‘道徳’ カテゴリーのアーカイブ

<<道徳>>「子育て・教師の責任」(4)

2006 年 5 月 22 日 月曜日

 教師には、子供達の本当の無意識の心の病んでいる所が見えていない。

だから真実に、子供達の病んでいる心を矯正してあげる事は出来ない筈であろう。

顕在意識、潜在意識、無意識、どの心から矯正してあげるべきなのか・・・でもあろう。

今現在に呈している子供達の異常会話や異常行動を矯正するのに、やみくもに直接口言や助言や説教だけで治そうとしても、治るものでは無い筈である。

現実には、話しかけるよりも話を聞いてあげる方向ですすむことが良いが、なかなか喋ってくれない子供達が沢山と居る。

話を聞いてあげる方向で進もうと思っても、簡単に子供達は自分の気持ちを話さない。

また、仮にカウンセリング方式で<話を聞きだして>あげたにせよ、彼等の潜在意識と無意識は解決されないまま残ってしまう。

 

 長年月に渡って「心理療法」に関わっていますが、顕在意識、潜在意識、無意識、どの意識から援助、加療すれば良策なのか・・・です。

人の心の過去の暗闇に、完全に蓋をして過去を忘却してしまうことは無理なのです。

“過去の心”は、何時どんな時でも、人が人生の壁に衝突した時、過去の忘却していた筈の心が肥大化し圧迫してしまいます。

 人は、決して自分の過去を忘れません。

忘れて思い出さないにしても、その思い出さない心が<素早く動き始める>のです。

ここでは、子育てに関わる上で教師にも間接的には責任もあるだろう、と申し上げました。

それは、教師自身が自分の心をしっかりと学習して欲しい、そして、自分の心、人間学など、心の世界の<動き>を勉強しないと駄目だという事です。

教師が心の世界を学習していなければ、自分自身の心を知りません。

だから生徒達の心も理解できないでしょ!と言いたかったのです。

 

 教師が長期間休職し、挙句は教師を辞める・・・、または、辞めたくないけど職場に適応できないから辞める・・・、負け犬で終わるのです。

残りの人生で、また、過去に葛藤を残したままでは“未来の心”が危ないです。

教師も嫌いではないが、格別に自分の目的意識が有って辞めるのであれば良いのですが・・・。

漠然と、「何か別に良いものはないだろうか・・・」で辞めることは駄目ですね。

 

 教師自身も“心の学習”をして、親と子供の心の葛藤を喝破できる人となれば、此の世で怖いものは無くなるでしょう。

如何に問題児に対峙すれば良いかの理解と体得ができているか、です。

問題児の子供の親には、格別に親の過去の心を眺めてもらう事が重要です。

親、自分の子供、問題児の謝罪する姿勢も出て来るでしょう。

そんな親の顔を見て、異常な子供達ほど、親の顔や心の変化を簡単に気づいてくれます。

親と子の過去の<心の和解>、最高のものとなるでしょう。

 

 そこから子供の精神的成長が始まります。

<<道徳>>「子育て・教師の責任」(3)

2006 年 5 月 20 日 土曜日

 何事においても人の個人的問題は、厳密に心の世界をしっかりと眺めていると、その人の生い立ちが全てだと伝えても間違いないと思われる。

 最近は、子供を幼い時から託児所に預けたりしているケースがある。

人格が6歳までには或る程度でも完成するとすれば、それまでに託児所や幼稚園時代での心の問題も色々と考えなければならないだろう。

親から、幼い時期に生活の一部を離されたとすれば、その事で“親から受けた心の葛藤”、ともすれば、“心の外傷体験”となり得る場合もありそうである。

世の中の流れというものはどうしようもないのであろう。

 子供達は、親から早く離される事によって、より無意識的にでも“心の葛藤”を蓄積して行くとも考えられる。

実際に、人の一生は胎内を通して誕生から思春期までが勝負と言われるくらいである。

早熟崩壊型、晩期大成型、その中間もあるだろう。

最も、最初から駄目人間で、最後まで駄目人間で終わる場合もある。

 

 当方、人間の価値とか、価値観、などと言う話はしたくない。

どんなに沢山のお金を貯めている人に対して「幸せですか?」と問えば、100人が100人とも「幸福だ」とは返答しないであろう。

お金が溜まったが故に悩む場合もある。

お金を貯めた人でないと、その事柄については理解することが困難かも知れない。

また、名誉や地位などで人間の価値が決まるものでもないだろう。

(先天的にハンディキャップを背負い込んでいる場合は、ここでは除外して話している積もりである。)

 

 誕生したからには、何とか一人で働いて食に在り付ける人間であって欲しいものだ。

家族(夫婦)の形成によって、当然と事情は異なる場合もある。

男性が働いて女性が家族を守る。

女性が働いて男性が家族を守る。

その中間もあるだろう。

 人の心を喝破できる人間になる為には、先ずは自分の心の潜在意識と無意識までを、自分の誕生から知り尽くしておく事だ。

他人が心も体も病む時に、その人達は何かの助言が出来る。

他者にも役立つ筈である。

学校で子供達が病んでいる場合、その苦悩は何処に出発点が有るのか位は知っておいて欲しい。

教師が心の世界について知っておくべきで、子供達自身は何も知る筈もない。

子供達の親に、上手に解決法を伝えるべきである。

 

親と子供の過去の<心の和解>のみである。

<<道徳>>「子育て・教師の責任」(2)

