齢者の不安やうつ病なども、全ての人の心の関係する問題は、家族の心、生い立ちの心にまで遡って原因が有ります。

 

 どんな有名な人達も、自分の生い立ちの自分自身の{心のカラクリ}を知っておかないと、日常生活の断面で{心の葛藤}を担いで生きて行くものとなります。

<<講演>>人生への理解(16)

2007 年 3 月 17 日 土曜日

 『人生って何だろう?』と、日常生活では誰も考えません。

中には、死ぬまでそんな疑問さえ持たずに自分の一生を終わって行く人もいるでしょう。

皆が皆、一生懸命に生きている積もりでも、案外とボンヤリとしたまま生きて、ボンヤリとして一生の終末を迎え、滅し消えて行きます。

 

 人生については様々な見解があるでしょう。

自分の事だけ考えて、食にありつければそれで良いではいかと言う人もいるでしょう。

 

 先述していますが、人生、誰一人として誰とも接触せずに自分の一生を過ごすなんて不可能ですよ、ね。

人間、個人対個人の会話、商売のために個人対複数の人との会話なども必要です。

そこには無意識的にも、自分自身、表面上の心では気づいていなくても、{私}と{貴方}、{優越}と{劣等}、{勝ち}と{負け}、{善}と{悪}、{美}と{醜}などなどの諸々の意識を持っているものですね。

 

 四苦八苦(前述している)なども、人が生きる限り、克服できて生活できれば何も言う事はないのでしょうが・・・。

ともすれば、不平、不満、悲しみ、淋しさ、孤独、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、怒り、怨念、嘘、盗み、罪、諸々のマイナスの感情を持ち易いものです。

格別に、人が(胎内に居る時から・・)誕生した時から、自分の母親や父親や兄弟姉妹に対して、不平や不満など持たないで育つ人は誰も居ない筈です。

考え方は幾らでもあります・・・。

 

 子供の時から母親や父親、或いは、自分を育ててくれた人に対して、全く不満を持たずに育つ人はいません。

「全く不平や不満を抱えないで育ちました」と言う人は、全く親離れが出来ていない{甘えん坊}そのままで、精神的に大人には成長していません。

乳児や幼児の幼少時から、自分以外の相手に対して、適当な不満や甘えの感情が有って、初めて育って行くものでしょう。

 

 誰もが自分の過去を調べて行くと、心の{因}が見えて来るものです。

現在が幸福であれ不幸であれ、心の世界について詳しくなりますので、現在の悩みや苦しみも自分で解決できる人となれるのです。

何故なら、自分の本音と建前の心の{カラクリ}を充分に把握することが可能だからです。

<<講演>>人生への理解(15)

2007 年 3 月 15 日 木曜日

 動物や植物や無生命体などのお陰で、人間は生かされて生きていると説明しました。

 周囲の人間、いや、巡りめぐって世界中の人たちのお世話を受けているのが現実でしょうが、この事について皆さんは考えていません。

 

 食物だけを見た場合、日本産にしても、外国産にしても、自分の知らない人達が生産し、それを運んで来る人達もいます。

人は、小さなお店や大きなスーパーなど、そこから食品を買って食べています。

見知らぬ人達のお世話を受けています。

果物、野菜、魚、肉、など全てですね。

食物だけでなく、販売されている全てのものには、人の手がかかっています。

 

 人が生きるには、原則として、現代社会では<金銭>が必要です。

金銭は、紙幣や銀貨などにして生き物ではありません。

面白いのは、人間は誰しも金銭を沢山と欲しがっています。

この金銭の<やり取り>も、全て人がやっています。

自動販売機の様な機器で、設定されていれば直接には人の手を煩わせない場合もあるでしょうが、準備には<人の手がかかって>います。

 

 細かく見詰めていくと、人間は自分一人ではありませんね。

家庭の中を見渡すだけでも、IT文明・文化などと言って、テレビ、電気冷蔵庫、電気掃除機、冷暖房、パソコン、携帯電話、デジタルカメラ、などなど、沢山のものが溢れています。

機器のみならず新しい文化が生まれて来ているのでしょうか・・・。

人間の生身の生活する人々にとって、格別に便利さは増えて来ていますが、一方で人間の心の歪化も顕在化して来ました。

大変な時代が来た様にも思います。

 

 人の生活様式は、自分の眼前を眺めて好きな物や好きな人達と一緒に・・・、というのが日常生活の様です。

他人よりも、自分が大切ですね。

その気持ちは、充分に分かります。

 

 自分という人間が、よく言われる{ナルシスト}、{エゴイスト}ではなくて、人間像全体を見詰めて生きて行ける、それなりに調和できる人であって欲しいです。

<<講演>>人生への理解(14)

2007 年 1 月 31 日 水曜日

 人が生きる事、基本的には、衣・食・住があって初めて<生きる事>が可能なのです。

極論的に考えると、衣・食・住、全てが、着たり、食べたり、住処の家も木製で有る以上は、使用前はどれもが<生き物>なのです。

 

家庭で飾ってはサンゴなども、海の中で生きていた生物体ですね。

 

 人間は決して誰一人として、自分だけで此の世を生きているのではありません。

全ての人は、地、水、火(太陽も)、風(空気も)、など、そして又、自分達の周囲の生き物によって生きる・生かされているものでしょう。

 

 真剣に考えると、<人間よ、驕るなかれ>と注意をしておくべきで、頭に叩き込んでおかねばならないですね。

自分だけの力で、人生を生きている訳ではありませんから・・・。

 

自然の掟の中で、人は、いや、動物や植物も全ての生き物は生かせられて生きていますね。

 

 人が、毎日生きている事は、生き物を殺生して生きている事になります。

「そんな事はない」と、言う人が居れば、そんな人の方が不勉強です。

自分の生き様に対する、自分のやっている自覚や感情に、大変鈍感な人だと思われます。

また、人生、人の生き様を全く見ようとしない人です。

思い上がりも強く、悲しい人です。

 

 人間は誰しも、此の世では一人で生きる事は出来ません。

ですが、皆さんは日常生活では、自分だけの力と努力で生きていると思っている人達のなんと多いことなのかと・・・、心理士の立場から見れば、辛くて情けない{話}です。

自分の此の世での存在観、自己像、自分とは一体にどんな人間か、の観察は必要です。

 

 人は誰しも一人では生きられない。

自分の周り、この地球上に生物が居ないとすれば、人は何を食べて生きるのでしょう。

動物や植物が実在しているので、人は食事を摂取できるのです。

お陰で、生きています。

 

 また、生命の無い物、人は裸では日常生活を送れません。

金・銀・ダイモンド・などの自分を飾る装飾品ですかね、そういう物などを身に着けて自分の心を楽しませて人生を生きています(前述)。