‘身代わり不可症候群’ カテゴリーのアーカイブ

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)15

2011 年 10 月 12 日 水曜日

 思春期時代について、少し触れてみます。

二人の青年が居て、美しい女性が一人だけ周囲に居たとします。

他の、女性は誰が見ても普通の女性に見えるし、可笑しい顔や姿でもないのですが、一見、誰が見ても傍に可愛い美しい綺麗な女性が居れば、男性の心は綺麗な女性の方に心が傾くものでしょう。

 

 自分も好きだし、自分の友達も彼女が好きだと言う場合も有ります。

二人が競って、彼女を好きだと言っても、自分の友人を彼女が好きで、自分を彼女が嫌いだと言って、友人とデイトなどを重ねると悔しいものでしょう。

自分にとって、そんな友人と彼女について、自分の心は穏やかにはなりません。

「やきもち」・「嫉妬」・「妬み」にも、なっていきます。

友人が彼女を好きだと言い、その友人に快く譲ってあげて下さいと、言われても、そんなに簡単に、自分の心は穏やかにならないでしょう。

友人と自分とが身代わりの状態を考えて、喜んで、友人に譲ってあげる程の{{度量}}は持てません。

 

 若い時代には、誰にでも似たような体験が有るかも知れません。

でも、「身代わり」に素直になってあげるのは大変でしょうし・・、

誰も友人の気持ちになって傍から応援してあげましょうなんて、言えないですよ。

また、人間も大人になって、知らない人が自分の家の傍に大きな家を建てても、腹立つような事は少なくないでしょう。

案外と、この事については、諦めがつくのですよ。

しかし、自分の既知の人が自分の家の傍に大きな立派な家を建てると、悔しい悲しい気持ちがするものです。

大きな家を建てた人の気持ちになって、理解してあげて下さいよ、心より喜んで納得してあげて下さいと、言っても、しかし、現実は辛く感じます。

それでも、納得してあげるには「身代わり」になれるかどうかですね。

 

 上記の出来事などは、「身代わり不可症候群」と同じで、なかなかと自分の心を大らかに賛成して喜んであげる事は凡人には、難しいかも知れません。

相手の立場に立って自分を見つめると、自分が「愚かな人」、「駄目人間」に見える場合が沢山とあります。

それでも、身代わり出来る{}になれることが大事です。

これは、俗世間を生きていると、幾らでも有る事柄です。

どんな時にも、他者の眼差しから見れば、自分が{愚かな人}に見える場合は、沢山と有るでしょう。

自分の実力、切磋琢磨の足りなさを認めて納得しましょう。

自分の{生い立ち~現在までの生き様}を、眺めましょう。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)14

2011 年 10 月 11 日 火曜日

 母親の立場・・・、そうですね、母親の立場を見るためには、母親を{神聖な母親}と見ないで、一人の{人間}として見つめて欲しいですね。

その上で、母親の立場を考える、事です。

母親、母親、などと、母親の事を何時までも、母親と考えないで欲しいです???、甘えの対象としての{母親}と見ないで欲しいものです。

 

 両親の「因縁」で此の世に誕生して来ましたが、両親にしても、一人の人間で一人の{人}なのです。

小学高学年~中学生になると、普通であれば、母親と自分は各々が別の{}として見分けがつくものです。

勿論、小学生の頃は、異性として{男}と{女}の関係はあまり自分の心には響いて来ないでしょう。

だが、好きか嫌いか、良い人か悪い人か、お母さんが好きとか嫌いとか、お父さんが好きとか嫌いとか、夫婦喧嘩などの諍いも分かるし、子供にとっては大変に辛い出来事です。

 マイナスの気持ち・感情を、心の奥に〈海馬〉に溜め込みながら育ちます。

 

 一番に、子供が幼児期に困るのは、夫婦の{性生活=夫婦の交わり=お父さんとお母さんとの裸の交わり}を見るのが、子供にとっては永遠のPTSD=心的外傷症候群となって残る」でしょう。

この{原光景}とも、呼ばれますが、親は本当に注意しながら生活をしなければ、なりません。

と、言っても、未開地や先進国での状況は全く違う筈です。

先進国では、こんな{原光景}を見ると、その子供が成長した時に<<結婚生活>>にまで影響を及ぼします。

 

 考えようによっては、人間の悲しい{性}ですよ。

子供に、親の交わりは、あんたも成長して結婚したら、親の気持ちが理解できると言われても、この事についてだけは、親の{身代わり}は出来ません。

だって、子供にとって、未来の自分、未来の人生を具体的に理解できるのは無理ですから。

両親の生き方を見ながら、子供は成長しながら、家族のあり方を身につけて、やがては、思春期の嵐の中を通り過ぎて、性欲そして男女の交わりも覚えながら結婚生活に入ってゆくものです。

