‘人間’ カテゴリーのアーカイブ

<<人間>>**人間**(8)

2012 年 7 月 4 日 水曜日

  赤ちゃんから、幼児へと育って行きます。
  幼児の時も、矢張り、凄く大切なものがあります。

 満二歳までに、子供達が持つのは、{{基本的不信感}}と言いまして、その年齢にまでに受けた周囲からの感情が如何なものに育つかと言うものです。
 第二期の{{基本的不信感}}などがあります。
これは、満二歳以後の周囲から受ける物事への感化で子供達が抱える{{感情}}だと言っても良いでしょう。

そう、乳児から満二歳までにおける、周囲からの影響で、{{基本的不信感}}に加えてから、その後の{{こころ}}を{{第二次の基本的不信感}}と言うように、色々な考えかたもあります。

  人間は、誰もが、周囲の環境は違うものです。
だから、色々な人達が、此の世には見られます。
人間世界で、楽しく生きていても、一時的な場合もあります。
また、ずっと、あまり人格は変わらなくて、楽しく生きる人達も居るでしょうが、珍しい方に入るでしょう。
何所まで、人間の誕生後から~~死ぬるまでを、納得して楽しく生きるのかでしょう。

そう、人間って、何でしょう。
自分って、何でしょう。
私の存在って、何でしょう。

 人間社会が理解できない人もいろいろおられるようです。
生きている、価値があるのでしょうか。
何をしても、別に楽しい事柄なんか有りませんからね。
お母さんを見ていても、面白い事もありません。
お父さんを見ていても、何も変わった事はありません。
一体に、生きている価値も何も無いのですから、皆がこの世を生きるのが理解できません。
面白い事柄なんて、本当にこの世には何もありません。
何も楽しい事柄なんかは、ありませんよ。
生まれて来るべきでは、ありませんでした。
生きる事に、楽しい事柄が無ければ、面白い事や嬉しい事も無いし、辛い悲しい事柄ばかりですからね。
私の好きな仕事も無いし、お金もないですからね
そう、親が勝手に私をつくったのだから、
すべての問題は、私の親に責任がありますね。
親が、悪いのですよ。
親が、まじめに私を育ててくれていれば、何も問題は起こっていなかったですからね。
社会適応、とんでもないですから、すべてが親の責任です。 

<<人間>>**人間**(7)

2012 年 6 月 29 日 金曜日

  今回から、明確な記載のために、人間の年代、年齢に区切って伝えてみましょう。
そう、最初は、乳児期から、入りましょう。
乳児の時には、周囲の誰かから、お乳を飲む事、排泄のお世話を受ける事、衣服の着替えなどなど、お世話にならないと、生きていく事ができません。
そんなにも、毎日、毎日、沢山のお世話になりながら、やっと、人間世界に出て行けるのです。

  誰からも、お世話が無ければ、絶対に此の世に出て行く事など、出来ませんよ。
例えば、良くある話ですが、乳児の時に、ですね、お乳を飲ませてもらっても、哺乳瓶だけで、人間のスキンシップが無いと、人間の子供に育たないのです。
そう、例えば、こんな事は絶対に無いと言っても良いでしょうが、犬や猫などでは、哺乳瓶はもてません。

  昔の話ですが、狼が赤ちゃんにお乳を飲ませて人間を育てた、育てたが、遂に、人間の子供としては、育たなかったという話があります。
又、有り難い事でしょうが、狼からお乳を貰ったのでは、スキンシップが人間と違います。
その間に、{{会話}}なども、全くと、違うのですから、乳児の間に、矢張り、人間に育ててもらわなかったら、最早、赤ちゃんが成長しても、普通の人間とは違った人間になりますから、人間世界では通用しません。

  特殊な場合もあります。
耳が聞こえない方達でも、視力や味覚や嗅覚が鋭く、素晴らしく、鋭く敏感で人間社会で{{役立つ}}ように、成長する場合もあります。
視力が悪い場合では、耳が鋭く、味覚や嗅覚も鋭くなる場合もあります。
色々と人間に欠けて育つ場合では、普通の方達と比較して、飛躍した能力を持つ場合もあります。
人間って、面白いのは、素晴らしく能力を持っている場合もありますが、乳児の頃から人間の{{会話}}や{{行動}}や{{スキンシップ}}などを受けない子供達は、全く、普通の人間としては育たない場合もあります。