2006 年 5 月 18 日 木曜日

 教師の責任について先述したが、教師自身の心は自然に子供達へも何らかの形で伝わるものである。

教師の会話や行動などは、直接に子供達へ影響を与える。

教師が特定の人に何も話しをしないという事は、話をしないという会話(会話がないのも、黙っているという会話)であるが、其処に問題もある。

 

 学校での子育てに、どれだけ先生達が真剣に関わる事が出来るかでもある。

だが、“心の葛藤”を抱えた先生方が、本当に心の底から生徒達と向き合う事が可能であろうか・・・。

“心の葛藤”なるものを現在に抱えているとすれば、その根本的な{因}は<生い立ちの心の中の葛藤>にあり、それが現在に肥大化して自分の心を押し上げているのである。

ここでは、子供達の人格が如何に作り上げられて行くのかを知って欲しい、また、学習が必要である。

頭の中だけで学習するのではなく、自分が直接「心理療法」を受けておくべきである。

これにより子供達の心の底で動いている“心の葛藤”を喝破出来る先生になれるであろう。

子供達の心の底を見抜く事が出来なければ、先生方にストレスは溜まって行く。

 

 学校での生徒達の、いじめ、非行、登校拒否、過食や拒食、各種神経症、うつ病・・・などが増えている。

生徒達もそうであるが、若い先生方も結構と、拒食や不安神経症、うつ病、対人恐怖・・・などにて休職している人達が沢山といる様である。

比較的高年齢になってくれば、うつ病者なども増えて来ている。

全ての人達、老いも若きも悩み苦しむ人達の援助や加療について、薬だけで治療する事は100%間違っていると考えている。

 

「悩まない人」にしてあげる事であろう。

 

 自分の眼前に何事が起こっても悩まなければ、心身症、神経症、うつ病、ドラッグアディクション(薬物依存)などにはならない筈である。

唯、唯、長年月に渡り「心理療法」に関わって来た結果、如何なる立派な心理療法、心理士であろうとも、悩める人達があまりにも人格水準が低い場合、(人格水準は、学問が出来る・出来ないには関係が無い・・・)一対一の心理療法で完全回復に至らせる事が不可能である場合も多々ある事実だけは、一般の皆様にも知っておいて欲しい。

 ある意味、人間の心身症や神経症やうつ病などは、突き詰めて考えてみると<家族の病>でもある。

当人が誕生してからの“人格形成”の問題であるから・・・・・。

実際に、悩める人や病人の「心理療法」では、家族と一緒に「心理療法」をする事で最大の効果がある。

 

“偽りの無い事実”である事を断言しておきたい。

医師も心理士も弁護士も政治家も警察関係者も教育関係者も・・・、この事については理解しておいて欲しいと考える。

 

教師の“心の葛藤”で自分自身が、また、生徒も傷つかないで欲しい。

<<道徳>>「子育て・教師の責任」(1)

2006 年 5 月 16 日 火曜日

 子育てに関して、根本的には親の責任だと当方では<信じて>いる。

だが、教師も「親」から育てられている。

“教師の親にも問題がある”と伝えたいのである。

 

 学校で生徒達の異常会話・異常行動・異常な心などについて<気がかりになった>時は、教師として如何に判断をするべきかであろう。

先生が立派で生徒から常に尊敬されていれば、先生の言った通りに行動する生徒達もいる。

そんな素晴らしい先生方も居られる。

立派な先生だと、当方からも尊敬の念を申し上げる。

しかし、生徒に向かって{絶対に言ってならない言葉を投げかける先生}も居る。

絶対に言ってはならない言葉を生徒に投げておいて、その先生は“自分の考えている事は間違い無い”と思っている。

周りの生徒達がどれ程迷惑を受けているか、言葉を投げかけた先生は全く気づいていないから大変な事である。

時には、子供達の一生を駄目にする場合がある。

 

 最近は、全国で教職員の先生方が沢山休職されているとマスコミで報道している。

生徒に向かってマイナスになる言葉を投げかけたり、体罰をする先生は、必ず自分の心の中に<劣等感>が居座っているであろう。

勿論程度の差もあり、先生方も言葉と行動で生徒達に教えなければならない場合もあろうが・・・・・。

 

 ここで、何を申し上げたかったか、である。

先生方も“真実の自己”、己をしっかりと知っておかないと生徒達の心を見抜けないので、生徒達の様々な問題に対処できないであろうと思われる。

結局は生徒達に対して、逆に異常行動や異常会話などを投げたり、先生方が{引きこもり}や、{不安障害・神経症・恐怖症}、{うつ病}などで休職する事になってしまう。

公立学校と私立学校では事情は違うであろうが、休職の猶予期間も随分と恵まれ過ぎている。

民間会社では休職の日数が長期化すれば、離職せざるを得ない状況になる場合が多々あるであろう。

 願わくば教職員の方々も、自分の潜在意識と無意識の心を自己探求して、人生、人間社会で立派に自分の役割をこなして欲しいものである。

20年来に渡って「心理療法」に関わって来たが、学校の先生方と言えども普通であれば一対一の「心理療法」で充分である。

どんなに賢く見えても一旦人生の壁にぶち当たると、自分の誕生から現在に至るまでの諸々の過去の心が膨らみ、現在の顕在意識を強度に強迫して身動き出来なくなる状態となる。

 

 今回上記で述べたように、大脳の海馬に過去の記憶が蓄積されているその記憶を掘り起こし、{再解釈}と{受け取り直し}をする事、己の潜在意識と無意識の世界を知る作業を体験する事が最重要であろう。

そうする事で、初めて子供達の潜在意識と無意識の心も読める筈である。

 

 立派な人に成長して下さいませ。