‘人間の犯罪’ カテゴリーのアーカイブ

<<人間の犯罪>>犯罪について(5)

2009 年 12 月 11 日 金曜日

 彼等を逮捕して、彼等の人間性を更正させようとしても、無理です。

100人に1人くらいは、更正できるでしょうか??

先ずは、無理でしょう。

彼等の過去の出来事を、もう一度でも出直して楽しい過去を持たせるなんて出来ません。

人間は誕生した時から、歳月とともに、年齢を重ねていきますし、老いてゆくものです。

その過程で、老いる前に、人間は沢山の「犯罪」も起してしまいます。

 

 普通は、特定の出来事に不満を抱えています。

ですが、特定の出来事はすでに終わっていたり、自分の生い立ちでの{{母}}や{{父}}に対して復讐したくても、復讐できなかったりと・・・、自分の過去の無意識の世界に「恨み」や「怨念」を持っていても、現在の自分の日常生活では<<自分の根っ子の、根源の苦しみ>>に気づかない場合が殆どです。

又、自分の過去の{もろもろ}に気づかないのが、現実でしょう。

そうであるから、親や兄弟姉妹への{{恨み}}や{{怨念}}を明確にしていないので、現在の日常生活で<<他者への反抗>>となっていくのですが、これも、「犯罪」に色々と種類があり、人間に直接に危害を加えない「犯罪」とか、場合によっては人間に危害を加える「犯罪」となったりします。

 

 物品や家屋に危害と損傷破壊を加える「犯罪」や、人への危害や殺生などの「犯罪」などなど、その人の「犯罪」がどんな風に顕在化されるのかでありましょう。

人間への「犯罪」にでるか、物への「犯罪」に出るか、本当に微妙な違い方です。

親に対して、沢山の心の葛藤を抱えている場合でも、親と離れて住んでいるか、一緒に住んでいるかです。

遠くに親と離れて住んでいれば、親への復讐心を無意識的に抱えたまま、年月が流れて、多分に<<心がパニックになった時には、傍に居る人への危害や殺生に至る>>場合もあります。

また、不特定多数者への「犯罪」となる場合もあります。

 

 人間への「犯罪」、格別に殺生などに至る場合では、当人の過去の心の中に<<大変なアンビバレンス=愛されたい、嫌い>>などの気持ちがあります。自分の中で{{心の操作}}ができないのです。

だから、直接に、無意識的でも、母や父親などの特定の人間に「恨み」などあれば、傍の人にも「恨み」を持ちやすいものです。

何度も繰り返しますが、マイナスの感情が{{深層心理の中の、どこら辺りでどれ程動いているか}}で微妙に変わります。

考えてみれば、人間の心って、面白いですよ。

人間の心は算数と同じで、1+1=2、2-1=1のようなものです。

勿論、沢山と「心理療法」に関わっていない人達には、絶対に理解できないでしょう。

人の心が理解できないのでなくて、自分の心を体得していません。

<<人間の犯罪>>犯罪について(4)

2009 年 12 月 9 日 水曜日

 人間が此の世を生きるには、必ずや、自分の進む道において、時には、心の迷いが誰にでも出て来るものでしょう。

私には、何も{心の葛藤}は有りませんと、言う人が居れば、逆に、その人は未だ人生の出来事や俗世間の出来事について、充分に分かっていない人でしょう。

理解できている積もりが、理解できていないものです。

 

 とにかく、人は誰もが自分は真面目だと考えて生きています。

程度の「差」が有り、生い立ちの「差」ですよね。

何時も、どのような時も、人間は現在を生きるにあたり、自分のこれまで生きて来た<<過去の心が動いており、今の自分の行動を無意識的に操作>>しています。

この事については、一般の方達には気づかない{心}と{会話}と{行動}なのですが、必ずや、生い立ちの諸々が関連しているものです。

それ故に、人間が生きるには、過去を振り返る事が最大に重要です。

また、「犯罪」などは、どのような「犯罪」にしろ、大きな「犯罪」、小さな「犯罪」なども、今の自分の犯した、或いは、置かれた状況の<責任>に気づかず、大変です。

 

