‘講演’ カテゴリーのアーカイブ

<<講演>>カウンセリングと内観療法2

2010 年 7 月 14 日 水曜日

 人の心・性格・人格を変えるのが、最高に難しいでしょうね。

当方、今でも、カウンセリングを行なっていますが、カウンセリングで他者の心を人格改造するなんて出来ませんよ。

心理士によっては、カウンセリングで人格改造が出来ると言う人が居るかも知れません。

しかし、本来のカウンセリングから少し形式を変えて、潜在意識の心を掘り起こす作業をしない限り、人格改造は無理でしょうね。

当方、何処までも、大脳の奥深くに位置している記憶装置である{{海馬}}の中の心を整理できないと、その人の心は変わらないと皆さんには伝えています。

 

 そうですよ、心の積み木&過去の記憶ですね、海馬の中の積み木の組み換えをするには、カウンセリングでは不可能でしょう。

人間が人生を生きるには、潜在意識と無意識の心が動いていますし、こちらの方が遥かに大切です。

皆さんは、壊れかけた海馬を根っ子にして日常生活を送っています。

表面の心、勿論、一般の方達の表面の心は確実に<<不安定な深層心理>>で動かされています。

まだまだ、心身の症状が表れていない方達、自分が不安と感じていない人達、また、逆の場合もあります。

自分では、正常だと思っていても、周囲の人達から見ても、あまりにも、その人が<<自惚れ過ぎて>>不自然の場合もあるものです。

 

 当人は、正常だと間違いなく思っている場合も、大変です。

そんな人達も、ある程度は、人格が矯正されるべきですね。

矢張り、過去の心の鬱積が海馬に詰まっている事になります。

人間世界を、誰から見られても、あの人は<<素晴らしい>>、<<有能だ>>、なんて周囲の皆から褒められなくても良いと考えますが、少なくとも、当人が生きるのに<<疲れるなあ>>と強く感じない方が宜しいでしょう。

特別に睡眠不足とか、体力の消耗などが無くて、あまり疲れると感じるのであれば、非常に要注意です。

 

 自分では、なかなか自分の心身の「再生」を得るのは大変です。

若い人でも、高齢者でも、一応は、体の病気の有無を確認が必要です。

その上で、普通は病医院などにては、体の検査で異常が無ければ、少し休養をとりましょうとか、ビタミン剤などの投与で、診療が終わりとなる場合が案外と多いですね。

大変な事柄は、当方から申し上げますと、患者さんに初診で<<心の話、特別に御本人の心の話をしては>>駄目のようです。

患者さんの心が疲れているとか、本人の心には触れないで投薬だけが無難です。

精々、自律神経のバランスが悪いと、伝えるくらいです。 

<<講演>>カウンセリングと内観療法1

2010 年 7 月 12 日 月曜日

 精神修養法として行なう時は、「内観法」と呼ばれているようで、心身の病気治療のために行なうときを「内観療法」と呼ぶようです。

特別に違った方法を行なう訳でもありませんが、「内観」を受ける場合と「内観」を受ける研修所や施設での<<呼び方>>もあるようです。

 当方、カウンセリングも行なっています。

しかしながら、カウンセリングでは、積極的に潜在意識や無意識の心の世界を探求するのには、不都合でしょう。

 

 当方、カウンセリングも随分と行なって・・、来談者の過去の話を、当方は黙して語らず、ずっと耳を当てて聞かせていただいております。

来談者の語る事柄には、一切と、コメントを入れずに静かに<<あいづち>>をうちながら「共感」して「妥協」して「受容」させていただいております。

普通では、1週間に1度くらいのペースで進みます。

唯、カウンセリングで回数をずっと重ねていきますが、当人の深層心理が表面上に浮かび上がって来るのに、随分と時間を要します。

そして、来談者の心の反転する割合は、少ないようです。

この心の反転しないのが、当方は一番に気になるところです。

 

 心理士に話を聞いてもらって、何とか一安心するものの、その場所から出てしまうと、案外と早くも元の自分に戻ります。

自分で自分の考えている事柄を話して、自分の考え方を変えられる人達が<<何人居るので>>しょうか??。

心が「反転」する人の割合は、非常に少ないですね。

自分の都合の良い事ばかり、話すものですから、何時までも自分の考えている事柄が正しいと思います。

例え、カウンセラ―として、耳を傾けながらでも、悩んでいる人にコメントや特別に注意をしたりすると、直ぐに、立腹してしまいます。

人によっては、2度と尋ねて来ない人も居ます。

 

