‘うつ病’ カテゴリーのアーカイブ

<<うつ病>>うつ病の症状

2006 年 12 月 30 日 土曜日

 『心身症』と『神経症』と、『うつ病』では、明らかに症状は異なります。

症状が重なる場合も、勿論沢山とあります。

『うつ病』になれば、心身症状も神経症状も重複する事は多くの場合であります、ね。

 

疲れ易い、何となく体がだるい、全身倦怠感・・・。

気分が重い、頭痛、頭重、憂うつ気分、吐き気・・・。

肩こり、頚の違和感、首が重い、背が張る、背が痛い・・・。

腰痛、腰の違和感、頑固な腰痛、整形外科で治療しても治らない腰痛・・・。

喉が何となく悪い、違和感、食欲低下、食欲不振、食事が通らない・・・。

何となく呼吸困難、胸の不快感、胸が重い、胸に鉛の板がはりついている・・・。

動悸、息切れ、呼吸困難、呼吸速迫・・・。

お腹の調子が何となく悪い、便秘、下痢、お腹の違和感、上腹部痛、下腹部痛・・・。

 

 睡眠パターンですね。

入眠が遅い、寝ても直ぐに覚めるが直後に寝付けない、寝ていても頻繁に眼が覚めて大変、睡眠が浅い、寝ても寝たような気持ちがしない、目覚めが悪い、目覚めは良いが何かし始めると疲れる・・・。

 

抑うつ気分、気分が憂うつ、何時も憂うつ、頭が重くて思考が回転しない、晴れた日は気分が良いが曇天になれば気分不良・・・。

高所恐怖がひどく下に引張られる感じ、閉所恐怖で狭い空間では呼吸困難やパニック症状、窓の無い部屋では恐怖感、広場恐怖、プラットホームで電車が入って来る時に線路内に引張られる感じ・・・。

重症になれば気分不良で頭の回転は全くできない、思考力低下、思考不可能でパニック・・・。

 

 上記、『うつ病』の症状を記載しましたが、これらの症状などは冒頭で述べたように『心身症』や『神経症』でも各症状は出ます。

逆に『うつ病』では、心身症状や神経症を合併している場合の方が多いです。

『うつ病』が格別に軽症の場合では、本人に質問しても「<憂うつ感>を感じない」と返事をされる場合もあります。

殆どのケースでは、問診にて<憂うつ>だと答えるでしょう。

しかし、問診者が質問しなければそのまま終わり『うつ病』の診断は出来ないでしょう。

問診者の技量と力量にも、関わっています。

 

 『うつ病』には薬と言うけれど、人生途上の<迷い>ですから、その人生を見る<心の迷い>を解決してあげれば良いだけなのです。

原則的には、『うつ病』の薬は服用するべきですが、薬だけで治そうとするのは駄目ですね。

当方では、少し治療期間も長くなるし、最後まで人生で沈没したまま終わる場合もあるので、注意が必要だと考えます。

大きな社会問題にもなるものです。


うつ病者自身と周囲の人達の心掛けも必要です。

心の{器}を大きくしてあげる事です。

<<うつ病>>究極の世界(22)最終回?

2006 年 10 月 12 日 木曜日

 最終回です。

少しばかり難しいと思います。

このブログは沢山の人達が読まれています。

それで、人生の究極の思考体系にも触れておきます。

この項を理解できる人は哲学や宗教学にも随分と理解できている人達でしょう。

この<項>が解らない人達は、少しでも良いので人生の学習をして下さいますようにお願いします。

悩まないで、楽しく人生を生きられるものですから・・・。

 

 前回『無常観』の話をしましたね。

生きとし生けるものは、或いは、命あるものも無いものも、全てのものは時間と共に形や姿は消えて行くという事です。

終末を迎えて消えて滅するのです。

何故にこの様な考え方が必要なのかです。

この意味を解れば、全ての“迷い”は消滅して行くのです。

日本でも昔から、{捨てて、捨てて}と云う言葉があります。

{捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ}と云う言葉もあります。

自分の心も体も、捨てた積もりになるのです。

捨てた積もり、まあ、体だけは少し残しておいて下さい。

これは、心の世界の物語ですから・・・。

 

