‘投書’ カテゴリーのアーカイブ

<<投書>>内観体験後の感想(リリ様)

2012 年 10 月 2 日 火曜日

 娘さんが、ストレスにより急性パニック障害で、緘黙症及び失語症の顕著な症状で、会話をしない、できない、声が出ない状況で、母と来院。
母親と娘さんの二人で10日間の通院内観療法をされました。
以下は、内観後のお母様の感想文です。許可をいただき掲載させていただきました。

   内観を終えて長女が今回病気になるまでは、無意識のうちに長女の心の中に、いつも私が支配してストレスを与え続けていたことに、気づきもしませんでした。長女の恋愛や仕事の悩みをうちあけられても、それは長女の自業自得で病気になって家族や職場に迷惑をかけている長女に対して腹が立っていました。
  でも、内観をしていくうちに、だんだん長女への恨みはすぐに消えていき、私が母父におかけした50年間の数多くの心配や迷惑に、自分自身の罪と共に改めて驚き、さらに、自分の未熟な母親としての今までの言動を思い出して、とてもはずかしく両親や夫や娘たちにとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
  
  日頃から、私は何でも出来て正しく真面目な人間だと心の中でうぬぼれていましたので、家族に対しても他人に対しても尊大な態度をとっていたのに、気づかずに、過ごしていました。
  50年分の私自身の人生の棚おろしをしてみて、未熟な自分を振り返っているうちに、娘が病気になってしまったのは、私自身の自業自得で、一番大切な人間としての心や行動を病気になってしまった長女から教えてもらいました。
これまで当たり前のように毎日を過ごしていた日常も、父母や主人や子供達から受けていた温かい愛情のお蔭だと気づき、自然からの恩恵や友情など・・・・内観を進めるうちに、どんどん大きくふくらみ、感謝の気持でいっぱいです。
  
  「病は気から」という言葉は知っていても、気持ちだけで病気になったり、治ったりするわけないと、心のどこかで思っていましたが、内観を終えてみますと、人間の気持ちは体と一つにつながり、日々の暮らしの中で、人として大切な思いやりや善意や感謝の気持を忘れずに生活することの重要さをしみじみと感じました。
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  今後は、内観で得た教訓を忘れずに、自分に奢ることなく生活して、娘たちからも自立した良い母となれるよう努力してまいります。
娘の病気のおかげで内観できて、娘にも感謝しています。
焦らずに一歩ずつ、娘が回復できるように、木の上に立って優しく見守っていきます。
そして、残りの人生は、自分が今生かされていることに感謝して、今までの償いの気持ちで、家族に接して、大きな視野に立って、物事をとらえていこうと思います。
自分に厳しく人にやさしく、を心に留めて、楽しく生きていきます。
   

娘さんは、ほとんど内観が出来ませんでしたが、投薬と、一生懸命内観をしてくださるお母さんのおかげで、この通院内観後、少しずつ回復され、言葉も出て来るようになり、顔の表情もよくなって、喜怒哀楽の表現もできるようになってきておられます。
親が先に内観されることが大事なようです。

<<投書>>内観体験後の感想文(I様)

2011 年 12 月 8 日 木曜日

I様,7泊8日の宿泊内観後の感想文です。

皆様のためになれば、とのことで、掲載のご承諾を受けております。

 

内観療法を体験して。

ここへ来てまだたった1週間とは思えないほど、長い長い時間の旅をしてきました。

生まれて二十八年間、よくもまあ沢山の悪い事をしてきたものだと思うくらい、私の人生は沢山の方に迷惑をかけて、また支えられて成り立っていたのだと気づかされました。

特に生んで育ててくれた母には未だ一度もお礼らしいお礼をさせて頂いた事もなく、嫁に行った現在もなお、迷惑をかけ続けていたことに気付きました。

私も同じ母なのに、まだ2歳の我が子に対してさえ「してやった、してやった」という感情を抱いていました。

本当にダメな母親です。

 そもそもこちらを受診したのは、主人との関係がどうにもいかなくなったからですが、そちらの方も原因は自分にあった、私が全てめちゃくちゃにしていたのだと、はっきりと理解することができました。一時はもう顔を見るのも嫌だ、もう離婚しかないと思っていたのが今は嘘のように、主人のことが愛おしく思えて仕方がありません。

 これは魔法でしょうか。たった一週間でこんなにも気持ちが楽になるとは思ってもみませんでした。世界中の人が内観に取り組んだら、争い事は一切なくなるのではないでしょうか。