 それほどまでに、人間は他者から意見や注意をされると、立腹するものです。

全ての人間は、悩む人も、悩まない人も、誰も皆が一番に<<自分の考え方>>が正しいと思って生きています。

間違っていても、自分が正しいと思うし、助言を入れても全く<<受け入れない>>のですから、どうしようも有りません。

悩める他者から、話を上手に聞きだす方法なのですが、なかなか、自分の考え方の間違いを認めてくれません。

来談者の心身の調子が悪いと、1週間に2度くらいはカウンセリングを行なっていきますが、そんなに事が簡単に解決はできません。      

<<講演>>人間って、孤独??(25)

2009 年 1 月 23 日 金曜日

 ここでは、「孤独」にならない方法を説明しています。

 

 孤独を感じて生きている人達が多いのですが・・・・・、それは孤独な状況に置かれて生きている場合が結構とありますね。また、本来的には、孤独な状況ではないのに、その人の{生い立ち}とか{人格}とか言いますか、人の心の持ち方で<<感じ方>>が全然と違うからという場合もありますね。

 

 簡単に言えば、孤独にならないためには、人間が此の世で生きる限りにおいては、<<人は自分以外の他者を好きになる事>>ですね。

でもね、人間個人が100%全ての人達を好きになる事は不可能です。

だから、そんな好きでもない人達と一緒にいると、心も体も疲れます。

本当に、時には、生きるのが<<嫌い>>になりますよ。

100人が居て、1000人が居て、誰も皆が好きになるなんて絶対にありません。

皆の生い立ち、心・性格・人格を作りあげる環境が違いますからね。

だから、少なくとも数人の人達でも本当に心の底から好きになれれば、人生は気楽になれるでしょう。

 

 時折にですが、人間の誰をも好きになれない人も居ます。

厳密には、その人の人格の方が<<歪>>なのですが、とにかく{{変人}}と思われる人達が居ます。

そんな{{変人}}だと思われる人達が、案外と長生きをしています。

時には、人間を愛せないために、犬や猫を可愛がる人もいます。

また、もっと別のペットなどで、魚とか蛇とかトカゲとか亀とか、考えられないような動物を自宅で飼っていたりする場合もあります。

或いは、動物でなくて、植物ですね、庭とか盆栽とか、花とか色々様々な綺麗なお花や高価な盆栽を持っている人達も居ます。とてもいいことですが、寂しさゆえに、このようなことにならないことを祈るのみです。

 

 人間が好きなのが、一番良いと考えますが、世の中は自分の思った通りになりません。

そこで、人間以外の物や環境を好んで、自分の心を癒そうと思いながら生きている人達が沢山といます。

ですが、そんな心を持っていても気づかないで生きている人達が沢山と居ますね。

法律に違反するとか、誰かに迷惑をかけるとか、そんな事は有りませんので、人が人間以外の動物や植物が好きで<<自分の心を癒せて>>生きるなら、それで良いのでしょう。

とにかく、好きな人が居れば、仲良い人がいれば人生は楽しい筈です。

最低限でも、人が他人が苦手で一緒に語り合いが出来なくてもですね、<<愛せる動物や植物>>が自分の側に居てくれれば、結構と自分の心は安らぐものです。

 

 「孤独」にならない方法は、それでも、やはり、人間が好きになる事です。

「信じる者は、救われる」と言うが、時には、他者に騙される事もあるもので、騙される<<愚かな自分>>にも納得すれば、人生は楽しくなります。

<<講演>>人間って、孤独??(24)

2009 年 1 月 22 日 木曜日

 「人間って、孤独??」などと、何度も述べてきましたが・・・・、

本当に<<そう>>でしょうか。

しっかりと考えて人生を確認できていれば、現実には<<孤独には>>なりません。

心から自分を許してもらえる人達がいて、相手の気持ちを許してあげる、互いに心を支え合うというか、そんな意識は持っていれば、良いのですが・・・。

日頃から、そんな人間になっておくべきであります。

ですが、何時も、そんな心とか気持ちなどとかに拘ると、これもストレスになります。

 

 考えようによっては、人生は<<楽しい、嬉しい>>ものです。

良き友、良き師匠、良き後輩、などの人達が居れば最高の人生ですね。

家族や、会社や、勤務先や、自分の営業会社でも、誰とでも話しができる場合は幸せだと思います。

当方、出世とかなどの言葉は<<あまり好きではありません>>。

何時、誰と、どんな人達と会っても、自分の心を取り乱さない心が、一番に大切ですね。

家族内では、年齢によっても状況が違いますが、親や兄弟姉妹や親戚や近隣の人達と、自由に話しが出来る能力と力量を養っておく事ですよ。

会社でも、そう、同じ事柄を繰り返しますが、同僚や上司や部下とも気楽な気持ちで悩まないで、話し合える事が重要です。

 

