‘劣等感’ カテゴリーのアーカイブ

<<劣等感>>「「劣等感」」7

2011 年 4 月 4 日 月曜日

 25歳前後の年齢になると、普通の人達は誰もが<<仕事をしながら、食を得ている>>時期でしょう。

最も、まだまだ、研究などをして、一般社会には出ていないにしても、それなりの給料をもらっているでしょう。

 例え、給料をもらっていなくても、最低限でも、<<食を得るだけの、状況は提供されているの>>が普通でしょう。

時には、まだまだ、親からの援助を受けて<<研究を続けている人達もいる>>であろう。

但し、例外的なケ―スでしょう。

 

 社会に入ってから、仕事をしながら<<食を得ながら>>、また、人によっては<<異性を愛して、結婚している人達も居るであろう>>と考えます。

人間社会で仕事をしていても、自分の周囲の人間と自分とを何時も比較しながら、自分は他者より優秀な人と思われたい、仕事が良くできる人と思われたい、或いは、結婚していなかったら、自分が愛せる、そして、自分を好いてくれる好きな女性を求めて生きているものでしょう。

 心の表面上では、誰もが、何も考えていないような{素振り}をしていても、自分の気づいていない深い心の底では、色々様々な心の葛藤が流れているものです。

これらの心が、案外、人間には「劣等感」として動いているものです。

 

 この年齢では、大きな名誉や大きな地位を求めている人達は、まだまだ、意外と少ないと思われます。

一番に、誰も考える事は、{お金が欲しい}ということでしょう。

 給料の、或いは、1ヶ月に稼ぐ<<お金の計算>>でも、自分の劣等感を認めざるを得ないでしょう。

また、仕事の種類だけで人を判断や評価をしたらいけないのですが、結構と自分の頭では無意識的にも判断していますよ。

唯、唯、職業で人間の価値を{判断したら、自分が駄目人間になる}ので、この事は注意しておきましょう。

 

 周囲の人達と比較して、自分が劣っていると感じる時は、それは「劣等感」です。

自分の「劣等感」を認めた時に、真実に認めた時に、初めて「劣等感」は消えて行きます。

「劣等感」で苦しむ間、自分の「劣等感」を自分で除こうと考えても、自分の「劣等感」からは抜け出せないです。

  真実に自分の「劣等感」を認めたら、その気持ちから抜け出すために、強烈に自分で「努力」や「切磋琢磨」が必要になってききます。

劣等感で悩む「時間は、無くなって」くるでしょう。

「劣等感」を抱えている間は、本当の真実の自分で生きているとは言えません。

自分の「愚かさ」・「劣等感」を消去して生きる事です。 

<<劣等感>>「「劣等感」」6

2011 年 4 月 1 日 金曜日

 面白いのは、自分が人間社会に出るのが怖いから、大学院に行く人達も時折に認めます。

時折に、そんな人達に出会います。

普通の場合、自分がより学問の研鑽を積むために大学院に行きます。

 当方は、人間社会を生きるのに、学問は{あまり関係ない}と考えています。

義務教育だけで終わっても、後世で対人関係や状況・環境不適応にならなければ、立派に何処でも生きて行けます。

唯、唯、大学に行かなければ<<免許が取れない>>場合もありますから、この辺りは注意が必要です。

 

 当方、勿論、免許を持っていなくても、免許を持った人の能力以上の「実力」や「力量」を持っている人達も居る事は認めます。

だが、一般的に、小学前とか小学生とか中学生とか高校生とかを、怠けて生きて成長すると、そのまま、自分の「生い立ちの心」を引きずってしまう可能性が非常に大きいです。

 大学生活や、或いは、大学に行かなくても、20歳前後の年齢では、学ぶ事柄は沢山とあります。

当方から人生を見れば、「「人間学」」と言っても良いと考えますが、まだまだ、若年の人々には少し伝わりにくいのかもわかりません。

世の中の人間世界の「善」と「悪」、諸々の人間の<<行動と会話と心の動き>>を納得して受け入れるには、まだまだ、すこしながら、年齢と社会での体験を重ねながらでないと、難しいかも知れません。

 

 当方、何時も皆さんに伝えていますが、「出世」とか「名誉」とか「金銭」に拘っても、人間は幸福になれません。

勿論、日常生活にても「努力」と「切磋琢磨」をしながらでないと、人間社会で{ドロップアウト}しますから・・・・・・・。

 「地獄の沙汰も、金次第」と言いますから、お金は重宝なものですが、あまり<お金に拘り>過ぎると、人間関係は壊れてしまいます。

沢山のお金を抱えても、また、次のお金が欲しくなるのが、人間の悪い癖です。

世の中をしっかりと見ていると、お金を持った人達が真実に<<幸せな人間>>かどうかを、理解できるでしょう。

 

