‘未分類’ カテゴリーのアーカイブ

<<未分類>>「記憶」11

2010 年 9 月 7 日 火曜日

 人は誰しも、年老いていきます。

若い人でも、{運が悪い}と40歳代で「認知症」に罹って人間世界の判断さえできなくなる場合もあります。

そうでなくても、多くの人達は、アルツハイマ―型痴呆症、脳血管性痴呆症、などと「認知症」になってしまいます。

「認知症」の患者さんでも、全く目前を認知できない場合もありますが、少し理解できる程度や、色々な段階があります。

 

 当方、高齢者の方々も診察していますが、認知症の人々でも、眼前の状況を非常にマイナスに受け止めて、少しの事で【立腹】する人、あまり【立腹】もせずに笑顔で対応してくれる認知症の方々も居られます。

何処が、違うのでしょう。

同じ認知症になっても、少しの事柄で{怒り}、{暴力}などを振るう人達も居ます。

考えてみると、認知症の人々も案外と<<昔の事は記憶している>>と言われるものです。

人は誰しも高齢者になって、大脳の働きも弱ります。

認知症にても、海馬の働きは、それなりに<<動いて>>いるのかと考えさせられます。

 

 訳もなく、暴力をする事もないでしょう。

訳もなく、介護に反抗する事もないでしょう。

これらは、認知症になっても、過去の<<生き様>>を映しだしているのだと感じます。

それほど、人の「記憶」ってのは、大事だと伝えたかったのです。

また、認知症の人達でも、脳血管障害のひどい人達では、反抗する体力も気力も消え失せている人達もいるものです。

ベッドに寝たきりで、胃婁や鼻管栄養などを受けて、全てが介護者による全介助の人達も居ます。

人間の認知症状態でも、様々な状況がありますね。

人によっては、口で喋れなくても、相手の言っている事に少しは気づいている場合も有ります。

 

 他者が見ていて、全然と反応もなくて、唯、唯、緘黙のみで意識も無いものだと思っていますと、そうでもない場合があります。

脳血管性痴呆者の場合は、お世話するにも注意が重要です。

勿論、アルツハイマ―型痴呆症の人達や、その他の如何なる人達にも謙虚に接しなければ、いけません。

認知症だからなんて考え、心の世界を考える事を怠ったらいけません。

どこまでも、一人の人間、人格の備わっている人として、お世話をするべきですね。

先ずは、人間の心を知りたいと思ったら、自分の潜在意識や無意識の心を詳細に調べておくと良いですね。               

<<未分類>>「記憶」10

2010 年 9 月 3 日 金曜日

 「記憶」と心身の{免疫}は、必ず、関係しています。

昔からの言葉がありますよ、{{心身一如}}、また、{{心身相関}}と言います。

これは、現在の科学でも間違いありません。

学問的な言葉を使えば、「神経内分泌免疫調節」とも言います。

心と体のバランスが良く出来ていないと、病気に罹り易いと言う意味でもありましょう。

しかしながら、どんなに自分で心と体のバランスを良くしようと思っても、そう簡単に出来るものではありません。

 

 体と心は、密接につながっています。

心が、何時も{幸福}を感じるのであれば、体のバランスも立派な状態になっている筈です。

人が、自分の心の中で{幸福}を感じたり、或いは、T・P・Oの状況で{不幸}を感じたりすると、自己の心が揺れている事になります。

そうすると、体の調子も、常に、揺れる心から影響を受けてしまいますので、体を含めてホルモンや免疫までもが安定しませんよ。

人の心のストレス、最終的には体のストレスも<<心のストレス>>から来ます。

体のストレスは、心のストレスから来るのが大量ですね。

 

 人が、心の葛藤を抱えるかは、その人が目前の人や環境に対して如何に反応するか、だけですよ。

この順序は、別の表現で説明しましたね。

ある言葉を借ります。

「色」→「受」→「想」→「行」→「識」、なる言葉があります。

目前の物・人などを受け取る「色=五官であって、眼・耳・鼻・舌・身・・・」でもって、想念するの「想」です。自分が好きなものには<近づく>し、嫌いなものからは<遠ざかる>などの<<<心の動き>>>を「行」としています。

最終的には、この心の道を通ってから、認識するので、「識」としています。

心の経路と言っても良いでしょうし、最終的には、各個人が如何に物事を判断・判定するかでしょう。

 