  乳児から、幼児へと移行して行きますが、とにかく、ここでは、ある程度の人間として育つには、それなりの、周囲の人間が赤ちゃんに手をかける事が重要です。
乳児から、適当に、無干渉では、人間に育ちませんし、過剰干渉でも育ちませんよ。
人間として育つには、赤ちゃんが一人で育つ訳もなくて、たくさんの人間のお世話が有ってから、初めて育つものです。
どうぞ、人間として、此の世を人間らしく生きるには、幼い赤ちゃんの時からのお世話が重要なのです。
そんな事柄は、周囲の人間が必ず明確に熟知しておくべきものです。

<<人間>>**人間**(6)

2012 年 6 月 25 日 月曜日

   先ほどは、理解し易いように、伝えたつもりですが、さあ、どうでしょうか??
そう、人間の一生を簡単に記載してみますよ、ね。
「「因縁」」・・「「宿命」」・・「「運命」」・・「「天命」」などの、この四つでしょう。
間違いなく、皆様方は、「「運命」」の段階で{{悩んで}}おられますね。
だから、自分の「「運命」」の中に居ながらで、「「運命」」の時点から、「「因縁」」や「「宿命」」を如何に考えるかでしょう。

   可能ならば、いや、可能の筈ですがね。
「「運命」」のなかにいながら、「「天命」」を熟慮するのが良いですよ。
自分の「「運命」」を変えるためには、自分の今の生活の中で「「運命」」を変えようとは考えない事ですよ。
「「運命」」=現況の生活の中から外側を眺める事、眺めるべきなのです。
当方の記載が難しいのでしょうか、ね。

  理解し易いためにですね、自分の今の悩み事を解決するのに、直接に{{今の悩み事}}を解決しようと、考えない事ですよ。
{{今の悩み事}}は、さておいて、自分の{{過去}}を振り返りながら、自分が{{どんな人間}}だったかを判断するのが最適です。
自分の{{過去}}を判断できる人達は、自分の{{過去}}と{{現在}}が繋がるので、彼らを{{癒しの世界}}にもって行くには、案外と簡単なものです。

  現実に、{{こころの世界}}を散策した人でないと、理解できないでしょうが、この辺りが、「「心理療法」」の一番に大切な場面ですよ。
でも、沢山の{{考え方}}があります。
人間って、自分の{{こころ}}と{{からだ}}と{{会話}}ですから、自分の好きなように考えたら良いだろうとの、思慮もあるでしょう。
しかしながら、此の世には、自分が「「一人で生きる世界」」なんて有りませんから、誰かとの「「共存」」とか「「受容」」とか「「共感」」とか、などを必要とするものです。
そのためには、自分{{一人の考え方}}を貫くのは無理です。

  人間は、人間は、何度もですが、誰かと共存しなければなりません。
凄く歪で愚かな一群の愚かな人達が、見られますよ、時折にですがね。
自分の{{考え方}}が間違っていても、認めませんし、愚かな人だと{{呼べば}}立腹するのです。
親が言っても、有能な心理士が、どんなに上手に考えた積もりでも、駄目ですよ。
そんな人達も、簡単に言えば、幼い頃からの{{こころの外傷体験}}が、何時も、自分の現在の{{こころ}}に付き纏っています。

  人間って、人間って、何なのでしょうかな。 

<<人間>>**人間**(5)

2012 年 6 月 22 日 金曜日

  私は、人間って、いや、私は{{何}}だろう、と思っています。
私は誰とも、関係がありませんよ。
目前の人は、人でありますが、私とは何も{{縁}}の無い人です。

私とは、どんな人間、私とは、何故に此処に居るのだろう。
此の世には、{{縁}}の無い、人間ですよ。

どうして、私は、此の世に居るのか、不思議ですよ。
何で、本当に意味の無い世界に生まれて来たのでしょう。
誰とも、{{こころ}が合わないし、面白い事なんて全くありませんです。

