‘講演’ カテゴリーのアーカイブ

<<講演>>カウンセリングと内観療法7

2010 年 7 月 26 日 月曜日

 先ず、カウンセリングと内観療法での状況は、環境が全然と違っています。

カウンセリングでは、とりあえず、静かな場所で雰囲気の良い部屋などで行なわれるでしょう。

部屋の雰囲気と言っても、壁の色とか、床の色とか、部屋の広さなどとか、周囲には他者の雰囲気が無く、原則的には、面接者だけが対応して<<耳を傾ける>>べきでしょう。

面接者は着衣の色なども、考えて注意が必要でしょう。

面接者の{{態度}}、{{動作}}、{{話し方&説明}}、などなど、一つ一つに気をつけねばなりません。

 

 カウンセリングで、そういう雰囲気などに注意するのが大切ですが、内観療法〈内観法〉でも雰囲気を作るのは大事です。

 内観療法では、各内観研修所や病医院によって少しながら場所の雰囲気や設定が違う事もありますが、一定の決まったル―ルは厳しく決められてはいないようです。

ある程度までは、同じ方法や仕方でありますが、しばしばと「内観変法」などと言われ「内観原法」とは区別されています。

「内観原法」と「内観変法」とどちらが良いかと問われれば、どちらが<<優れているとは、言えない>>でしょう。

何故なら、{{内観}}を受ける側の、{人の心理状態}によって<<どちらが良いか>>と言うような場合もありますが、決まった予測は案外とできない場合もありえるからです。

 

 内観者の心理状態で、面接者は内観者の{{心の状況}}と{{人格水準}}を見抜く力量を持っている事が重要でしょう。

 内観者の{{心理状態}}によっては、一人で{内観}を受けるのが大変に無理の場合もあるのです。

内観療法〈内観法〉を長期間に渡って関わって来た面接者であれば、簡単に見極めがつく筈でありましょう。

カウンセリングだけでやって来られた心理士には、とても判断できないものであります。

やはり、内観には独特の{{心の世界}}が有るものです。

 

 「内観原法」が、どんなに優れた「心理療法」であっても、すべてにつけて<<万人に適応できる>>方法は、此の世には有り得ません。

当方も、「内観療法(内観原法)」が、人の心の人格改造には最良であると信じてやみません。

25年間に渡り、カウンセリングと内観に関わって来ましたが、今の、現在でも、そのように信じていますね。

カウンセリングでさえも、大変な技量と力量は必要であり、重要であります。

内観療法〈内観原法・変法〉でも、面接者の技量と力量は非常に重要であります。

自分で関わった面接者でないと、理解できないかもしれません。 

<<講演>>カウンセリングと内観療法6

2010 年 7 月 24 日 土曜日

 カウンセリングでは、「深層心理」は見えない事を伝えております。

それでは、内観療法では如何なものか、伝えます。

内観療法の方が、カウンセリングに比較すると、潜在意識と無意識の心の世界が随分と見えて来ますし、心・性格・人格の改造には遥かに効果が有ります。

内観療法では、「課題」がありますから、「課題」通りに調べれば良いのです。

ここで、少しだけ述べておかなければならない事柄ですが・・人の心・性格・人格・・・ですね。心が脆いからアイデンティティ-デイスオ―ダ―〈自己同一性障害=それなりの年齢に応じて{心}が弱くて脆い人の心・・〉や、人格障害などになってしまいます。

 

 心の弱い人達、心の脆弱な人達は、自分の過去の心を振り返るのを、特別に嫌う人も居ます。

興味あるのは、普通の人達や優秀な人達、財産や金銭や名誉ある人達も<<自分の過去を振り返る>>のを案外と拒否します。

{自分の過去を振り返る}のを、意味なしと感じています。

そうですね、誰も皆が、人間って<<自分の過去を振り返る>>と、ですね、自分の過去の汚れた心の部分に遭遇します。

{{汚れた心}}については、色々様々で、全ての人達が自分の両親に対して、或いは、自分の傍を通り過ぎて行った人達について<<何等かの、違和感>>を抱えています。

勿論、時には、無二の親友だったり、尊敬した師匠達も居るかも知れません。

 

 心がよわ過ぎて、引きこもり、登校拒否、拒食&過食、いじめ、非行、心身症、神経症〈不安障害、パニック障害〉、うつ病、などなど、諸々の段階がありますが、あまりにも、心の弱い人達は自分の過ごして来た過去の心に<<自分の眼と心を向ける>>のを拒否する場合も、結構とあります。