 心の判定の結果が、好きだ、まあまあだの場合ではいいし、判定の結果が嫌いだとか、大嫌いだとかで、その人の心の葛藤は沢山とたまり、大きなストレスとなるかだけでしょう。

自分の{生い立ち}から~現在までに至る{口・行動・心}を調べて、自分が善人か悪人かを判定できれば、目前をそんなに誤解しないで気楽に人生を生きられます。

過去の「記憶」だけ、この「記憶」が全ての人間の現在の心を操作するのですから、心の世界を勉強するのは面白いですよ。

「・・ネット心理療法」で、十分に学習できます。   

<<未分類>>「記憶」9

2010 年 9 月 1 日 水曜日

 人間社会で生きている人達と話しをしますとね、<人は死なない>などの「錯覚」を抱えて大衆は生活していますよね。

「死」については、必ずや、訪れて来ますが、人は「死」について考えたくありません。

<現実を認めたく>ないのですね。

健康な時も、そうですが、とにかく、人は「死」を忌み嫌うのです。

病気になって不治の病になっても、死ぬ時期が近づいて来ても、自分の「死」を嫌って逃げようとします。

 

 癌やその他の不治の病気になって、治療している時も、その人の過去の「記憶」によって闘病生活の気持ちも変って来ますよ。

同じ闘病生活をするのであれば、自分の人生と寿命を受け入れて「己の生命」に納得するのが、良いのですが・・・。

勿論、悪性細胞が神経に飛んで行って神経を圧迫すれば、癌による疼痛は起こります。

この疼痛は、どれほど、コントロ―ルが出来るかどうかです。

この癌による疼痛は、どんなに人間として人格が完成していても、痛みに耐える能力は困難でしょう。

 

 当方で、非常に興味深く感じているのは、帯状疱疹(ヘルペス)後の神経痛で何年も悩み続けている人達が沢山と見受けられます。

この方達は、「心理療法」(内観療法)で、特別に、自分の己の<深層心理>を深く覗いて確認していけば、ヘルペス後の神経痛は<<<簡単に治ります>>>。

何故なら、人がヘルペスになる時は、心身のバランスを壊している場合が多いからです。

そのために、体の免疫力が落ちている時に、ヘルペスに罹り易いです。

ヘルペスは、直ぐに薬で治療しますが、体の免疫力は変化していないので、体の免疫力をつけるために、自分の過去からの心の「記憶」装置である海馬を明確にしておきます。

世界中の人間の大脳の海馬は、多くの<<煩悩>>で汚れています。

そうすると、多かれ少なかれ、人間の海馬は悲しい<<煩悩の多き故>>に心身のバランスは危なかしいものです。

 

 「海馬」の記憶が明確に整理されると、心の葛藤は少なくなりますし、ストレスが小さくなるので、心身のバランスは良くなります。

心身の免疫力も上昇しますから、自律神経失調症、更年期障害、心身症、神経症、うつ病、その他にも、体の病気にも罹りにくいですね。

当方、長年月にわたり、「心理療法」に関わっていますが、人がこの人間社会でストレスを持たずに気楽に生きるには、過去からの記憶が沈潜して溜まっている、自己の大脳の海馬、大脳皮質、側頭葉などの状態を生理学的に正していければよいのでしょうか。

過去から~現在までの心を明確にする事、「海馬」の整理が重要です。

自己の過去を眺める「・・ネット心理療法」の体験で十分です。

<<未分類>>「記憶」8

2010 年 8 月 31 日 火曜日

 一流企業に勤務して、憧れの仕事に就職して働いても、過去の<<心の固まっていない人であれ>>ば、会社内の人間関係や会社の環境にも{不満}は溜まり易いですね。

面白いのは、人間って【欠乏欲】の塊ですから、普通の世間の人達は【感謝】する事を知らないです。

会社の運営にしても、一人の労働者としても、自分が働いて幾らの給料をもらって良いのか、なども考える能力のある人でないと駄目ですよ。

 

 自分の能力は全く知らないで、給料をもらう事ばかり考える人達も居ます。

この事については、学問が秀才だからとか、地位や名誉が有るからと言って、誰も皆が、益々と余分な物を欲しがります。

これが、普通でして、人間の【欲望】には際限がありませんね。

そして、これも先述したかも知れませんが、名誉も地位も何も持たない人達が、一生懸命に<<異性(男性は女性に、女性は男性に)>>に、命を燃やして生きている場合もあります。

