‘講演’ カテゴリーのアーカイブ

<<講演>>人生への理解(3)「無生命体」

2006 年 7 月 26 日 水曜日

 「無生命体」とは字の如く、生命の無いもの、即ち、生き物以外の全部が無生命体です。

唯、唯、人生をボンヤリと生きるよりも、知って生きる方が気楽で楽しい事柄も沢山とあります。

 

 人が此の世に生まれて、お世話やお陰を蒙っているものは沢山とあります。

食について、食べている時は生き物ではないでしょうが、食べる以前は、野菜や魚や肉など全ては生き物です。

動物や植物などは生き物ですが、人間が住んでいる建物や着込んでいる衣服などは“無生命体”です。

「時間」や「空間」なども生命体ではありませんが、ここでは話を除いておきます。

 

 一人住まいの人では、全てが24時間にわたり生命体以外のものにお世話とお陰を受けています。

電球やお風呂の水など、他者の恩恵を頂いていますが、ここまでは考えてみないと気づかないかも知れません。

建物の中に住む、一人で食事を作る、入浴も一人でする、掃除や洗濯や炊事も一人でしているので「誰の世話も受けていない」と言う人達が居るかも知れません。

しかし、ここに至るまでに知らない人達の恩恵を受けています。

睡眠にしても、お布団で寝るのであれば誰かが布団を作ってくれたものでしょう。

お風呂や冷暖房にしても、知らない人達が装置を取り付けてくれているのです。

 

 「自分は誰からも世話にはなっていない」と、自己主張した場合、それは“人間世界で自分が生きている事の{証}を全く知っていない”と言われても仕方がないでしょう。

 

 “自分とは?”、“自分の存在と人間の存在”、“自分とは此の世で一体に何者か?”などと時には明確に疑問を持って<自分の心>を確認しておくべきです。

此の世に誕生したからには、自分の人生を納得して楽しく生きるためにです。

 

誰もが人生一度は、自分の心を研ぎ澄まして見る必要があるようです。

<<講演>>人生への理解(2)「空間」

2006 年 7 月 25 日 火曜日

1.今現在に自分の居る場所

2.家族の空間

3.集団の空間

4.部屋などの空間

5.町、市、県、日本、アジア大陸・・・など

6.地球

7.太陽系

8.銀河系

9.宇宙・・・ここまで悟るには困難でしょうが・・・・・。

 

 

 人間が生きること、いや、人間のみならずどんな生き物でも、時間と空間があって始めて生存する事が可能となります。

人は人生を生きて行く上で、自分の家族か自分が属している集団にしか<視野>は届かないものですね・・・。

自分の住んでいる国や、世界、地球、太陽系、銀河系、宇宙・・・などまで、もっと大きな視野を持って、自分のイメージの世界に取り込む事が出来れば{最高の幸せ}を感じながら人生を生きる事が出来るでしょう。

何故ならば、そこまで自分の視野というかイメージが届くようになれば、小さな事柄に拘らなくなるからです。

 

「無我」と言う言葉があります。

皆さんは、言葉は知っていても、この意味を本当に理解できている人達は非常に少ないでしょう。

多くの、いや全ての人達は「無我」の反対で人生を送りたいと思っているみたいです。

“有我”と言いうのでしょうか、“大我”と言うのでしょうか・・・。

自我の肥大化、つまり自分の生き様を肥大化させて生きたいのです。

言い変えれば目立ちたがり屋ですね。

褒められたいとか、称賛されたいとか・・・、皆から拍手を浴びたいのです。

その割には、目立つ場所に立たされると、臆病になり何も出来ない人達が沢山と居ます。

実力と力量が無いから、その場、その場に応じた立ち振る舞いが出来ません。

だから悩みます。

 

