‘投書’ カテゴリーのアーカイブ

<<投書>>「親子内観」後の感想文(母)

2011 年 1 月 22 日 土曜日

  7泊8日の内観を終えられた68歳の女性の内観後の感想文です。

 

彼女一人での宿泊内観は、希死念慮もあったし、身辺上、心配があるので、娘さんと一緒に内観をしていただきました。親子内観の場合の状況です。

閲覧として、記載することについて、ご本人から、「どうぞ」との承諾を得ております。

 

 

お母様の感想から    

「内観療法を終えて」

私は、一昨年の秋頃から体の変調が始まりました。血圧が定まらないので降圧剤を飲む、急なめまい、耳鳴り、吐き気のため、身じろぎもできない状態になった為、耳鼻科に行きましたが、メヌエルではない息苦しさ、動悸がするので、心臓を調べていただきましたが、病とは言えない肩や背中の凝り、何とも説明のつかない気分の悪さ、いつもファファと足が宙に浮いた感じ、急に生汗で、びぃしょりなどで、あちらこちらと病院の梯子を繰り返し、先週、この病院にたどりつきました。

内観とは何かも分からず、ただ何かにすがる思いでした。自分の過去、親のことなど決して私にとって思い出したくない苦しい事ばかりでしたが、思い出しながら書いていくうちに、みにくい自分の姿が浮き彫りになり、涙が止まらないことも多くありました。心の中で両親に、「ごめんなさい」とわびることばかりでした。そのうち目から上にあったベールのような重苦しいものがだんだん薄れてきました。わけのわからない程の気分の悪さも一度もなく、耳鳴りやファファしたものもだんだん薄れ、地に足がついた感じがしてきました。これは何なのでしょうか、とにかく、あんなに苦しんだ不定愁訴が、今は完全になくなりました。これからは両親を苦しめた過去を悔いて、二度と人を苦しめるようなことをしません。又、両親に対し、供養の心を持ちたいと思っております。

ありがとうございました。

 

 

次回は、娘さんの内観後の感想を載せさせていただきます。

又、皆様方にも、家族内観の心の変化の状況が、詳しくご理解できると思います。

<<投書>>内観後の感想(Y様)

2010 年 12 月 15 日 水曜日

Y様、当院での内観後の感想文です。

掲載の許可をいただき、ブログに、載せさせていただきました。

  <<内観>>

 私は、十年位前に足にしびれを感じ、病院に、行きましたが、異常がなかったので、そのままにしていました。三、四年前から足のしびれがひどくなったみたいで気になり始め、いろいろな病院に行きました。三年くらい前に整形外科では異常がなかったのですが、姉から勧められて、飯塚のせき損センターまで行って検査をしてもらいましたが、やはり異常はありませんでした。それで、病院に行くのをやめていましたが、やはり気になったので、又、病院に行きました。整形外科、脳神経外科などすべての科に行きました。

MRIもとってもらいましたが、分かりませんでした。

 近くの病院、人が良いといったので北九州までも行って検査をしてもらいましたが、分かりませんでした。それで最後は脳神経内科で、病名をつけなければ薬は出せないということで、うつ病の薬をもらいました。でも、友達から、「そんな薬を飲んでも大丈夫なの」と言われ、不安になり薬を止めました。

それでも、まだ足のしびれが気になっていたので、大学病院の脳神経外科に行きました。

検査をして足根管症候群ではないかということで、整形で足専門のDrがおられる某病院に行きました。

ここでは、足のMRIもとったけれど、足根管ではないみたいだとビタミン剤をくれました。

二ヶ月間位飲みましたが、足のしびれは変わりませんでした。

 先生から心療内科に言ったらと言われて、病院を探しました。

電話帳で探して行ったら、そこは休みでした。その話を職場でしたら、友達が病院(当医院)を教えてくれました。自分の姪が一週間位通って、今元気に働いているとのことでした。病院を探して、やっと着きました。心療内科って何をするのかなあと思いました。

いろいろな話を聞いてもらったら、先生は「なおる」って言ってくれました。治療の方法の説明で、一週間屏風の部屋で書くとのことでした。

今まで、どこの病院に行っても分からなかったので、とにかく何でもしてみようと思いました。

 「内観」という言葉もはじめて聞きました。文を書くことも苦手で、漢字も全く分からなくて、難しいなあと思いました。それに、過去のことを思い出すのが大変でした。父の事、母の事、姉の事、主人の事、書いていたら、してもらった事ばかりでした。