面白いのは、人間は誰も皆が、<<自分は真面目な人間だと思われたがっている>>ものです。

本当に、自分が真面目な{人}だと思われたいのであれば、真面目な{人}として生きれば良いのですが、悲しいもので、皆が<<心の底では、他者を出し抜いて、自分だけが良い地位とか金銭が貯蓄できないかとか、自分の好みの{{異性}}に出会って交際できれば、なんて思ったりしているものです。

 

 表面上の{{思い}}と、内面の{{思い}}が随分と違っているものです。

「「建前」」と「「本音」」と言っても、良いし間違いないのですが、この両方の「「心」」を上手に自分で使い分けできないと、大人とは言えないくらいの{人}なのです。

「「内観療法」」では、特別に自分の心の内側、内面を見据えていきますから、自分の心は{{どんな形で、存在しているのか}}が、簡単に分かります。

自分の「「心」」を知らないで、生きている方が、余程の事、怖いものです。

本当の自分で、生きるとは?? どんな事か!!!ですね。  

<<講演>>カウンセリングと内観療法5

2010 年 7 月 22 日 木曜日

 カウンセリングと内観療法の違いは、根本的に、人の心の「深層心理」にまで到達できるか、どうかでしょう。

人間の心を良い方へ変革するためには、どうしても彼等の{生い立ち}の心にまで遡らなければなりません。

{生い立ち}の心にまで遡っている積りでも、自分勝手な判断で<<自分の過去の心>>については、全て知っていると言っても意味がありません。

主観的な自己の{{洞察}}ではなくて、客観的な{{自己洞察}が出来ているかどうかが、問題です。

 

 主観的な過去の心の思い、客観的な過去の心の思い、そんな{{思い}}を自分で判断できる能力については、誰も皆が持っていません。

カウンセラ―もクライエント自身も、カウンセリングで<<真実なる心の底の世界>>を見るには、限界が有るものです。

カウンセリングしか行なっていないカウンセラ―には、理解できない心の世界が有るものですが・・・、当方は本当にその様に思っています。

カウンセリングを専門に行なっている方達にも、{{内観療法}}の体験だけはしておいて欲しいと考えます。

自分で体験しておくと、カウンセリングと内観療法の違い、潜在意識と無意識の心の世界を理解できるでしょう。

 

 カウンセリングを何年も続けても、心の「回向」・「再生」・「新生」、などは出来ないです。

極僅かに、変わったように見えても、案外と変わっていません。

それほど、カウンセリングを続けても、当人の心は深く見えて来ないし、自分の心を変えて人生を生きる事にしましょう、なんて無理です。

母と父について、明確に自分の心の関係を掘り起こしてみる事です。

カウンセリングにも、色々と工夫をして、「課題」もなくクライエントの思うがままに話をする場合と、「課題」を少し渡す場合などもありますが、こちらの場合の方が少ないでしょう。

カウンセリングでも、長期間にわたり続けていると、クライエントも同じ話ばかりを続ける事も起こって来ます。

そう、クライエント自身が、何を次に話して良いか分からないですね。

 

 面接者である心理士は、クライエントの考え&話に「共感」して「妥協」して「受容」してあげるのが、<<鉄則>>です。

絶対にクライエントに助言や意見や説教をしてはいけないと思っております。

一度でも、助言とか面接者の意見や気持ちを伝えると、「心理療法」は、終わりになる可能性があります。

クライエントは自分の心が病んでいても、自分の考えに納得してもらいたいものです。

クライエントの心が間違っていても、「共感」するべきです。  

<<講演>>カウンセリングと内観療法4

2010 年 7 月 16 日 金曜日

 原則的には、来談者の人格変革に役立つためには面接者の{{手腕}}もいります。

上手でない面接者がどんなに対応しても、大変です。

先述しましたが、どれほど、相手に「共感」・「受容」・「妥協」しながら進行できるか、また、相手には絶対に<<自分の考え方、その他、自分の人生観>>を強調したり、意見を述べたり、説教しない事です。

面接者によっては、時折にでも、相手に対して少しながらのコメントを入れたいとの、考え方をしている場合もあるようですが、可能な限りコメントや助言や考え方などのアドバイスはしない方が良いと、当方は考えています。

 

