‘うつ病’ カテゴリーのアーカイブ

<<うつ病>>究極の世界(8)

2006 年 8 月 26 日 土曜日

 「うつ病」、究極的に考えても{心の病}としか思えません。

勿論、「うつ病」になったと同時に体も変化しています。

神経・内分泌・ホルモン、などのバランスも同時に変わると考えて良いでしょう。

それでも、心のバランスが壊れなければ「うつ病」にはならないです。

 

 心身症であれ、神経症であれ、それなりに過去の中に自分で気付いていない“心の葛藤”を引きずっています。

ある{切っ掛け}を機に、自分が防波堤を築いていた“自我の心”が一瞬に、或いは、

ゆっくりと崩壊してしまいます。

この時、脳脊髄肢と血液のバランスが一機に<良くない方向>に変化して行くのです。

だから、どういう病気であれ同じでしょうが、{悪循環}を辿ります。

脳脊髄肢と血液が悪ければ、体も心も疲れます。

悩みや苦しみが治らないので、心身の疲労が益々と悲しく辛くなります。

一度「うつ病」になってしまうとなかなか治らないのがこの理由ですね。

心と体液の{悪循環}ですから・・・。

 

 お医者さんでは、薬を投与して体液を変えようとします。

或いは、血液や脳脊髄液のバランスが壊れていたものを回復させようとするのです。

しかし、人の心、考え方などは、格別に人格に関わるものです。

人格は、誕生(胎内時も合まれるでしょうがここでは触れないでおきます)から現在までの生い立ちの中に、沢山の心の{カラクリ}が渦巻いています。

その心の{カラクリ}が薬で解ける筈はありません。

結局、人間を悩ますのは、自分の心であり、自分の持ち合わせた心の全部を受け止める能力が無いと駄目なのです。

その能力が、人の心の{器}と言うものでしょう。

 

 心がバラバラで纏まりが無ければ、心の平安、楽しさ、嬉しさ、爽やかさ、豊かさ、など何も無いのです。

人生を生きていても幸せなんて何もありません。

苦しいので“死んだ方が楽になる”と感じ始めます。

要するに、人は、自分で{幸せを感じる能力}を養う事が最大に重要です。

 薬の内服により少しは気分が楽になっても、自分の考え方や思考方向のバランスが無ければ、眼前の人間世界を生きるのに悩みます。

そうであれば脳脊髄液や血液の正常なバランスを回復できません。

だから人が生きる事は、悩まないで生きる事。

人生では色々な出来事に衝突するので、自分が上手に悩まないで日常生活を生きる事に切磋琢磨する事が必要なのです。

生まれたまま、未来の世界を生きるのではなくて、自分の過去の中に{答え}はあります。

 

 人の心は、過去と現在と未来を見る目=心の調和、が可能であれば大丈夫です。

この調和を創造するのが「インターネット心理療法」なのです。

<<うつ病>>究極の世界(7)

2006 年 8 月 23 日 水曜日

 面白いのは“うつ病者”また、自称“健康者”もそうですが、心の話をすると案外<嫌悪感>を示す場合も多いです。

どんなに心の話をしても興味を示さない人達が多いです。

当方が悲しいのではなく、そういう人達を見ていると本当に情けなくて、また、可哀想に思います。

この様な言い方をすると{けしからん!}と言われるかもしれません。

しかし{けしからん!}と言う人が居るとすれば、その人も可哀想な人だと思えてなりません。

 

 何時もこんな風に言います。

人には「会話」と「行動」と「心]、この3つしかありません。

「心」が人の中心になるのです。

「心」次第ですね。

「心」が人の「会話」と「行動」を常に操作しています。

人の悪口を言ったり非難したりする事、これも「会話」ですね。

盗み、窃盗、犯罪など、これらは全てが「行動」です。

昨今のマスコミでも、事件など沢山と報じていますが、根本の原因は「心」でしょう。

 

 「心」・・・人の誕生から~現在に至るまでの<生い立ち>の中に形成されて来るものと言って間違いないでしょう。

一般社会の人達は“心について聞きたくない”と、そんな表情さえ見せます。

その割りには案外と人の気持ちを気にします。

自分に対して人の気持ちがどう動いているか、自分を賞賛しているかなどが主体になっていますね。

“自分を非難している”と知ってしまうと、今度は相手を<恨み>ますね。

相手に対して、自分の心の底では{怒り}、{憎しみ}、{やきもち}、{嫉妬}などを沢山と持ちながら、表面上では“自分は真面目な人間だ”と自負していますので、心の底を喝破する能力のある人が見れば、大変<滑稽>にみえます。