時間と空間の中で、真実なる「無我」を悟れば、人生は気楽になるものです。

<<講演>>人生への理解(1)「時間」

2006 年 7 月 21 日 金曜日

 時間についてお話しましょう。

表現は色々ありますが、大きく4つに分けてみました。

①物理学的時間 ②人間が決めた時間 ③生物学的な時間 ④感情的な時間

説明では、ちょっとした表現で捉え方が変わりますが、今回はこの形で説明してみましょう。

人の悩みの解消にも役立つでしょう。

時間について理解する事は{哲学}、{人生学・人間学}でもありますから・・・。

 

①物理学的時間:地球の歴史、いや、宇宙の歴史から始まるのでしょう。

宇宙の歴史は100億年とも言われており、太陽系、地球などが出来上がったのが約46億年前、地球上に単細胞生物が現れたのが約35億年前だとも言われています。

色々な時代を通って類人猿や人間が地球上に現れたのが、500万年前とも200万年前とも言われています。

そして現在の人類があり、現在の社会・経済・政治などがあるのです。

 

②人間が決めた時間:自然科学的な視野の上にたてば、時間は物理学的な{時間}となるでしょう。

人が便利さの上に時間を組み立てたものが次の表現です。

1年=365日、1日=24時間、1時間=60分、1分=60秒、1秒・・・この様な時間の中で、人は生きているのです。

 

③生物学的な時間:時間は平等に与えられていると皆さんは言われますが違うのです。

対にそんな事はありません。

各種の植物や動物によっても全く時間の持分は違うものです。

更に、同じ動物でも病気や生存競争に敗れて短命で終わる場合もあります。

時間の持分は違うのです。

人間でも短命な人と長命な人が居ます。

母親の胎内で一生を終える場合や誕生後すぐに亡くなる場合、新生児や小児の時に・・・、学童・学生まで・・・、青年期まで・・・、成年期まで・・・、壮年期まで・・・、老年期・・・、などと人生の生涯の長さは時間的に異なります。

時間は決して平等に与えられるものではありません。

不治の病に取り付かれる場合もあるのです。

戦争や天変地異などによって命を失う事もあります。

昨今の人間社会はIT社会などと言われ、心・性格・人格の歪な人達の犯罪が増えている様でもあります。

犯罪にまき込まれて命を落とす場合も結構と増えました。

 

④感情的な時間:格別に感情豊富な生き物は“人間”だと言っても良いでしょう。

楽しい嬉しい時間は早く終わります。

辛い悲しい苦しみや悩みの時間は遅く流れます。

 

時間について明確に理解するだけでも、人生について理解する事にもなるでしょう。

<<講演>>うつ病(7)

2006 年 7 月 18 日 火曜日

 何度も先述しましたが、<悩まない人>になるだけ、それだけで充分でしょう。

<悩まない人>は絶対に{うつ病}にはならないと言っても良いです。

 

{悩み・苦しみ}が先か、{大脳の神経内分泌の変化}が先か。

うつ病者では、どちらが先に変化が有るのでしょう。

誰でも理解できると思います。

悩んでいても「悩んでいない」と言う人達も見られます。

当方から見れば常識的にも考えられないものですが、こうした現実は沢山とあります。

悩んで苦しんで、不安や恐怖を抱えていながら・・・。

 

 時折ですが、その心の“建前”と“本音”を教え、伝えてあげる事もあります。

しかし、人の心の現実を正確に教えてあげたとしても、教えてあげた人と、教えてもらった人との人間関係が上手く行くかと言えば、決して良好になるとは限らないですね。

残念なことに伝わらないのです。

当人の底辺に有る心を教えたとしても、立腹さえされても感謝をされる事はありません・・・。

悲しい事です。

当の本人が、ある程度自分の心の下層にある心に気づいていれば良いのですが・・・。

顕在意識~潜在意識~無意識の心など、本人がこの様な知識を持っているだけでも違うのですが・・・勉強しないし・・・勉強しようとしません・・・。

 