皆は、何で、こんなに面白くない地上で生きているのでしょうかね。
生まれて来なければ、良かったですよ。
悲しい、面白くない、楽しくない、私以外の人間は、誰もつまらない人間ばかりですからね。

この地球上に、どうして、私がいるのですか。
生まれて来たいと思った事、嬉しかった事など、考えた事がありません。
寂しい、悲しい、哀れな、惨めな、そんな人間ですよ、私なんて意味の無い人間ですからね。

どうして、皆は、人間世界で生きているのか、全く、分かりませんしね。
もう、何時の事、死んでも、私は構いません。
生きている意味が、分かりませんからね。

母も、嫌いだし、自宅に居るのも面白くありません。
父も嫌いですよ。
だから、自分の家でなくて、私が居るのは、一体に、誰の家に住んでいるのか、分かりません。

私のお母さんか、どうかも理解できません。
私のお父さんかも、分かりません。
何も関係の無い人間が、傍に居るだけですよ。

お母さんも、お父さんも、私の兄弟姉妹も、関係ないですよ。
私の姉が、一体に、どうして、何も関係ないでしょう。
私の妹も、私とは、関係ありませんよ。
私の兄も、弟も、全然と関係ありません。

  悲しいものですよ。
早く、死んだ方が良いのかと、思いますね。
生きるのに、意味がありませんからね。
誰も、私とは、何の関係もありません。
そう、私が生きるなんて、考えた事もありません。

<<人間>>**人間**(4)

2012 年 6 月 20 日 水曜日

自分って、何ですか??
何故に、此の世に生まれて来たのでしょうか??
お母さんは、お父さんと喧嘩をしますか??
お父さんは、お母さんと喧嘩をしますか??
お母さんとお父さんは、祖父や祖母と喧嘩をしますか??
お母さんが、好きでしょうか??
お父さんが、好きでしょうか??
お母さんに、言葉で命令をされていませんか??
お父さんに、言葉で命令をされていませんでしょうか??
お母さんから、暴力を受けませんでしたでしょうか??
お父さんから、暴力を受けませんでしたでしょうか??
自分の子供時代は、楽しかったでしょうか??
欲しいものを、買ってもらいましたでしょうか・・・??
お母さんとは、一緒に楽しく過ごした事がありますでしょうか??
お父さんとは、一緒に楽しく過ごした体験がありますでしょうか??
そう、兄弟姉妹はいますでしょうか??
兄弟姉妹が居たら、仲良くなかったのでしょうか??
何か、私の幼い頃に、面白くない事柄などが有りましたでしょうか??(自分で、自分の「「過去」」を振り返り考えましょう。)!!
私の周囲で、何か、面白くない事柄などは、無かったのかなあ??

そうです、自分の{{生い立ち}}を明確に振り返って、イメ―ジで回想できるのが、最良でしょうね。

  当方が、長年月間にわたり「「心理療法」」をしてきましたが、「「再生」」・「「回向」」・「新生」」・「「至福」」・「「至高」」・「「神秘」などの体験を得る事が出来たら、自分の人生は最高に嬉しくなるでしょう。

  目前ばかりを眺めて、自分の問題を解決するのは、簡単のように見えても、先ずは、絶対に解決できないでしょう。
仮に、解決できたにせよ、自分の過去の「「こころ」」と繋がっていた事を思い出して納得できているのなら、最高でしょうが、如何でしょうか?? 自分で解決できたと言っても、なかなかと、心底には解決できていない事柄が多いですから、要注意ですね。

  人間とは、何だ・・・と思うか、少しは勉強しましょう・・・。
きっと、自分の{{現在}}と{{未来}}について、素晴らしく役立つ筈ですからね。
そう、とにかく、「「「人間」」」とは、何だろうと、思えば、100%において、自分の過去の生き様&{{こころの動き}}を点検する事です。