びっくりして、自分が何もしてあげられなかったことに気づきました。

今までに、子供の頃の事など思い出したりした事がなかったので、とてもなつかしかったです。両親には、とても大事に育ててもらって感謝しています。

又、楽しかった事、悲しかった事、今までにいろんな事があったなあと感じました。

 病院に来て足のしびれがなくなれば良いと思っていましたが、内観をしてそうでないことが分かりました。

自分でも気持ちを変えないといけないと思っていたのですが、なかなか気持ちを変える事ができませんでした。

いろいろと書くことで、思いが少し変わってきたような気がします。

感謝の気持ちを忘れずに、楽しく生活したいと思います。

  <<追加>>

最後、所長との面談で、自分の好きなことをしている時、遊んでいる時は足のしびれはないので、ご自分から「勝手病でしょうね。」と話され帰宅されました。

<<投書>>内観便り(2)

2010 年 10 月 25 日 月曜日

  X様より

(その後に届きましたメールを掲載させていただきます。)

 

こんにちは。

 

ご返信頂いて、感謝しております。

今メールを拝見しました。

 

 実は私は、先生のブログ、

携帯電話から毎日楽しみに読んでいるんです。

 

それが日課になっています。

いつもウームと考えさせられることばかりです。

 

あれだけ重度の「さみしがりや」

な私でありましたが、

内観後は不思議と、その気持ちが消えました。

自分でもビックリで、

「オイオイ?ホントにさみしくないの??」

と毎日自問自答しています。

 

あと、友人から電話で、

「なんだか明るくなったんじゃない?」

とも言われ、

とてもびっくりしました。

 

本当に、みんなが内観の経験を

すればいいのになと思います。

 

今まではなんとも思わなかった、

知人の、家族に対する愚痴などを

聞かされると、

その家族みんなに「感謝」の気持ちがないのか、

家族みんなで内観すればいいのに・・・

と思ったりしました。

 

あとは、今まで面倒だと思っていた母からの

たわいのない電話も、

全く嫌な気分にならなくなりました。

それが私の使命というか、

自分の考え方が大きく変わりつつあります。

 

本当に内観体験をしてよかったです。

 

私の文章が、皆さんの参考になるのでしたら

大変光栄に思います。

 

ありがとうございます。

 

 

 X様へ

こんばんは。

ールが届いておりました。 

メールを頂き、文章を掲載させていただきます。

本当に、感謝申し上げます。沢山の皆様方にお役に立てると考えます。

当方も、素晴らしく嬉しく感じています。

また、何かの折には、御遠慮せずにメールなり、お電話なりをお寄せくださいませ。

お待ちしております。

ご返信いただきましたこと、厚く御礼を申し上げて失礼を致します。

                                    所長より    

<<投書>>内観便り(1)

2010 年 10 月 23 日 土曜日

X より、当研修所での内観後のお便りです。

( 皆さまのお役にたてればとのご許可をいただき、掲載させていただきました。)

「「病は気から」」、を今読み終わったところです。
本を買って本当によかったです。
本を読んで、ビビッときてしまって、今急いでメ―ルをしているところです。
家に帰ってから、なぜ、私は「・・・・男性から離れたい、過去の男性のしがらみを全て切りたい」と悩んで悩んで悩みまくって、内観をしようと決意したのか?
過去の記憶で思い出す嫌なことその他、「「つきあったり・・・男性のことばかり」」なのはなぜなのか?
なぜ。最後の絵で、私の結婚後の家族の三人の絵を描いたのか?
ずっと考えていました。
でも、はっきりと答えが出ないまま帰りました。

帰って先生の本を読んで、やっとそのことに答えがでました。

私がビビッと答えがでたきっかけになった文は
・ (p224)人間は、常に過去で満たせなかった心=固着を、今の現在と未来に向かってすることで、自分の過去における積み残しのこころに対して埋め合わせしようとしており、自分の顕在意識と潜在意識と無意識を満足させよとしている。
・ (p227)人間は、自分の過去で満たされなかったことを、今の自分に何かをすることで満たそうとして、常にそのように生きている(すなわち、過去の補いをしようとして生きていると言ってもよい)。
・ ・(p22)今、悩むということは、その悩みは「過去の悩み」と重複しているが、ほとんどの人たちは気づかない。

あ~!!
そうだったのかと思いました。

私にとって、
「自分の過去で満たせなかったこと」
とは
「父親から無償の愛を受けること」
とは
「過去の悩み」
とは
「父親から無償の愛を受けられなかったこと」
ということだったと気づきました。