 どんなにお金を溜め込んでも、「劣等感」は無くなりません。

大好きな仲良い<<友人が居る事が一番に大切>ですよ。

難しいのは、誰でも信じて良い訳では有りません。

 「拒絶」すべきは、「拒絶」する事、「共感」するべきかどうかを明確に判断する能力が、最大に重要です。

そんな現在の{心}も、自分の<<生い立ち>>の心が操作しますので、自分の過去を明確に知っておいて下さいませ。            

<<劣等感>>「「劣等感」」5

2011 年 3 月 31 日 木曜日

 高校生にもなると、一般的には、もっと、目前を判断する能力は出来てきます。

但し、相変わらず、人間の愚かさと言うか、自分を批判する「眼差し」・「自分の心」を見つめる能力は成長しておりません。

 この年齢では、随分と、肉体的にも変化が現れて来る思春期の嵐の「吹き荒れる時期」ですから、心も体も揺れ動いてきます。

勉強から逸脱した人達は、{登校拒否}や{引きこもり}になったり、或いは、{拒食}や{過食}などと、そんな道へ入ってゆかなければ良いですが・・・??

場合によっては、いじめ、非行、犯罪、などと多彩な方角へと進む事もあります。

 

 高校生のあたりの年齢では、体の症状が特別に強くなったりすることもあるので、その体の変調が、自分の心にも変調を来たすのは当然でしょう。

勉強と体と心の狭間で、長時間にわたり<<ストレス>>を抱えて生きる毎日です。

 友達との勉強の成績で比較し、身長の高い、低い、などなど・・・美男子かどうか、家は金持ちか貧乏か、親の地位や名誉などは、どうか?? 異性の友達が居るかどうか、未来と将来の計画は?? 

人生の道を迷って生きる年齢ですよ、誰もが、ですね。

常に、他者と比較して、「劣等感」を持ちながら、或いは、「優越感」を持ちながら、その日暮らしを、心の葛藤を抱えながら、日々を成長していくのでしょう。

 

 この時期に、自分の心の葛藤を上手にコントロ―ルしながら、成長していかないと、本当に大変です。

学問が大切ですが、学問ばかりしていて、人間社会に出てから対人関係が上手くゆけば良いのですが、自分以外の他者に「共感」、「妥協」、「受容」、などが出来なかったら会社や企業や家族の中でも苦しむ事になるでしょう。

これも、自分で選んだ道を歩いている事には、間違いありませんが、誰がこの道を歩かせたのか、自分の心で納得しておかないと、後になって<<苦しむ原因>>ともなります。

 

 人間、あまり自分の未来を急いで、他者よりも<<優秀に生きる>>事だけでなくて、それなりの年齢に応じた{{人の生き方}}が有るものです。

他者から飛びぬけた様な{遊び}とか{勉強}とか{スポ―ツ}とか{芸術}とか、そんな事柄を学んでも、後で<<後悔しない>>事を、しっかりと自分の頭に入れておかなければ、なりません。

 しかしながら、此の世の人間、誰もが自分の未来を急ぎます。

まして、自分の子供達にも、未来を出世などと、しきりに急がせます。

親が、自分の子供達を<<大人になって苦労しないよう>>にと、一生懸命になります。

親の「劣等感」を、何とか消去しようとして、自分の出来なかった事柄を子供達に託す場合が、多々ありますから、要注意ですね。        

<<劣等感>>「「劣等感」」4

2011 年 3 月 30 日 水曜日

 中学生にもなると、それなりに自分の「劣等感」にも気づいてくるものです。

「劣等感」を、どのくらい抱えているのかを、人は誰も気づきません。

「劣等感」を持っているがために、周囲の他者に対して、{不平}、{不満}、{怒り}、{寂しさ}、{怨念}、など抱えてきます。

心の中の葛藤だけで終われば良いのですが、余分な異常「会話」や・異常「行動」として、顕在化します。

 この事が、非常に<<まずい>>ですね。

「登校拒否」・「校内暴力」・「家庭内暴力」・「非行」・「いじめ」・「シンナ―中毒・・最近は少なくなっている??」・「各種の事件」・「犯罪」にも絡んできます。

 

