‘講演’ カテゴリーのアーカイブ

<<講演>>人生への理解(8)「人対人」

2006 年 8 月 7 日 月曜日

 人と人とのコミュニケーションが出来れば、人間はどんな職場へ投げ込まれても生きて行けるでしょう。

当方としても『読者の皆さん』が真剣に人生を生きる事が出来る様に、しっかりと<本音>で大事な事柄を伝えておきます。

この事について、人間一度は“自己探求”が大切です。

 

 先ずは、人間の欲望とは?考えてみる事ですね。

そして自分には一体に<何が欠けている>のかを知る事が大切でしょう。

{五欲}と言う言葉、食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲などと言われています。

「自分には、そんなものは無い」と言う人がいるでしょう。

その様な人達は、まだまだ自分の心が見えていない人です。

何人も、上記{五欲}の全部とは言わないまでも、それぞれの立場やその時期によって内容は変化しますが、持っているものです。

見栄や虚栄心なども、全部が名誉欲に関わって来るものです。

唯、唯、その「欲」が小さいか大きいかだけの問題ですね。

 

 人は、自分以外の人に対して<気おくれせずに>誰とでも、気軽に話しをする事が出来れば最高なのですが、そのような人達は滅多に見られません。

人間は皆、何がしかの心の葛藤を抱えて人生を送っています。

 

 人が人生を送る基本は家族生活です。

生い立ちの家族生活の中で、母や父や兄弟姉妹等との心の絆をどれほど幼い時期から築いて来たのだろうか・・・、これが人間関係の信頼度の基本になっています。

親との{信頼関係}が、しっかりと完成されていなかったら、親以外の他人との{心の信頼関係}は、上手く適応できないのだと思っても間違いないですね。

 

 “人対人”について、今少し触れましたが、人間には異性、即ち、男性と女性が居ます。

思春期から老年期を通して、この辺りがまた大変な人生上での大きな関わり、分岐点ともなります。

男性と女性の心の葛藤だけで、犯罪が起こる場合もあります。

<<講演>>人生への理解(7)「人・動物・植物」

2006 年 8 月 3 日 木曜日

 此の世に人として誕生して来たからには、やがては大人になって社会で仕事しなければなりません。

仕事も何も全くしないで人間世界を自立して生きる事は不可能ですね。

人が人間社会で生きる上では、誰かと顔をつき合わせて生きるしかありません。

 

 母親に、乳児の時からお乳を飲ませてもらえず、また充分に面倒を見てもらえずに、無意識的に母親を拒否するまま育つ場合もあります。

幼児期では、母親に対しては勿論、父親に対しても、親の言葉使いや顔の表情を読み取り、スキンシップなどで、親を信頼できるかどうかを判断します。

これが後に“他人を信頼できるか”にも関係してきます。

幼児の時から親を信用出来ず、また、友達も居ないために動物などへ自分の心を向ける場合もあります。

格別に幼い時は、植物よりも動物へ心を向ける場合が多い様です。

 

 子供は、親が好きでも動物へ興味を持つ事もあります・・・当然でしょう。

自分達の見知らぬ世界に目を向けるのは当然です。

親の代わりに、動物を依存対象としなければ良いです。

親からの愛情欠乏とは関係なく、動物に興味を引かれるという事は、心の底では全く別の問題が動いているので本当に要注意です。

 

 小学生や中学生になると、人間同士の付き合いが本格的に始まっていますので、どれほど人対人の調和を自分で取ることが出来るかどうかが大きな問題ですね。

この対人関係の心の問題は、高校生や大学生になっても必ず後を引いて行きます。

幼少時からこの後の時代の生活において、人付き合いは厳しい程に大切ですね。

 

 ある程度の年齢になれば、どうしても自分で働いて何がしかの金銭を稼いで生きる事が誰にも必要になります。

“人対人”、“人対環境”については後述しましょう。

 

 可能であれば自分の本音で話し合いの出来る人が、一人でもいいから必要なのです。

悲しいとか、嬉しいとか、日々の出来事でも、昔の出来事でも構いません。

本当で話せる友達が居ないが故に、“人生の{苦}”は起こりえるようです。

<<講演>>人生への理解(6)「人・動物・植物」

2006 年 8 月 1 日 火曜日

 人間嫌いの人達は、動物を飼育したり植物を育てたりする場合が多いです。

勿論、一般的に心身の健康な人達の中でも、好きな動物を飼ったり、観葉植物を育てたりする方々は居られますね。

また、動物や植物に携わる事を“職業”として働いておられる人達もいらっしゃいます。

日常の家庭生活や職場生活の後、心の安定を取り戻すために動物や植物を相手にしている場合では良い事で、何も言う事はありませんね。

立派な社会適応だと思われます。

この様な場合、人対人の心の対話が十分に出来る人であれば問題ないでしょうし、また、出来る筈ですね・・・。

 

 人間嫌いで、人との対話が苦手だから・・・、淋しいから・・・、孤独だから・・・、動物や植物を相手にして時間を過ごしている人達も実際に居られます。

彼等は、自分では幸せに感じているつもりでも、実際はそうではありません。

心の奥底の自分の潜在意識や無意識の心の世界を旅すると、結構{今ある自分と自分の心}を理解する事が出来るでしょう。

 

 この様な話をしておりますが、所詮人間は誰しも、動物や植物の恩恵を受けて<今現在の生活>が出来ています。

その事実を皆さんも考える必要がります。

時にはじっと・・・ゆっくりでも自分の人生を見詰めていると、自分の周囲で起こっている全ての事柄が見えてくる筈です・・・。

 