 「犯罪」を起している人達に、当方は、沢山と出会いますが、少しずつ話を聞く事にしています。

皆が、当方によく話すことは・・・・・

自分の生い立ちは、出鱈目だった。

母親が、悪いんです。

父親が、悪いんです。

自分が幼少の頃、両親が喧嘩して、離婚して寂しい幼少時だった。

両親の喧嘩は、絶え間が無かったし自宅にいるのが耐えられなかった。

母親に背中を向けて、家出もした。

父親の顔を見るのも、嫌いだった。

兄弟姉妹も、皆が嫌いで嫌いで家に居ても何も楽しい事は無かった。

学校にも、あまり行かなかった。

勉強なんて全く、する気持ちは無かった。

誰も、友達は居なかったよ。

寂しくて孤独で、生きているのも嫌いだった。

何で此の世に生まれて来たのか、親を恨んでいるだけだった。

 

 「犯罪」を起す人達は、多くが、こんな過去、歪な自分史を抱えており、現在も自分の心の底には{{悲壮感}}・{{孤独感}}・{{劣等感}}・{{怨念}}など、社会や俗世間に対しての「「心の葛藤」」は大変なものです。

自分の{{心}}と{{気持ち}}を理解してくれる人を探していますが、誰も理解できる人間は居ないと考えていますから、大変に寂しい孤独な人たちです。

<<人間の犯罪>>犯罪について(3)

2009 年 12 月 7 日 月曜日

 中学生にもなると、いくらでも「犯罪」を起します。

商店街の店やス―パ―での{万引き}、これなどでは絶対に立派な明確な「犯罪」ですよ。

そして、既に、この年齢にありますと、{いじめ}、{暴力}、{恐喝}、{窃盗}、{強盗}、{殺生}までも行なう場合もあります。

小学生時代から、メ―ルなどの{いじめ}で相手の人を{自殺}にまで追い込む場合も多々あります。

{自殺}まで至ると、大変な「犯罪」になります。

中学生でもメ―ルなどで{強迫}もしますが、むしろ、直接的な犯行が多くなるように思えます。

中学生や高校生などでは、家屋や人に対しても、案外と突発的に犯行してしまいます。

 

 当方、学問だけが<<人生では、ない>>と考えます。

それでも、親は、多くの親達が{{学問}}・{{学問}}だと子供達を責め立てます・・・。

人間社会では、{{学問}}の道だけでなくて、各種のスポ―ツや、各種の芸術の道もあります。

人間の生きる「「「価値」」」って、何でしょう。

沢山の人間達は、子供達を育てる過程で、子供達の将来を案じており、{{勉強}}・{{勉強}}と言って、学問の優秀な人間に育てようとして、口うるさく<<勉強しなさい>>と言い続けるものです。

 

 時には、親が何も言わなくても<<勉強をしっかりとする>>子供達も居ますし、しかも、親に反抗しないままですね。

{{親に反抗しないで、子供が育つ}}、この事実は、後々に「大変な事態」になります。

小学~中学~高校は優秀ですが、多くで立派な有名大学に入り、その頃から、歪な{{心}}が頭を持ち上げてきます。

所謂、{{変人}}と言う人間として、顕在化して来ます。

学問だけでは、人間世界を生きるのは大変ですが、親は誰も皆が<<自分の子供達に勉強、勉強と>>責め立てます。

 

 世の中に出てからが、色々な「事件」や「犯罪」に絡む事が有ります、けれどね。

そこまでが、親は気づかないものです。

立派な親でも、子供達の苦悩は、間違いなく出て来ます。

親が立派で、子供達も立派に育つ場合があります。

貧相な親でも、変人の子供達はでき易いですが、立派な子供ができる場合もあります。

「三つ子の魂、百まで」って、人間社会の現実の出来事です。

親も、一度でも、自分の過去を振り返っておかないと、自分の子供達が迷った時に、救う手立て、理解できません、ね。              

<<人間の犯罪>>犯罪について(2)

2009 年 12 月 5 日 土曜日

 {発達心理学}なる言葉があります。

正に、その通りです。

満二歳までに、第一期の{{不信感}}が形成されると、言います。

その後に、第二期の{{不信感}}が形成されると言われています。

こんな風に言われていますが、それ以前の赤ちゃん時代にも<<常識では考えられない程の、心の葛藤を溜め込んで>>いきます。

例えば、誕生後の8週目には、赤ちゃんが無意識的にしろ、自分に{{愛情}}を与えてくれているか、どうかの判断もしているとも、言われています。

この期間を「「臨界期」」とも言っているようです。

 