 昨今は、時代の変遷もありますが、とにかく、人が「劣等感」を抱えていますと、色々様々な病気や事件なども起こります。

異常会話、異常行動をする事で自分の{自己存在をアピ-ルしたい}と、考えたりですね。

或いは、他者を会話で、行動で<<傷つけたり>>します。

こんな事柄をする事で、自分の心の傷を癒そうとするのですから、何と悲しい事でしょう。

 歪な「劣等感」のエネルギィ―が、自分の心身に向かって籠れば、体の症状や自分の心の症状として出て来るでしょう。

余程にひどい症状として表れると{{自殺}}などにもなってきます。

自分の病気として、顕在化してきますから、真に怖いです。

 

 歪な「劣等感」が、自分の心身から外側に向かって流れれば、登校拒否、非行、いじめ、犯罪などとして、顕在化します。

その中間型もありますね。

 歪な「劣等感」が、外側に流れたり、内側に流れたり、する訳です。

世界中の各国々で、人間の病気を「心の矯正」によって治す、なんて医師や官僚もなかなか考えません。

悲しい、事実ですね。

悩む人を、悩まない人にしてあげれば良いだけです。

 

 つまり、人の過ぎ去った大脳の海馬に積み残された歪な記憶を、矯正してあげる方角に殆ど全ての人達が気づかないのです。

そうですね、中学生くらいになりますと、案外と、自分の心を見る眼が出来上がってきています。

 この年齢の頃に訓練しておくのが、ベストと考えます。

大人になってしまうと、既に、自分の心を見つめる作業ができない人達もみられますからね。

心の{{融通性}}とは、幼い時から鍛えておくべきです。

成人してからでは、手遅れの場合もあります。   

<<劣等感>>「「劣等感」」3

2011 年 3 月 29 日 火曜日

 昨今では、教育現場でも沢山と話があります。

子供達が、学校で{携帯電話を持つ事}を禁止しようと、言うのです。

小さな地球上の人間にとって、皮肉な事柄です。

会社や企業のお金儲けのために、人間である自分達の精神的発達が<<マイナスの方角に向いている>>のです。

 パソコンや携帯電話の科学と技術の進歩は、素晴らしいものがありますが、一方で子供達の心は、眼前の小さな機械と言うか道具によって発育が遅れてしまうのです。

発育が遅れると言うよりも、心・精神の{歪化}が一番に問題でありましょう。

 

 企業の仕事と人間生活との関わりは、深く考えてみると<<怖い>>です。

直接に{犯罪に絡む物}でなければ、何を作っても良いみたいです。

使い方によっては、人の日常生活での仕事上、どうしても必需品です。

 携帯電話なんかは、また、パソコンにしても、普通の一般の人達には<<仕事上、どうしても必要な品物>>でしょう。

今や、この携帯電話を持たないで暮らすなんて、考えられませんね。

余程の、まだまだ、電柱の無い国々では、或いは、IT関連の基礎が出来ていない国々ですね、携帯電話は誰もが持っています。

 

 子供達も、誰もが持っています。

携帯電話を持っていなかったら、逆に、「劣等感」が生じましよう。

他者の家庭では、子供達が携帯電話を持っているのに、子供の立場から見れば、どうして、自分の家では携帯電話を買ってくれないのか、子供達同士でも他者と比較して大変に悲しくなってきます。

 子供達が、学校で勉強ができなくても、携帯電話とかパソコンなどの扱い方は簡単に覚えてしまいます。

そんなにIT器具の扱いを簡単に覚えるのであれば、もっと勉強して欲しいと思います。

勿論、勉強だけが、人生ではないのですが、心の葛藤を抱えている子供達がパソコンや携帯電話を持つと<<悪い面で使用する>>から大変となります。

 

 そして、携帯電話では、格別に歪なのは<<生身の声を出して話しをする>>のではなくて、携帯メ―ルが悪用されるのです。

最も、パソコンでも沢山と悪用されます。

 自分の心の努力も無くて、切磋琢磨も無くて、勉強もしないで、唯、唯、携帯メ―ルに拘ってメ―ルの交換を未知の知らない人達とも簡単にメ―ル交換をしながら、生身の顔の見えない相手と一緒に、楽しむ{心の世界}が生じて社会的混乱を起こしています。

携帯メ―ル中毒ですね。

このような{中毒反応}を自分でコントロ―ルする事は、出来ません。

「インタ―ネット心理療法」で、自分の心を点検しましょう。