‘未分類’ カテゴリーのアーカイブ

<<未分類>>「記憶」6

2010 年 8 月 23 日 月曜日

 人の記憶って、随分と<<間違い>>が有るものです。

簡単に言えば、人は誰もが自分は{真面目な人}だと思っています。

一方で、「不平」、「不満」、「悲しみ」、「嫉妬」、「妬み」、「恨み」、「怒り」、「怨念」、などなどまで抱えておりながら、自分は【真面目な人間】だと思っているものですから、それはそれは、人間社会って大変ですね。

そんな人間社会に誕生して来て・・、好き好んで誕生したのではありませんよ。

男女も愛して恋して結婚して一緒になって、暮らしている筈なのですが、一つ屋根の下の一軒家に住んでいますとね・・・・。

 

 家族の中に子供達が生まれて、今度は、育てるのに<苦労>します。

勿論、優秀な子供で育つ場合もありますが・・・・・。

家族の中で、自分の子供から殺生を受ける場合もあります。

こんな<<大事件>>は、親が自分の過去の記憶の{思い込み}などで、いつまでも子供が悪いと考えておりますので、子供が上手に育っていない訳です。

殺生する子供は、子供で、自分の親への{思い込み}ですね、親の育て方が悪いと責めています。

でもね、自分の親が悪いと責めるだけでなくて、親の親についても、即ち、祖父母の心についても、しっかりと考えてみる必要があります。

 唯、唯、自分の親が悪いのだと責めるのも、そんな「記憶」だけを溜め込んでも駄目です。

 

 勿論、祖父母についても、誰も皆が、記憶の回想をできるものではありません。

全く、祖父母の関わりが無いか、全く離別の状態での子供達も居るでしょうからね。

それでも、どんな状態、どんな状況であれ、自分の親は、母にしても、父にしても、その両親の親が居た訳です。

両親も、お互いに、祖父母は曾祖父母の心の伝播を、必ず、間違いなく受けています。

子供達も、少し成長して大人になれば、自分だけの「記憶」をマイナスの<<感情>>として持たないで、他者の気持ちをも考えてあげる能力を養って欲しいです。

しかしながら、人間って、自分の過去の「記憶」を回想して<<再解釈>>しないと、自分流の過去の「記憶」を自分流では滅多に変える事は不可能です。

 

 当方では、特別にですね、人の過去の記憶の錯覚を訂正していくのが重要だと考えていますね。

過去の「記憶」の思いを変える。

「記憶」が錯覚で,人は生きていると言っても良いです。

必ず、当方の「課題」で進んでいけば、自分の過去の思い=「記憶」が間違っていた!!自分の考え方が間違っていたと気づくでしょう。

その時に、現在の自分の「心」は、良好に変革されます。

過去の「記憶」を、「錯覚」を変革で、心身は必ず安定します。

<<未分類>>「記憶」5

2010 年 8 月 20 日 金曜日

 先述で、結婚生活にまで触れたのですが、家族を形成して夫婦が自分達の一生を喧嘩もせずに、何時も<仲良く>家族の子供達を含めて生活できれば最良だと考えます。

何故ならば、夫婦円満で子供達も<自分の親が大好き>であり、日常生活の中で子供達が、自分の親に対して{感謝を感じる能力のある}子供達、自分の親に対して{恩}を感じる能力のある子供達であれば、絶対に、学校や社会でも子供達の事件や犯罪、各種の問題行動は起こらないですよ。

そんな子供達が大人になっても、心に関連した病気にもならないし、やはり、事件や犯罪などは起こしません。

 

人は{生い立ちの中}で、自分の親に「感謝ができるか」、「親の恩を感じ取る能力」があるか、そのような言葉を先述しました。

人間は、誕生後から~~~自分が死を迎える間の歳月で、上記の親への【思い】さえあれば、大きな社会問題は起こさないですね。

 

 時には、人は、9歳でも12歳でも15歳でも18歳でも21歳でも24~25歳でも、私は<<<親からは、上手には育てられていない、親が嫌いだった、私の親は夫婦喧嘩ばかりで子供を育てていないよ・・・など。

父はアル中、母もアル中、両親と祖父母との醜い争い事ばかり、小学では<いじめ>、中学では<登校拒否>、<腹痛&下痢>、<頭痛>、<校内暴力>、高校では<非行>、<シンナ―>、<生徒や先生が嫌いで、退学した>、<近隣の人が嫌い>、<勉強が嫌い>、などなど色々な過去のマイナスの心=記憶が、人生を生きる限りにおいて、過去から現在へ、そして、未来へと、人の心は動いて行きます。

それなりの、心・性格・人格などを形成して人生の歳月が流れます。

 