でも、家族の前で父親がいなくてさみしい」と、
一時的には愛情の欠乏をしのげるけれども、
それは一時的であって、恒久的ではない。

なぜ家族の絵を描いたのか?
たったひとり、生涯愛してくれそうな、
父親のように私を包んでくれそうな存在=結婚相手が欲しいと思ったのだと思います。

ハッとしました。

先生の本を読まなかったら、
きっとこんな気持ちにはなれなかったと
思います。
本当にどうも有り難うございます。

まだまだ未熟ではありますが、
内観を、今後も続けてゆきたいと思っています。

 

所長より

素晴らしい御丁寧な感想文を頂き、本当にありがとうございます。
人間は、誰も皆が、自分から「「外側」」を向いて生きています。
自分の好みを求めて、自分の好みの人間を求めたり、自分の好みの環境を求めて生きているのです。
人間の存在は、外観的であり、「「外観的人間」」と言います。
内側を見つめることのできる少数の人間が、「「人を救う」」との言葉もあります。
随分前の言葉であり、200年以上も前の言葉ですが、現在の皆様方は知っておられません。
人間の{{こころ}}については、意外と昔の人達も詳細について知っているものです。
「「真実のこころ」」とは、「「真実の存在」」とは、などなど考えているものです。
①「「人間に生まれて来たのは、有り難し」」
②「「今、生きているのは、有り難し」」
などの言葉があります。
①. 人間に生まれたのが、{{ありがとう}}、ではありません。
人間に生まれて来たのが、不思議ですね、と言う意味です。
②今、生きているのが、不思議ですね、と言う意味です。

付け足しの話になりましたが・・・、

随分と、{{こころの世界}}については、悟られて来ておられますので、これ以上の言葉は入れないでおきます。

 

<<投書>>{投書・続3}

2010 年 2 月 6 日 土曜日

両親には、今それぞれの生活がある。

私は、もう一緒に幸せになることはできなくても、それぞれ幸せになってくれることを、心の底から望んでいる。

また、幸せのために私はできるかぎり助けたいと思う。

こういう運命になったことを、やっぱり始めはうらんだ。

でも、私に耐える力があるからこそ、こういう運命になったのだと、私は信じたい。

 私は治療をしていく中でもう一つ、大切なものを見つけることができた。

将来の夢だ。

自分を見つめなおして段々と自分がはっきりしてくると、ふと自然に芽生えたことだった。

自分のこのとても貴重な経験、好きなこと、得意なことを、十分にできる仕事があった。

 私は、「カウンセラー」になりたいと思った。

私のように悩み苦しむ人達はたくさんいる。

そんな人達を、一人でも多く救いたいと思った。

 私は人と話すことが好きで、話を聞くことも好きだ。

それに、私は人の気持ちになって考えることが得意だと分かった。

でも、それだけではまだだめな気がした。

辛い思いを経験したことのある人にしか理解できない気持ち、というのが必ずある。

例えば、辛い時に話ができる人がいるのといないのでは辛さが全然ちがってくるし、そんな人がいても、キッカケがなく、ためこんでしまう人もいる。

パッと道がひらけたときのあの喜びを、私は多くの人に知ってもらいたい。

自分は独りではないこと。  自分は必要だということ。

今が辛いのなら、先には早かれ遅かれ、必ず幸せがやってくること・・・。

私が得ることができたこの感情、経験を、より多くの人に伝えていきたい。

 これから私は、夢に向かって今までの分まで精一杯頑張っていこうと思う。

どんな事があっても、昔のようには戻りたくない。

そしていつか、「どうしょうもなく、情けない娘」だと言われていた私が、両親に「自慢の娘です。」と言われるように、一生懸命、幸せに生きていきたいなと思う。

 決して、感謝の気持ちを忘れずに、当たり前の幸せなんてものは、どこにもないのだと。

 

<<所長より>> 上記、です。

人間って、ともすれば、自分の{{過去の心}}を振り返らずに置き去りにしたままです。

自分の{{心}}の「再生」・「回向」・「新生」には、自分の過去を振り返って初めて本当の自分の人生を生きる事が、可能となります。

自分の{{過去}}を知っていると言う人が居ますが、全然と自分の真実の{{心}}に気付いていません。同じ、自分の人生を生きるのであれば、「劣等感」や「悲しみ」や「苦しみ」、などなどを持たずに楽しく生きるのが最高でしょう。

そんな人生を生きると、「「うつ病」」なんかにもなりません。

人生の迷い道から<<抜け出す>>お手伝いを、当方は長年月間にわたって援護して来ております。どうぞ、当方の「インタ―ネット心理療法」などを、御利用くださいませ。