子供達の間で、{いじめ}などの問題、或いは、どんな事柄の{問題}にせよ、表面化して来たときには、先生が一人で解決しようと考えない事であろう。
他の先生に相談をしても“解決の糸口が見えない”と言ったところでもあろう。
文部科学省や厚生労働省の人達の考え方にも問題が有るのではなかろうか!!!!そう思わせられる。
学校の教育、医療の現場では、人の悩み苦しみを世話する事に無力である。
考え方によっては、政治家や官僚が<どうなのだ>とも言えそうだ。
彼らはそう、人間の心の問題に触れた教育もしないし、また、医学生にも<心の教育>をしない。
我々が若い人達に<心の問題を教えても>全くと、通用しないものでもある。
若い人達の心の問題でもあるが、聞く耳を持たないから・・・。
人は、「人生とは、何か」、「自分とは、何か」、「自分の心の動きは、何処から来るのか」、「自分の存在とは、何か」などと、先ずは疑問を持ってみる事が必要であるが、多くの場合“自分には関係ない”と考えている。
人が、今考えている事柄は、全てが自分の過去の心の<致すところ>である。
誰でもが、自分の過去の心を調べると、自分の心と会話と行動が見えて来る筈である。
人間は全ての人達が、自分の過去の心に動かされている。
過去の心が現在の心を作り、現在の心が未来の心(未来を如何に生きるか・・)を作りあげる。
本音と建前の理解できない先生達、沢山の大人達もいる。
当方も、ある意味では、本音と建前、無意識や潜在意識や顕在意識などについても勉強するまでは、理解できない人間の一人であった。
自分について「情けない悲しい一人の人間だった」と、自覚した体験がある。
「どうして早く心の学習に気づかなかったのだろう」と、考えた事もある。
どうしようもない人達が、たまに見られる。
実際には、立派で有能に見える人だが、ちょっと観察していると直ぐにその人の性格というか人格が見えて来る。
時には「前だけ向いて生きて行くが、良い!!」おまけに「過去を振り返らないで」なんて言う、大変な人達が居るものです。
この様な思い上がった人は、周囲の人達を限りなく傷つけておきながら、気付いていない。
自分の心の傷つき具合も知っておかないと、他者の心の傷つき具合も知る事ができない。
科学や技術や学問は、人間にとって確かに大事である。
だが、もっと大切なものは{人間学}であろう。
自分、家族、社会、人間世界とは、何!!!。
自分一人では、絶対に世の中で生きて行くことは出来ないのである。