 心・性格・人格の弱い人達は、他者からの助言を大変に嫌います。

親切に教えてあげている積りでも、全く<助言>などは伝わりません。

面接者としては、悲しい思いもするでしょうが、仕方が有りません。

どれほどに、クライエントに対して、自分が如何に対応するかの{{熟練}}と{{手腕}}と{{技術}}を持っているかでしょう。

面接者も、とにかく、相手のクライエントの<<心の状態を喝破しておいて>>カウンセリングを行なっていかないと、誰に対しても<<ワンパタ―ンでカンセリングをして良い訳>>ではありません。

面接者から、無理やりに、過去の思い出したくない事柄を話すように伝えると、「「フラッシュバック」」する場合もあるので、非常に注意が必要です。

 

 「「フラッシュバック」」など起すと、医師が関わっておかないと、薬で直ぐにコントロ―ルできないから厳しい注意をしておかねばなりません。

「「フラッシュバック」」など起すと、全身痙攣や喘息発作や予期せぬ心身の症状が出て来るので・・・、これもカンセラ―は対応を気をつける必要があります。

また、カウンセリングを行なう場合では、初めから、面接者からクライエントの心の中まで急いで踏み込まない事です。

悩める人、苦しんでいる人、程度にもよりますが、矢張り、患者さんとして見ておくべきで、心理士は必ず<<医師と連係しておく事が重要な条件>>でもありましょう。

 

 医師と連係をしているといっても、心の世界について少しくらいの{{知識}}と{{理解}}のある医師の方が良いですね。

そんな医師との連係でないと、医師が<<不快感>>を示しますから、心理士としても辛い思いをするでしょう。

「心理療法」を理解できていない医師では、どうにもならないですよ。

とにかく、あまり、クライエントの心の中に、心理士から積極的には踏み込まない事、これは大事です。

長期間に渡り、心理療法に関わっている心理士ならば、当方の話は当然に分かる筈ですが、一般の人達も、少し知識として念頭に置いて下さいませ。 

<<講演>>カウンセリングと内観療法3

2010 年 7 月 15 日 木曜日

 病医院に治療を求めて来る患者さんに、患者さんの心の中に立ち入らない方が良いみたいです。

今は、心療内科とか言いますが、仮に、自分の{{頭痛}}とか{{不眠}}とか{{肩こり}}とか{{腰痛}}とか{{動悸}}とか{{腹痛}}とか{{下痢}}などを訴えて、医師が診療して、<<心に原因が有ると判断して>>も、即座に、伝えない方が良いです。

正直に話しをして、結局、患者さんの心の中に踏み込む事になるので、患者さんは立腹する場合が多いです。

多くの患者さんは、自分の心に「「根っ子」」の原因が有ると思っていても、薬だけを服用したいと考えている人達が、殆どの場合です。

それ故に、本格的な「心理療法」に入るのに、随分と注意が重要です。

 

 しっかりと、ゆっくりと、「「心理療法」」を受けてもらうのには、かなりの準備が必要なものです。

患者さんは、薬だけを飲めば、自分の症状が消失して元気になると、考えていますから、大変です。

どんなに薬を服用しても、<<人の心・性格・人格>>を変える薬は、世界中を探しても見付かりません。

しかし、患者さんが薬で治そうと、自分自身を信じていますので、心の病気を治療するのは大変です。

また、精々、患者さんは自分の悩みを聞いてもらったら、自分の心の病が治ると信じています。

そう、思っている人達は、まだまだ、マシな方でしょう。

本当に、自分の心・性格・人格を治さないと駄目だと思う人達は少ないですね。

 

 カウンセリングを受ける場合であれば、悩みを聞いてあげるだけなのですが、それくらいでは、あまり抵抗を示さない場合もあります。

カウンセリングでも、心理士によっては耳を傾けるのに徹する心理士が普通ですが、それでも、色々な程度の「差」があります。

極少しコメントを入れたり、「共感」、「妥協」、「受容」、の態度でさえ来談者によっては大きく影響が違います。

面接者の微妙な、{{合づち}}、{{うなづき}}、{{緘黙}}、{{表情}}、{{態度}}、{{姿勢}}、{{スキンシップ}}、{{コメント}}、などなども<<重要な条件>>になって来ます。

どれだけ、来談者から言葉を面接者が引き出せるかでもあります。

一方で、面接者は、来談者の{{表情}}、{{態度}}、{{緘黙}}、{{うなづき}}、{{合づち}}、などを見ながら、彼等の<<固まった心>>をどれほど上手に引き出せるか、ここらあたりは、本当に面接者の手腕が必要です。

来談者の話には、コメントを入れない方が、一般的には、良い筈です。