‘劣等感’ カテゴリーのアーカイブ

<<劣等感>>「「劣等感」」続編21

2012 年 6 月 9 日 土曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 この言葉を使って、説明しましたが、人間の「「欲望」」が満たせない場合では、「「劣等感」」にもつながってきます。
「「劣等感」」なんて、どんなに、「「金銭」」・「「名誉」」・「「地位」」なども、或いは、「「好きで愛する異性」」を得ても、「「驕り」」にもなりますし、「「驕り」」には、「「劣等感」」が関連している場合が、大変に多いです。

 「「劣等感」」を、持っている方が良いのでは、などと言う方達が時折に見られますが、絶対に、それは、無いでしょう。
「「劣等感」」を持った人が、「「劣等感」」から、解放された人でないと、理解できないかも知れません。
「「劣等感」」から開放された方々は、絶対「「劣等感」」は無い方が良いと言うでしょう。
全く悩んだ体験が、無いと言う方々は、案外と自慢をするでしょうが、その方々には他者の悩みを理解してあげる事は不可能でしょう。

 当方は、多いに悩んで欲しいし、そこから這い上がった人達には、上手に悩める方々を支援する力量を持っている可能性もあります。
あまりにも、己に「「満足」」と「「地位」」や「「名誉」」や「「金銭」」を抱えている方々には、悩める人達の{{こころ}}を理解しないので、その人達の傍で生活している方々は、大変に苦労するのかも知れません。
どうぞ、人間世界で生きる間は、「「劣等感」」を持たずに、或いは、「「劣等感」」について理解力のある人間になっておいて欲しいです。

 人間世界では、自分が一人で生きる事なんて出来ませんので、人間存在の学習もしておいて欲しいです。
此の世を生きている方達で、「「私には悩み」」なんかは全く無いと言う人が居れば、その方の方が少し変わった人間でしょう。
どうぞ、皆様方には、人生を生きるのに気楽に人間同士で仲良く生きて行ける事を希望しています。

 「「四苦八苦」」から、随分と「「話」」をしてきました。
この「「話」」は、本当に凄く大事だと考えています。
皆さんも、少しでも良いですので、学習をしてみて下さいませ。
誰もが、良い人生を暮らせますように、記載してみました。
随分と、「「劣等感」」については説明もしましたので、この「「劣等感」」については、この辺で,この項を終わりたいと思います。

 皆様方の「「幸せ」」を、祈っております。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編20

2012 年 6 月 5 日 火曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・。

 そうですね、「「受」」ですか、人間の「「五感」」や「「六感」」が捨てられない場合では、「「色」」を捨てる事なのです。
「「色」」を捨てる事は、此の世に存在する物、{{生あるもの}}も{{生の無いもの}}も含めて、全部を捨てて下さいと言う意味ですよ。
でも、そんな事柄を言っても、絶対に捨てられないと言うのであれば、最初から、「「色」」は無いと考えて下さいと言うのです。

 簡単に「「色」」は無いと考えて下さいと言っても、難しいですよ。
そこで、「「色」」は無いと、人間の見ているもの、聞くもの、匂うもの、味わうもの、肌で感じるもの、全てのものは「時間と共に消えて無くなって行く」ではないかと、言っているのです。
確かに、此の世に存在する全ての物は、消滅してしまうのです。
一部の考え方ですが、此の世には「「真実に存在するもの」」が何も無いと言うのです。
「「真実に存在するものは、絶対に消えて滅する事は無い」」と言う考え方があるようです。

 そこで、人間が{{こころ}}を奪われている物事は、「「無い物事」」に{{こころ}}を奪われているのです。
どうして、そんなに消えて行く物事に、人間は拘るのかと教えているのです。
どうして、人間は「「拘り」」の{{こころ}}を持つのか、もう少し真実を熟慮して下さいと言っているのです。

 人間が「「拘る」」物事について、如何なる考え方を持つかどうかですね。
悩み苦しむ場合では、特別に「「うつ病者」」などで、物事に拘る{{こころ}}から開放されないので、悩み苦しみから逃れられないのだと、言う事もできます。
でも、人間の「「拘り」」は、面白いですよ。
人間って、面白いのですが、「「うつ病」」で死ぬほどに悩んでいても、私には「「悩み」」は無いと答える人達も、時折に、見られます。
そんな人達は、もう少しながら、自分の{{こころ}}に磨きをかけて欲しいものですね。
そのような、物事に拘り始めると、人間の「「欠乏欲」」は限りが無いと言います。