他者とのコンタクト、「喜」・「怒」・「哀」・「楽」などを抱えながら、或いは、「四苦八苦」しながらの生活が続きます。

人間世界は、煩悩(心身を傷める、諸々の心)に満ち溢れていますので、人間関係や環境に対して自分の心の形成が壊れないように、生きるしかありません。

家族の中で、或いは、小さな幼児期〈乳児期を含めて・・・〉~~大人へと成長しますが、どんな性格・自己同一性・人格を、上手に自分の心に育んでいるのかが、最大に重要です。

 

ですが、残念な事に、多くの場合で、人は誰しも人間世界を生きるのに<<自分が、常に、得をしたい、お金が欲しい、名誉が欲しい、地位が欲しい>>などと、そして<<愛する人、恋する人>>が欲しいと考えながら生きていますね。

勿論、人の心は状況に応じて変化があります。

「別れの嘆き苦しみ」、「自分の好きな物が手に入らない」、「会社での上司や下司達との心の関係」、「近隣の人間関係、「学校での人間関係」、などなど、見つめてゆけば<人の心は大変>です。

「インタ―ネット心理療法」の体験が重要です。    

<<未分類>>「記憶」4

2010 年 8 月 18 日 水曜日

 誕生から~~~成長する過程で、或いは、成長から~終末に向かって、人の心は成長するのでしょうか??。

お金持ちになるのが、成功だとは言えないでしょうね、人それぞれですが・・・・。

名誉を得る事が成長、地位を得る事が成長だとは言えないでしょうね、人それぞれですが・・。

勿論、人間として誕生したからには、それなりの「因縁」と「運命」の中を生きています。

「天命」にまで、辿り着けるには、なかなか無理があるでしょう。

余程のこと、人生、人生哲学、自然哲学、諸々の勉強をしておかないと、悩みや苦しみや怒りや怨念を担ぐでしょう。

その思いが、自分の心身を傷めるのですが、自分が抱えている心の葛藤に気づかないで生きていますので、人間って悲しいですね。

 

 幼い時から、そうなのですが!!!、それなりの年齢を重ねても、人は誰もが<あれが欲しい>、<これが欲しい>、などと考えています。

これが、人間の生きる限り、続くのですから大変です。

また、こんな物が好きだと自分の手元に置いていても、人の心が早変りして、直ぐに次の物を欲しがります。

或いは、あの人が好きだとか、この人が好きだとか言っていますが、やはり、人の心はすぐに変ります。

好きだと愛して恋して、一つ屋根の下で一緒に住んでいます。

素晴らしい気持ちの良い安らかな一緒の生活が、暫くは、出来るし継続できるでしょう。

でも、多くの場合ですね、人間って勝手なものです。

 

 当方が、人の習性と言うか人々の生活を見ていると、本当に人の{心}って変ります。

男性と女性が、一緒に長期間にわたり住んでいますとね、色々様々に考え方の相違に気づいてきます。

楽しく嬉しく喜んだ日々が、少しずつ意見の違いも出て来るから、大変です。

何故って、全ての誰もが、皆の【生い立ち】が違います。

深層心理、潜在意識や無意識の世界で流れている【心】は、日頃は、自分の心を押し込んで忘却の彼方にやっています。

 

 しかしながら、日常生活の中で暮らしていますと、今の現在の自分の気持ちを話しているのですが、その今の現在の心は<自分の遠い過去の過ぎ去ったと思っている心が、今の現在の自分の心を強迫>しているのです。

良きにつけ悪しきにつけ、PTSDの形、或いは、反復強迫の形は、心の世界では否応なしに動いているでしょう。

PTSDも反復強迫も、日頃の生活では、気づかない場合が殆どです。

時に、気づくことによって、運が悪ければ「うつ病」や「神経症」や「心身症」で悩み病気になります。

人の「性」って、格別に「・・心理療法」で己の【心】を知る事です。

 

<<未分類>>「記憶」3

2010 年 8 月 17 日 火曜日

 幼児から生徒へと、幼稚園から小学校に入り、家族以外の沢山の人達と会う事になります。

見知らない他者と【会話】したり、一緒に【行動】したり、みんなと【心】を合わせたり、そうできないと皆と一緒の生活が出来ません。

両親の[因縁]で誕生して来たものの、保育園や幼稚園や小学校に入るまでの、皆が誰も今の現在に至るまでの{生い立ち}、もっと理解し易く言えば{母も父も違うし、両親の片方が居ない場合、両親も居なくて、祖父母や、実の親でない人達に育てられている場合}もありますからね。

 

 何度も繰り返しますが、両親が居ても、両親の人格・心がそれぞれ違います。

だから、子供達も皆が各々において<それなりに心の形は違います>よ・・・。

心は、見えませんけれどね。

保育園~幼稚園~小学校までにおいて、集団、或いは、グル―プの中で如何なる「会話」、「行動」・「心」などが動いて、どんな風に、より年齢を重ねて成長していくかでしょう。