 私は帰ってからの生活が楽しみで仕方ありません。私が変わったことで、主人にも子供にも楽しい生活を送ってもらうことができるのです。

反面、またあの嫌な感情が戻って来たらどうしようという不安もあります。本当に、どうしょうもなく、毎日が嫌だったからです。

それでも、「自分を信じて」「先の事は考えず、今を一生懸命生きる」「自分から目をそむけないで」、他にも、沢山かけていただいた温かい励ましのお言葉を思い返すと、ほっと安心して落ち着きを取り戻すことができます。

離婚をする前に来て本当に良かった、母がまだ元気で側にいてくれるうちに、母の偉大さに気づくことができて良かったです。

初日から今日まで、ひたすら自分を調べて来て、最初の頃に何を書いたかも思い出せないけど、とにかく大量の紙が無くなり、長かった鉛筆がちびていったのを見ると、私は長い時間自分と向き合ったのだと、達成感で胸がいっぱいになります。

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ただじっと私の長い話を聴いてくださってありがとうございました。

私の内観が日々深まっていくのを一緒に喜んでくださいましたね。

とてもうれしかったです。

テープを聴いていると、昔は飲まず食わず寝ずで、皆さん必死にされていたのに、私は温かい部屋と食事と寝床、お風呂に洗濯、掃除までお世話して頂いて、たっぷりと自分の世界に浸ることができました。

ありがとうございました。

 内観療法は素晴らしい治療です。もっともっと世の中の人に広まって、沢山の方が明るい人生を送ることが出来るようになれば良いと思います。

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 沢山のスタッフの方々、私が授かった喜びを、同じように、一人でも多くの方に、与えてくださいますよう、これからも頑張ってください。お体を大切にされてください。

 本当にありがとうございました。

 

<<投書>>tamechika様よりのコメント

2011 年 6 月 29 日 水曜日

<<投書>>X様よりのコメント

2011 年 6 月 7 日 火曜日

 X様よりのコメントを掲載させていただきます。

お久しぶりです。
以前このブログでも紹介いただいた、
内観をさせていただいた、Xです。
いつもどちらのブログも楽しみに読んでいます。
「男女」の「こころ」のことは、大変興味深くよませて
いただいています。

自分の両親に子供は理想を描いているとはまさに
そのとおりですね。

自分「こころ」、相手の「こころ」、
に意識を向けながら生活していくと
かなり穏やかに生きていけるような気がしています。

また、コメント致します。

<<投書>>「親子内観」後の感想文(子)

2011 年 1 月 22 日 土曜日

   今回は娘さんの内観後の感想文ですね。

 

「内観を終えて」

母が体調を崩しての約2年間、あちこちの病院を渡り歩き、原因が分からないことに落胆し、この先の不安に押しつぶされそうになっていました。

切羽つまり、たまたま広げた電話帳で、こちらの病院を知り、先生とお話できたことは、正に、天のお導きと感謝するばかりです。

私自身、幼少の頃に、わら切りで、指を失くし、たくさんの心の傷を抱えながら生きてきました。又、母との関係についても心にわだかまりを抱えていました。

このままではいけないと、本も数多く読みました。人のお話も聞きました。

でも、心が動かない。頭では分かっていても、心から理解することができませんでした。

 内観を始め、3日目位までは、足腰の痛みもあり、なかなか深くまで内観をすることができませんでしたが、4日目になると、あれだけ痛く、辛かった足腰の痛みが消え、少しずつ深く内観できるようになってきました。

そして、5日目の夕食を食べている時に、ずっと重かった胸の奥の辺りが軽くなっていることを感じました。

自分の至らなさのために、一体どれだけの方々に、くるしみや辛さを与えてきたのだろうと思うと、ただただ申し訳なく、お詫びのしようもありません。

全て、わが身に返るという言葉も、初めて実感として理解することができました。

 内観がもう充分出来たかと言われると、まだまだの様に思います。家に帰っても内観の時間を作り、しっかり自分の心の内を見つめていきたいと思います。

母だけでなく、私の心を救ってくださった松永先生、その他、関わって頂いた全ての皆さまに、本当に感謝申しあげます。

ありがとうございました。

 

以上、親子内観を掲載させていただきました。

娘さんにとっても、お母様の付き添いのためが動機ではありましたが、自分のためにも心理療法が必要、やってみたいとの思いも持っておられたようでした。

良い機会に親子内観ができてよかったと、当方、思います。

 

一般に、問題のある人(夫・妻・子供)が、心理療法をすればよいと思って、最初は、しぶしぶされる方もおられますが、内観を体験された後、これは自分のためだったと、喜んで帰られます。

娘さんは、親のこころ、気持ちが理解できるようになったので、嬉しくなったとの事でした。