「生き甲斐」の無い人達が、昨今では多すぎます。
人間的な成長のある人達、少しでも心の世界を学習している人達には、「死に甲斐」だと伝えております。
何故って言われれば、「生き甲斐」だけを求めて生きると、死ぬ時期が近づいた時に、<<自分の死>>を納得できる人になるのが難しいでしょう。
病気や高齢者になった時に、自分の死が近づいた頃に、多分に悲しくなります。
「生き甲斐」とは、必ず、消えて行くもの、です。
「生き甲斐」→「死に甲斐」までを、悟っておくべきですね。
でも、今回は、難しい話は中止しておきます。
今は、自殺について話をしているのですが、現代の若い人達は、自分について、人間とは何かなどが、全く理解できません。
何のために生きるのか、面白い事柄は何もありません。
親と自分の関係も何も格別にありません。
母親が好きかと、問われても、分からないし、考えた事もありません。
父親が好きかと問われても、そんな事は考えた事がありません。
時には、「好きだ」という言葉が返ってきますが、体では、全く理解できないようです。
大事な大事な言葉だし、凄く大切な言葉なのです。
最近は、若者達が、しばしば集団自殺をしますよ。
簡単に言えば「人生って、何か??」、「私の存在って、何か??」などなど全く考えようとしないし、唯、漠然と生きているだけだから、何も面白い事は有りません。
母親も、好きではありません。
父親も、好きではありません。
兄弟姉妹も居ないし、仮に、居たとしても好きにはならないでしょう。
友達も、好きな人達は居ません。
動物も、花を見ていても、何も感動する場合はありません。
ですから、此の世には<<面白い出来事>>は何もありませんし・・、
誰も皆が、何のために人生を生きるのですか。
面白くない世の中、生きていても仕方がありませんから、死んだ方が楽になりますね。
世間では、お金だ、名声だ、美味しい食事だ、彼女が、彼氏が、なんて言っていますが、私には、全然と興味あるものは有りません。
生きていても仕方が、有りません。
だから、死にたい人達が居れば一緒に死にたいですよ。
一人では、何となく怖い気持ちもするので、一緒であれば、私は安心して死んで行けます。
ですが、当方から見れば、人間は誰も死ぬから、少し立ち止まって人生について、当方と一緒に考えれば、きっと、人生の迷いの道から脱出できます。