この期間の各自の{心模様}が、何時までも変化を変え、人が自分の人生を<生き続ける限り>において、心の葛藤を持ち続けてしまいます。

人間が、人生の{悩みの壁}に衝突した時は、幼少時に積み残した「固着」を抱えた年齢にまで、人の心は<幼児かえり>すると言われます。

ですから、人の心の治療を厳密に{再生}させるためには、幼児の時にまで遡って<心の固着を解決していかないと、本当の治療はできないでしょう。

 

 普通では、人が悩む場合では、よくカウンセリングなどという言葉がありますよね。

でも、カウンセリングだとね、小学3年生くらいの心まで、過去の「記憶」を回想できるか微妙です。

仮に、過去を回想できたとしても、その人の<心の反転>を得る事は不可能と思われます。

人が人間世界を生きる事は、常に、新しいストレスを自分の大脳の中の海馬に、気づかないままで新しい葛藤を溜め込んでいますから、自分では気づかない心の葛藤が海馬で、何時も心が揺れていますし、揺れながらの心の葛藤を構築しています。

その構築の様子も、表現ですれば、心の形が見えないにせよ、大きな石が富士山のように、或いは、ピラミッドの様に三角形で居座っているのが最高でしょう。

ですが、段々バラバラの様に常に壊れるような形で海馬に積もって構築されていますと、ちょっとした事柄でその三角様の形は崩壊して壊れ落ちてしまいます。

 

 {うつ病}なんかでは、薬だけで治療しないで欲しいと、断言しておきますね。

心って、意識って、今の現在の心は、必ず、自分の過去の心に裏打ちされているものです。

思春期~青年期~成人期~壮年期~老年期~超高齢期~~終末などと、心が余程に痴呆症でなければ、このような段階で<人の心>は少しずつ変化するものではあります。

でも、周囲の人達が困るのは年齢を重ねて{幼児かえり}する人です。

【幼児かえり】しないために、「・・心理療法」の体験です。

<<未分類>>「記憶」2

2010 年 8 月 12 日 木曜日

 満2歳までに、赤ちゃんの世話を怠ると、後で大変な状況が起こって来ます。

では、満2歳を過ぎれば、その後では、どうでも良いかと問われると、人が自分の生命を生き続ける限り、自分の五感・六感で目前の状況を判断しますので、大変です。

何故ならば、何時でも、どんな時でも、目前の状況を如何に判断するかは、その人が今までを生きて来た、その人なりの(海馬が関わっています・・・)判断しか出来ません。

そう、全ては目前の事柄や、人の考え方も、皆が聞いていて見ていて,皆が感じ方が違うのですから、面白いです。

 

 人間は、誰も育ち方が違うので、あまり仲良く出来ません。

育ち方が違うから、現在の判断も違います。

地球上の人間の考え方の違いは、素晴らしい程に違いますよ。

人間の考え方が同じであれば、戦争とか政治や経済摩擦や小さな争い事にしても起こらないでしょう。

人間社会の{{生存競争}}や人間社会の{{人間模様}}も、地球上で何事も争い事が無いのが、最高に人類にとって幸福だと考えますが・・・。

ところが、人間って<生い立ちの環境=事・物・周囲の人も含めて>、皆が異なっていますから、考え方によっては永遠に地球上に{{平和}}は、やって来ないでしょう。

 

 今、当方は、人の心は【生い立ち】がどれほど大切であるかを、伝えたかったのです。

どこかの国のように・・・、結婚しては、赤ちゃんが出来たら直ぐに離婚してしまう。

そんな国が、ありますよ。

そんな子供達も、気づいてみれば、周囲の子供達の皆が自分を含めて<同じ環境で育ち>、誰も両親が一緒に住んでいない、などと理解できて来ると、子供達もそれなりに成長する段階で、自分の生い立ちを卑下したり劣等感を感じたりする事が少なくなっていくでしょう。

確率的に、子供達が、どんなに育つか、素直に育つかと言われれば、やはり、両親の元で育てられる方が良いでしょう。

両親が居ても虐待したり放任だけでは、子供達は育ちませんけれどね。

 

 案外と、人間って、自分のル―ツを知りたいものですよ。

自分が、何処から来て何処へ行くのか、ですからね。

有名な言葉に、{人間は何処から来て、何処へ行くのか}なんて言葉も有ります。

そう、少し難しい話になりますが、人工授精の時代にもなっています。

卵は誰の卵、精子は誰の???、やはり、人間として育って行く過程で、自分のル―ツが分からない、不明なんて、恐ろしくなります。

例外的に、誕生した時から、平均的に人間の脳の発達が劣っている場合も、色々な病気で沢山とあります・・・現実に、辛い事もあります、避けられない【定め】があります。

どれほど、親も子も、如何に納得できるか、ですが・・。