 「「欲望」」が深い人間ほど、{{悩み}}はつきまとうものです。
{{悩み}}から、開放されない限りに、{{こころ}}の病気から開放されないでしょう・・。
「「色即是空」」などと言う言葉は、素晴らしい言葉ですが、人間はなかなかと{{こころ}}について勉強をしません。
でも、少しながら、勉強をして欲しいものです。
「「色即是空」」→「「諸法空想」」と同じ表現でもありますし、「「色即是実」」=「「諸法実相」」とは、全く反対の考えもあります。

そう、楽しい嬉しい場合では、沢山と拘っても良いです。
でも、あまり沢山と拘ると、嬉しい物事でも、{{こころ}}が疲れます。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編19

2012 年 5 月 31 日 木曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 そう、「「劣等感」」なんて、そのような{{感情}}から開放されるのは、本当に簡単ですよ。
もう少し説明しましょう。

 「「受」」について考えると、また、素晴らしい{{こころ}}の過程が有ります。
「「受」」とは、人間の五感を入れて六感も含めてみましょう。
人間の「「五感」」と「「六感」」、ですよ。
「「識」」を捨てるのが、無理だと言うならば、「「行」」を捨てる、「「行」」を捨てるのが無理ならば、「「想」」を捨てる、「「想」」を捨てるのが無理ならば、「「受」」を捨てるのです。

 「「受」」を捨てるとは、({眼})・{{耳}}・{{鼻}}・{{舌}}・{{身}}を捨てるのです。
でもですね、この「「五感」」だけでは、意味が無いですよ。
「「意識」」が無いと、人間の{{こころ}}と言うか{{感情}}の流れは、動かないのです。
「「五感」」と「「六感=意識」」が有ってから、人間の{{こころ}}の悲しいとか、嬉しいとか、立腹するとか、劣等感があるとか、驕りなどがあるとか、楽しみとか、嬉しさとか、そんな{{こころ}}や{{気持ち}}が動いて来ます。

 そのような「「五感」」や「「六感」」までを捨てれば、人間の「「悩み」」や「「苦しみ」」は無くなるのですが、・・・さて、皆様方は如何に感じるものでしょうか。
先ずは、「「六感」」を捨てれば、それだけで良いものでもあります。
でも、人間から{{こころ}}や{{感情}}を捨てるには、全く不可能です。
だから、「「六感」」を捨てるのが困難なら、「「五感」」を捨てて下さい、なって来ます。
例えば、「「見る」」事で、{{こころ}}の葛藤が増えるのであれば、「「眼」」を捨てれば良いですよ。

 こんな「「話」」もありますね。
「「自分の欲望」」が深くて、高齢ですよね、80歳までも悩み続けて来た人が、ある日、突然に、「「眼」が見えなくなったらしいのです。
そうすると、自分の「「眼」」で眼前の欲望をみたそうとしていた物事が、全く、どんなに考えても不可能となってしまったのです。
本人も、そんな不可能な事が、高齢者になって全盲になって自分の「「欲望」」の限界を知ったのです。

 同じですよ、ね。
「「耳」が難聴で聞こえない場合では、「「聞く事」」に諦めをつけなければならない。
「「鼻」」もそうですね、お料理でも「「鼻」」が無いと{{良い香り}}も無駄になりますね。
「「舌」」も、味わいが無理ですよ。
「「身」」も同じで、触覚が駄目になりますと、肌の触れ合いなどにも、人間の「「感じ方」」にも多いなる限界を感じて来ます。
どれ程に、人間は、自分の「「欲望」」を制御できるか、どうかでしょう。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編18

2012 年 5 月 25 日 金曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 何度も、「「話」」をしますが、殆どの人達は、理解が難しいのかも知れません。
「「色」」が「「空」」になる過程を、今、話ました。
そこで、今、この過程、{{移り変わり}}に説明が必要だと感じます。

 『『五蘊』』の一番に最後の言葉ですね、「「識」」の意味は、認識するの「「識」」です。
眼前に、どんな良いもの、大好きなものが見えても、あまり欲しいとか嫌いとか、考えなかったら大丈夫ですね。
だから、拘る{{こころ}}は、認識の結果に現れる{{こころ}でしょう。
 そこで、眼前の物事にしろ、人間にしろ、認識しなければ、如何なる人達にも拘る
{{こころ}}は湧き出て来ないです。
悩むか、悩まないか、などの問題は、「「拘る」」事さえなければ、悩まないのです。
そのために、認識するのを中止すれば良いのです。

