‘うつ病’ カテゴリーのアーカイブ

<<うつ病>>追加編(5)

2007 年 1 月 22 日 月曜日

 現実的に、人の心は面白いものです。

悩んでいない人に、悩みの心を伝えても伝わらないのです。

悲しいものです。

人の心とは、そんなものです。

 

 そうは言っても、悩んでいる人に教えてあげて、悩みの心が理解できるか?と、問われれば<出来ない>としか答えようが有りません。

人間世界もそうなのですが、美しい世界が有って、汚れた世界も有る。

そういう混沌とした世界に、美しい世界の花も咲いてきます。

 人間の心も、同じみたいです。

美しい心、そして、汚れた心などが有り、綺麗な心の花も咲いて来るのかも知れません。

 だから、悩む人が居て悩まない人が居る。

悩む人に「悩まないで!」なんて言う必要はないのかも知れません、ね。

色々な人達がいて、悩む人達に<余分な事柄を言わない>で良いだろう、と考える人も居るでしょう。

本来的に、そんな人達は心理士ではありません。

また、人の心の世界を理解できていない人達です。

 

 多くの人達は、自分の心を理解しないまま、心の中に漠然とした{青い鳥}を求めているのですね。

人間世界を漠然と生きると、自然に欲求不満なども溜まってきます。

唯、同じ人間として生まれて来て、楽しく人生を生きることが出来れば良いと思うのです。

 

 悩んで生きても、人生、疲れるだけです。

悩んで生きるだけならば良いのです。

しかし、ちょっと困るのは、自殺して死んでしまうと、人間世界での大切な人が消失して行くので悲しいだけです。

当方、人として生まれて来た以上、人の生命はかけがえの無い生命だと思います。

 

 人生は、二度とないものです。

繰り返し出来ないのが人生です。

同じ事柄をやっていると思っても、人の生命は時間も違うし、場所も環境も次第に常に変化しているものです。

人は普段、何時も同じ環境で生きていると錯覚しています。

後で、取り返しの出来ない人生に気づく事もありますが、後で気づくのでは<手遅れ>でしょう。

 気分が落ち込まずに、沈まずに、何時も楽しく人生を生きる事ができたら、どんな嬉しいでしょう。

 

 そのために「インターネット心理療法」が、有ります。

<<うつ病>>追加編(4)

2007 年 1 月 19 日 金曜日

 うつ病者も、人間世界で<事件を起こし>ます。

多くの場合、薬だけでは治りません。

薬を服用しながら、会社では仕事も出来ず、悩みながら、引きこもり状態で継続する場合が多いのですが・・・。

そして、勤務している会社では職場放棄の状況に陥り、退職になってしまう場合が案外と多いです。

 

 『うつ病』では、歪な心のエネルギーが体と心の内側に溜まりこんでしまう、と思っても良いです。

あまり長期間悩み込んでいると、その内側のエネルギーが爆発してしまいます。

見栄と虚栄心が潰れ、自分の内側の{心が崩壊}して心のエネルギーが外側に溢れ出す時に、ですね。

心の歪なエネルギーで自分を抹殺する人は沢山と居ますが、他者を巻き込む場合もあります。

異常会話だけでなく、異常行動にまで顕現されるものです。

 

 見栄と虚栄心などは、人は誰しも持っています、ね。

うつ病者は、自分の力量と実力にそぐわない{見栄}や{虚栄心}を持っており、言い変えれば、そんな心の{仮面}を脱ぎ捨てるのが上手ではありません。

 色々な表現がありますね。

{鉄の鎧}を脱ぎ捨てることが出来ない、などとも言います。

卵の{殻から抜け出られない}とも、或いは、自分の塞いだ{心の殻}から出られない、と言っても良いでしょう。

要するに、うつ病者になると、自分の心の成長は、もはや難しいと言えます。

 

 そして大変なのが、うつ病者は他者の上手な援護をもなかなか<受け入れない>という現実があります。

人は、心身ともに健康な時から“心の問題が大切だ”と、教育するべきでしょう。

自分の考え方は、素直で真面目で健康だと思う心が、非常に問題なのでありますが・・・。

どんなに考えても、人間の心は実に大変だと、何時も思わされます。

人が自殺するのは、うつ病者が一番に多いから、一応自称の健常人からすれば「何で?」なんて思うだけでしょう。

自称の健常人は、立派に人生を生きていなくても立派に生きています。

心身症や神経症で悩んでいても、結構と多くの人達は<悩みを抱えていない>と考えます。

ある程度自分は悩みを持っていても、意外と他者に<口を開かない>で苦しんでいます。

また、口を開いて、他者に<自分の心を打ち明けて>も他者が理解できない場合も多いです。

 