 

 子供時代に、自分の親の{{汚れた会話や行動や心}}などについては見たくないものです。

本当に、「身代わり不可症候群」ではありませんが、人間の本性でこんな出来事を身代わりするなんて出来ません。

親の立場を理解してなどと説明されても、言われても駄目なものは駄目です。

身代わり出来ない事柄も有る事は知って欲しいですね。

「身代わり不可症候群」でも、当然に<<身代わりできないものは>>出来ない事が有る事を追加して、説明しておきました。       

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)13

2011 年 10 月 6 日 木曜日

 簡単に{{身代わり}}と言っていますが、案外と難しい場合もあります。

貧乏したままでお金持ちになった事のない人達は、お金持ちの苦しみや悲しみが意外と理解できません。

誕生後から・・・・引き続きのまま・・お金持ちで・・大人になった人達は・・貧乏人の心を理解できません。

時折ですが、悩んだ事がありませんと、言う人も居ますが、それは<<まずい>>ですね。絶対に悩んでいる時期も有った筈ですが、当人は悩んだ記憶を消しているだけです。

 

 一度も悩まないで、成長する人なんて居ませんよ。

当人が、自分の心を見るか眼差しを抱えていない、だけの事です。

誕生後から~~~大人になるまでに、一度も悩んだり苦しんだりした事が無いと言うならば、その人は、逆に、親からの心の分離が出来ていない人達です。

こんな人達も、大変に困ります。

親から分離できていない人達は、俗世間でも自分一人で物事を考えて生きる事が出来ませんし、逆に、何時も心が不安ばかりとなるでしょう。

 

 子供心に、少しでも、自分の親に不満や不平を持つところから、親と自分の関係が大きくなりますし、親以外の他者との関係も増大してきますね。

その上で、他者と対立しながら、自分の人生を生きるのが{{人間社会の中の人間の動き}}ですね。

対立関係の中で、自分と他者の心の関係、そして、自分と目前の環境、これが上手に出来れば、心の葛藤は生じないでしょう。

「受容」・「共感」・「妥協」・「拒絶」、などなどの心を自分が上手くコントロ―ル出来る事が、一番に重要です。

 

 ここで、何を言いたかったか、ですね。

誕生して、育つ過程で、全ての人間は、自分の親、自分を育てる人に対して、不満などの心の葛藤を持ちます。

親への不満を持ちながら、自分のストレスを解消しながら育ちます。

家族の形成、会社の中の自分の身の回りに対する心構え、これのみで、皆は人間社会で生活しています。

人間社会に生きていて、自分の希望をあまり巨大化しないで、生きる事でしょう。

むしろ、他人の心や人間関係を見つめながら、時には、自分の心を捨てて、他者に従うのも重要です。

 

 {{{捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ}}}なんて言葉が、昔から有ります。

{{{捨てて、捨てて、捨てて・・・}}}などの、言葉もあります。

あまり、自分の我執に取り付かれない方が、気楽になれます。

時には、他人の立場に立って自分の心を置き替える「身代わり不可症候群」であれば、何時まで経っても、悩んで生きるでしょう。       

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)12

2011 年 10 月 4 日 火曜日

 子供達は、誕生後に育つ過程で、色々様々な{心の葛藤}を抱えて育ちます。

誰もが、皆が、「豊」と「貧」、その他に様々な{環境差別}{親の境遇差別}を感じながら、育ちます。

まだまだ、全体的には、子供達は<<親の愛情を求めて>>います。

西欧の先進国の中では、現在ありうることですが、子供達全部が同じ枡(環境)の中で育てられれば、眼前に両親が居なくても、大人になって、ふと過去を振り返っても、他者と比較しても同じ環境の中で育って来たと感じるものでしょう。

だから、自分だけが、悲しい寂しい環境で育ったとか、親から育ててもらわなかったとか、などの感じ方が違います。

 

 では、「事件」や「犯罪」などは、西欧では起こらないかと、問われれば、どんな同じ様な枡(環境)で子供達が育てられようとも、同じ仲間のように見えても、矢張り、その中でも区別とか差別は当然と有る訳です。

家族関係では「家族の貧富」・「家族の職業」・「兄弟姉妹の数」、子供達の間では「背丈の高い~低い」・「顔や容姿の差」・「頭の良い悪い」・「記憶力の差」・「運動能力の差」・「喧嘩の強弱」などなど、当然に比較が出て来ます。

人間全体が同じ、なんて絶対にありません。

 