 殆ど全ての人達は、自分の眼前を眺めて、自分にとって都合の良いものは寄せ集めようとするけれど、自分が嫌いな事や物、生き物などからは離れて行こうとします。

 

 此の世に、母親と父親の因縁でもって誕生を受けた人生、どの年齢まで親の庇護のもとで自分が生活出来るのか・・・。

また、何時を{機}に親から独立して生きて行くのかも、しっかりと自分自身に納得させておかねばならないだろう。

人間が生きる場所は、全てにおいてあらゆる動物や植物が居て、そして形こそ違っていてもあらゆる{無生命体}のお陰、恩恵を受けて此の世で生かされて生きているのが、人の生命、人の人生であろうと思われる。

多種の動物や植物が沢山と地球上には見られる。

人が知らないところで“無限の恩恵”を受けて生かされている事実も知っておくべきであろう。

 

 人よりも動物や植物を相手に生活をしている場合もあります。

淋しい筈です。

<<講演>>人生への理解(5)「人対人」

2006 年 7 月 31 日 月曜日

 人間として此の世に誕生するには、一人では不可能である。

誕生した後、一人で生活する事は不可能である。

 

 しばしばと人間嫌いの人達に出会う事もある。

本来的には、彼等も人間が好きではあるが、他人と気持ちを合わせることが下手である。

本当に心底から人を嫌いと思うのであれば、誰の顔も見ないで済む深山の山奥の奥に一人で住めば良いのである・・・。

或いは、絶海孤島の誰一人として住んでいない大海原の島に住めば、それで満足するのではないかと思うが・・・。

 

 人が嫌いだと言う人格の歪な人達は、決して深山の山奥に一人では住めません。

あまりにも孤独感が強くなりすぎて、また、そんな生活は怖くて淋しくて出来ません。

 俗に、人間嫌いの人達は本質的には“人が好き”なのですが、自分以外の人達との付き合い方、態度や会話などを如何にこなすかを理解出来ていません。 

心の底では人が好きです・・・好きになりたいのですが・・無理ですね・・・。

劣等感があまりにも強く、対人関係でもコミュケーションが充分に出来ない事を彼等は知っています。

劣等感=自分と他人を比較して、自分の方が劣っているという気持ちですね。

ですから他人を避けて、自分の人生を暮らす様にもなります。

 

 家族の中、学校の中、職場や社会環境の中でも、他人の皆と同じ心理状態を持てないので、何事につけ楽しくもないし面白くもないです。

引きこもり、登校拒否、出勤拒否などは、歪な心が自分の内側に溜まっていったものでしょう。

歪な心が外側に溢れ出すと、非行や犯罪、殺生事件にまで進展して行くでしょう。

他者を巻き込んで、褒められもしない出来事などが起こります。

 時には人間嫌いの人達から、素晴らしい物・事・文化など起こる場合が稀にありますが、全体的には少ないでしょう。

 

 折角此の世に生まれて来た以上は、楽しい人生であって欲しいです。

<<講演>>人生への理解(4)「生態系」

2006 年 7 月 28 日 金曜日

 「生態系(学)」=英語では、エコロジーと言われているようです。

 

分かり易く説明すれば、{自然の営み}など。

或いは{自然}、{あるがまま}、人間が手を加えないあるがままの状態と言えるでしょう。

全世界、地球上の自然の営みとも言えるでしょう。

ここでは、人間を除いた全ての生き物、植物や動物、単細胞生物などを含めて、無生命体の中での{自然の営み}と言うものであるかも知れません。

 

 地球上のあらゆる場所で、人の目につく場所、人の目につかない場所などで、生存競争が繰り広げられています。

そして地球上の自然が保たれてきています。

生存競争が良いとか悪いとか、ここでは言えませんが“弱肉強食”の世界があって地球上の調和が保たれています。

弱いものは強いものに食べられて滅びるものでしょう。

植物も、動物も同じですね。

 

 さて、人間も本来的には、エコロジカルな生き物なのです。

残念なことか悲しいことか、誰が判断するべきか現在のところ判定のしようがありません。

 

 人は「万物の霊長」だと言われていた様ですが、どうやら大きな目玉と大きな視野で全世界を眺めて見ていると、本当に人間の{愚かさ}も嫌と言う程目に飛び込んで来ます。

地球そのものを破壊し、地球上の植物や動物の絶滅種が出てきています。

以前より、地球上の動植物は“弱肉強食”と生存競争のなかで自然の営みが継続されていたものであります。

所謂「生態系」は、人間が手を加えない事で保たれていた筈でありましょう。

「生態系」が、自然のまま保たれて来た事で地球上のバランスがとれています。

人間が直接手を出して動物を獲物にしたり、植物などを刈り取ったりする事で、動物や植物の保たれていた全体のバランスに破壊をもたらして来ています。

 

 人間が科学や技術など駆使して作った物、その作る過程で地球を破壊する物質が作られています。

大気汚染、水汚染、核汚染、森林の砂漠化、地球の温暖化、フロンガスや数えられない程の科学物質、オイルや天然ガス、地下深く埋蔵されているエネルギー資源・・・などなど。

ガイアの里と言われる地球は果たして生きているのでしょうか?

それを壊しているのが人間ではないのでしょうか?

人間、時には謙虚になり<自分を含めて、全世界>を見て欲しいものです。

 その様な目を養うには、自分の誕生からの“自己の心”を点検することなのです。