 『無我』と言う言葉ですね。

無限の時間(科学的には<宇宙の歴史と宇宙の終末>も紐解かれていますが・・)、永久の時間の流れの中で、人間個人の生命は何と短いものでしょう。

また、宇宙~銀河系~太陽系~地球~日本~自分の今の居る位置、を自分で確認できるかどうかです。

人は、自分の眼を何処に置くかです、ね。

自分の思いを何処に走らせるかです、ね。

夜空の星に行って、地球を眺めてみます。

また、どの位の時間がかかり、自分の生命はどの位の時間を生きているのでしょう。

自分の存在が、限りなく小さい存在だと解ると『無我』です。

自分の周囲の人達や世界の人達、世界の平和さえも希望する様になるでしょう。

 他者から踏まれても、蹴られても、苛められても、納得の行く人生を送られる人となれるでしょう。

 

『無常観→無我→涅槃』人の心は、必ずやこの過程を通って{悟り}の世界に入れるものです。

生きながらの『無我』、『涅槃』も真に楽しいものです。

『無常観』、『無我』、『涅槃』など、時間と空間から考慮をして、体で悟る事が必要なのです。

少しながら、人生を、哲学や宗教学を学問として熟慮して下さいませ。

 

 うつ病者は、薬も大事ですが人生勉強が<より大事>です。

<<うつ病>>究極の世界(21)

2006 年 10 月 10 日 火曜日

 ここまでは過去を見詰める事、自分の誕生から生い立ち~現在に至るまでの過去を見詰めて、自分の本当の心・自己を知る事が重要だと説明しました。

 

 “心の扉を開く”のに、一番に簡単に見えますが一番に難しい事があります。

簡単に言えば{己の心を捨てる事}なのです。

場合によっては{己の心だけでなく己の体まで捨てる事}なのです。

これが出来る人は「うつ病」にはなりません。

何故なのか?上記を少し詳しく説明します。

 うつ病者は、物事に拘るから「うつ病」になるのです。

同じ様な意味ですが、執着しなければ「うつ病」になりません。

自分という一人の人間は、やがて、或いは、すぐさまに死んでゆくもの、一定の時間が来れば、必ずや此の世から消滅して行くのです。

自分の消滅、“心身ともに此の世から消えて行く事”に対して納得できるかどうかです。

多くの人達、いや、全部の人達と言うべきか、「死」の話をすると嫌悪感を示します。

“生まれた者は必ず死ぬ”、避けられる道ではありません。

こんなに明確な人間の一生の過程ですが、なかなか人は納得しないのです。

悲しいですね、情けないです、駄目ですね・・・・。

人間世界の真実の出来事から、人は眼を逸らします。

避けられない人の命の消滅を、正面からその事実を眺めて欲しいのです。

時間の中で、時間に流されて人は一生を終わります。

時間とともに滅する=生きとし生きるもの、いや、生きていないものまで時間に流されて消えて行く=『無常観』ですね。

上記の事柄を体で悟る事が出来れば、立派で最高の人生を送れるでしょう。

何故なら、生きていて何も悩む事はありませんから・・・。

どんな出来事が起ころうとも、悲しい困難な出来事が生じようとも、自分の心身を投げ捨てて対応出来るのですから・・・・。

 自分の{死}を見詰めて問い詰める事は、逆に今の自分の人生を如何に生きるかが理解できます。

心は反転します。

悲しい、憂うつな心が反転、楽しくなるものです。

何時も、何か良い事はないかと自分の近未来(目先の事柄、近い将来など)ばかりを見ない事が重要なのです。

未来の自分を考えるのであれば、もう少し先の先を見詰めて“人生には終わりがあること”を確認し理解して下さい。

 観念でなくて自分の体で体得して受け入れる、頭でなくて体で理解={悟り}と言うことです。

{受容}して下さいませ。

人生の迷いや悩みや悲しみから、全てが解放されるでしょう。

 

 「うつ病」だけでなく、各種神経症や各種心身症も必ず治りますね。

当方、断言しておきます。

<<うつ病>>究極の世界(20)

2006 年 10 月 7 日 土曜日

 心、心、心・・・、人間の心って何でしょう。

案外と突き詰めて考える事を人はしないものです。

だから時折に悲劇が起ります。

全く自分の心について知っていないのに、自分の事は自分が全部を知っている積もりで生きているのです。

自分の心については充分に知っているが、他人の心が見えないと、人は良く言います。

人は、自分の心については、がんじがらめに{心の防波堤}を築いて他人から見破られまいとして必死で・・・、そんな生き方をしています。

 