 拘る、分別する、差別する、比較する、とらわれる、執着するなど、人間の悪い習慣です。

此の世に誕生した時から、諸々の葛藤を持って生きるようになっています。

普通は、男と女しか居ません。

勿論、先天性の疾患は、ここでは、別事項としておきます。

人間社会で立派に働いても、お金持ちになっても、有名になっても、地位を得ても、何かと人間は、自分自身について<<物足りなさ>>を感じながら生きるでしょう。

様々な問題も、起きてきます。

 

 どんなに裕福になっても、最後は、案外と、人間は異性を求めます。

お金持ちになったからと言って、自分の好みの女性が自分の手に入るものではありません。

また、女性に声をかけても、女性が「NO」と答えた時には、一体に如何なる状況が起きるのでしょうか・・その時の{{面子}}が潰れてパニックを起すのが、凄く怖いです。

仕事が上手に出来ても、{草食男}は居るし、{草食女}も居ます。

誰とでも話を出来ても、案外と、{草食男}も居るし、{草食女}も居るものです。

 

 一般的には、矢張り、他人の立場に立てる人が、何事につけても人間社会で適応出来るし「身代わり不可症候群」では、人格が幼いので治療しておきましょう。

女性に興味を持たない「草食男」なんて、表現が有るが、現実的には、女性に対して沢山の興味を有り余る程の関心を持っています。

男性が女性をもてなす{術}を身につけず、女性は男性をハンドルとる{術}を知らない。

互いに距離を置くが、近づきたいのが本音!心の{裏}は違うのです。

<<身代わり不可症候群>>身代わり不可症候群(続)11

2011 年 10 月 3 日 月曜日

身代わり不可症候群(続)1~10は、掲載済みです。

 

 {草食男}が居れば、{肉食男}がいるだろう。

{草食女}が居るなら、{肉食女}も居るでしょう。

心理学的立場に立てば、{草食・・}も{肉食・・}も、どちらも彼等の「生い立ちの心」・「成長過程での心」に裏打ちされています。

子供達は、両親の姿を見ながら育って行きます。

自分を此の世に誕生させた両親の<<仲が悪ければ>>、何故に自分は此の世に生まれて来たのか、少しながら考えます。

 

 両親の不仲を眺めながら育てば、どんなにお金持ちであっても、両親を心の中で恨みながら、或いは、不平や不満を抱えながら育ちます。

両親が子供達に対して虐待のような気持ちで育てると、子供達は両親に対して、恨みの感情を越えて、{{怨念}}にまでなってしまいます。

男性であれば、生い立ちの中で母親に対して{恨み}や{怨念}などを持って育てば、大人になってからも<<心の底から、女性を愛す>>事は不可能でしょう。

女性の子供であれば、父親に恨みを持って育つと、{肉食女}になる可能性も大きいです。

 

 両親の不仲も、そうですが、案外と子供に本当に辛いのは、両親の裸の交わりを見るのが大変で、大人になってから<<異性を心底と愛す>>事が不可能となるでしょう。

先進国と未開の国などでも、色々と子供達の親への{心の取り込み方}は違いますが!!!。

子供達は、自分の母親を一人の優しいお母さんと感じて育って生きたいみたいです。

母親が、子供達に、女の{}を見破られるのは、自分の子供達へ良い影響は残さないですね。

子供達に、{母親も女だよ、だから、男が好きなんだ}などと思わせるのは、大変に子供達には悪影響を及ぼします。

 

 母親が、父親以外の男性と寝るのを見ると、また、子供達には辛いもので、子供達が女性であれば、大人になった時には、大変な{所謂、肉食女}になる可能性が大きいです。

無意識的に、母親への「抵抗」が働きます。

そんなケ―スで、男の子なら、大人になって、真実に女性を愛する事が難しくなります。

女性を不潔な女性と考えるが、真面目な恋愛は出来ないでしょう。

現代社会で、「男女平等参画」と言いますが、子育てには<<裏目に出ている>>ものです。

子供達は、少なくとも、幼い時には、母親や父親の愛情を真剣に求めています。

 

 子供達に向かって、親の気持ちを考えろ、社会情勢を考えろ、なんて言うのも、無理です。

子供達は、幼い時から、年齢を重ねても、親の{{不倫}}や{{不仲}}などは見たくないもので、現実には、親の子供達への{{監視}}が厳しいほど、{草食男・女}になりそうです。

「親の不倫」については、親との身代わりを考えろ!!なんて無理、「身代わり不可症候群」で、大人になっても他者とも「身代わり不可症候群」になりそうです。

幼い頃、{不幸な生い立ち}でも、大人になれば、自分の過去を引きずらないで「他者の立場になる努力」が、大切です。