 人は、日頃から心について少しながら勉強する事ですね。

人には、{建前}と{本音}が有ります。

一体に自分の{建前}と{本音}の心は、どんな心だろうかと自己分析、客観的な自己分析の学習が大事です。

<<うつ病>>追加編(3)

2007 年 1 月 15 日 月曜日

 繰り返して言いますが・・・、『うつ病』の診断は簡単です!

治してあげる事も簡単です。

あえて、もう一度繰り返します。

ですが、薬だけの治療では長引くものです。

 

 『うつ病』の人達には“こうしたら気分が楽になります”と教えてあげるのですが、彼等は絶対に周囲からの助言を受け入れることは本当に少ないです。

医師及び臨床心理士として、うつ病者を治療していますと、悲しい、また、情けない程に彼等は気分が落ち込んだまま、心の中では事故憐憫に陥り、自分が情けない、悲しい、悔しい、などと不満を沢山と溜め込んで生きています。

 人によっては社会を、また、俗世間を恨みます。

いや、全てのうつ病者は、と言っても良いでしょう。

勿論、若年の人達は社会についての知識は何もありませんので、専ら周囲の人達や自分の環境を恨みます。

人間社会に何故に{平等}は無いのか・・・とさえ考えて、一人心の中で自分を、唯、唯、哀れんでいます。

 社会の{生存競争}について行くことがとても出来なくて、劣等感の塊のまま人生が続いて行くのです。

どこかで人生を{生存競争}と理解できるか、{人生競合}と考えるかの必要がありますが、彼等にはどちらも<受け入れ難い>ですね。

 落ち込んでしまえば他人の助言なんて<さっぱりと役立たず>なのです。

日頃から、自称健常人(本当は、心は歪で気づかない)も、心の世界を学習すべきなのですが・・・。

 

 面白いと言うか、誰もが自分の人格は<正常>だと思っています。

人格の異常な人達皆が、自分について正常だと思っているところが最大に恐いですね。

人格は<正常>だとの判定になると、物凄く大変でしょう。

せいぜいある程度の法律や条令やルール、道徳や柵など、何処まで<妥協>して受け入れるか、そして、何処まで実行して行く事が出来るかでもありましょう。

 本当に何度考えてみても人の人格を{正常}か{異常}かの判定をする事は大変でしょう。

可能であれば、人の判定をするよりも自分の心と行動と会話を判定できるようになれば、それなりに世間を生きて行ける様になるでしょう。

日頃の思い、考え方とは反対になるでしょうが「自分は{真面目な人間}ではない、案外と{悪人なのだ}」と自覚できる事が大切です。

自分は{真面目な人間}だと思っている人は、多くの場合で他人を恨んだり、やきもちを焼いたり嫉妬したりする人となります。

 

 願わくば、自分の人生で他者に環境に、金輪際と不満を持たない事です。

<<うつ病>>追加編(2)

2007 年 1 月 9 日 火曜日

 『うつ病』の診断は簡単です。

唯、治すのに如何なる方法を選ぶかです。

 

 診断する人がそれなりの力量を持っていないと、普通の人、一般の医師にも全くと診断できないでしょう。

力量と実力が有れば、うつ病者の本人を見なくとも「貴方はうつ病者だ」と診断できます。

電話で数十秒聞けば“貴方はうつ病だ”と、分ります。

これが出来るのです。

その人が、会話やメールなどで<嘘をつかなければ>、メールでも診断できますね。

 何度も言いますが、原則的には薬を服用、その後は心の治療がより大事です。

心の治療の方が遥かに重要です。

しかし、うつ病者だと診断してあげても本人が理解しない場合や、家族が納得しない場合は大変です。

 

 <余分な説明かも・・・しかし説明を加えておきます。>

統合失調症でも、本人が認めず、家族も認めない場合もあります。

『うつ病』よりも統合失調症の場合の方が認めたくないのでしょう。

本来的には、統合失調症の場合でも、本人様も、御両親様も、{心理療法}を受けた方が俗世間を生きて行くには、気楽となるのは間違いないようです・・・。

 

