人間世界には、「「男」」と「「女」」が居るから、楽しいし素晴らしい世界であると、思われます。
勿論、先天性疾患で、「「男」」と「「女」」の役割を充分に演じる事ができない人達もいるでしょうが、このような場合は、今は、ここでは、「「話」」を別にしておきます。
「「男」」と「「女」」が居るから、そして、互いに、「「愛」」し「「恋」」して、幸せな時間を持てるし、幸福で真実に嬉しい喜び、恍惚と悦楽の時間を持てるものだと信じています。
だが、一度、「「男」」と「「女」」の{{こころ}}も縺れますと、悲しみ苦しみ恨み怨念などなどが湧き出て来ます。
そこから、「「事件」」や「「犯罪」」なども起きて来るから、人間世界は楽しい反面で、大変な危険な世界でもあります。
今から、随分と以前の話ですが、旧制高校で今では優秀な大学のFさんでしたよね。
こんなに優秀な学生さんが、何故に、華厳の滝に飛び降り自殺をしたのかなどと、不思議に思われて、何時も哲学とか{{こころ}}の書物には書かれていました。
こんなに賢い人が、自殺をするなんて!!!、それ程に、人生は不可解な世界だと書かれていたものです。
当方も、随分、書物を読みましたが、必ず彼の名前が出ていました。
それほどに、人生は「「不可解」」なのだと、誰も皆が考えているのかと、不思議に感じていたのでした。
マスコミでも、彼の名前は有名でしたね。
大変に面白いのは、彼の「「遺書」」が見つかったのでした。
遺書の内容では、好きだった女性に対して、自分の希望した通りにはならなかったのでした。
そんな、学校では優秀な学生でも、人間学の学問が足りなかったのです。
「「人生とは、何ぞや???」」、「「自分とは、何ぞや???」」、「「自分の存在とは、何ぞや???」」、「「真実なる自分とは、どんな人間???」」、「「人間の実在とは、何ぞや???」」、自分の{{こころ}}&{{からだ}}を自分の希望通りに動かせないと、大変です。
学校で優秀だと思われても、駄目な人間は沢山と見受けられます。
「「男」」であれば、「「女」」とは{{何}}ぞや、「「女」」であれば、「「男」」とは何ぞや、などと勉強をしておく事です。
思春期の「「嵐」」の中で、相手を追い求めてから、自分だけが沈没するのでは、あまりにも、悲しいものでしょう。
「「人生は、思うがままに ならなくて」」、「「零れた水は 戻らない」」、「「壊れたものは 前と全く同じものにはなりません」」、そんな事くらいは、学問をしないと理解できないものでもありません。
自分の「「真実のこころ」」を知る事でしょう。