 相手によって、自分の話し方を変える能力も必要です。

その能力と力量が、凄く大事なのです。

何かある度に相手が悪いなどと、責任を相手に押し付けない事ですね。

相手が悪いと言って、自分を正当化する、自分の方が正しいと思うとすると、思う程に、逆に、自分の心は歪んで傷ついていきます。

眼前の出来事には、常に、自分の責任で生きる事ですね。

自分は正しい、間違いないのに、自分の側の人が悪い、などと、考えない事です。

 

 「自尊心」を大切に、なんて言う人達が心の専門家の中にも居ますが、当方では、「他尊心」が大切だと何時も言っておりますが、本当に、そうですよ。

自分の心身を、守りすぎると<<疲れます>>。

自分を粗末に扱う方法、そんな気持ちを知って欲しいのです。

人生は短い、だから、一生懸命に生きるのですが、自分がそんなに<<良い格好をしなくて>>良いではありませんか。

自分が犠牲になって、他人が此の世で浮き上がっても、それはそれで<自分の心を納得させる>、自分の見栄と虚栄心を落とせば幸せになります。

「犠牲」と言いましたが、自分が正しいのに自分が{悪い}と伝えるのではなく、他人の考えや意見も尊重しましょう、これが大事です。

 

 自分の人生は、自分の日頃からの「努力」が、必要です。

<<講演>>人間って、孤独??(23)

2009 年 1 月 21 日 水曜日

 今まで、少しながら記載してみましたが・・・・・、

 当方は本来的に「人生は、孤独ではない」と考えています。

要するに、人生を、或いは、人間世界の生き様を如何に考えて生きるか、これが<<分れ目>>になるでしょう。 

何が起こっても、何が眼前に有っても、「人生って、こんなもの」だと解釈できれば、苦しまない筈ですよ。

 

 前回の記載で、「宿命」、「運命」、「天命」などと記載しましたが、この三つが理解できるかどうかでしょう。

もちろん、「人生って、何だろう」などと熟慮しておかないと、悩んで生きる事もしばしばと有る筈ですね。

それから、何度か記載しましたけれど、自分の人生で誕生から終焉にまで何時でも<<幸せな事>>ばかり有るかと言われれば、人生って生きるのに<<疲れる>>などと言う人達の方が遥かに多いでしょうね。

だから、自分の人生を生きるのに<<幸せ>>に、気楽に生きる方法を説明しているのです。

 

 人間世界を悩まないで生きる方法は有るのですから、誰も皆が勉強を少しばかりで良いのですからしておけばいいのです。

不平、不満、悲しみ、寂しさ、やきもち、嫉妬、妬み、恨み、憎しみ、怨念、などなどのマイナスの気持ちを持たない人間になっておれば、良いだけですよ。

そんなに賢く偉く生きなくても、良いし、自分を<大きく>見せようと考えない事です。

自分の出来るだけの力量、能力、実力、そんな自分の気持ちを理解しておけばいいだけですからね。

勿論、{努力}、{切磋琢磨}は必要ですが、その「方法」ですよ。

怠けたまま、全く努力も勉強もしないで、自分の人生を生きるなんて無理ですからね。

 

 そんな訳で、当方は何時も皆さんに伝えています。

自分の心を知る事、格別に自分の{生い立ち}の心を確認しておくべきです。

だけど、自分の{生い立ち}の心を自分勝手に調べても、独りよがりの「自己分析」では、決して楽しくも嬉しくもならないでしょう。

やはり、しっかりとした専門のプロの心理士からの<<手助け>>を受けながら、自分の過去の心を調べる事、これしか有りませんよ。

 

 背伸びしないで、自分の実力と力量で生きるしか、有りません。

背伸びして、自分の実力と力量以上の自分の人生を<<生きよう>>とするから、心と体の疲れが出て来ますし、悩みや苦しみとなって来ます。

長く続くと、{劣等感}や{悲しみ}や{虚しさ}や{被害者意識}まで大量となって来て、<<自殺したい>気持ちもでますから、勉強が重要です。 

 

 他者へ{共感}・{受容}・{妥協}・{拒絶}の学習が大切です。