また、地位や名誉が出来た人達は、その後から<<異性>>を欲しがる場合が沢山とあります。

逆に、お金が貯まれば、その後に{名誉}や{地位}が欲しくなって来ます。{名誉}や{地位}が出来たら、【お金】を欲しがります。

 

 このような状況を当方も何度も考えるのですが、自分の「心」、格別に自分の生い立ちの過去の「心」から確認しておかないと大変ですね。

自分の「心」にブレ―キをかけられるか、どうかでもあります。

そこで、自分の過去の心について調べてみますと、自分の幼い時から、どれほどの物事を、どれほどの人を<<追いかけていた>>かが、理解できます。

これが、大事ですね。

真実の自分の過去の「心」を知っているのか、単に、自分の生い立ちからの見せ掛けの「心」だったかを、知る事が可能となります。

見せ掛けの「心」が、ある意味では、「錯覚」の心です。

 

 当方は、何を申し上げたかったか、です。

自分の真実の「心」を知らないのは、自分の心の「錯覚」だけしか知らないのと同じですよね。

当方の考え方を多くの人達に伝えて、おきたいと考えます。

地球上の人達が、自分の過去を振り返らないで、色々と{演説}して格好の良い事ばかりを言っていますが・・・、やはり、過去を知らずして、多勢の前で自分の心や言葉を発していますが・・・、果たして如何なものでしょう。

地球上には、幸せはやって来ないでしょうし、己の心にも幸せは訪れて来ないのでは無いでしょうか、自称では、私は正常と自己主張しても大変です。

<<未分類>>「記憶」7

2010 年 8 月 30 日 月曜日

 人は、年老いて高齢になっても、その人の過去の「記憶」は、生まれて生きて来た通りのまま残っています。

全ては、自分流の過去から~~現在に至るまでの「記憶」、自分流の「記憶」なのです。

集団の中、家族や学校でも会社でも、特別に変った人、心の曲がった人、他者をいじめる人、風変わりな人、暴力的な人、陰湿な人、マイナス思考の人、何時も心が状況に関係なくハイ(・・・躁っ気のある)な人、色々な人達が居ます。

何故、自分でそうなるかも、知っていません。

周りの人から、注意や助言をされても、全く聞く耳を持っていません。

まして、助言されると、腹を立てて怒りを表現する人達も居ますよ。

 

 それほど、人間の心って、悲しいものです。

自分の過去に感謝できる事が、一番に良いのです。

普通では、誰もが思う事、感じる事でしょうが、人間は何故か自分流の考え方では駄目なようですね。

親が、自分勝手に<子供を作った>ではないか、私は喜んで誕生したのではないよ。

親の煩悩が多き故に、親の「因縁」で誕生して来ただけですからね。

だから、私は親に感謝などする必要は無いと、よくよく皆が言います。

だって、本当に間違いない事実ではありますよね。

ですが、人間が此の世を幸せに生きるためには、そんな<<考え方>>は無理があるのですね。

 

 どんな状況に置かれても、どんな人達に出会っても、この人は嫌い、この環境は嫌い、などと感じるのは、今の自分の心で思っているものではありません。

全ての現況の判断は、自分の過去で判断していますから、自分の過去の心を知って納得しておくべきです。

例えば、目前の環境や人達が嫌いだと考えている場合では、その状況を正確に客観的に判断できる場合は良いのですが、別の他者が見ていても、あの人は駄目人間だと言う場合では、やはり、その人の生い立ちが問題です。

自分を此の世に送り出した母や父に対して、{恨み}や{怨念}や{嫌い}だと言うマイナスの感情を抱えています。

 

 自分の目前の人や環境に対して、<<マイナスの感情が膨らんでいる>>場合では、過去の母や父や兄弟姉妹などとの解決されていない「固着=過去の心の積み残し」が、増幅されているものです。

それ故に、自分は<<過去に感謝している>>とか<<親には恩を感じている>>とか、口先だけで多くの人達は言いますが、実は、本当のところ、<<自分の親へ感謝なんて全くしていない>>場合が多いです。

これも、自分の過去の「「錯覚」」ですから、要注意です。

過去の「錯覚」が、人の生き方の左右をします。