そんな人達を見ると可哀想だと思いますが、その人に向かって「貴方は可哀想な人」とは言えるものでもありません。

時折でも良いから、自分の心を見詰める作業をしておいて欲しいと何時も感じております。

そうでないと他人の心を傷つけるのです。

他人の心を傷つけておいて気付かない人は、何処で生きていても他者から<疎ましく>思われるでしょう。

 

 当方より「自分の心を学習しない人は可哀想だ」と申し上げたのは、人生の途上で<転ぶ可能性>が高いので、もう少し勉強しておかれたら良いのに・・・と言う意味です。

決して他者を卑下しているつもりはなく<祈る>そんな気持ちです。

 

「うつ病」になると、必ずや数%の確率で{自殺}が起こるので、残された家族が辛い思いをする事になります。

<<うつ病>>究極の世界(6)

2006 年 8 月 21 日 月曜日

 面白い事というか、悲しい出来事だと感じます。

「うつ病」の人、「うつ病」の話をする人、「うつ病」は薬で治せると言う人です。

日本では、大学の先生、精神科医や心療内科医の先生も、「うつ病」を“薬”で治そうとするのです。

この習慣が、世間をまかり通ってると思います。

何故、お医者さんは薬の事だけで考えるのでしょう。

「うつ病」は、薬を飲めば治ると言うのです。

悲しく、また、哀れな事です。

 

 “うつ病者”には、薬だけを内服し、仕事をしていない人達がどんなに沢山と居ることでしょう。

それと、注意すべきはアルコール依存の人達は、案外と「うつ病」を併発しています。

一般的に“アルコール依存者”は、「うつ病」を合併している事の方が多いです。

人格的な未熟さも、多くの場合で露呈しています。

人格的に成長している人であれば、アルコールを飲む事が自分にとって、人生を生きる上で{得}か{損}くらいは気付く筈ですから・・・。

“アルコール依存者”は、その区別さえ失っていますので、心の「器」を大きくしてあげる必要が絶対に必要です。

“うつ病者”もそうなのです。

心の「器」が小さいのです。

 

 どんなに学問に秀でていても、芸術に優秀であっても、心のどん底に落ち込む場合が結構と沢山あります。

エリート大学に行って学問を勉強し研究を重ねても、人間学を勉強する訳ではありませんので、人対人、人対環境などの問題について、意外と不満や不平を持ってしまう事も多いものです。

 

 そういう訳で、何と言っても「うつ病」は、本来的には人格に関わる問題です。

だから『「うつ病」を薬だけで治そうとしては駄目だ』と、声を大きくして皆さんに伝えておきたいのです。

本当に「うつ病」を治すのに、お医者様は薬だけ投与して治そうとしています。

 

 薬だけで「うつ病」が治った場合があるとします。

しかし、また困難に衝突すすると「うつ病」になり易いです。

そうでなければ、心身症や他の病気になったりもします。

「うつ病」・・・悩まない人になる。

自分の眼前で何事が起こっても悩まない人になることです。

 

悩まなければ「うつ病」に罹る事は絶対にありません。

<<うつ病>>うつ病からの開放(4)

2006 年 5 月 5 日 金曜日

 うつ病者にとって、“今の自分には何が大切か?”を自問自答しなければなりません。

しかし、頭が混乱してしまい考えることが面倒になってしまうことは理解できます・・・・。

{人生とは何だろう?}、{自分とは何だろう?}、{自分だけが悩みを抱えているのだろうか?}、{人は何故に悩むのだろうか?}、{悩んでいるのは、自分だけなのか・・・?}、{自分から悩みを取るにはどうすれば・・?}、{他人も悩んで生きているのか?}、{他人の悩みを解消してあげるにはどうすれば・・?}、{人間世界とは何だろう?}、{人は何を求めて生きるのか??}、{自分が急いで死なずとも、やがては必ず死が来る?}、などに疑問を持ち始める事が重要です。

と言っても、「うつ病者」はなかなか自分の考えている、または、執着している事柄以外を考えようとしないところが本当の彼等の弱点ですね。

自分は悩んでいる、他人は悩んでいないのか・・・・、など、・・・自分以外にも世間では沢山の人達が悩んで生きているものだ・・・と、<ふと気付けば>悩みから解放の出発点にもなるでしょう。