 認識するのを中止するためには、「「識」」を無くせば良い訳ですよ。
そう、「「識」」など持たないで、捨てれば良いのです。
「「識」」さえ持たずにいれば、人間は悩まずに生きる事ができますが、まあ、これは「「方便」」でもあります。
 そこで、「「識」」さえ持たずに、「「識」」を捨てれば良いのですが、でも、「「識」」は捨てられないと言うのであれば、そこで、「「行」」を捨てるのですね。
そうですよ。
好きだから近づこうか、嫌いだから離れようか、などと考える事が悪いのです。 
そう、考えると、頭の中で余分な思考が必要となり、マイナスの感情も動きますからね。

 そこで、「「行」」を捨てれば、自分の{{こころ}}}の動きは止まります。
だから、{{こころ}}の動きが止まれば、「「悩み」」や「「苦しみ」」や「「怒り」」などは湧き上がって来る事などありませんよ。
 それが、出来なければ、「「想」」を捨てれば良いのです。
何で!!!!,そこまで考えるのですかと言う方達も、確かに居るでしょう。
でも、現実に「「行」」が駄目なら、「「想」」を捨てれば良いでしょう。
そんなに言われても、そんなに簡単に言われても「「想」」までも、たやすく捨てるなんて
出来ないですよ。

 確かに、この通りに素直に従ってみるべきなのです。
{{想念}}を止めれば・・・、何も自分に降り懸かるもの、降り懸かる{{こころ}}なども
無いですよ。
 でも、{{想念}}を中止すると、人生の楽しい事柄も無くなってしまいそうですよ。
なんだか、凄く簡単な説明みたいです。
そう、人間の面白いのは、非常に簡単な事柄を明確にしないで悩むのです。
「「悩み」」や「「苦しみ」」や「「怒り」」から再生には、少しの勉強は重要です。

<<劣等感>>「「劣等感」」続編17

2012 年 5 月 17 日 木曜日

 ・・・・「「五蘊盛苦」」・・・・・

 そう、最後には、{{識}}だと、当方は説明しています。
この、「「色」」・「「受」」。「「想」」・「「行」」・「「識」」だけでも、人間の{{こころ}}の悩みの過程を理解できる筈ですよ。
 {{こころ}}の「「横軸分析」」だと、良く言ったものです。
でも、この事柄については、少しながら{{こころ}}の世界を学習しておかないと、理解が困難かもしれません。

 でも、当方から見れば、素晴らしい{{こころ}}の過程を見ていますね。
こんなものは、理解できないよと、言って避けて通るのではなくて、どうして{{このような表現ができる}}かなどと、熟慮することでしょうね。
 今は、「「仏教言葉」」を借りてお話をしていますが、凄く分かり易い{{こころ}}の過程を教えているのですから、皆様方も{{こころ}}の事を考えるのは嫌いだなどと言わないで、少しながら頑張って欲しいと思います。

 「「色即是空」」などの言葉は、有名な言葉ですよ。
大変に皆様方から、重宝されている言葉ですからね、本当に素晴らしい言葉だと、当方も賛成しております。
 簡単に言えば、「「色」」は「「空」」ですし、「「色」」は此の世に存在する全てのもので、此の世に存在する全ての物事は無いと言う事を言っています。
悩める人間には、こんな説明でも良いのです。
全く意味のないような言葉ですが、大事なのですね。

 拘らなければ、全く、「「悩み」」はない筈ですよ。
悩み、例えば、「「うつ病」」や「「パニック障害」」や「「不安障害」」なども、全てが『『拘りのこころ』』を原点にしております。
 悩んでいない人達でも、それなりに、「「心理療法」」、特別にですが、「「内観療法」」、を体験さえすれば、{{こころ}}の世界は見えて来るものです。
{{こころ}}の世界は、自分の{{こころのカラクリ}}が見えないと、意外と、理解できないでしょう。

「「色即是空」」は、大事な、大事な言葉ですよ。
「「色」」・「「受」」・「「想」」・「「行」」・「識」」から、この過程が出てきます。

 皆様方も、{{こころ}}の勉強をするように頑張って下さい。
「「劣等感」」なんて、自分が偉いとか、賢いとか、などと、考えない事ですよ。
 考えても良い事柄は、自分は{{偉い人間}}ではないと感じる能力、{{賢い人間}}だと思わない事です。
そこまで、理解して悟った人でないと・・・・、当方が言っても、皆様方に伝わらないのかもしれません。
でも、私のような「「言葉」」を伝える人間がいるのを知ってほしいですね。