人は誰しも、年老いていきます。
若い人でも、{運が悪い}と40歳代で「認知症」に罹って人間世界の判断さえできなくなる場合もあります。
そうでなくても、多くの人達は、アルツハイマ―型痴呆症、脳血管性痴呆症、などと「認知症」になってしまいます。
「認知症」の患者さんでも、全く目前を認知できない場合もありますが、少し理解できる程度や、色々な段階があります。
当方、高齢者の方々も診察していますが、認知症の人々でも、眼前の状況を非常にマイナスに受け止めて、少しの事で【立腹】する人、あまり【立腹】もせずに笑顔で対応してくれる認知症の方々も居られます。
何処が、違うのでしょう。
同じ認知症になっても、少しの事柄で{怒り}、{暴力}などを振るう人達も居ます。
考えてみると、認知症の人々も案外と<<昔の事は記憶している>>と言われるものです。
人は誰しも高齢者になって、大脳の働きも弱ります。
認知症にても、海馬の働きは、それなりに<<動いて>>いるのかと考えさせられます。
訳もなく、暴力をする事もないでしょう。
訳もなく、介護に反抗する事もないでしょう。
これらは、認知症になっても、過去の<<生き様>>を映しだしているのだと感じます。
それほど、人の「記憶」ってのは、大事だと伝えたかったのです。
また、認知症の人達でも、脳血管障害のひどい人達では、反抗する体力も気力も消え失せている人達もいるものです。
ベッドに寝たきりで、胃婁や鼻管栄養などを受けて、全てが介護者による全介助の人達も居ます。
人間の認知症状態でも、様々な状況がありますね。
人によっては、口で喋れなくても、相手の言っている事に少しは気づいている場合も有ります。
他者が見ていて、全然と反応もなくて、唯、唯、緘黙のみで意識も無いものだと思っていますと、そうでもない場合があります。
脳血管性痴呆者の場合は、お世話するにも注意が重要です。
勿論、アルツハイマ―型痴呆症の人達や、その他の如何なる人達にも謙虚に接しなければ、いけません。
認知症だからなんて考え、心の世界を考える事を怠ったらいけません。
どこまでも、一人の人間、人格の備わっている人として、お世話をするべきですね。
先ずは、人間の心を知りたいと思ったら、自分の潜在意識や無意識の心を詳細に調べておくと良いですね。