 まとめとして、少し重複するかも知れませんが御容赦のほどお願いします。

人は、この世に誕生した以上、どうしても一人で人生を生きる事は出来ません。

誰かと顔を突き合わせて、何らかの環境の中で生きるしかないのです。

人間個人としては、全ての人を好きになるなんて出来る訳ないです。

全ての与えられた環境を好きになるなんて出来る訳ないです。

好きになったり、嫌いになったり、愛されたり、恨んだり、楽しんだり、悲しんだり、何時も人の心は{表と裏}が動きながら、日常生活を送っています。

 

 あまりにもマイナスの心が多くなると、また、「うつ病」でも強度になれば、幻聴や幻覚の様な体験をするでしょう。

{死神が、袖を引く}という明言ですね。

うつ病者は、悩みが多くなって苦しむと、独りでに死の淵へ・死の谷へと、心と体も引っ張り込まれてしまいしまいます。

 本当は死にたい訳ではないのです。

しかし、辛いから、苦しいから、悲しいから、憂うつで、何で嘆いて生きるのかと、自問自答しながら、心の絡まった紐が解けずに、人の心(=意識)の変性状態が起ります。

自分の心の防波堤は崩壊し、「うつ病」でも心は支離滅裂となります。

 発作的な行動は起こるものです。

うつ病者だけでなく、強度の強迫神経症、強度のパニック症状、強度の躁病者、(ここでは統合失調症は、除外しておきます・・・、彼等も過去に強迫されていますが・・・病気の次元は別にしておきます・・・)などの行動も大変です!

死への衝動と言うよりも、矢張り、死の淵へ自意識を支配できずに引き込まれると言った方が正しいと考えますね。

 

 人は誰もが日常生活の中でも、可能な限り自分の心を知るように注意しておいた方が良いでしょう。

自分の心を知ろうとすれば、日常生活の喧騒から一時でも良いので飛び出して、自分を見詰めて下さいませ。

設定された場所で・・・・・。

<<うつ病>>究極の世界(19)

2006 年 10 月 4 日 水曜日

 人間、悩まなければ「うつ病」にはなりません。

“先天的大脳の変化でうつ病になる”と言う結論は、医学会では未だ報告されていません。

先天的に、遺伝子だけを見てこの人は必ず「うつ病」になるなどとは、そんな論文は当方も見たことはありません。

まして統合失調症であっても、今のところ100%遺伝子、この遺伝子を持っているから何歳で統合失調症になるなどとは、未だ明言されていません。

 

 次第に年老いて来ますと、他の脳実質病変の影響で<うつ病傾向>になっていく人達も居られます。

ですが、本当の“うつ病者”ではないですね。

 どんなに学問に秀でていても、{人生の全体}が見える人はあまり居ませんね。

そう、“生まれた者は必ず滅する”だけの事ですが、この事が結構と見えないものです。

 あくまでも誕生後から生い立ちの中で、人格が完成されて行きます。

まだ“母親の胎内にいる時に、受ける心の外傷体験”も明言されてはいません。

「胎教」だとよく言われます。

当方も「胎教」については、胎児も母親の心身状況で<何らかの目には見えない影響>を受ける可能性だけは、否定できないようにも思います。

どんなに「心理療法」を続けて受けても、母親の胎内に居る時の心の回想は出来ないみたいです。

しっかりと過去の自分を見る「心理療法」を体験すれば、2~3才までの過去の記憶を辿ることが出来るものです。

 遠い過去の心に、幼児の時から自分の心が{本当に善人}だったか{善人ではなかった}のかを確認する・・・、自分の心を再発見し確認して、心の{受け取り治し}をしておくことが大事です。

本当に大事です。

 

 今までに何度も述べましたが、{過去の心}が{現在の心}を作る。

{現在の心}が{未来を見る心}を作ります。

 

 最後に学問的な言葉を使います。

現在の心よりも、過去の心が大切なのです。

潜在意識ですね、そして、無意識の心の世界なのです。

無意識の心の世界が底辺で、その上に潜在意識の心の世界、その上に現在の心の世界(現在意識=顕在意識)が成り立っています。

各種神経症、うつ病、躁うつ病、各種心身症、など・・・全ての病根は“無意識の心の世界”にあります。

病根は“潜在意識の心の世界”にもあります。

 

 統合失調症では、薬の服用は絶対的に必要ですが、人格を磨く事は非常に大切です。

人格に弱点を持っている人達が一般的には多いですから・・・。

だから、過去を見る「心理療法」が大切なのです。