 どんなに正確に診断してあげても、本人が、或いは家族が診断を受け入れない場合では加療しにくいです。

『うつ病』の人達は、自分が『うつ病』だと認める事、更に自分の歩いた過去の足跡を辿る旅をしてみる事です。

 本当の自分の心を知ると、心は反転して<心の自縛>から解放されます。

自分の心を自分で<知れ>ば、自分の心で自分の心を操作できます。

 

 自分の子供の心に、如何に対処したら良いか教えて欲しい・・・、などとよく頼まれます。

全くと意味がありません。

教えても伝わらないです。

 

 心理療法士は、悩み苦しむ人達、即ち、心の病の人達へ<心の扉>を開けるお世話をしてあげるのですが、助言や説教や注意などをする訳ではありません。

格別に、過去の心の旅は、人生での<心の悟り>と、言っても良いです。

 

 『うつ病』だと診断されても、神経症や心身症のケースもあります。

心身症や神経症だと診断されてもそうでない場合、『うつ病』の場合もあるでしょう。

うつ病者は『うつ病』の薬を服用すれば、効果があるのを理解できるでしょう。

うつ病者でない人が『うつ病』の薬を服用しても効果はありません。

うつ病者が、神経症の安定剤や単なる睡眠薬などを服用しても効果はありません。

うつ病者が『うつ病』の薬を服用しても、薬の種類によっては効果が違う場合もあります。

慣れればうつ病者は自分の症状を自覚できるでしょう。

『うつ病』について、自分である程度まで理解できる人達が居られます。

 

 当方では、心の世界も算数のようになっている事を理解して、そして<人生の悟り>を開いて欲しいと願っています。

<<うつ病>>追加編(1)

2007 年 1 月 2 日 火曜日

 インターネットで、心の関連の記載については<うつ病>の記載がダントツに多いです。

この事については、それほどにまでうつ病者が病・医院で診察を受けても病気の治りが悪いと言う事でしょう。

一般の皆さんは、『うつ病』を治癒させるために如何にすれば良いかとも考えておられる筈です。

 

 人間には、{会話}と{行動}と、それを動かす{心}、この三つしかないのです。

このことについては他の閲覧分で述べていますが、大変に重要なので頭に入れておいて欲しいです。

 

 『うつ病』になると、心身がボロボロになってしまいます。

そして、人はどうして疲れるのだろうと悩みながら苦しみながら次第に頭の状態、思考能力は格別に落ちてきます。

人によっては、薬の内服だけで軽快&治癒?する場合もありますが、当方では、『うつ病』になった時が人生を悟る最大のチャンスだと考えています。

本当に<人生とは何か?>などの答えを得るのに大変に有り難い{機}を頂いているのです。

 しかし、薬だけで治療して『うつ病』が治癒したように見えても、『うつ病』になった人格・性格・心、切っ掛け、などの状況と自分の病状の変化を正確に判断しておくべきです。

さもないと『うつ病』が治ったように見えても実際には心の底では“劣等感”を、或いは、少なからず“心の葛藤”を引きずりながら生きることになります。

 また『うつ病』には罹らなくても次の<切っ掛け>で他の病気を、心身症などとして発症してきます。

当人にはその過程が全くと見えません。

何で?、何で?、と自分の病気の原因を追究する心になれば良いのですが、その心の反転を自分で出来ないのが悲しいところです。

案外と体も心も疲れやすくて、人生をエネルギッシュに生きるのは無理だと思われます。

自分の心の底に、心の葛藤を抱えながら生きるのですが、自分では{それが、何か?}を理解できていませんので・・・。

 

 人生観とは物凄く大事です、ね。

自分の人生を、如何に生きるか???、如何に死んで行くか???。

自分の人生の一生を自分の心で確立しておくべきです。

勿論、人間は、何時まで生きるのか、生かされるのか、何時に死んで行くのか、また、不治の病、不意の災害・天変地異などもありますので、人生の<長い><短い>は、誰にも不透明な部分はあります。

 非常に面白いのは、人は自分が、何年何月何日の何時に「死」を迎えるのか分ると良いと言いながら、矢張り、自分の「死」の日は不透明な方が良いと呟くのです。

 

 人生観の確立が大切ですが、{心理療法}を受けないと無理ですね。