 多くの人達は、お金儲け、或いは、地位や名声を追い求めていながら、“自分の生い立ちの心が自分の現在の会話と行動と心を動かしていること”に気づいていません。

気づいていないのに、教えられても理解できないところが悲しい現実なのですね。

それが人の心というか、意識のレベルなのです。

人生を生きる、人間社会で自分を活かす、そのためには、自分の浅い心と深い心、易しく言えば、本音と建前を自分の脳裏に焼き付けておく事なのです。

人への教育が大事です。

 無意識と潜在意識と顕在意識の心を、自分で<答え>を出しておき、眼前の如何なる人達や環境・状況にも対応できる能力を養っておくべきなのです。

あの人が嫌い・・、あの様な事は嫌い・・、嫌い嫌いと言っても人生此の世の中を渡れません。

どの様な事柄が自分に押し寄せても、自分の力量でもって対応し解決すべきでしょう。

しかし自分一人で出来る事については極僅かですから、自分以外の人、他人に依存しお願いしなければ、生きる事が無理な場合が沢山とあります。

時には、思い切って他者に{依存}する勇気も必要です。

{拒絶}されたとしても、相手にも色々な理由が有るのでしょうから、また別の人に{依存}する事が必要な場合もあります。

ある程度の切磋琢磨があって、初めて他者も自分を認めてくれるものです。

 

 今まで歩いて来た自分の過去を点検するだけで、自分の実力と力量は大きくなります。

過去の心を回想し、自分の心を磨いておけば良いです。

自分の心の操作次第です。

「インターネット心理療法」を受ければ大丈夫です。

<<講演>>うつ病(6)

2006 年 7 月 15 日 土曜日

 今回は、話の角度を変えて、前回と同じ様にお話をしてみます。

人が、悩みや苦しみ、或いは、神経症、うつ病・・・、その他どういう状況であれ、心理的に突き詰めて考えると、肉体的にもマイナスの状況に置かれた時には{再生}、{新生}の方向性に入っていかないと大変になってくるでしょう。

折角人生を生きるのであれば、楽しく・喜んで人生を過ごしたいものです。

 

 悲しみ、喜び、即ち、人の{喜}・{怒}・{哀}・{楽}などが、どういった形で人の心と体の中にインプットされて行くか・・・ですね。

その経路は、目、耳、鼻、舌、身、意識・・・五官六官とも言われているものです。

 

①先ず人は、目で見ます。

美しいとか汚れているとか・・・とにかく眼前の者、物を見て認識・判断します。

自分の好みの対象であれば、人は自分の方へ取り入れようとしますが、嫌いな対象であれば自分から排除しようとします。

 

②次は耳ですね。耳で色々なもの音などを聞きます。

自分の好きな音は喜びます。嫌いな音であれば雑音となり邪魔になります。

雑音であれば、その音から避けようとします。

 

③鼻です。鼻で臭いを利き分けます。

嫌な臭い、不快な臭いからは遠ざかる傾向があります。

しかし一時的にでもこれを我慢し、後で自分に利益が得られる事が分かっていれば、その臭いにも耐えようとします・・・。

自分の好みの臭いであれば、勿論、自分の手元に近づけたいですね。

 

④舌です。舌で味わいます。

自分の好みの味には、敏感に反応し喜んでいます。

嫌いな味に対しては、先述した様に後で余程良い事が待っていれば我慢して味わいます。

 

ケースバイケースですね。

何事においてもそうだと思われます。

 

⑤身、触覚と言った方が分かり易いかも知れません。

肌と言っても良いですが・・・肌以外にも内臓や消化管、脳内の変化などにも、違和感や快感などを感じたりします。

肌や自分の体で、格別に心地よく感じる者、物には、矢張り近づきたいですいね。

触れて気持ち悪いものなどからは離れたいでしょう。

直接に触れなくても、間接的にでも識別できる場合が沢山とあります。

例えば、これも心地良い風にあたるなど・・・。

 

⑥意識。

上記①~⑤に“意識”が働いていないと、善悪の何事も判断できないし認識もできません。

 

 この様な経路を通って、人は喜怒哀楽を識別します。