また、「自分は愚かな人間だ」と知る事の方が本当は遥かに早いのですが・・・。

 

 人間、誰しも自分が褒められたいと思いながら人間世界を生きています。

しかし、人生を生きる上でこの様な考え方はプレッシャーになります。

本当に、自分は偉く賢いか、そうでないか、この判断ができないですね。

周囲と比較しながら、自分の方が負けている、自分は駄目人間だと自己卑下している、自分の実力について<大きな力量>を持っているか否か、正常な判断が出来ません。

自分の“か細い心の世界”に閉じこもっていると表現しても良いですね。

 表現を変えてみましょう。

ストレス袋がありまして、次第にストレスが溜まって行き、ストレス袋の結びの紐が外れた時に、異常行動、異常会話、ひいては犯罪または自殺にまで至ります。

この様な状況は突発的にも起こってきます。

「うつ病者」が異常行動を起こす時は、既に{善と悪}の判断は出来ません。

同じ「うつ病者」であったとしても、人格水準も違うし生い立ちも違うので、異常会話や異常行動なども色々と違って起こってくることは当然です。

 

 何度も繰り返して伝えています。

{悩まない人}になるだけです。

「うつ病者」は、黙って静かに休息をとり、薬だけを服用しておけば良い訳ではありません。

「うつ病者」が早く回復するために、今後の人生に余裕を持って生きるために、“自分の心”を追求する事です。

今の心=顕在意識を治そうとしないで、深い心=昔の心=潜在意識と無意識を調べて、自分の過去を変える事、これが出来れば現在の心は変わります。

 

遠回りする様に思うかも知れませんが、最高の早道です。

「インターネット心理療法」で大丈夫です。

<<うつ病>>うつ病からの開放(3)

2006 年 5 月 5 日 金曜日

 自分の心、そして他人の心を知る事、これが出来れば「うつ病」から解放されます。

兎に角「うつ病」の人は、軽症であれ重症であれ“自分の心”を勉強する事です。

 

 今、悩むという事は、自分の過去に悩みを抱えているのです。

その過去の悩みを見つめる事ですね。

どいう心であれ、心には、{浅い心}と{深い心}と{中間の心}が有ります。

少し学問的に表現すれば、浅い心を顕在意識、中間の心を潜在意識、深い心を無意識と言っておいて良いでしょう。

厳密に説明すれば少し位は違うのですが、表現の{差}ですね。

「うつ病者」は、自分の心を治療する事からが一番に大切なのです。

心を治療する・・・、何処から、・・・、格別に深い心から・・・無意識の心=無意識の世界を探索するのです。

この様な作業をすれば潜在意識も自ずと探索し、理解出来るでしょう。

しばしば「うつ病者は何も考えずに、静かに休息だけしておいて下さい。薬だけは必ず服用しておいて下さい」と、世の医師達が言います。

しかし当方は、「絶対に間違っている」と思っています。

うつ病者は、特別にある事柄について悩み・苦しみ・嘆き、頭の回転・心の回転が出来なくなります。

拘る、執着する、ある事柄から自分の心を離す事が出来ません。

今現在に抱えている心から身動き出来ません。

 

 早く治す為に“心の学習”・“心の勉強”をするべきです。

早く治して、より早く社会復帰する為にですね・・・。

顕在意識、即ち“浅い心”を変えようとしない事は、今の自分の拘りの心を変えようとしない事です。

むしろ深い心、即ち潜在意識や無意識から変えるべきです。

過去の心が変われば、現在の心は簡単に変わるからです。

うつ病者は“自分の過去を探求する”、“自分が歩いて来た過去の心を探索する”事、これが最重要なのです。

心の休息をしないで下さい、社会復帰が遅れます。

夜間、不眠で苦しむならば、薬は服用して下さい。

そうでないと、昼間自分の心の旅が出来ないからです。

 

 大脳の過去の記憶場所、海馬で心の渦巻いている記憶を解いて行くだけで頭の回転も良くなり、心や体も爽快となって幸せになるでしょう。

自分の過去の心が今の心の全部を動かしている事が分るので、自分で悩みの原因、心の{本質}を知る事が出来ます。

うつ病者も「人生とは何か?」を自分で考えるべきですね。

 

 生きている時間、生きている場所にも、{有り難さ}を感じるのです。

人生が楽しくなります。

「うつ病」から解放されます。

「インターネット心理療法」で十分です。