 勿論、前述しましたが、乳児期において、人間のスキンシップや声かけや、ミルクを飲ませるのに哺乳瓶のみで与えて、声かけやスキンシップなど何も無ければ、人間として育たないでしょう。

この事については、乳児や幼児や小学生や中学生になっても、矢張り、周囲からの適度のストレス=スキンシップや声かけなどが重要でありましょう。

人間は、人間として育ち社会で生きていける人間となるには、それなりの人間からのストレス(良きにつけ、悪きにつけ)をもらいながら、人間との出会いと別れなども記憶していかないと、人間として育ちません。

 

 人間は、此の世を一人では生きていけません。

誰かと一緒に生きるのが、人間でしょう。

さもなければ、余程に自分の愛する物を抱えて生きるか、それでも、自分の愛する人が近くに居て欲しいでしょう。

人間の「「孤独」」って、怖いものです。

何故って、歪な行動を起こすからです。

歪な会話だけならば、「犯罪」に至る可能性は少ないですが、それでも「犯罪」になるケ―スは、多々ありますね。

歪な行動、全てが、その人の{{心}}のなせる「業」でしょう。

 

 「「心」」が、歪な「「会話」」と「「行動」」を起こしています。

そうであるからには、人間は「「心」」が中心ですから・・・・「「心」」が、素直に育ち、大人になっても<<歪な心>>とならないことです。

人間社会の様々な移り変わり、両親の生活の移り変わり、結婚している子供達でさえ、会社勤めでの転勤、遠隔地への単身赴任での仕事などなど、以前の家族の生活が移り変わっている場合があります。

誰と、どんな環境に出くわしても、確固たる自分を確立しておけば、自分の「心・人格」も崩壊してパニックとなる事は無い筈です。

それでも、本当に理想的な「アイデンィティ―」、「心」で育つ事は少ないものです。

<<人間の犯罪>>犯罪について(1)

2009 年 12 月 3 日 木曜日

 人間社会は文明化??? 科学と技術が発達すると言いながら、一体に、人間社会は随分と変化して来ています。

真実に、平和な方向へ向いて走っているのでしょうか。

いや、確実に、不確実で不透明な社会に近づいていますね。

「幸福な人間社会」は、全くと、訪れて来ないようです。

 

 小学入学前の幼稚園の児童でさえ、「事件」や「犯罪」を起す場合もあります。

盗み、自分意外の他者への暴行、或いは、落ちていた金銭などは拾っていくでしょう。

これも、「犯罪」になるかも知れません。

幼稚園児でも、結構と<<それなりの喧嘩>>をします。

喧嘩の度合いが過ぎると、「犯罪」にもつながっていきます。

幼稚園で{何かが起こる}って事なども、結構、沢山起こって来ているでしょう。

幼稚園での行事などにても、親が勝手に「犯罪」を起す場合がありますが、これも、自分の子供と、他のお母さんの子供との比較からでの「事件」や「犯罪」のようです。

小学校に入ると低学年にても、案外と、いじめ、登校拒否、盗み、なども増えてきます。

PTA関連の親達が勝手に、心秘かに喧嘩をしている場合もあります。

 

 「三つ子の魂、百まで」と言いますが、乳児、幼児、幼稚園の頃から、既に、心の病は{{形成されて}}来ているのです。

「親の因果が、子に報い」と言う言葉も、間違いありません。

母親や父親が、子供が赤ちゃんの時から、思い思いに自分勝手に好きな事柄を行なっているのではないでしょうか。

エゴ・・だけとは言わないでおきましょう。

人間社会の変遷もあるでしょう。

 

 昔から、人間は皆が真面目で素直であったかと、言われれば、勿論、そうではなかったと考えます。

昔から、色々と「事件」や「犯罪」を起している人達も居ます。

昔からも、赤ちゃんを置いたままで自分勝手な行動をする親達は居たのですから、悪いことをする人達がいたのも無理はないでしょう。

現在でも、同じような悲しい行動を自分勝手にする親達も居ます。

親も生きるため、子供達に食事を与えるために、仕事をしなくては仕方がない時代にもなって来ています。

そう、良い事とか、悪い事とかなど、当方で決め付ける事ではありませんが、それ程に世の中が変化して来ています。

「犯罪」も、増えて来るのは当然でありましょう。